▼ 【4-11-4】お客様を迎える準備
日曜日にクリスマスツリーを飾り付けた。ディフとオティアと三人で。休みの日なのにレオンはフロリダに出張していた。
雪に見立てたうすく引き延ばした綿を、樹液の香りもみずみずしいモミの木の枝にからめた。
金色のベル、つやつやのカラーオーブ、赤と白のモールをよじったキャンディケーン、作り物の炎を灯したプラスチックのキャンドル。
発泡スチロールのスノーマン、木でできたちっちゃなサンタクロース、トナカイ、橇、銀紙の星に、リンゴに、赤いリボン。
去年も使った飾りを一つ一つ取り付けていて、ふと手が止まる。
丸めた綿の上に白い布を被せて、きゅっと絞って裾をひろげる。玉になった部分に目と口をかいて首のところを紐でぶらさげた小さな人形が3つ。
これは、去年はなかった。
一つはサリーが見本用に作ってくれたもの。もう一つは自分が。三つめのはオティアがつくった。晴れを呼ぶおまじないの人形……テルテルボーズ。
(とっておいたんだ……)
三つ隣り合うようにして、ひっそりとぶら下げた。
そして一夜明けた月曜日。いつものようにコーヒースタンドでぽつんと時間をつぶしていると、ビリーからメールが入った。
『悪ぃ、用事できちまった。今日は行けない』
仕方ないので、家に帰った。帰ったのはいいけれど、何となく上に上がりづらくてロビーをうろうろしていると、不意に足元から呼びかけられる。
「Hi,シエン」
「やあ、ディーン」
少し離れた所ではソフィアが郵便受けを確認していた。中味がけっこうぎっしり入っていたらしく、肩に下げた大きめのバッグにまとめてどさどさと入れている。
クリスマスカードかな。ずいぶん沢山あるみたいだ。
「……シエン、一人、いけない」
「え?」
「手、つなご」
illustrated by Kasuri
にゅっと小さな手がさし出された。どうやら、ママの口癖のまねっこらしい。まじめくさった表情が可愛くておもわずくすりと笑ってしまう。
「OK」
手をつなぐと、ディーンは満足そうにうなずいた。
「じゃ、行こうか」
そのままとことこと先に立ってエレベーターに向かって歩き出す。どうやら、自分を送ってくれるつもりらしい。ぎゅっとにぎってくる短い指が。ちいさなちいさな手のひらが、ぽわぽわと温かい。
「シエン、今帰り?」
「はい」
にこにこしながらソフィアが歩いて来る。昨日、あんなにたくさん買い物をしていたはずなのに、今日も大荷物だ。
「一つ持つよ」
「ありがとう、じゃ、こっちの袋をお願いできる?」
「ずいぶんたくさん買ったんだね」
「ええ、今日からクリスマス用の材料のセールが始まったから……」
「え、まだ一週間あるよ? 何を作るの?」
「ジンジャーブレッドとフルーツケーキ。日持ちのするものから作って行こうと思って」
ほう、とソフィアはため息をついた。
「本当は、ブランデーたっぷりきかせて一ヶ月前から準備しておきたいんだけど、それじゃ小さい子が食べられないでしょ?」
「ああ、確かに」
降りてきたエレベーターに乗り込み、ごく自然に五階のボタンを押す。
ソフィアの家は五階にあるのだし、自分は彼女が荷物を運ぶのを手伝っている最中だ。それにディーンがしっかり手をつないでいる。
だからこれでいいんだ……。
エレベーターに乗っている間、ディーンは幼稚園で習ったクリスマスの歌を披露してくれた。なんだか2曲ほど混じっている上に、途中で柊がヤシの木に化けていたような気がしないでもなかったけれど、とにかく楽しそうに歌っていた。
オーウェン家のドアの前まできたとき、ソフィアがさらりと言ってくれた。
「手伝ってくれてありがとう、シエン。助かったわ。お礼にお茶でもいかが? ミンスミートのパイを焼いたの」
ディーンにひっぱって行かれた居間の床には、子どもの背丈ほどのツリーが置かれていた。
「シエン、これ、これ! パパと一緒にかざったの!」
「そっか。きれいだね」
「うん!」
かちっとディーンがスイッチを入れると、枝に巻き付けられた豆電球が一斉にちかちかと点滅を始めた。
「すごいな、光るんだ」
「うん、キラキラ」
てっぺんにいるのは白いドレスの妖精だ。こう言うのもあるんだな。家のは、星だった。
ツリーそのもののサイズも飾り付けも微妙に違う。飾りの一つ一つが色鮮やかで、ディーンの喜びそうなキラキラしたものばかりだ。
「シエンのおうちでも、ツリー飾った?」
「うん。これより小さいけどね。バーカウンターの上に置いてあるよ」
「何で、そんな所に?」
紅茶のカップとポットを運んできたソフィアが首をかしげる。
「オーレがね……床の上に置いておくといたずらしちゃうから」
「ああ、それでカウンターの上に?」
「うん。テーブルの上にはあがっちゃだめって、ちゃんとわかってるんだ」
「そう、かしこいのね……はい、どうぞ」
「ありがとう」
「こっちはディーンに」
「わーい、ありがとママ!」
ドライフルーツのぎっしり詰まったパイは、見た目ほど甘さが強烈ではなかった。お店のケーキやパイにつきものの極彩色の大粒カラースプレーもかかっていない。果物の本来の味がしっかり生きている。
どうやら、ディーンもやたら甘いのが好き、って訳じゃないらしい。
お茶を飲みながら、クリスマスの話をした。相談することはいくらでもある。
25日はアレックス一家と合同でクリスマスとレオンの誕生日をお祝いする予定になっているのだ。外からお客さんもお呼びして。
基本的に家に招待されるのは、自分とオティアが一緒にいて平気な人に限られる。
きっとサリーは来るだろう。テリーも呼ばれるかもしれない。
テリーはサリーの友達で、今までも何度か探偵事務所に来ている。
デイビットは休暇中は奥さんと過ごすって言っていた。レイモンドは恋人のトリッシュと。
後はだれがいるだろう……
サリーに良く似たちっちゃな女の人を思い出す。八月に、フロシキと本を持ってきてくれた人。自分たちより背が低いのに、ものすごく沢山食べていた。すごく美味しそうに。ヒウェルはあの人の前では全然頭があがらなかった。
ヨーコは来るのかな? 日本は遠いから難しいかな……。
「それで……苦手な食べ物やアレルギーのある人はいる?」
「みんな、アレルギーはないよ。オティアは煮たリンゴが苦手なんだ。レオンは魚の卵。ディフはカリフラワー。食べられないって訳じゃないんだけど、ブロッコリーの方が喜ぶ」
「そう。気をつけるわ」
「あとね。ヒウェルはピーマンと、セロリが苦手」
「えっ?」
きょとん、とするソフィアの隣ではディーンが力一杯うなずいている。
「そうだよねっ、ピーマンにがいもの。おいしくないもんねっ!」
「あ……ディーンも苦手、なんだ」
「そうなのよ……どんなに細かくしてもすぐばれちゃって。ヒウェルにはどうやって食べさせてるの?」
「んーっと……普通、かな? 味付け濃いめにして、しっかり火を通して」
「OK、チャレンジしてみるわ!」
「でもセロリはどうしてもわかっちゃうんだよね」
「そうなのよね、セロリって匂いが強いから……」
「炒めて中華風に味付けるとだいぶ違うみたい」
「炒めて、中華風……ね。試してみるわ」
そーっとディーンの方をうかがう。スケッチブックを開いて熱心にクレヨンを動かしていた。
よし、今のうち。
こっそりとソフィアの耳元にささやいた。
「料理する時は、ディーンの見てないところでね?」
「わかったわ」
帰る時、ミンスミートパイをお土産にもらった。これ、どうしよう。キッチンのテーブルに置いておけばいいかな……。
多分、だまって置いておいてもディフはわかるだろうけれど、念のためメモそえておいた方がいいかな。
実際に家に入ってみたら、難しく考える必要もなかった。
「お、いいにおいがするな」
パイの入ったバスケットを普通にディフに渡して、必要なことを言えば良かったのだ。
「これ、ソフィアからもらった」
「そうか」
ちらっと上にかけたナプキンを持ち上げてバスケットをのぞきこむと、ディフは顔をほころばせた。
「パイだな」
「うん、ミンスミート」
「うまそうだ。後でお礼言っておこう」
パイの話に続けてさらりと言われた。
「お帰り、シエン」
「………ただいま」
※ ※ ※
クリスマスまであと一週間を切った月曜日の夜。夕飯を終えて、片付けをして。それぞれの部屋に戻る双子を見送った所で携帯が鳴った。
ヨーコからだ。
「Hi,マックス」
「やあ、ヨーコ」
「元気?」
「ん…………まあ、な」
「本当に?」
「…………………」
参った。
やっぱり彼女に隠し事をするのは難しい。
「ちょっと疲れ気味、かな」
「だと思った。あなたってば真面目な人だから……」
まるで俺が今抱えている悩み事が何なのか、全て知っているかのような口ぶりだ。そのくせ、必要以上に踏み込むことはしない。
だからこっちも気楽に話ができる。
「ワカメ食べてる?」
「うん。けっこう美味いな、あれ」
「そう、口に合ったみたいね、良かった。それでね」
「うん?」
「実は、そっちでクリスマスを過ごすことになったの」
「そうか。サリーに会いに?」
「そそ、サクヤちゃんの顔を見に! でも一人じゃないんだ。若い男の子を2人連れてくの」
「ほーう。両手に花か? お安くないな」
「だったらよかったんだけどね?」
ひとしきり、電話の向こうでころころっと笑う気配がした。
「高校の教え子よ。留学を希望してるから、下見を兼ねて」
「そうか。熱心だな」
「うん、いい子たちよー。熱血だし! それでね、マックス。その子たちが、本物のアメリカの探偵事務所が見たいって言ってるんだけど……」
「OK、そう言うことならお易い御用だ。いつ来る?」
「さっすが話が早い! 22日にそっちに行って、26日の夕方の便で帰国する予定なんだ」
カレンダーを確認する。
「うん、問題ないな。22日ならまだ休暇前だ」
「ほんとに? じゃあ、その日の午後にお邪魔するわね。事務所に」
「待ってるよ。茶菓子は何がいい?」
「何でも」
「それは、知ってる」
「んー、最近はスコーンに甘くないクリームつけて食べるのがマイブームかも」
「OK、アレックスに頼んどくよ。ああ。そうだ、ヨーコ」
「なあに?」
「25日の夜、予定あるか?」
「んーん?」
「だったら家に来ないか? 25日にパーティーやるんだ」
「いいの?」
「ああ、大歓迎だ。にぎやかな方がいい」
「そっか、レオンの誕生日でもあるのね。Wでお祝いなんだ」
「うん。君ならオティアとシエンも顔見知りだからな……あいつら、同じ年頃の子と、あまり接点がないし」
「そうね。うちの子たちも、必要以上に騒がしくするタイプじゃないから」
「空港に迎えに行くか?」
「ああ、そっちは大丈夫よ。ありがとう。サクヤちゃんと、お友達が来てくれるから」
「テリー?」
「うん、一人はね」
あとの一人は、だれなんだ? 気にはなったが追求するような話題でもなし。後はとりとめのない話をしてから、おやすみを言って電話を切った。
「客が増えた……か」
ふと窓ガラスに写る自分の姿に目をとめる。
そういや、半年近く床屋に行ってないな。後ろ髪は肩をとっくに通り越し、背中に垂れてそろそろ腰に着きそうだ。
前髪は長く、最近はかきわけて目にかからないようにしている。
くくればいいかと思ってついそのままにしていたが、毛先ぐらいは整えとくべきか……な。
くい、と首筋の後ろから手ぐしで後ろ髪をかきあげてみる。
夜会巻きってのは一応フォーマルな席でもOKな髪型だったか。
「いいね。とても魅力的だ」
洗面所の鏡の中、後ろから抱きすくめられた。そしてむき出しになった左の首筋の、薔薇の花びらみたいな火傷の跡にレオンが顔を寄せて……。
「可愛いよ、ディフ」
…………。
………………………いや、あれは無しだ。色々問題がある。
うん、やっぱり切ろう!
※ ※ ※
次の日、ヒウェルに頼んでみた。
「散髪?」
「ああ。客が来るから、さっぱりしときたいしな」
「お客、ねえ。アレックスんとことサリーだろ? 今更気取るよな仲でもなし、そのまんまでいいんじゃねえか?」
「いや、増えた」
「へ」
「ヨーコが来る。教え子連れて」
「…………マジか」
あ、あ、あ、まーた引きつってやがるよこの男は。お前はそんなにヨーコが苦手か?
まあいいさ。
ヒウェルがおとなしけりゃ、自然とレオンが上機嫌になる。トラブルの発生率も下がるってもんだ。
(我ながら発想が荒んでるような気がしないでもないが、事実なんだからしょうがない)
床に新聞紙を敷き詰め、その上に食卓の椅子を床に置く。首筋にタオルを巻いて、さらにその上からシーツを巻き付けて座った。
「何で俺に頼むかね、こんなとこ」
「手先が器用だからな」
「それ、高く評価してくれてるってことか?」
「ああ」
「そりゃ光栄。ご期待にそえるよう、がんばりましょ」
軽口を叩きながらヒウェルは軽く霧を吹いて髪をしめらせ、クシでとかした。
ひょろ長い指先が髪に触れた瞬間、わずかに体が堅くなる。
「……ディフ?」
「あ、ああ、大丈夫」
深く息を吸って、吐く。落ち着け、ディフォレスト。こいつはヒウェルだ。高校の時からよく知ってる男だ。
だから、心配ない。
心配ない。
こいつは俺に危害を加えたりしない。
「続けてくれ」
「OK」
しゃきしゃきと軽快にハサミが動き始める。
正直、まだ他人に……それも背後から髪をいじられるのは抵抗がある。本当はレオンにやってほしい所だが、あいつに刃物なんか危なくて持たせられたもんじゃない。
だからヒウェルに頼んだ。こいつなら、大丈夫だと思ったんだが、やっぱり身構えちまった。
「お前の髪の毛ってさ。ふわふわしてて、子犬なでてるみたいだよな」
「そうかね」
「うん。ゴールデンレトリバーの子犬」
「えらく限定してきたな」
「毛質が似てるから……色的にはアイリッシュセッターだけどさ」
ハサミを操りながらヒウェルは何気ない口調で話しかけてくる。俺がリラックスできるように気遣ってくれてるのか。
「ああ、そう言えば、カレン・アンダーソンが年明けに店を出すって言ってたぞ」
「へえ?」
カレンは高校時代の同級生で、今は美容師をやっている。八月に俺の結婚式で会った時は、そろそろ独り立ちしたいと言っていた。
「思ったより早かったな」
「理髪店やってる祖父さんが引退するんで、店を継ぐんだとさ」
「あのじっちゃんか!」
「そー、高校ん時よく世話になったよな。お友達価格で割引してくれたし」
「おまえはごほうびのキャンディが目当てだったんだろ?」
「ん、それもある」
切り取られた髪の毛がはらはらと足元に落ちる。湿気を吸っているせいか、いつもよりカールが強くかかっている。
本体から切り離されて重力から解放された瞬間、くるっと巻き上がるのか。
それとも自分じゃ見えていないだけで、普段からこれくらいくるくる巻いているのか。
髪の毛に触れる指から懸命に意識をそらす。ともすれば強ばりそうになる肩や手足の力を抜いて、深い呼吸を繰り返す。
「どうよ。同級生のよしみ、ご祝儀がわりに行ってみるか?」
「そうだな……今度伸びたらな」
「ああ、そうしろ」
その頃には、きっと今より平気になってるはずだ。
他人に後ろから、髪をいじられても怯えずにすむように……。
願わくば、そうなっていて欲しい。
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