▼ 【4-11-3】もみの木と子猫2
「よっ、元気か?」
クリスマスまで二週間を切ったある日の午後。
例に寄って些細な用事にかこつけて探偵事務所に顔を出してみた。所長は不在、有能少年助手がちらりとこっちを見上げる。
「何しに来た」
ごそっと手にしたデリの紙袋を振ってみせる。
「昼飯買ったけど、食う暇がなくってさ。外で立ったまま食うのも寒いし……場所貸してくれ」
「……好きにしろ」
「さんきゅ」
勝手知ったる他人の事務所だ。応接用のローテーブルに紙袋をどさりと降ろす。中味はチェリーパイとドーナッツ、シナモンがけとジェリー入りが一つずつ。
一緒に買ったはいいものの、すっかり冷えきったコーヒーを暖め直すべきか、このまま飲むか、しばし悩む。
当然のことながら、マフィンもドーナッツもつくりたてからは程遠い。せめて飲み物だけでもあったかくしとくか。
「台所借りるぞ」
「……ん」
「お前も何か飲むか?」
「別に、いい」
「にゃーっ」
どうやらお姫様は何ぞをご所望らしい。鳴き声のする方に目線を向けると、こりゃまた何てことだ。実用本意のインテリアに混じってぽつりと、えらく可愛い小物が置かれてるじゃないか。
オティアの座るスチールのデスクの上にちょこんと、木製の携帯スタンドが一つ。真っ白な子猫の形をしている。瞳の色はブルー、大きさこそ違うが、横に座って長い尻尾をひゅんひゅん振ってる本物の子猫と瓜二つだ。
「………………」
いったい誰が持ち込んだのか。まず、レオンってことはあり得ない。それじゃ、ディフか? それともオティア本人?
気になって仕方ないが、そ知らぬふりして小鍋にコーヒーを入れて火にかける。
いい感じにあったまったコーヒーをもう一度紙コップに注いでテーブルに戻るその途中、ちょん、と木製の子猫の鼻先をつついた。
「なかなかに機能的だな。机に直に置くより便利だし?」
「にゃっ」
「……そうだな、おまえに似て美人さんだ」
「みゅっ」
ソファにとびのってきたお姫様に、ドーナッツのクリームをひとすくい進呈した。
お気に召していただけたようだ。てちてちと舌先でなめとり、食べ終わると優雅な仕草で毛繕いを始めた。
その段階になってようやくオティアがぼそりと口を開いた。
「……シエンが」
「そうか……クリスマスだものな」
「…………………………………」
何やら難しい顔をして考え込んでいる。慌ててだーっとしゃべりまくった。ここで気まずい思いをさせたくはない。空気がしゃりっと固まるのもごめんだ!
「プレゼントだよ。ちょいと時期は早いけど。挨拶のカード贈ったり……季節の行事っつーか……とにかく、ジンジャーブレッド焼いたり、プディング煮たりするのと同じだ!」
「そうか」
何やってんだ俺は。オティアだって、今更クリスマスの説明なんかいちいちしなくても分かってるだろうに……。
照れくさいやら気まずいやらで、ばくばくとチェリーパイにかぶりつき、コーヒーで流し込む。
「あぢっ」
「阿呆か」
ふーっと小さくため息をつかれた。
OK、どうやらフリーズの危機は回避できた………当面は。
買ってきたものを残らず腹におさめ、紙ナプキンでぐいぐい口を拭う。ちらばった粉砂糖をぱぱっとはらい落とし、紙袋とコップをまとめてくしゃりと丸めてゴミ箱へ放り込んだ。
「ごちそーさん。邪魔したな」
「……あ」
紫の瞳がもの言いたげにこっちを見てる。
「ん? どうした?」
「頼みたいことが……ある」
「うん」
0.5秒で思考が切り替わる。こいつの頼みならどんなことだってするさ!
そーっと机の引き出しを開けると、オティアは白い封筒を取り出した。すでに開封済み、宛名はオティアならびにオーレ・セーブル宛。中に入っていたのは手作りのクリスマスカード、猫の足跡つき。
「あー……Mr.エドワーズから届いたのか」
こくっとうなずいた。
「返事……出したいから………その…………」
ちらっとオーレを見てる。
「オーレの………」
声が震えてる。肩が細かく揺れている。膝の上の白い小さな生き物をぎゅっと抱きしめて、オティアはかすれた声を振り絞った。
「し………しゃ…………」
途中で何度も途切れながら、時間をかけてどうにか最後まで言い切った。
「しゃ……し……ん……を…………」
その時、胸を満たした感情に何て名前をつけるべきなのか。日々職業として幾千、幾万もの文字を綴りながらも俺は、何一つ相応しい言葉を思いつくことができなかった。
「OK。とびっきりの1枚を用意してやるよ」
「にゃっ」
ほっと肩の力を抜くと、オティアは俺の顔を見上げてうなずいた。
「まかせとけ!」
ぱちっとウィンクをすると、なぜかうさんくさそうにじとーっと睨みつけられた。
っかしいなあ。
思いっきり爽やかな表情を決めたつもりなんだが。
illustrated by Kasuri
※ ※ ※
とびっきりの1枚を!
勢い込んで親父さんの一眼レフをひっぱりだしたのはいいものの。
それからの数日間と言うもの、動物を撮影するってのはとんでもなく難しいってことを身にしみて思い知らされた。
最初の数カットはそれこそ、ファインダーの中を横切る白い影しか写ってなくて。それからようやく尻尾や足、耳の一部を捉えるのに成功し、徐々に後ろ姿、横顔へとグレードアップ。
一週間かけてようやく、顔を写せるまでになったんだが……どうにも表情がよろしくない。
とにかくこのお姫様ときたら、常に俺より高い位置に陣取っていらっしゃって。こっちを見下ろして威嚇してるか、偉そうにふんぞりかえっているか、蔑んでいるかのどっちかなのだ。
今にも『あんた、バカじゃない?』って台詞が聞こえてきそうな表情で。
これはこれで可愛いと言えなくもない、が……さすがに半目で睨んでるのをご実家にお贈りするのも、なあ。
よりによってクリスマスのご挨拶で「こんなに目つきの悪い子じゃなかったのに!」なんて、Mr.エドワーズをがっかりさせる訳にも行くまいよ。
オティアと一緒の時は最高にいい顔してるんだが……それだとオティアにカメラを向けることになる。
それだけは却下だ。断じてやらかす訳には行かない。
本宅の居間でカメラ片手にふーっとため息をついてると……
頭上から「ふーっ」と威嚇された。
おーおー、背中まるめて、もわもわに毛ぇ逆立てちゃって。せめてそのキャットウォークから降りてくれないかな、お嬢さん?
「猫って、野生動物だよな……」
「何、わかりきったことを言っとるんだ」
振り向くと、のっそりと両手にモミの木を抱えたディフが立っていた。
「よう、お帰り、まま」
双子とディフが買い物に出かけている間に留守番を申し出て、お姫様の撮影にチャレンジしたんだが、時間切れと相成ったようで。
やれやれ、これじゃクリスマス休暇に突入するまでに、まともな写真を撮れるんだろうか。
「オティアとシエンは?」
「ああ、下でソフィアを手伝ってる。駐車場で一緒になったんだ」
なるほど。ってことは、しばらくはまだ余裕があるな。
「よっと」
ディフは梱包のビニールを外すと注意深くモミの木を床に降ろした。
クリスマス・ツリーは床置きが基本だ。毎年、生のモミの木を用意する。生木と言っても鉢植えになってる訳じゃない。毎年一回こっきりの使い捨てが基本、根元はシンプルにスタンドで固定されている。
一般のご家庭では高さは大人の背丈ほど、かざりはびっしりぶら下げるのがよろしい。多ければ多いほどよろしい。それがアメリカ流のクリスマスツリー。
しかしながらローゼンベルク家で買って来るツリーは30インチ(約80cm)ちょいと、スタンダードに比べればだいぶ小さめだ。
双子が来るまではツリーを飾ることすらなく、壁に申し訳程度にリースをかける程度だったんだから大した進歩だ。
緑色のわさわさした枝葉が広がり、つーんとした樹液のにおいをかいだ瞬間。オーレは鼻面をもふっとふくらませ、ひげをつぴーんと前に突き出した。
青い瞳にただならぬ光が宿る。やる気満々、獲物をとらえた猛獣の目だ!
「おい、ディフ、こいつ狙ってるぞ!」
「む、やばいな」
ディフは部屋の中を見回し、バーカウンターの上にツリーを乗せた。
「……そうだな、そこなら安全だ」
オーレはテーブルの上には乗ってはいけないと厳しく躾けられている。どんなにテンションの上がっている時でもそれだけは(感心なことに)守るのだ。たとえ俺の頭をふみにじろうとも。顔面に蹴りを入れようとも!
それでもお姫様はツリーに興味津々。ソファの上からじーっと狙いを定めておられる。尻尾をひゅんひゅん左右に振って。
「お……いい顔じゃないか」
そろーっとカメラを構えても気づく様子はない。ゆさゆさ揺れるモミの木に視線は釘付けだ。
チャンス到来。狙いを定めて、かしゃかしゃとシャッターを切った。
「はい、おつかれさん」
「にゅっ?」
ぱたぱたとお姫様の頭をなで、オティアが上がってくる前にカメラをかかえて退散つかまつる。
まだ夕飯までには間がある。暗室の準備をして、ネガをポジに焼いて……。頭の中で段取りを組みながらエレベーターのボタンを叩いたが、なかなか上がって来ない。
待ちきれずに階段に向かった。
一秒でも早く、形にしたくてしょうがなかったんだ。
たった今モノにした『とびっきりの1枚』を。
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