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ローゼンベルク家の食卓

【4-12-8】飲み過ぎ注意

2009/07/24 0:15 四話十海
 
 バーカウンターの上で空になったカクテルグラスがきらきらと、室内の灯りを反射している。一、二、三、四……全部で五つ。そして今、まさに六杯目が飲み干された所だった。

「おい、ヨーコ、そろそろ……」
「ん……そうね、これぐらいにしとく……」

 ヒウェルはほっとした。しかしヨーコはくいと口元を行儀よくハンカチで拭うと、ぽつりと付け加えたのだ。

「……カクテルは」
「えーっと、つまり、それは……」
「次はストレートでもらおっかな」

 ああ。
 ヒウェルはこめかみに手を当てた。
 雑な飲み方する奴が一匹増えやがったか。ため息をつきながらグラスをとん、とカウンターに置いた。

「何お飲みになりますか」
「上から2番目の棚の左から4番目」
「はいはい……」

 請われるままに瓶を抜き出そうとして思わず目をむいた。

「ぶっ」
「何してんの、ほら、早く」
「ほんっとにこれでいいのか?」

 透き通った薄い緑色のボトルをかかげて見せる。まちがいであってくれと祈りつつ。

「うん、アクアビット。オールボーでしょ?」

 北欧産の、ジャガイモを原料としてキャラウェイやアニスなどのハーブエキスをブレンドした蒸留酒。見た目はとろりとわずかに黄色みを帯びた透明な液体、だがアルコール度数は……。

「何でこーゆーきーっついのばっかり飲みたがる!」
「芋焼酎に似てるんだよね」
「だったらせめてお湯で割れ!」
「やーよ」

 ずいっとグラスをさし出される。満面の笑顔がかえって怖い。

「ほら、ついで?」

 ここで飲ませていいものか。
 見た目はしゃんとしてるし、さすがに多少血色は良くなっているようだがふらついてる様子もない。だが、このちっぽけな体に入った酒の量を考えると……。
 そろそろやばいんじゃないか? イエローゾーン、それもかなりオレンジ寄り。

「なあ、ヨーコ、悪いことは言わないから」
「ヒウェル」

 声のトーンがわずかに下がる。

「つげ」
「うっ」

(ど、どうすればいいんだ……)

 魔女ににらまれ、すくみあがってるところに救いの手がさしのべられた。

「よーこちゃんどーしたの?」

(サリー!)

 しかしこの救世主、妙にほわほわしている。頬も首筋も桜色に染まっていて、そりゃもう、頭に花の一輪も咲いていそうなご機嫌っぷりだ。

 ちろっと上機嫌な従弟に目をやると、ヨーコはぼそぼそと日本語で答えた。

「………やけ酒したくっても外だとお酒飲めないから……ここで飲むの!」
「えー」

 カウンターの上に身を乗り出すと、ヨーコは再びずいっとグラスをつきつけた。

「ほら、つげ!」
「いやヨーコ、それぐらいにしといたほーが」
「つ、げ!」

 小柄な体から発せられる気迫に押され、ヒウェルは必死にサリーに目線で助けをもとめた。

(頼む、サリー、こいつを止めてくれ。俺はとてもじゃないけど魔女には逆らえねえ!)

「はいはい」

 サリはさっとヒウェルの手からボトルをとり、たぱたぱとヨーコのグラスに注いだのだった。

(ちがう、そーじゃねーっ、のますなーっ)

「ありがとー」

 こくこくと白い喉が上下して、透明な液体が消えて行く。

「あ、あ、あーあ……だからさー、そーゆー飲み方する酒じゃないんだってば……せめてライムを絞るとか……」
 
 遠慮がちにささやくアドバイスは、きっちり編み込まれた黒髪の上をさっくりスルー。ツヤがよすぎて言の葉さえも滑るのか。

(ああ、まったく!)

 ことん、と空になったグラスを置くと、ヨーコは小さく息を吐いた。キャラウェイにアニスにフェンネル。濃密なハーブの香りがたちのぼる。しっとりと熱を帯びて。

「ふう……サクヤちゃんもおかえしのむ?」
「ううん、いいや」

 ずいっとテリーが割り込み、横合いからアクアビットのボトルを取り上げた。

「お前は飲むな!」
「うん、だから飲んでないよ?」

 返事をしながらサリーはほわほわと笑っている。肌の桜色が一段と濃くなっている。明らかにさっきより酔いが進んでいた。

「おまえ、いつの間にこんなに飲んだ! ほら水飲め。まったく」
「えー、飲んでないよ」

 ディフがスコッチをあおる手を止めてのぞきこんできた。

「グレープフルーツ絞るか?」
「ああ、頼む」
「飲んでないのにー」
「いいから、こっちに来いっ」

 ディフの後をついて、否応無くテリーにひっぱられてキッチンへと連行されて行くサリーを見送りつつ、風見とロイは密かに頭を抱えた。

 そう、飲んでいるのはヨーコ。サリーは単に共鳴しているだけなのだ。

 単に外に現れていないだけで、実際には同じくらい(と言うかまったく同じレベルで)ヨーコも酔っぱらっているのだが……
 そのことに気づいているのは、この場では風見とロイの2人だけ。

「あー、アクアビット持ってっちゃった、テリー……」
「残念だったな」
「スコッチで良ければどうだい?」
「レオンっ」
「いただきます。ヒウェル、新しいグラスちょうだい?」
「う……」
「香りが混ざっちゃうものね」
「うう……」

 悔しいことに彼女は酒にきちんと敬意を払っている。味わうことを知っている。
 少なくとも、『酔えりゃー何でもいいや』とばかりに手当たり次第に飲み散らす雑なカエル野郎ではない。

 たん、と新たなグラスがカウンターの上に置かれた。

「どうぞ」

 すかさずレオンがスコッチを注ぐ。切り子細工の透明なグラスに満たされる琥珀色を、ヨーコはうっとりと眺めた。

「ん……いい香り……いただきます」

 両手で捧げて、まず一口。喉を滑り降りる熱と、体内を満たす木の芳香をじっくりと味わって……いたのは最初だけ。
 残りはこくこくとあっと言う間に飲み干した。まるでミルクでも飲むみたいにあっけなく。

「はぁ……やっぱりいいお酒は違うのね……舌触りも、香りも何もかも」
「何だヨーコ。スコッチもいけるクチか」

 ディフが戻ってきた。まくりあげた袖からかすかにグレープフルーツの香りがする。ソファの上ではテリーの監督のもと、サリーがちびちびとグレープフルーツジュースを飲まされていた。

「飲んでないのにー」
「いいから、だまってそれ飲め」

 そして、二杯目のスコッチが杯に満たされる。もはやだれも止める者はいない。
 
「まずいな」
「うん、危険ダネ……どうする、コウイチ?」
「応援を呼ぼう」

 風見はかしゃっと携帯を開き、電話をかけた。
 居るかな。いそがしいかな。昨日は会社のパーティーがあるって言ってたけど、今日はどうだろう?

「コウイチ?」

 よかった、出てくれた!

「ランドールさん」
「どうしたんだい?」
「それが……ヨーコ先生が、酔っぱらっちゃって……」
「………」

 受話器の向こう側で何か硬いものが触れ合う音がした。
 そう、まるで大型犬の顎が空振りし、ガチっと牙が空を噛んだ時のような……。

「あの、ランドールさん?」
「失礼。誰が、どうなったって?」
「ヨーコ先生が、酔っぱらっちゃったんです。もう、俺たちで止められるような状態じゃなくて……」

 語尾が震える。しっかりしろ、ちゃんと伝えなきゃ。平常心、平常心……。

「日本でも酔っ払ったのは何度か見てますけど、今日のはちょっと違うみたいで……」

 今度は深く息を吸って、吐き出す気配が伝わってくる。
 あ、深呼吸してる。びっくりしたんだろうな。

「……成る程、それは大変だ。それで、君たちは今いったいどこにいるんだ?」
「マクラウドさんの家です」
「わかった。すぐに迎えに行く」
「お願いします!」
 
 電話を切って、ほっと息をつく。これで大丈夫だ。やっぱりこう言う時は、大人の男の人じゃないとだめだ。
 幸い、ヨーコ先生はランドールさんの言うことなら素直に聞いてくれるみたいだし……。

(俺じゃ、だめなんだ)

 きりっと歯を食いしばり、せり上がるやるせなさを噛み砕く。舌の奥に実体のない苦い味が広がった。

 今までも先生がお酒を飲む姿を見た事がある。
 それは、チームの拠点である寺や、先生の実家である結城神社だったり。あくまで『ホーム』で、楽しげに缶ビールをくいっと飲む姿だった。

 こんな風に無茶な飲み方するなんて……まるで、自分が自分であることを消そうとしてるみたいに。

(先生、どうして!)
 
 
「ディフ」
「どうした、テリー?」
「こいつ、連れて帰るよ。もうだめだ、かんぺきに出来上がってる」
「ふわわ?」
「……みたいだな」
「知らなかった、彼は酒に弱いんだね」
「まったくいつの間に飲んだんだか……」

 眉をしかめるテリーの背後では、ヨーコが何杯目かのスコッチをくいくいと流し込んでいた。

 Just,now!(今、まさに!)

「それじゃ、今夜はごちそうさん。またな!」
「ああ、気をつけて」
「コウイチ。ロイ」

 すっかりふにゃふにゃになったサクヤに肩を貸して、半ばひきずりつつテリーが近づいて来る。

「お前ら、帰りは大丈夫か?」
「……大丈夫です、迎えを頼みましたから」
「そう、か」

 ちらっとテリーはバーカウンターの方を振り返った。ヨーコがにっこり笑って手を振っている。どこから見てもシラフ。この上もなくシラフ。

「明日、ホテルに迎えに行くから」
「ありがと。助かるわ」
「じゃあな。おやすみ」
「おやすみ、気をつけてね」
「おやすみなさい」

 サリーを連れて帰って行くテリーの後ろ姿を見送りながら、風見とロイはひっそりと日本語でささやき交わした。

「今は離してあげた方が早く酔いがさめるもんな」
「その方がサクヤさんのためデス」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ヨーコは相変わらず顔色も変えずに飲み続けている。そろそろ目がとろんとしてきているのだが、一向にペースの落ちる気配はない。

 ヒウェルは命じられるまま、空になるたびにグラスに新たな酒を注ぎ続けた。魔女に逆らうことなどできるはずもない。

「つげ」
「……どうぞ」

 さすがにレオンも何やらただならぬ気配を察し、積極的に酒を勧めるのは控えることにした。しかしあくまでそれだけで、止める気はさらさらなかった。

(飲みたいだけの理由があるんだろう。だったら止める必要もない)

「ヨーコ」

 さすがにやばいと感じたのか、ディフが立ち上がってキッチンからピッチャーを取ってきた。グレープフルーツジュース、100%のフレッシュ。さっきサリーに飲ませた分の残りだ。

「こっちにしておけ」
「ジュースにはまだ早いわ」

 眉をしかめた。

 話しかけるとその瞬間だけシャンとする。パトロール巡査をしていた時分に何度もお目にかかったことがある。
 やれやれ、こいつは困った酔っぱらいだぞ。
 さすがにこのままバーカウンターの高い椅子に座らせておくのは危ないな。ちっちゃいから足がつかないし、ぐらっとひっくり返って頭でも打ったらおおごとだ。

「とりあえず、そこから降りた方がいい。ソファで飲もう、な?」

 さりげなく腕を支えようとしたが、するりとかわされた。手のひらにしなやかな手触りだけ残して……まるで猫だ!

「自分で歩けるってば」
「足つかないだろ!」
「これぐらい……」

 椅子の上で向きを変え、飛び降りようとしている。
 しかし足にも腕にも力が入らない。支えきれずにかっくん、と体勢が崩れた。

 危ない!

 もし、ディフたち3人が注意深く見ていればその時、高校生2人組の姿が一瞬ぼやけたように見えただろう。

 チリン。

 鈴が鳴る。彼女の胸元でちいさな金色が閃き、澄んだ音を響かせる。

 常識的に考えれば、到底間に合うような距離ではなかった。にもかかわらず風見とロイはまばたきよりも早く部屋を横切り、バランスを崩したヨーコを両脇から支えていた。

「ほぇ?」

 かろうじて落下は食い止めた。しかし、それが精一杯。自分より背の高い少年2人に腕をひっぱられたまま、ヨーコはへたりと床に座りこんでしまった。

 ぶらーんとつり下げられるその姿は、さながら『つかまった宇宙人』。

「大丈夫ですか、先生」
「んー、ありがと……も、へーきだから」

 にゅるりと教え子たちの腕から抜け出すと、ヨーコはカウンターに寄りかかってぺったりと足を投げ出した。
 さらに、手を伸ばしてもぞもぞとカウンターの上をまさぐっている。
 どうやらグラスを探しているらしい。

「ったく、この飲んべえ羊めが」

 ヒウェルはため息をつくと、飲みかけのグラスをとって握らせた。

「あ、あのレオンさん! 俺たちだけでホテルに帰るのは心細いんで」
「先生のお友達に迎えを頼みました」
「ああ、ありがとう。迎えが来るならそのほうがいいね、アレックスに送らせようかと思ったが」
「いえ、とんでもない」
「これ以上お世話になる訳にはっ」
「謙虚だな」
「和の心デス」
「………おいこらそこの高校教師。ちっとは教え子を見習え」
「ヒウェルさん」
「何だ、コウイチ」
「今日のヨーコせんせは、ちょっと危なっかしいんです。だから……」
「コウイチ。おまえ何っていい子なんだ」

 ぽん、と風見の肩を叩くと、ヒウェルはせっかく回避されたばかりの地雷の起爆スイッチを自ら再起動させた。

「まったくちょっとは見習え、そこの高校教師!」
「何か……おっしゃったかしら、Mr.メイリール?」

 満面の笑顔、だが目が笑っていない。

「すみませんすみません、ワタクシが悪ぅございましたっ」

 いっぺんにすくみあがると、鎮火すべくヒウェルは慌てて新たな酒をグラスに注いだ。

 ディフはしばらく軽く握った拳を口元に当てて考え込んでいたが、やがて自分も床にぺたりと座り込んだ。いつ、ヨーコがひっくり返っても受け止められるようにすぐ隣に。
 レオンも肩をすくめると椅子から降りて、ディフの隣に座った。

 先生の周りに守りの壁が張り巡らされるのを見計らって、風見とロイはそっとバーカウンターを離れてソファに腰を降ろすのだった。

「く……」

 風見は密かに唇を噛んだ。先生をソファまで連れて行きたかった。ロイと2人掛かりでなら、できると思ったのに。

 単純に腕力だけの問題じゃないんだ……。
 もっと、しっかりと腕をからめて支えなければいけなかった。それなのに、とっさに遠慮してしまった。いや、ためらった。
 あの時と違って、大人の女性である先生に深く触れることを。

(まだまだ修行が足りないな……)

 深々とため息をつき、ソファに身を沈める。
 ポケットの中でチリン、と携帯のストラップに下げた金色の鈴が鳴った。

(あれ……)

 透き通った小さな響きが細いかすかな糸となり、意識の中にすうっと降りて行く。
 何だろう、この感じ。

 ずうっと昔、同じようなことがあった。
 怒りとも、悲しみともつかない、何かの痛みに耐えていた女の人を見たことがある。

 手のひらで丸い形を作る。
 そうだ、この形だ。

 とぷん、と手のひらにかすかな振動をが蘇る。何か液体のゆれるような感触だった。

 あの時、自分は何を持っていたのだろう? 
 
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