▼ 【ex8-4】チェックイン
ユニオン・スクエアの真ん中に、どんとそびえる赤みがかった砂色の建物。
1964年に建てられた鉛筆のようなタワーは地上46階建ての新館に高さこそ及ばないものの、このホテルのシンボルとして。またサンフランシスコのランドマークの一つとして、カリフォルニアの青空に向かってすっくとそびえ立っている。
うやうやしくベルボーイに出迎えられ、一歩ロビーに足を踏み入れるなりヨーコは目を輝かせた。
「すごい、これ、地図だ……」
なだらかなアーチを描く白い天井からはきらめくシャンデリアが等間隔で巨大な蜂の巣のようにつり下がり、敷き詰められた絨毯には古風な世界地図が描かれていた。
そして中央には子どもの背丈ほどもある地球儀が据えられている。
「うわあ、おっきな地球儀。さわってもいいのかな。ぐるぐるしてもいいのかな」
「よーこさん、よーこさん」
「自粛してくだサイ」
「人目もありますから」
「……はーい」
三方から一斉にたしなめられ、とりあえずこの場は一時退却することにする。
「ロビーだけでもずいぶん広いなあ。天井も高いし、バスケの試合ができそうですよね。2コート分」
「うちの学校の体育館とどっちが広いかな」
「中庭にはプールもありますヨ」
「えっ、ほんとっ?」
背後で交わされるにぎやかな会話をほほ笑ましく思いつつ、ランドールはチェックインの手続きを済ませた。
「ヨーコ。チェックインが済んだよ。後は係の者が案内してくれる。荷物もね」
声をかけると彼女は地球儀にのばしかけた手を慌ててひっこめて、ささっとこっちを振り向いた。
「え、もう?」
「ああ。私もできれば部屋まで案内したい所だけど、一応まだ勤務中だから……ね」
「そっか……あ、カル」
「何だい?」
「あのね」
ちょい、ちょい、と手招きされて素直に近づく。さっきまでは普通に話していたのに、何だって急にこんな小さな声で話すのだろう?
聞き取ろうと軽く身をかがめた瞬間。赤いコートがひるがえり、華奢な腕が巻き付いて来る。
あ、と思ったときには柔らかなぬくもりが頬に触れ、透き通った声で告げられる。
「ありがとう、何もかも……それと……」
最後の一言はため息よりもかすかに、確実に彼にだけ聞かせるためにささやかれた。
「えらかったね」
「…………うん」
すぐにわかった。彼女の言葉が、単に宿と飛行機のチケットの手配に対するねぎらいだけではないと……。
『ヒゲぐらい剃りなさい、カルヴィン・ランドールJr。いい男が台無しよ?』
やんわりと抱擁を返す。
サリーにしていたのと比べればおとなしいキス。だがテリーの時はハグとほおずりだけだった。
幸せそうににこにこしながらハグを交わす二人を見守る人たちが約3名+1。
「あー、やってるし……」
「いいんじゃないかな。空港に比べれば人目は少ないし、親子は無理でも兄妹ぐらいには、どうにか」
風見が言ったちょうどその時、ヨーコが手をのばしてそろりとランドールの髪の毛を撫でた。
「って言うか、おねえちゃんと弟?」
「犬と飼い主だろ」
「テリー……」
「言い得て妙な表現デス」
「ロイ……」
どっちが犬かは敢えてだれも追求しない。
「んじゃ、役目は果たしたことだし、俺そろそろ学校戻るよ」
「うん。ありがとう」
「ありがとうございました!」
地球儀の横を通り過ぎながらヨーコに手を振ると、にこっと笑って手を振り返してくれた。その隣にはランドールがきちんと背筋を伸ばして寄り添っている。
確かにこいつは遊び人で、しかもゲイで金持ちだ。だけど飼い主がついてるのなら……
(ひとまずサリーの身は安全だ)
テリーの後ろ姿を見送りながらランドールが言った。
「いい奴だな、彼は」
「うん、いい子だよ。面倒見いいし、飴ちゃんくれたし」
「ヨーコ。君のいい人の基準は、キャンディをくれるかどうかなのかい?」
「できればケーキの方が」
「ヨーコ!」
「冗談、冗談だって」
「まったく……知らない人がお菓子をあげると言ってもついてっちゃいけないよ?」
「はーい」
首をすくめてちょろっと舌を出してる。
ああ、やっぱり心配だ。いっそ仕事を休んで付き添っていようか……いや、さすがにそれは過保護と言うものだろう。
サリーも一緒だし、何より今回は腕の立つ若きナイトが二人も付き添っている。
「そろそろ私も戻らないと。秘書に首に縄をかけられて連れ戻されないうちにね」
「わお、ワイルド」
「仕事が終わったらまた来るよ。詳しいことはそのときに打ち合わせよう」
「OK。部屋に来る?」
「いや、ホテルのレストランに席を取った。ディナーをとりながら話そう」
「レストランって……インテルメッツォ(コーヒースタンド)じゃないよね?」
「まさか。最上階のシティスケープレストランだよ」
「最上階? それって……ドレスコードがあるんじゃあ」
「心配ないよ。馴染みの店だからね。あそこから眺めるサンファンシスコの夜景は最高だよ」
「それは……ちょっと見てみたいかも」
「たっぷり堪能してくれ。それじゃ、夜にまた」
にこやかに手を振り、黒いコートをなびかせて歩いて行くランドールを見送りつつヨーコは心中密かに焦っていた。
(やっばいなー……一応、ワンピース一枚持って来たけどニットだしな……)
「よーこさん」
(アクセサリー、きちんとしたのを着ければどうにかなる……かな?)
「よーこさんってば」
(あとはシルクのスカーフ、アクセントで巻いて)
「……先生!」
はっと顔を上げる。サリーと風見、ロイが待っていた。すぐそばには客室係が控えている。
「ごめん、すぐ行く!」
次へ→【ex8-5】あくまで普通らしい2
1964年に建てられた鉛筆のようなタワーは地上46階建ての新館に高さこそ及ばないものの、このホテルのシンボルとして。またサンフランシスコのランドマークの一つとして、カリフォルニアの青空に向かってすっくとそびえ立っている。
うやうやしくベルボーイに出迎えられ、一歩ロビーに足を踏み入れるなりヨーコは目を輝かせた。
「すごい、これ、地図だ……」
なだらかなアーチを描く白い天井からはきらめくシャンデリアが等間隔で巨大な蜂の巣のようにつり下がり、敷き詰められた絨毯には古風な世界地図が描かれていた。
そして中央には子どもの背丈ほどもある地球儀が据えられている。
「うわあ、おっきな地球儀。さわってもいいのかな。ぐるぐるしてもいいのかな」
「よーこさん、よーこさん」
「自粛してくだサイ」
「人目もありますから」
「……はーい」
三方から一斉にたしなめられ、とりあえずこの場は一時退却することにする。
「ロビーだけでもずいぶん広いなあ。天井も高いし、バスケの試合ができそうですよね。2コート分」
「うちの学校の体育館とどっちが広いかな」
「中庭にはプールもありますヨ」
「えっ、ほんとっ?」
背後で交わされるにぎやかな会話をほほ笑ましく思いつつ、ランドールはチェックインの手続きを済ませた。
「ヨーコ。チェックインが済んだよ。後は係の者が案内してくれる。荷物もね」
声をかけると彼女は地球儀にのばしかけた手を慌ててひっこめて、ささっとこっちを振り向いた。
「え、もう?」
「ああ。私もできれば部屋まで案内したい所だけど、一応まだ勤務中だから……ね」
「そっか……あ、カル」
「何だい?」
「あのね」
ちょい、ちょい、と手招きされて素直に近づく。さっきまでは普通に話していたのに、何だって急にこんな小さな声で話すのだろう?
聞き取ろうと軽く身をかがめた瞬間。赤いコートがひるがえり、華奢な腕が巻き付いて来る。
あ、と思ったときには柔らかなぬくもりが頬に触れ、透き通った声で告げられる。
「ありがとう、何もかも……それと……」
最後の一言はため息よりもかすかに、確実に彼にだけ聞かせるためにささやかれた。
「えらかったね」
「…………うん」
すぐにわかった。彼女の言葉が、単に宿と飛行機のチケットの手配に対するねぎらいだけではないと……。
『ヒゲぐらい剃りなさい、カルヴィン・ランドールJr。いい男が台無しよ?』
やんわりと抱擁を返す。
サリーにしていたのと比べればおとなしいキス。だがテリーの時はハグとほおずりだけだった。
幸せそうににこにこしながらハグを交わす二人を見守る人たちが約3名+1。
「あー、やってるし……」
「いいんじゃないかな。空港に比べれば人目は少ないし、親子は無理でも兄妹ぐらいには、どうにか」
風見が言ったちょうどその時、ヨーコが手をのばしてそろりとランドールの髪の毛を撫でた。
「って言うか、おねえちゃんと弟?」
「犬と飼い主だろ」
「テリー……」
「言い得て妙な表現デス」
「ロイ……」
どっちが犬かは敢えてだれも追求しない。
「んじゃ、役目は果たしたことだし、俺そろそろ学校戻るよ」
「うん。ありがとう」
「ありがとうございました!」
地球儀の横を通り過ぎながらヨーコに手を振ると、にこっと笑って手を振り返してくれた。その隣にはランドールがきちんと背筋を伸ばして寄り添っている。
確かにこいつは遊び人で、しかもゲイで金持ちだ。だけど飼い主がついてるのなら……
(ひとまずサリーの身は安全だ)
テリーの後ろ姿を見送りながらランドールが言った。
「いい奴だな、彼は」
「うん、いい子だよ。面倒見いいし、飴ちゃんくれたし」
「ヨーコ。君のいい人の基準は、キャンディをくれるかどうかなのかい?」
「できればケーキの方が」
「ヨーコ!」
「冗談、冗談だって」
「まったく……知らない人がお菓子をあげると言ってもついてっちゃいけないよ?」
「はーい」
首をすくめてちょろっと舌を出してる。
ああ、やっぱり心配だ。いっそ仕事を休んで付き添っていようか……いや、さすがにそれは過保護と言うものだろう。
サリーも一緒だし、何より今回は腕の立つ若きナイトが二人も付き添っている。
「そろそろ私も戻らないと。秘書に首に縄をかけられて連れ戻されないうちにね」
「わお、ワイルド」
「仕事が終わったらまた来るよ。詳しいことはそのときに打ち合わせよう」
「OK。部屋に来る?」
「いや、ホテルのレストランに席を取った。ディナーをとりながら話そう」
「レストランって……インテルメッツォ(コーヒースタンド)じゃないよね?」
「まさか。最上階のシティスケープレストランだよ」
「最上階? それって……ドレスコードがあるんじゃあ」
「心配ないよ。馴染みの店だからね。あそこから眺めるサンファンシスコの夜景は最高だよ」
「それは……ちょっと見てみたいかも」
「たっぷり堪能してくれ。それじゃ、夜にまた」
にこやかに手を振り、黒いコートをなびかせて歩いて行くランドールを見送りつつヨーコは心中密かに焦っていた。
(やっばいなー……一応、ワンピース一枚持って来たけどニットだしな……)
「よーこさん」
(アクセサリー、きちんとしたのを着ければどうにかなる……かな?)
「よーこさんってば」
(あとはシルクのスカーフ、アクセントで巻いて)
「……先生!」
はっと顔を上げる。サリーと風見、ロイが待っていた。すぐそばには客室係が控えている。
「ごめん、すぐ行く!」
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