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ローゼンベルク家の食卓

【side14-3】すくすく

2011/01/22 19:11 番外十海
 
 オティアは困っていた。

 しっぽをぶわぶわにしてソファの下に潜り込んだオーレをなだめすかして連れ出して、キャットタワーのお気に入りの場所に送り届けて食卓に戻ってみると。ヒウェルの頭が、刈ってから三日ほど経過した芝生みたいになっていた。
 
 zakuri.png
 illsutrated by Kasuri
 
 半端に伸びたクルーカットぐらいの長さなのだが、なまじ直前までぶわぶわ膨れ上ったのを見ていただけに、いきなりスキンヘッドにしたぐらいのインパクトがある。
 なるほど、まさに「警官時代のディフの髪形」だ。印象が鋭くなった。と言うか目つきの悪さが三割増し。加えてフェイスラインがむき出しになったせいか、妙に頬がこけているように感じる。

 油断していた。オーレはあの手の機械がぶんぶん唸る音が苦手なのだ。実際、自分たちが散髪している時はほとんど近寄ってこない。それなのに、まさかヒウェルに飛びつくなんて! シーツの上を滑り落ちる毛の塊を狙ったのだろうが、あそこまであいつが猫に格下扱いされていたとは……。

「できたぞ。久々に、お前の首筋が出てるの見たな」
「うひゃー、だいぶすっきりしちゃったなあ。スースーする」
「もうちょっと短くてもよかったんじゃないか?」
「そうか?」
「めっ、めっそーもないっ」

 一度オフにしたバリカンのスイッチに指がかかる。ヒウェルは両手で頭をガードしてシャカシャカと後ずさり。
 エビみたいな動きだ。
 
「あ、何か、頭が軽い」
「そりゃそうだろう。これだけ切ったんだからな」

 床に敷いた新聞紙の上には、渦巻く黒い髪がこんもりと山になっていた。パーマで膨張しているせいもあるが、元からけっこうな長さがあった。それを根元近くからばっさり切り落としたのだ。

「わー、なんか別の生き物みたいだ」
「ネズミ五匹分ぐらいはありそうだね」
「でかいネズミだな!」
「ネズミっすか……はは、そりゃあオーレも飛びつく訳だよなあ」

 きれいに刈り上げられたヒウェルの後ろ姿は、まるで他の誰かみたいだ。見ていると妙に落ち着かない。それに猫の責任は、やはり飼い主である自分が取るべきだろう。
 さすがに切られた髪を元に戻すことはできない。だが、前と同じ長さまで伸ばすことはできないだろうか? 要は細胞の増殖なんだから……試してみよう。
 じっとヒウェルの髪をにらみ、集中する。シエンが「あっ」と言う顔でこっちを見てる――大丈夫、これぐらい一人でやれる、多分。
 
「…………」

 だめだ。目標が細か過ぎて狙いがつけられない! 手応えがスカスカだ。まるで水を殴りつけてるみたいだ。
 ふうっと力を抜く。闇雲にやっても消耗するだけだ。もっとヒトの体毛の仕組みについて調べておく必要がある。さすがにこの家にはその種の専門書はないだろう。
 若干一名、専門知識のありそうな人間に心当たりがないでもないが……却下。くらげ眼鏡には、借りを作りたくない。断固として。絶対。
 次に図書館に行く時に探してみよう。

 ヒウェルはすっかり諦めたらしく、切り落とされた髪の毛と新聞紙をひとまとめに丸め、さくさくとゴミ箱に入れていた。
 しきりと首筋をなでている。やはり気になるらしい。

 考え込むオティアの背中を、シエンがじっと見ていた。
     
         ※
 
「エリック」
「ん、どうしたの?」

 あ、また口の端っこにマヨネーズつけてる。
 ちょい、ちょい、と手招き。顔を寄せてきたところを、ペーパーナプキンで拭きとった。渡すよりこっちの方が早いって最近気がついたのだ。

「あ……ありがとう」
「どういたしまして」

 昼休み、いつものコーヒーショップの片隅で一緒のテーブルに着き、コーヒーを飲む。すっかりおなじみになった、ゆったりとしたひと時。以前との違いは、店に来ている時はエリックから短いメールが入るようになったこと。ナイトシフトなのか、デイシフトなのか。どれぐらい一緒にいられるのか、あらかじめ知らせてくれるようになったことだろうか。

「髪の毛を早く伸ばすには、どんな物を食べればいいの?」

 最初はサリーに聞いてみようかと思った。けれどよく考えると微妙に専門外な気がしたし、何よりエリックは科学者だ。DNAの分析が得意だって言ってたから、きっといい知恵を貸してくれるだろう。
 果たして、金髪バイキングはタンブラーのコーヒー――泡多め、1ショット追加したソイラテをすすってから、すらすらと淀みなく答えてくれた。

「髪の毛の原材料、つまりケラチンとヨードを補給すればいいんだ。豆とか海藻類とか、貝類、魚、ナッツ類、あと芋類かな」

 さすが、専門家だ。

「豆に、海藻、貝類、魚……」

 ヒウェルは野菜はあまり好きじゃない。海藻類はちょっと難しそうだ。でもフィッシュ&チップスは大好きだし、豆やナッツもしょっちゅうポリポリ食べてる。

「日本食のバランスは理想的だね」
「ほんとだ。ミソは大豆だし、海藻もよく食べる。魚と貝も!」

 後でサリーに教えてもらおう。

「すごく助かった。本当にありがとう!」
「どういたしまして」

 良かった、シエンの助けになれた。ああ、弾けるような笑顔だ。何て可愛いんだろう!
 にこにこしながら、見蕩れながら、エリックは内心気にもなっていた。

(シエンがこんなことを真剣に聞いてくるなんて。いったい、誰が薄毛に悩んでるんだろう? センパイ……は、ないな。まさか、ローゼンベルクさん?)

 いや、いや、落ち着けエリック。それよりもっと有力な候補がいるじゃないか。
 一番、髪の毛の薄そうな人。後ろにぎゅーっと引っ張る髪形といい、直毛でペタンとした毛質といい、いかにも生え際が厳しくなりそうな人が。

(やっぱり……h?)

 慢性的な睡眠不足。昼夜逆転した不規則な生活リズム。ひっきりなしに吹かすタバコ、どろっとしたコーヒー。加えて締め切り直前の多大なストレス。考えれば考えるほど、ヒウェルの生活は薄毛の原因が凝縮している。

(長さはあるけど、密度は薄いものな、彼……ごそっと抜けちゃったのかな?)
 
 そして次の日。
 馴染みのデリにサンドイッチを買いに行ったエリックは、はからずしも自らの疑問の答えにばったりと出くわしたのだった。
  
「あー……」

 こいつはちょっと予想外。
 すみっこのテーブルに座り、背中を丸めてドーナッツをかじるヒウェルの頭にはしっぽが無かった。
 しみじみ観察し、ごく自然に何度もうなずいた。なるほど、これはシエンが心配するのも無理はない。
 いつもより、三割増し人相が悪い。うさんくささもほんのり増量、まるでテレビドラマのせこい悪役みたいだ。

 もしゃっと口いっぱいにほお張ったチョコレートドーナッツを飲み下し、ヒウェルはじとーっと三白眼でにらみ返してきた。

「言いたいことがあるなら、さっさと言え、バイキング」
「誰かと思いましたよ」
「や、それ、もう聞き飽きてるから」

 ごわごわの黒い堅い毛が、短く刈られてじゃきっと直立……しているはずなのだが、微妙にまとまりが悪い。毛先があっちこっちばらばらの方向を向いている。切れ味の悪い刃物で無理やり切ったんじゃないかってぐらいに乱れてる。
 気分転換? イメチェン? いずれにせよ、何だってまたこんなに落ち着きのない髪形にしたんだろう。
 視線に気付いているのか、いないのか。ヒウェルは猛烈な勢いでがも、がもとチョコレートドーナッツを平らげ、ぐうっとコーヒーで流し込んだ。

(あれ?)

 いつものブラックじゃない。

「メイリールさん、チリビーンズと豆サンド上がったよ」
「さんきゅ! ソイラテのお代わり頼むよ」

 チリビーンズに、豆サンドに、ソイラテ?

「見事に豆ばっかりですね」
「うん、豆いっぱい食べてねって言われたんだ。晩飯のメニューも最近、豆ばっかりだし……あと、魚?」

 なるほど、シエンは自分のアドバイスをきっちり実行してるんだ。こいつの為に。
 ちょっぴりムカついたので、言ってやった。

「どうしたんです、その頭」

 ひくっと口元が引きつってる。できるものなら、この話題はスルーしてほしいんだろうな。察しながらも敢えてぐりっと深くねじ込んだ。

「てっきり、出家したかと思いましたよ」

 オレ、今、最高の笑顔になってるんだろうなあ。自分でもわかる。

「誰が坊主かーっ!」

 さりげに痛い所を突いてたらしい。
 すっかり機嫌を良くしてエビサンドをかじるエリックに、ヒウェルは早口でまくしたてるのだった。

「だーかーら、そもそもこんなに短くするつもりなんか、俺には全然なくて。うっかり床屋で爆睡してたら、ぐりんぐりんにされちゃったんで、ちょっと整えるだけのつもりだったんだ。でもカットしてる最中に、オーレが飛びかかってきて、それで一気にぞりんっと行っちゃってーっ」
「そう言う時はですね。いっそスキンヘッドにしちゃえばいいんですよ」
「俺に、本物の坊主になれとっ!」
「その方が毛質の戻りは早いらしいですよ?」
「そうなのかっ」
「元通りに生えそろう保証はありませんけどね」
「そ、それは困る!」

 頭抱えて顔面蒼白になってる。やっぱ気にしてるんだろうな。あー、面白い。

「ああ。でも、そこまで短くしちゃったんじゃ、もう手遅れかも?」
「……怖いこと言うなよぉ」

 いいぞ。しばらくは、このネタで遊べそうだ。
 
         ※
 
『貝類と魚を使った日本食のメニューを教えて。あと海藻も!』

 ディフに電話してもらったら、すぐにサリーから、レシピがFAXで送られてきた。参考になるサイトのURLも教えてくれた。
 乾燥したワカメは以前、お土産にもらった分があるから早速、スープにしてみた。
 明日は土曜日、フェリーズビルディングで市の立つ日だ。あそこには、新鮮な貝類や魚が沢山売っていた。

「ディフ」
「ん、どうした?」
「明日はファーマーズマーケットの日だよね?」
「ああ。行くか?」
「うん! サリーに教わった料理を試してみたいんだ」

 そして週末。
 ローゼンベルク家の食卓には、新鮮な牡蛎の炊込みご飯と豆のサラダ、ワカメのスープが並んだのだった。
     
(パーマネントヒウェル/了)

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