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ローゼンベルク家の食卓

【ex14-2】彼女に花を

2013/10/15 2:21 番外十海
  
 カルヴィン・ランドールJrは戸惑っていた。レンタカーに乗り込んで、手帳(に挟んだリボン)に気を取られているうちに助手席にニンジャマスターが座っていた。しかもきちんと和服を着こなし、顔にはサングラスをかけて。もちろん、シートベルトも締めている。いつの間に。一体、どうやって? 聞きたい事は山ほどあった。
 しかし、当人はすっかり説明を終えたつもりでいる!

「わかってくれれば話は早い。では早速、出発しようか」
「えーっと……どこへ?」
「決まってるだろう、君」
 
 ニンジャマスターはサングラスをかけ直す。何気ない仕草がいちいち絵になって、カメラを構えたい衝動にかられる。

「綾河岸市だよ」
「何故、私の行き先をご存知なのですか」
「正確にはその手前の戸有市だな」
(だめだこの人、人の話を聞いてない!)
「ロイに会いに行くのだよ」
「ああ」

 戸有市には、目下の所留学中の彼の孫、ロイ・アーバンシュタインが滞在中なのだ。
「久しぶりに古い友人にも会いたいしね」
 そして、同じく戸有市に住む風見光一の祖父はアーバンシュタイン氏の親友であると聞いている。
 なるほど、彼の目的はわかった。行く方向が同じだと言う事も理解できた。だがもう一つ気になる事がある。

「あの、お仕事は?」

 さすがにハリウッドスターが訪日中、勝手に独り歩きをするのはいろいろ問題があるだろう。セキュリティ上……はあまり問題ない気もするが(何と言っても彼は本物なのだ。孫のロイの腕前を見れば自ずと祖父の技量も推し量れる)、そもそも彼は映画の宣伝のために日本を訪れたはずだ。
 スケジュールは大丈夫なのだろうか?
 諸々の疑問を凝縮したひと言に、ニンジャマスターはいとも簡単に返答した。

「心配ない、ちゃんと身代わりを置いて来た」

(スタントマンにでも頼んだのだろうか。さすが映画スターだ、抜かり無いな)
 カルヴィン・ランドールJrは少年じみた暴走をする時もあったが、大体において良識ある社会人だった。だからあくまでその想像力も常識の範囲内に限られている。
 故に彼は失念していた。助手席に座っている男が、名実ともにニンジャマスターだと言う事を。
 事実はランドールの予想の斜め上をぶっ飛んでいたのだ。

     ※

「Mr.アーバンシュタイン、そろそろ移動を……げえっ!」
 その頃、空港のラウンジでは頭を抱えるマネージャーの姿があった。預けた荷物を回収し、出迎えに来た現地のスタッフと合流し、万事移動の手段を調えた上で迎えに来たその部屋に、ニンジャマスターの姿はなかった。
 座り心地のよい椅子の上には、スーツを着た丸太がぽつねんとたたずんでいるばかり。
「おのれ、カワリミ=ジツか!」
 とっさに口走ってしまうあたり、彼もかなりウィル・アーバンシュタインのペースに呑まれていると言えよう。
 いかなる方法で、丸太なんぞを調達してきたのか、常人ならまずそこから追求したくなる所だがこの敏腕マネージャーは違っていた。何故なら、彼の相手はニンジャマスターだからだ。
 ニンジャなら、この程度の仕込みは日常茶飯事なのである。いちいち驚いていたら身がもたない。
 ほどなく、敏腕マネージャーは発見した。身代わりの丸太の胸に、メモが止めてある。曰く。
『孫に会いに行く。インタビューの日までには帰ってくるから安心してくれたまえ』

     ※

「……と言う次第なのだよ。万事手抜かりは無い」
 一部始終をウィル自身の口から聞かされ、ランドールは心底、マネージャー氏に同情した。
 まあ、インタビューまでに帰るのなら業務に差し支えはないだろう。相手が映画俳優だから身構えてしまったが、冷静に考えれば友人のおじいちゃんを、たまたま同じ方角に行くから乗せて行くだけなのだ。
 何ら問題は無いじゃないか。
「さあ、行こうではないか、Mr.ランドール。我々の目的地は一つだ!」
「わかりました、Mr.アーバンシュタイン。私のことはどうぞ、カルと呼んでください」
「では、私のこともウィルと呼んでくれたまえ」

 ウィル・アーバンシュタインはほほ笑み、右手を差し出す。ごく自然ににぎり返し、堅い握手を交わした。
 形の良い口元から白い歯がのぞく。親しみを覚えるには充分で、それでいて上品さを失わない程度につつましい絶妙のバランスだった。

「道案内は任せてくれたまえ。綾河岸市と戸有市はこれまで何度も訪れているのだ。カーナビよりよほど私のガイドの方が正確だぞ!」
「助かります」
「君が疲れたら運転も代われるしな!」
「では、よろしくお願いします、ウィル」
「こちらこそ、よろしく、カル」

 改めて車をスタートさせながら、ランドールは秘かに思った。この流れには覚えがあるな……と。
 そうだ、ヨーコと初めて会った時も、いきなり車に乗り込んできて指図されたのだった。

『Hey,Mr.ランドール! 乗せていただける? 緊急事態なの。あの車を追って!』
『……わかった』
 さほど疑問も抱かずに素直に従い、今に至る。
 何故、彼女が自分の名を知っていたのか、質問したのは走り出した後だった。
(ひょっとしたら、これが日本式のコミュニケーションなんだろうか?)

 断じて、違う。

      ※

 空港を出て高速道路に入り、一路綾河岸市方面へと向かう。ウィルのナビゲーションは完璧だった。次はどう動けばよいのか、まさに気にし始めたタイミングで的確な指示が入る。お陰で初めての日本での高速道路の運転もスムーズに行う事ができた。
 しかしながら飛行機の中で充分、睡眠はとったはずなのだがやはり時差の影響か、そのうち集中力が鈍ってくる。
「ふむ、どうやら休憩をとった方がよさそうだね」
「そうですね。一度、降りますか?」
「いや、その必要はないよ。あと200mでサービスエリアに着く」

 路肩から一度高速道路を外れて駐車場に入る。
 きびきびした所作でニンジャマスタは降り立った。一見窮屈そうにも見える着物は彼の所作に沿ってなめらかに流動し、いささかも手足の動きを妨げない。あれほど長時間車に乗っていたと言うのに、皴も乱れもない。
 生地が素晴らしいのか、ウィル自身の体捌きが優れているのか。あるいはその両方か。

「……どうかしたかね、カル」
「見事な生地ですね、そのキモノ」
「これは綾河岸産のツムギだよ。紡糸から織りに至るまで全て手作業で仕上げられているのだ」
「それは素晴らしい!」
 思わず身を乗り出す。灰色がかった藍色の生地の布目は実にそろって美しく、綿密に織り上げられている。
 これが全て、手作業だなんて。
 着ている物を無遠慮にじろじろと眺められても、ニンジャマスターは動じない。ランドールが繊維の専門家であると知っているからだ。 
「匠の技だよ、カル」
「タクミ、ですか……素晴らしい」
 ツムギ。その言葉はランドールの記憶に刻み込まれた。

「せっかくだから、蕎麦をたぐって行こうか」
「ソバを……タグる?」
「来たまえ」
 悠然と歩き出すニンジャマスターの後を一も二もなく着いて行く。イヌ科の動物はすべからく、リーダーに従う。ランドールは己の内なる本能の命ずるまま動いていた。
 連れて行かれたのはセルフサービス式の食堂だった。ウィルは慣れた仕草でサイフを取り出し、自動販売機でチケットを購入する。
「君の分だ」
「ありがとうございます」
 どうやらこのチケットは食事をするための物のようだ。慣れない仕組みだが、彼のする通りに動けば問題ないだろう。
 学食や社食のカフェテリア方式に似ていない事もない。トレイを持ってウィルの後に並び、カウンターで待ち受ける店員に渡す。入れ違いに出てきた料理を受け取り、空いている席に座った。

 それは、ランドールが今まで見た事も聞いたこともない食べ物だった。
 陶器に似せたプラスチックのボウルに熱々のソイソース・スープが満たされ、茹でたソバが浸っている。さらにその上に、何やら平べったい楕円形のフライが乗っているではないか。
「日本に来たらまず、これだよカル」
 勧められるまま一口すする。魚介類をベースにソイソースで味付けされたスープ。そこにフライの衣が浸った事で、濃厚なこくが出ている。
 フライの中味は、彼にとっても馴染みのある料理……マッシュポテトだった。
「個性的な味わいですね」
「だろう?」

 ニンジャマスターは、己のステルス=ジツに絶対の自信を持っていた。ごく普通の一般人として、周囲の情景に馴染んでいると信じていた。だが、イケメン外人の二人連れは実際目立つ。そして、一分の隙も無く着こなした和装にサングラスと言う出で立ちは、スクリーン上のニンジャマスターそのものだった。
 日本のファンによる目撃談がツイッターに上がるのに、さして時間はかからなかった。

『ありのままに起こった事を話すぜ。今高速のサービスエリアで飯食ってたら、目の前でウィル・アーバンシュタインが蕎麦食ってた!』
『マジかよニンジャマスター!』
『確かに来日中のはずだけどプライベートかっ』
『わからん。見た所、カメラはないようだ。黒髪のイケメンと二人してコロッケ蕎麦食ってた』
『さすがだ日本通!』
『黒髪のイケメンって誰よ。アルティメット・セイバーズのキャストかっ?』
『落ち着け、スタッフかも知れないじゃないか』
『ちょっと俺もコロッケ蕎麦食ってくる!』

 この日、日本の一部で局地的にコロッケ蕎麦の消費が伸びた。

 熱心なファンによるツイートは、ほどなく敏腕マネージャーの目にも止まる所となる。親日家のアーバンシュタインのマネージャーたるもの、日本語の読み書きは基本中の基本スキルなのだ。

「ああよかった、とりあえず行方不明じゃないよな……」
 孫に会いに行く、と彼は言った。ならば最終的な目的地はわかっている。そして敏腕マネージャーは、ウィル・アーバンシュタインの家族とも懇意にしていた。
 すかさずロイにメールを打つ。『おじいさんがそちらに向かってる、会ったら連絡してほしい』と。

 彼にとって不運な事に、ちょうどその時間、ロイは携帯をマナーモードにしていて、しかも電車に乗っていた。さらには風見光一と一緒だった。当然の事ながら、彼の神経は目の前の親友、コウイチに全集中。
 メールの着信に気付くのは必然的に後回しとなってしまった。

     ※

 昼食後。気力も集中力も回復し、ランドールは快調に運転を再開した。車に乗り込んで来たタイミングこそ奇抜ではあったが、ウィル・アーバンシュタインは話も上手く、気配りも行き届き、ユーモアを理解する。そして、二人の間には多くの共通の友人がいる。
 旅の道連れとして、これ以上に好ましい相手はいなかったのだ。

「そろそろ高速を降りてくれるかね、カル」
 指示されたインターチェンジは、記憶にある戸有市の最寄りのインターチェンジよりさらに一つ手前だった。
 裏道でもあるのだろうか、と思ったが、絶妙のタイミングでウィルが言葉を繋いできた。
「目的地の一つ手前だ。だがそこには昔、世話になったご婦人が住んでいてね……今日は彼女の命日なのだ」
 この時、ランドールは彼があえて突飛な方法で単独行動をとった理由がわかったような気がした。
「藤野サンに、花を贈りたい」
「わかりました」

 指示されたインターチェンジで高速を降りる。面白いもので、道一つ横に入っただけで、いきなりひなびた印象の町並みに入った。道は狭く、建物も小さい。急に自分が巨大化したような錯覚にとらわれる……ここは確かに異国なのだ。
 それでも、駅前に続く道に沿って店が集まっている所はアメリカと同じだった。路肩のパーキングエリアに車を止めて、花屋へと入る。ウィルの足取りには欠片ほどの迷いもない。さすが何度も訪れているだけはある。
 日本語も流暢だ。
 
「やあ、お嬢さん、赤い薔薇をいただけるかな。とびっきり美しいのを」
 
 そして、何を言ってるのかは大体仕草でわかった。

「は……はい!」

 花屋の店員は頬を染めてうなずき、手際よく赤い薔薇を選んで花束を作る。

「お待たせいたしました」

 会計をすませて花束を受け取ると、ウィルはおもむろに一本抜き取って差し出した。

「これは、君に」
(おおう)

 あくまで自然体で、気負う事なく、さりげなく。
 見事だ。 
 並の男がうかつにやったら、まちがいなく、滑る。チャーリーや自分ごときでは到底、あの領域には届かない。開き直って笑いに走った方がまだマシと言うものだ。

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