▼ 【side14-1】くりんくりん
電話が鳴った。ジリリリリ、とけたたましく脳味噌を貫通する。誰からかかってきたかは分かっていた。
速攻で受話器を取る。
「ハロー、ジョーイ?」
「やあ、ヒウェル! 原稿は無事受け取ったよ!」
「そうか! で、どうだ?」
「んー、そうだね、ひと言でいうと………」
ええい、もったいぶるな。焦らすな、さっさと言え!
「没」
「う」
「書き直してね。今日中に。じゃあね!」
ガチャリ。電話は無情にも切れた。
「……ちっくしょぉお」
タイプライターから没原稿を引き抜き、腹立ち紛れにあもっとほお張る。
もっしゃもっしゃ、もっしゃもっしゃ。
illustrated by Kasuri
「ちくしょー、ちくしょーっ」
もっしゃもっしゃ。もっしゃもっしゃ。
涙と一緒にかみ砕く。
しょっぱ苦い没原稿をどろりとしたコーヒーで流し込み、しゃにむになってキーを叩く。なまじゼロから書き直すより時間がかかるんだよな、こーゆー時って。飲むのも食うのもトイレも忘れて書き通し、でき上がった原稿を二度、三度と念入りに読み直してから送り付けた。
ざまあ見やがれ、ジョーイ。まさか4時間後に届くとは思わなかっただろう!
ジリリリリリリリ!
受話器に飛びつき開口一番言ってやった。
「どうだ!」
「OK!」
「バンザーイ!」
illsutrated by Kasuri
両手をあげた姿勢のまま、ぱたっと前のめりに倒れる。つるつるの堅い床板が、今の俺には羽毛の毛布だぜ……
PiPiPiPiPi!
ってまた電話が鳴ってるよ。妙に軽い音だね、おい。
はいはい、すぐ出ますから……あれ、手が届かないなあ。どこで鳴ってるんだ? どこで……
「メイリールさん。メイリールさん」
「お?」
不意に電話のベルに名前を呼ばれ、意識がかしゃりとスイッチする。
原稿を打ってるのはタイプライターじゃなくてパソコンだ。そもそも送るのはメールだ、ほとんんどプリントアウトはしていない。丸めて食うなんてできる訳ないじゃないか!
現実との相違に気付いた瞬間、ぱちっと目が開く。
「終りましたよ」
「お?」
座り心地のいい椅子に体を支えられ、首から下をぐるぅりっと布で覆われていた。
そう、ここは俺の部屋じゃない。OKをもらってからその場にぶっ倒れて泥みたいに眠り続け、起き上がって鏡を見たらえらいことになっていた。無精髭がみっしり口の周りと顎を覆い、髪の毛はばっさばさのぼっさぼさ。顔は青白いを通り越して土気色。頬はこけ、充血した目の下にはばっちり青いクマどり。
ヨレヨレぼろぼろのゾンビ状態から脱出すべく、馴染みの床屋にやってきて。あんまり気持ちいいから爆睡しちまったんだな。
「いかがでしょう?」
後ろがよく見えるように、手鏡を見せてくれた。四角い鏡面の中に俺の顔が写ってる。合わせ鏡になっていて、背後の大鏡には後ろ姿がぼんやりと写ってるはずなんだが……
「……見えない」
「おっと、そうでした、これをどうぞ」
「さんきゅ」
眼鏡をかけなおして、改めてじっと見る。
illustrated by Kasuri
「………………………だれ、これ?」
真ん中で分けられた髪の毛が。根元から毛先まで、ぐりんぐりんの、くるんくるん。前も後ろもくまなくぐりんぐりん。
「やだなあ、ちゃんとリクエスト通りにやりましたよ?」
「俺……そんなこと言ったのっ?」
「はい。気分を変えたいっておっしゃるんで……」
あー、なんか夢うつつにそんな会話、したような、しないような。
……言ってました。
「たまには気分かえてみますか?」
「うん……」
「メイリールさんは直毛だからー、思い切ってくるくる巻いてみるとかー」
「うん……」
「じゃあやっときますね」
「うん」
※
ローゼンベルク家のドアの前で深呼吸する。毎日毎日、飯を食いに来てる部屋だ。通い慣れてる。知り尽くしてる。ほとんど自分の家みたいなもんだ。幸い、今んとこお出入り禁止も食らってないし、地獄の〆切デスパレードからも解放された。
堂々と、心晴れやかに入って行けばいいじゃなか。
いつものように。
そう、いつものように!
意を決して呼び鈴を押す。
開いたドアに向かって、よっと片手をあげた。
「腹減った。今日の飯、何?」
「………」
よりによって、オティアが立ってました。ドアノブに手をかけたまま、凍ってる。
「あー、その……」
俺の声を聞いて、ふっと再起動。いつものように脇に寄って道を空け、目線で奥へと促してきた。「さっさと入れ」ってことだ。
「どーもー」
無駄にほがらかな声で答えつつ、そそくさと中に入った。
あ、ああ。見てるよ。ものすっげえまじまじと見てるよ。あれ? 何か今、眉と口んとこがピクっとなったような。
「何だ、それは」
「いっそ笑ってくれい……床屋で爆睡して起きたらこーなってた」
「いや、もうタイミング外した」
「そうか……」
紫の瞳に微妙にこう、哀れんでるような色が感じられるのは気のせいか?
リビングに入って行くと、オーレがこっちを見るなりしっぽをぶわっと膨らませ、背中を丸めてぴょっこぴょっこと斜めに歩いた。
何事かと、室内の人間の目が一斉に向けられる。ヘーゼルブラウン、紫、柔らかな鹿の子色、そして入れたばかりの紅茶のように優しいライトブラウン。俺に焦点を結ぶなり、申し合わせたようにまんまるになった。
予想より一人多い。来てたのか、ディーン。焼き立てのパンの香りで気付くべきだった。ちょうどごほうびのキャンディをもらったばかりらしい。かたっぽのほっぺたがぷっくりふくらんでる。
一秒。二秒。三、四、五……沈黙のうちに時間が流れて行く。誰も動こうとしない。さっきからふーふー唸ってるオーレ以外は。
「……どうしたの、それ。何かあったの?」
シエンが心配そうに声をかけてくれた。途端に凍りついた時間が一気に動き出す。
「床屋でうっかり爆睡して……『気分転換に巻いてみますかー』って言われたような……言われなかったような……」
あーあ、と言う空気が漂う。ただ一人、ディーンだけはじっとこっちを見てる。興味しんしん目を輝かせ身じろぎもせずに凝視しておられる。よせ、たのむ、そんな目で見るなあっ!
「お、俺直毛で剛毛だから、シャワー浴びたら元通りになるって思ったら」
「お湯かぶったら、余計にくりんくりんになったんだろ?」
「うん」
「湿気を吸うと、巻きがきつくなるからな」
「おせーよ!」
「……何?」
じろっとにらみ付けてきた。
「や、できればお湯かぶる前に教えてほしかったなーって」
あ、やばいな。また技かけられるか? と思ったら、ディフの口の端がひくっと震えた。
「……………ぷっ、く、くくくく、あはっあはははははっ」
腹かかえて爆笑。遠慮も気遣いもあったもんじゃないぜ、ちくしょうっ!
「スコティッシュテリアかと思ったぜ! しっぽもあるしなっ」
「どーとでも言え、こんちくしょーっ」
レオンはぱちぱちとまばたきをして、顎に軽く手を当て、しかる後、極上の笑みを浮かべた。
「とても良く似合っているよ」
「ぐっ」
何故だろう。
この上もなくいい笑顔なのに。ほめられてるはずなのに。地道にいっちばんダメージがでかいのは。あああ、何か心折れそう……
へたん、と膝をついたところに、とことこと四才児が寄ってきた。
「……………………」
まじまじと見て、首をかしげて――手ー伸ばしてきやがった!
「あ、こらよせ引っ張るな」
「くりんくりん!」
「あーそうだよ、くりんくりんだよっ」
珍しいらしい。にゅうっともう一本手が伸びてきて、前髪をつかんでくいっと引っ張った。ディーンのじゃない。もっと大きい。成長してる。だけどレオンやディフほどごつくない。でかくない。
「オティア?」
くいっとひっぱり、ぱっと離す。びにょんっと巻き戻り、反動でゆらゆらとゆれる。
「……バネみたいだな」
「わかった、もう好きにしろっ」
どっかと床にあぐらをかいて座り込む。途端にディーンはぱあっと顔を輝かせた。くいくいっと引っ張って、ぱっと離す。びにょんびにょんゆれるのを、興味津々って顔で眺めてる。
さらにもう一本、手がのびてきた。一房つまんで、指でくるくる。
「巻き毛はこうやって整えるんだ」
「……おお」
レオン……あんたまでやりますか……
「さすが慣れてらっしゃいますなあ、ええ」
ひきつり笑顔で切り返すが、さらっとスルーされた。
ディーンはこくこくとうなずくと、ちっちゃな手でまねしてる。大人ほど上手くはできないが、一生懸命くるくる巻いている。かわいいじゃねえか。ええ、一途だねえ……
なんてほのぼのしてたら、甘かった。四才児の行動力を見くびってました。
いきなり、にっぱーって笑ったと思ったらディーンのやつ、両手で人の頭につかみかかってきやがった!
きゃっきゃと上機嫌で笑いながら、わっしゃわっしゃとかきまわしてやがるよっ。
「うわ、た、よせ、こらっ」
ぐしゃぐしゃにしてから、また一房ずつ指にとってくるくる巻いて。終ったらまたぐしゃっとやって……
どうやらこの遊びがお気に召したらしい。オティアは飽きたらしくさっさと離脱、シエンといっしょにキッチンへ行っちまった。
レオンなんざもう、こっちを見てやしねえし!
「そんなに面白いか俺の髪……」
こくこくうなずいてるよ、四才児。
「……使うか?」
にゅうっと目の前に、青いラインストーンのついたコームがさし出された。
いつぞや俺がディフに押し付けたやつだ。
「いらねえよっ」
「さあ、ディーン。そろそろママが心配してるから帰ろうな?」
「うん」
「でもその前に」
ディフはひょいっとディーンを抱き上げた。
「手、洗っておこうな」
「OK」
のっしのっしと洗面所に歩いて行く。そーだね……パーマ液ってにおいきついからね……。
「あー、なんかどっと疲れた」
ソファに腰を降ろして試合直後のボクサーみたいに肩を落としていると、レオンがぽそりとつぶやいた。
「パンがなければお菓子を食べればいい」
「誰がマリー・アントワネットですか!」
「いや、何となく」
素知らぬ顔で新聞読んでやがる。あ、ちらっとこっち見たよ。
「いっそ次は軍艦でも乗せてみるかい?」
「や、さすがにそれは無理ですから! あ、でも……」
「でも?」
確かに、気分は変わった。ついぞ見たことのないようなリアクションを、オティアから引き出すことができた。もっとインパクトを狙えば、次は笑ってくれるかもしれない。
「ドレッドヘアぐらいなら、挑戦してもいい……かな?」
ぱしん!
軽やかな、しかし容赦のない衝撃に視界がゆれる。
「おろ?」
ぱしん。ぱしん、ぱしん!
合間にちりん、と鈴の音が聞こえる。誰がやってるか。何が起きてるかは見なくてもわかるような気がした。
「オーレさんや……」
「うにゃあんぐるるる」
首をひねってちらっと振り返る。ソファの背に座って、後足だけで立ち上がり、前足2本で交互にぱんちしてる。瞳孔は全開、ヒゲはつぴーんっと前ならえ。ものすごく楽しそうだ。
「お手柔らかにお願いします」
「んみゃっ」
あきらめて、プリンセスの御心に身を委ねた。
「んびゃっ、んびゃびゃっ」
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