▼ 【side14-2】ざっくり
翌日、この季節のサンフランシスコに珍しく雨が降った。糸みたいに細い雨が朝から絶え間なく降り続ける。
湿気を吸うと巻きが強くなるってのは本当だった。
俺の髪の毛はポップコーンみたいにもわもわと膨れ上り、景気良くボリュームアップ。マリー・アントワネットからメデューサに進化を遂げた。どうにかこうにか手ぐしで整え、ぎっちり髪ゴムでくくる。
「うむ、いつも通り!」
無理があるのはわかってるんだ。でも他にいい方法が思いつかないんだからしょーがないじゃないか!
また、こう言う時に限って外に出る用事ばかりが続くもので。顔合わせるごとに言われた。
「誰かと思ったよ」
「どしたの、その頭」
いちいち説明するのも面倒くさいんでその時それぞれに適当なことを答えておいた。
心境の変化だよ。
巻き毛も似合うだろ?
実は今までずっとストレートパーマ当ててたんだ。
何かと頭に意識の持ってかれる一日を終え、さて夕飯を食いに行こうかとエレベーターに乗ろうとしたら先客が居た。
「やあ、ソフィア」
「あらヒウェル」
鹿の子色の瞳をまんまるにして、ぱちくりまばたき。
「似合うだろっ」
ええい、もうヤケだ! 胸張って答えた瞬間。ぷちっと何かが弾ける音がして、頭のヘビどもが四方八方にぶわっと広がった。
「あら」
「………」
ソフィアは慌てず騒がず床に落ちたゴムを拾い上げた。
「けっこうぼろぼろになってる。結び直すのは無理ね」
「あー……たいがいに引っ張られてたからなあ。今日は特に」
「そうだ、いいものがある。ちょっと後ろ向いて?」
「え、何でそんなもん持ってるの!」
「アレックスからのプレゼント。花束に結んであったのをポケットに入れっぱなしだったのよ……はい、できあがり」
「さんきゅ、ソフィア。助かったよ!」
六階に上がり、ローゼンベルク家に入って行くと、オティアにぎょっとされた。何なんだ、その見知らぬ物体を見るようなまなざしは。昨日だって見てるはずじゃないか!
シエンも明らかに当惑してる。
「えっと……その……かわいいね?」
原因は髪形じゃなくて、これか。ソフィアが結ってくれた、ピンクのリボン。
「あ、これ……エレベーターに乗ってたら、ゴムが切れちゃって。ソフィアがそれ見て、結んでくれたんだ。どうだ、似合うだろ!」
「………にあわない」
自覚はしてたけど、改めて言われると……
「すまん」
何やら申し訳ない。
このやり取りが聞こえたんだか聞こえてないんだか。レオンやディフにはさっくりスルーされた。これはこれで、何やらいたたまれない。いいさ、飯食ってる間だけの辛抱だ!
自分に言い聞かせながら下を向き、黙々とスプーンを動かしていると。
だしぬけにチリンっと鈴が鳴り、白くてすべすべしたしなやかな生き物が駆け抜ける。一拍置いて後、ばさっと頭上のメデューサが解放され、四方八方に広がった。
やられた。
オーレだ! 見覚えのあるリボンを口にくわえ、得意げな顔で鼻面をふくらませてる。
「………不覚」
猫の目の前にリボンがひらひら。じゃれない訳、なかった。
しかもタイミング良く飯食ってる真っ最中。不意打ちで広がった髪の毛が、いい感じにクラムチャウダーに浸ってやがる。
「おい、ヒウェル。大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
そうだ、俺だっていい大人なんだ。自分の面倒ぐらい自分で見られるさ。視線を感じながらすっくと立ち上がり、すたすたとシンクに向かう。蛇口を捻って、クラムチャウダーに浸かった髪の先を洗って、洗って、ペーパータオルで拭いて。
一段と巻きのきつくなった髪の毛は、もはやふわっと自然に背後に流してる場合じゃない。どうにかして、まとめないと。
「ヒウェル」
「何」
「これ使え」
「いや、いい」
さし出された赤い髪ゴムを華麗にスルーする。ディフがいつもキッチンに立つ時に使ってるやつだ。あいつの髪の色に合わせてある。そんなものを、レオンの目の前で使える訳ないじゃんっ! ってか俺、そこまで命知らずじゃないよ!
「これで十分」
キッチン用の輪ゴムでくくり、無駄に爽かな笑顔で食卓に戻ると……飛び散ったクラムチャウダーはきれいにふき取られ、新しい皿が置かれていた。身繕いしてる間に、双子がやってくれたのか。自分のことに手いっぱいで気付かなかった。
ああ、全然大丈夫じゃないよ、俺!
「あ……ありがとう」
このままじゃ、いけない。どうにかしないと。
※
食後の紅茶を飲み終わった所できっぱり宣言した。
「俺、明日もーいっぺん床屋行ってくるっ」
一斉に見られた。
「お前、それ以上斬新な髪形にしてどーすんだ」
「どっからそーゆー発想にーっ! あれだよ。ストレートパーマあてて、元に戻すんだよ!」
「もったいないね。せっかく、かけたばかりなのに?」
「もったいなくないです! あれは、言うなれば不測の事態。事故なんですってば!」
ぐっと拳をにぎり、己を奮い立たせてみる。有言実行、ここで言わないとくじけそうな気がして。
「昨日からこっち、ずーっと俺はこのくりんくりんヘアーに振り回されっぱなしだ。これじゃ、いかん!」
「なあ、ヒウェル」
「天然巻き毛は黙っとれ!」
「そうだ、俺のは天然だ。この髪の毛とつきあってもう二十年以上になる。だから、聞け」
「む……」
確かに、ディフの言うことにも一理ある。ってか説得力がある。
「ストレートパーマってのは薬液で髪を伸ばして、熱でプレスして固定するんだ」
「ああ」
「縮らせるのと伸ばすの違いはあるが、要するに、パーマの上にもう一度パーマをあてるんだ。その分、髪がいたむぞ」
「…………」
「ジャニスに聞いたんだが、髪の毛が長いとそれだけ料金も割り増しになるらしい」
「そ、そうなのか」
「ああ」
うーむ。それはそれで、お財布に厳しい。
「いっそ切ってしまったらどうだい?」
にこにこしながらレオンが言った。
「短くしてしまえば、巻いてるのもそれほど気にならないだろう。分量も減るから、ふくらまないし」
「おお、その通りだ。かしこいなレオン」
「ディフも警察官だった頃は短くしていただろう。あれぐらいに!」
レオンの言葉に双子は顔を見合わせた。
「あー」
「……」
オティアの奴、うなずいてるよ。ちっちゃくだけど。
「いや、いや、いやいやいや」
警官時代のディフ並って。ほとんど五分刈りの散切り頭じゃねえか! 冗談じゃない、あそこまで刈られてたまるかよ! ただでさえ貧弱なフェイスラインが、よけいにガリガリに見えちまう。それに、自慢じゃないけど目つきの悪さも際立つ。
頬のこけっぷりとか、目のしたのクマとか、とにかく目立つんだよ!
「整える程度でいいんじゃないかな。ほら、耳のすぐ下あたりでボブっぽく!」
illustrated by Kasuri
「ふむ……」
待てこら待て待て、なぜそこでお前が真剣に考え込むかな、ディフさんよ。あ、あ、どこ行くのかな。そっちは居間……ってかもしかして寝室まで行く気か?
何しに行ったんだろう。どうして双子はさっさとテーブルを片づけているんだろう。この場にいる人間は全員、これから何が起こるかわかってるのに、どうして俺だけわからないんだろう?
間もなく、のっしのっしと戻ってきたディフの手には、タオルとシーツと、そして……電気バリカンがにぎられていた。
「そこに座れ」
「ちょっと待てーっ! そのバリカンは何だーっ」
「俺がやる分にはタダだぞ」
「刈る気満々じゃねーかっ」
「心配するな、普通にカットもできる」
「……そうなの?」
ちらっと双子を振り返ると、うなずいてる。
何やら、ここで断ったら敵前逃亡、みたいな空気の流れになってきたぞ。どうしたものか。できれば早いとここのぐりんぐりんを何とかしたいのは事実だし。
「あー、それじゃお言葉に甘えちゃっても……いいのかな」
「構わないよ」
レオンが腕組みしてにっこりしてる。
この場を離れるつもりは欠片ほどもないらしい。見物する気か。って言うか、監視?
「じゃあ……」
腹をくくってどっかと椅子に座った。
「よろしくお願いします」
「うむ。眼鏡外せ」
「OK」
れっつ、まま床屋、開業。しかし作業を始める前に若干手間がかかった。輪ゴムを外そうとしたら、髪の毛が巻き込まれてひっかかってえらい目を見たのだ。
「いで、いででっ」
「だからこっちを使えと言ったんだ」
「いや、大したことない、ほら、もうとれたし!」
「抜けてるぞ、髪」
「Nooooooooooo!」
とほほ。貴重な髪の毛がぁ。
がっくりしてる間に首にタオルが巻き付けられ、さらにその上からシーツをぐるり。てるてる坊主状態で椅子に座ったまま、霧吹きをかけられる。何度も何度も丁寧にブラッシングされてから、いよいよバリカンのスイッチが入る。
「始めるぞ」
ブィーンっと唸る音に混じり、ざりざり、ざざっと髪の切れる音が伝わってくる。切り離された髪の毛はシーツの斜面を滑り落ち、足下に敷いた新聞紙の上にぱさりと散らばる。
お、お、結構上手いじゃないか。ちゃんと指定した長さに揃ってる。そうだよな、こいつ手先が器用なんだ。
元は警察で爆弾を解体してたくらいだし。毎日、きちっと料理してるもんな……。
「あ、何かすげえさっぱりてる気がする」
「そうか」
また一房、すすすすすっとシーツの上を滑ってく。何だか小動物みたいだな。ネズミとか、ハムスターがさささっと走ってくのに似てる。
何てことを連想したその時。
「あっ」
ちりんっと鈴が鳴り、強烈な跳び蹴りが肩にクリティカルヒット。
「うわっ」
バリカンが跳ね、ざざざぁっと不吉な感触が走り抜けた。
ディフの行動は素早かった。即座にスイッチを切った。だけど、それでも、被害はゼロにはならなかった。
「あ……」
おそるおそる手を伸ばし、頭をさぐる。指先にもぞっとタワシみたいな毛先が触れる。何てこったい。
よりによってど真ん中に一筋、ざっくり刈られたラインが通ってる! さながらトウモロコシ畑の間をどこまでも続く道のように真っ直ぐに。
「あーっ、あーっ、あーっっ!」
「なかなか斬新な髪形だね」
オーレの姿は影も形もない。びっくりしてどこかに逃げ込んだらしい。オティアとシエンが走ってゆく気配が居間の方からする。察するにお嬢さん、ご自分のお城(キャットタワー)に退却したか。
ディフはじーっと俺の頭を見て、それからおもむろに頭を下げた。
「…………すまん」
その潔さに思い知らされる。本当に、もう、どうしようもない事態になっちゃってるんだ、と。
ぷっちんと頭の片隅で何かが弾けた。のどがひくひくと震え、唇がひきつりつり上がり、気付くとうつろな声をたてて笑っていた。
「ふ、ふふふ、ふふふふ……くくくくっ」
エリエリエリクサバクタニ。そうか、そう来るか。そう来ますか。上等!
「いっそ、全部刈っとくか?」
どかっと椅子の上にあぐらをかいた。
「ああ、もう、この際だ。思いっきりざっくりやってくれい!」
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