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ローゼンベルク家の食卓

【side14-1】くりんくりん

2011/01/22 19:09 番外十海
 
 電話が鳴った。ジリリリリ、とけたたましく脳味噌を貫通する。誰からかかってきたかは分かっていた。
 速攻で受話器を取る。

「ハロー、ジョーイ?」
「やあ、ヒウェル! 原稿は無事受け取ったよ!」
「そうか! で、どうだ?」
「んー、そうだね、ひと言でいうと………」

 ええい、もったいぶるな。焦らすな、さっさと言え!

「没」
「う」
「書き直してね。今日中に。じゃあね!」

 ガチャリ。電話は無情にも切れた。

「……ちっくしょぉお」

 タイプライターから没原稿を引き抜き、腹立ち紛れにあもっとほお張る。
 もっしゃもっしゃ、もっしゃもっしゃ。
 
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 illustrated by Kasuri
 
「ちくしょー、ちくしょーっ」

 もっしゃもっしゃ。もっしゃもっしゃ。
 涙と一緒にかみ砕く。
 しょっぱ苦い没原稿をどろりとしたコーヒーで流し込み、しゃにむになってキーを叩く。なまじゼロから書き直すより時間がかかるんだよな、こーゆー時って。飲むのも食うのもトイレも忘れて書き通し、でき上がった原稿を二度、三度と念入りに読み直してから送り付けた。
 ざまあ見やがれ、ジョーイ。まさか4時間後に届くとは思わなかっただろう!

 ジリリリリリリリ!
 受話器に飛びつき開口一番言ってやった。

「どうだ!」
「OK!」
「バンザーイ!」
 
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 illsutrated by Kasuri
 
 両手をあげた姿勢のまま、ぱたっと前のめりに倒れる。つるつるの堅い床板が、今の俺には羽毛の毛布だぜ……

 PiPiPiPiPi!

 ってまた電話が鳴ってるよ。妙に軽い音だね、おい。
 はいはい、すぐ出ますから……あれ、手が届かないなあ。どこで鳴ってるんだ? どこで……

「メイリールさん。メイリールさん」
「お?」

 不意に電話のベルに名前を呼ばれ、意識がかしゃりとスイッチする。
 原稿を打ってるのはタイプライターじゃなくてパソコンだ。そもそも送るのはメールだ、ほとんんどプリントアウトはしていない。丸めて食うなんてできる訳ないじゃないか!
 現実との相違に気付いた瞬間、ぱちっと目が開く。

「終りましたよ」
「お?」

 座り心地のいい椅子に体を支えられ、首から下をぐるぅりっと布で覆われていた。
 そう、ここは俺の部屋じゃない。OKをもらってからその場にぶっ倒れて泥みたいに眠り続け、起き上がって鏡を見たらえらいことになっていた。無精髭がみっしり口の周りと顎を覆い、髪の毛はばっさばさのぼっさぼさ。顔は青白いを通り越して土気色。頬はこけ、充血した目の下にはばっちり青いクマどり。

 ヨレヨレぼろぼろのゾンビ状態から脱出すべく、馴染みの床屋にやってきて。あんまり気持ちいいから爆睡しちまったんだな。

「いかがでしょう?」

 後ろがよく見えるように、手鏡を見せてくれた。四角い鏡面の中に俺の顔が写ってる。合わせ鏡になっていて、背後の大鏡には後ろ姿がぼんやりと写ってるはずなんだが……

「……見えない」
「おっと、そうでした、これをどうぞ」
「さんきゅ」

 眼鏡をかけなおして、改めてじっと見る。
 
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 illustrated by Kasuri
 
「………………………だれ、これ?」

 真ん中で分けられた髪の毛が。根元から毛先まで、ぐりんぐりんの、くるんくるん。前も後ろもくまなくぐりんぐりん。

「やだなあ、ちゃんとリクエスト通りにやりましたよ?」
「俺……そんなこと言ったのっ?」
「はい。気分を変えたいっておっしゃるんで……」

 あー、なんか夢うつつにそんな会話、したような、しないような。
 
「たまには気分かえてみますか?」
「うん……」
「メイリールさんは直毛だからー、思い切ってくるくる巻いてみるとかー」
「うん……」
「じゃあやっときますね」
「うん」
 
 ……言ってました。
 
         ※

 ローゼンベルク家のドアの前で深呼吸する。毎日毎日、飯を食いに来てる部屋だ。通い慣れてる。知り尽くしてる。ほとんど自分の家みたいなもんだ。幸い、今んとこお出入り禁止も食らってないし、地獄の〆切デスパレードからも解放された。
 堂々と、心晴れやかに入って行けばいいじゃなか。
 いつものように。
 そう、いつものように!

 意を決して呼び鈴を押す。
 開いたドアに向かって、よっと片手をあげた。

「腹減った。今日の飯、何?」
「………」

 よりによって、オティアが立ってました。ドアノブに手をかけたまま、凍ってる。

「あー、その……」

 俺の声を聞いて、ふっと再起動。いつものように脇に寄って道を空け、目線で奥へと促してきた。「さっさと入れ」ってことだ。

「どーもー」

 無駄にほがらかな声で答えつつ、そそくさと中に入った。
 あ、ああ。見てるよ。ものすっげえまじまじと見てるよ。あれ? 何か今、眉と口んとこがピクっとなったような。

「何だ、それは」
「いっそ笑ってくれい……床屋で爆睡して起きたらこーなってた」
「いや、もうタイミング外した」
「そうか……」

 紫の瞳に微妙にこう、哀れんでるような色が感じられるのは気のせいか?
 リビングに入って行くと、オーレがこっちを見るなりしっぽをぶわっと膨らませ、背中を丸めてぴょっこぴょっこと斜めに歩いた。
 何事かと、室内の人間の目が一斉に向けられる。ヘーゼルブラウン、紫、柔らかな鹿の子色、そして入れたばかりの紅茶のように優しいライトブラウン。俺に焦点を結ぶなり、申し合わせたようにまんまるになった。
 予想より一人多い。来てたのか、ディーン。焼き立てのパンの香りで気付くべきだった。ちょうどごほうびのキャンディをもらったばかりらしい。かたっぽのほっぺたがぷっくりふくらんでる。
 一秒。二秒。三、四、五……沈黙のうちに時間が流れて行く。誰も動こうとしない。さっきからふーふー唸ってるオーレ以外は。

「……どうしたの、それ。何かあったの?」

 シエンが心配そうに声をかけてくれた。途端に凍りついた時間が一気に動き出す。

「床屋でうっかり爆睡して……『気分転換に巻いてみますかー』って言われたような……言われなかったような……」

 あーあ、と言う空気が漂う。ただ一人、ディーンだけはじっとこっちを見てる。興味しんしん目を輝かせ身じろぎもせずに凝視しておられる。よせ、たのむ、そんな目で見るなあっ!

「お、俺直毛で剛毛だから、シャワー浴びたら元通りになるって思ったら」
「お湯かぶったら、余計にくりんくりんになったんだろ?」
「うん」
「湿気を吸うと、巻きがきつくなるからな」
「おせーよ!」
「……何?」

 じろっとにらみ付けてきた。

「や、できればお湯かぶる前に教えてほしかったなーって」

 あ、やばいな。また技かけられるか? と思ったら、ディフの口の端がひくっと震えた。

「……………ぷっ、く、くくくく、あはっあはははははっ」

 腹かかえて爆笑。遠慮も気遣いもあったもんじゃないぜ、ちくしょうっ!

「スコティッシュテリアかと思ったぜ! しっぽもあるしなっ」
「どーとでも言え、こんちくしょーっ」

 レオンはぱちぱちとまばたきをして、顎に軽く手を当て、しかる後、極上の笑みを浮かべた。

「とても良く似合っているよ」
「ぐっ」

 何故だろう。
 この上もなくいい笑顔なのに。ほめられてるはずなのに。地道にいっちばんダメージがでかいのは。あああ、何か心折れそう……
 へたん、と膝をついたところに、とことこと四才児が寄ってきた。

「……………………」

 まじまじと見て、首をかしげて――手ー伸ばしてきやがった! 

「あ、こらよせ引っ張るな」
「くりんくりん!」
「あーそうだよ、くりんくりんだよっ」

 珍しいらしい。にゅうっともう一本手が伸びてきて、前髪をつかんでくいっと引っ張った。ディーンのじゃない。もっと大きい。成長してる。だけどレオンやディフほどごつくない。でかくない。

「オティア?」

 くいっとひっぱり、ぱっと離す。びにょんっと巻き戻り、反動でゆらゆらとゆれる。

「……バネみたいだな」
「わかった、もう好きにしろっ」

 どっかと床にあぐらをかいて座り込む。途端にディーンはぱあっと顔を輝かせた。くいくいっと引っ張って、ぱっと離す。びにょんびにょんゆれるのを、興味津々って顔で眺めてる。
 さらにもう一本、手がのびてきた。一房つまんで、指でくるくる。

「巻き毛はこうやって整えるんだ」
「……おお」

 レオン……あんたまでやりますか……

「さすが慣れてらっしゃいますなあ、ええ」

 ひきつり笑顔で切り返すが、さらっとスルーされた。
 ディーンはこくこくとうなずくと、ちっちゃな手でまねしてる。大人ほど上手くはできないが、一生懸命くるくる巻いている。かわいいじゃねえか。ええ、一途だねえ……
 なんてほのぼのしてたら、甘かった。四才児の行動力を見くびってました。

 いきなり、にっぱーって笑ったと思ったらディーンのやつ、両手で人の頭につかみかかってきやがった!
 きゃっきゃと上機嫌で笑いながら、わっしゃわっしゃとかきまわしてやがるよっ。

「うわ、た、よせ、こらっ」

 ぐしゃぐしゃにしてから、また一房ずつ指にとってくるくる巻いて。終ったらまたぐしゃっとやって……
 どうやらこの遊びがお気に召したらしい。オティアは飽きたらしくさっさと離脱、シエンといっしょにキッチンへ行っちまった。
 レオンなんざもう、こっちを見てやしねえし!

「そんなに面白いか俺の髪……」
 
 こくこくうなずいてるよ、四才児。
 
「……使うか?」

 にゅうっと目の前に、青いラインストーンのついたコームがさし出された。
 いつぞや俺がディフに押し付けたやつだ。

「いらねえよっ」
「さあ、ディーン。そろそろママが心配してるから帰ろうな?」
「うん」
「でもその前に」

 ディフはひょいっとディーンを抱き上げた。

「手、洗っておこうな」
「OK」

 のっしのっしと洗面所に歩いて行く。そーだね……パーマ液ってにおいきついからね……。

「あー、なんかどっと疲れた」

 ソファに腰を降ろして試合直後のボクサーみたいに肩を落としていると、レオンがぽそりとつぶやいた。

「パンがなければお菓子を食べればいい」
「誰がマリー・アントワネットですか!」
「いや、何となく」

 素知らぬ顔で新聞読んでやがる。あ、ちらっとこっち見たよ。

「いっそ次は軍艦でも乗せてみるかい?」
「や、さすがにそれは無理ですから! あ、でも……」
「でも?」

 確かに、気分は変わった。ついぞ見たことのないようなリアクションを、オティアから引き出すことができた。もっとインパクトを狙えば、次は笑ってくれるかもしれない。

「ドレッドヘアぐらいなら、挑戦してもいい……かな?」

 ぱしん!
 
 軽やかな、しかし容赦のない衝撃に視界がゆれる。

「おろ?」

 ぱしん。ぱしん、ぱしん!
 合間にちりん、と鈴の音が聞こえる。誰がやってるか。何が起きてるかは見なくてもわかるような気がした。

「オーレさんや……」
「うにゃあんぐるるる」

 首をひねってちらっと振り返る。ソファの背に座って、後足だけで立ち上がり、前足2本で交互にぱんちしてる。瞳孔は全開、ヒゲはつぴーんっと前ならえ。ものすごく楽しそうだ。

「お手柔らかにお願いします」
「んみゃっ」
 
 あきらめて、プリンセスの御心に身を委ねた。

「んびゃっ、んびゃびゃっ」


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