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ローゼンベルク家の食卓

【ex14-3】いきなりメリィちゃん

2013/10/15 2:24 番外十海
 
 ウィルの案内でたどり着いた墓地は、畑と林に囲まれた静かな土地だった。見慣れたアメリカの墓地とは墓石の形が全く違う。平べったい四角い台が二段に重なった上に、縦に長い四角柱が乗っている。その背後には更に、細長い木の板が何枚か立て掛けられていた。
 石には漢字が刻まれ、木の板には見慣れない文字が書かれている。そして墓石の前には、細い棒状のインセンス(香)が白い糸のような煙を漂わせていた。エキゾチックな香りがする。嗅ぐと自然と身が引き締まるような心地がした。
 墓石の形は違うが、やはりここは墓地だ。しめやかに、ひっそりと亡き人を偲ぶための空気が満ちている。

「日本では墓前に香をたむける風習があるのですね」
「うむ、センコーと言うのだ。良い香りだろう?」
「はい」

 墓前に供えられた花はいずれも水を満たした花入れに活けられている。花束をそのまま置いて乾くまま、朽ちるままに任せるのではない。できるだけ長く鮮度を保とうとしている。
 興味深いことに、墓前の花入れは竹の形を模した緑色のプラスチック製だった。元は竹をそのまま土に挿していたのだろうか。事前に
日本に対する情報を一通り読んではいたが、こればかりは、資料だけではわからなかった。
 菓子や缶に入った飲み物が供えられているのも見かけた。この辺りはアメリカと同じだ。
 やがてウィルが一つの墓の前で足を止めた。

「……藤野サン」

 その墓石は、雨も降っていないのに濡れていた。しかも全体的に均等に。単に水をかけたと言うより、丁寧に洗われたような印象を受けた。墓前の小さな台の中ではセンコーが香しい煙をなびかせている。そして花入れには既に紫色の細長い花が挿してあった。真っ直ぐに伸びた細い茎の先端に、小粒の紫の花が麦の穂のように固まって咲いた花。

「これは……ラベンダーですね」
「うむ。彼女の好きな花だよ」

 ラベンダーの花は瑞々しく、センコーはまだ燃え続けている。

「どうやら先客がいたようですね」
「そのようだね」

 ウィルは音も無く墓前に跪き、両手で薔薇の花をささげ持つ。そのまま、あたかも生身の女性に渡す時のようにうやうやしく差し出した。その間、キモノの袖も裾もなめらかにさばかれ、一筋の乱れもない。

「やあ藤野サン。久しぶりだね。ラベンダーではないけれど、君に一番、似合う花を持って来たよ。受け取ってくれるね?」

 花束に軽く口付けると、ウィル・アーバンシュタインは墓石の前に静かに薔薇を置いた。
 その時、ふわりと穏やかな風が吹いた。花束を包む紙が翻り、赤い花びらが揺れる。
 ウィルはほほ笑み、うなずいた。

「気に入ってくれて嬉しいよ」

 あたかも映画の1シーンを切り取ったかのような情景だった。ランドールは言葉も無く見蕩れていた。
 どれほどそうしていただろう? 我に返ると、ウィルは両手を合わせて祈りを捧げている。見様見まねで従った。

「さてと、カル。実はこの近くに、藤野サンのお孫さんが住んでいるんだ」
「ああ、それではあのラベンダーは……」
「うむ、恐らく彼が手向けたのだろうね。どうだろう、君さえよければ、挨拶して行きたいんだが」
「わかりました。こうなったらとことんおつき合いしましょう」

 日本とアメリカに遠く隔てられているのだ。会えるチャンスなんか滅多にない。知りあって間も無い友人の頼みを断るなんて選択肢は、カルヴィン・ランドールJrには無いのだった。

     ※

 車で駅に向って引き返す。繁華街と住宅地の境目の部分に、その建物はあった。
 ありふれた三階建ての雑居ビル。外壁は永年の風雨にさらされ、さながら石造りの古い館のような雰囲気を醸し出している。

「ここだよ。カフェを経営してるんだ」 

 鉄の手すりに支えられた上がり段を3段ばかり上がり、アーチ型に石が組まれた戸口に至る。上部の半円にはステンドグラス、その下には木枠に偏光処理の施されたガラスがはめ込まれた両開きの扉が収まっていた。
 全体的に繊細で、細部まで丁寧に作り込まれ、植物を思わせる意匠が施されている。
(まるでアールヌーボーだ)
 軒先に下がる真鍮のプレートに、店の名前が刻印されていた。Embrace……抱擁、受容、あるいは帰依。そんな意味合いだ。
 その扉の前に立った瞬間、ランドールの胸にかすかな予感が去来した。

「あ」

 この匂い、忘れようが無い。むしろ、何故気付かなかったのだろう。花の香りとセンコー・インセンスの煙に紛れてはいたが、確かに自分は墓地でもこの匂いを嗅いでた。
 目の前でウィル・アーバンシュタインがゆっくりとドアを開け放つ。深みのあるドアベルの音が響く。
 
「やあ、ユージ! 久しぶりだね」
「おんや、Mr.アーバンシュタイン、お久しぶり」

 磨き抜かれたこげ茶色の木の床、奥にはやはり同じチョコレートブラウンのカウンター。
 店内のインテリアは全てこげ茶と温かいオレンジに統一されている。コーヒーの刺激的なにおい、くつろぎを誘う紅茶の香り、そして焼けた小麦粉と砂糖のにおい。
 あふれ出す穏やかな香りの連鎖の中に、夢見るような心地で足を踏み入れる。

「そっちのハンサムさんは初めて見る顔だねえ? もしかして彼氏?」
「はっはっは、残念ながら違うよ。彼は……」

 カウンターの向こうから眠たげな瞳の小柄な男が声をかけてくる。しかしながら店の主人とウィルの声はきれいに左の耳から右の耳へと突き抜けていた。 
 ランドールの目は、店の中にたたずむただ一人に釘付けになっていたからだ。
 ほとんど凹凸のない小柄な体、絹のようにつややかな長い黒髪、つるりとした瓜実顔。ぱっちりしたアーモンド型の瞳の上には、赤いフレームの眼鏡が乗っている。カウンター前の脚の長いスツールの上に、ちょこんと腰かけた姿はさながらリスか小鳥のように愛らしい。

「か、カルっ?」
「ヨーコ」

 何故、彼女がここにいるのか。そんな些細な疑問は頭の中からきれいに吹っ飛んでいた。目の前にヨーコがいると言う事実こそが大事なのだ。
 静止した時間の中、ランドールは迷わず大股で歩み寄り、一寸の躊躇も無くヨーコを抱きしめた。スーツに包まれた広い胸板の中に、すっぽりと。ずっと、こうしたいと思っていた事を素直に実行した。

「夢のようだよ、まさか君にここで会えるなんて!」
「ゆめじゃ……ないよね……な……なんで、ここにいるの」

 しとろもどろに答える声がかすかな震動となって伝わってくる。ああ、確かに彼女はここに居るのだ。

「仕事でね。近くまで来たから知らせようと思ってはいたんだ。いたんだけれど、その前に、会ってしまった」
「そ……そうなんだ……」
 
 耳まで赤くして、目を見開いて硬直している。なるほど、君は不意を打たれるとそう言う顔をするんだな。覚えておこう。
 できるものなら、思い切りにおいを嗅ぎたい。その艶やかな髪の毛を存分に撫で回したい……が、あいにくとここにいるのは自分たち二人だけではない。

「君は、どうしてここに?」
「ここは……私の兄弟子がやってるお店なの」
「兄弟子?」
「そう、魔女術の……タロットカードの使い方を教えてくれた先生のお孫さんでね……」

 パシャッ!

 シャッターの音で我に返る。電子的に合成された音ではあったが、それでも何が起きたのかは想像がついた。
 カウンター奥に座る男が携帯の画面をのぞき込み、せわしなく親指を動かしている。メールか、電話か……。
 親指の動きが止まる。一通り画面に目を走らせて後、ピっと一回、電子音が鳴る。それで用事は終わったようだ。男は再び顔をあげてこっちを見る。
 どうやらメールだったらしい。
 腕の中のヨーコが巣の中の小鳥のように身じろぎし、首を伸ばして振り返った。

「ちょっ、兄ぃ、今何送りましたかっ」
「さぁってねぇ?」

 何やら日本語でやりとりしている。口調と仕草から、この二人がかなり親しい間柄であるとわかった。
 どうやら、彼が『兄弟子』らしい。
 それとなく繋がりが見えて来た。恐らく藤野サンがヨーコの魔女術の師匠なのだろう。

「おじいさま!」
「ロイ! おお何と言う幸運だ、まさかこんな所で会えるとは!」

 隣では、ウィルがロイと熱いハグを交わしていた。さらにコウイチが笑顔で祖父と孫を見守っている。
 そうだ、ヨーコがこの場にいるのだから、彼らが同行している事も予想すべきだった。

「やあコウイチ、元気そうだね」
「お久しぶりです、アーバンシュタインさん」

 ひとしきり孫を愛でると、ウィル・アーバンシュタインは軽く咳払いをして背筋を伸ばした。

「ユージ、改めて紹介するよ。こちらはカルヴィン・ランドールJr。サンフランシスコの盟友だ」
「ああ、サクヤがあっちで世話になってる社長さんか」
「うむ。カル、彼はカグラ・ユージ、藤野サンの孫でこの店のオーナーだ」
「よろしく、Mr.ランドール」
「こちらこそ、よろしく」

 挨拶を交わすと、ユージはへらっとゆるい笑みを浮かべた。

「んで。いつまでメリィを抱えてるんだい?」
「……メリィ?」

 聞き慣れない名前に戸惑い、首を傾げているとユージはくいっと親指をしゃくって指さしてきた。自分の腕の中にすっぽり抱え込まれて、耳まで赤くして小刻みに震えている……ヨーコを。
 しまった。つい人前だと言う事をきれいさっぱり失念していた。慌てて手を離し、社会人として慎み深い距離に戻った。

「つーか、メリィちゃんも、らしくないねぇ。いきなり抱きつかれて、大人しく抱えられてるなんてよ? いつものお前サンなら蹴りか頭突きの一発二発……」
「めーっ! メリィちゃん言うなーっ」
「ずーっとそう呼んでんだから、今更変えろって言われてもなぁ」

 どうやら彼の言うメリィとは、ヨーコの事らしい。元の名前と似ても似つかぬニックネームがつけられるのはよくある事だ。

(しかし何故、メリィ?)

「ほれ、ブルーベリーパイ食うか」
「いつもそう食べ物で釣られるとっ! ……いただきます」

 ついさっきまで、顔を真っ赤にして今にも飛びかからんばかりの勢いだったヨーコが、素直にパイを受け取り食べ始める。

(何と言うことだ。あのヨーコが、軽くあしらわれている!)

 さっくり焼き上げたパイ生地の上に、カスタードクリームと甘く煮たブルーベリーを載せたパイだ。ブルーベリーの丸い粒は用心しないとすぐにパイから転げ落ちる。しかも色の濃いソースが服に着くとなかなか落ちないシミになる。
 必然的にヨーコは食べる事に集中し、静かになった。これがクッキーなら2秒、マフィンならものの5秒で食べ終えていただろうに。

(さすが兄弟子)

 飄々とした態度やのんびりした口調、愛嬌のある見た目とは裏腹にこの男、かなりの切れ者らしい。

     ※

 その頃。喫茶店Embraceから、電車で三駅ばかり離れた教会の一角で、三上 蓮はポケットから携帯をひっぱりだしていた。
 メールだ。送信者は神楽裕二。
(まさか、何か事件でも?)
 若干の不安を抱きながら開いたメールに添えられていた写真には……
 ランドール社長とがっつりハグを交わす、と言うか一方的に抱きすくめられている結城羊子が写っている。メール本文に曰く。『これが例の彼氏か?』
 息を呑み、写真をたっぷり三秒ほど凝視。しかる後、元から細い目をそれこそ糸のように細め、唇の片端をきゅうっとつり上げる。

「これはこれは、幸せそうですね。……ですが、いつの間に日本に来たんでしょうね?」
「兄さん、何があったんです?」

 ただならぬ事態と察知したのだろう。ひょい、と手元を見習いシスターの小夜がのぞきこむ。こちらもしばし写真を凝視して後、まばたきしてひと言。

「……はんざいしゃ」

 あまりに率直すぎるひと言に、三上は床に崩れ落ちた。
 知らぬ者が見たら、年端もゆかぬ少女をがっつり抱きすくめている成人男性にしか見えまい。
 たとえハグされてるのが二十六歳の成人女性だとわかっていても、見た目があまりにも犯罪的すぎる。

「お巡りさんこいつです! って、こう言う時に使うんですね」
「……『はんざいしゃ』『お巡りさんこいつです』……」

 椅子の背に手をついて身を起こしたところに更に追加の一撃。
 三上はしばらくの間、いつものように穏やかな微笑を保ったまま肩を小刻みに震わせていた。

「……通報した方がいいのかしら」

 あくまで真面目な小夜のひと言に、とうとう壁が決壊した。

「ぷっ、くくく、くっ」

 一度崩れるともう止まらない。上体を反らせ、声を上げて大爆笑。

「くっくっくく、あーっはっはっっはっ!」

 文字通り腹を抱えて笑い転げる三上を、小夜は怪訝そうに見上げた。

「……兄さん、何がおかしいんですか?」
「小夜の表現が、あまりに的確すぎるからですよ……くく……見た目には」
「見た目には……って、どういう事ですか?」
「彼女、小夜と同じくらいですよ」
「え、ええっ!?……ま、まぁ若く見えるっていいですよね」
「……本人の前では言わない方がいいですよ、それ」

 しれっと答える一方で手早く返信した。

『ええ、「例の」彼です。』と。

「そ、そうですか。……それで、こちらの方は?」
「ああ、小夜は初見でしたっけ。以前話したサンフランシスコの協力者ですよ」
「ああ、狼男な方ですか。確かに男前ですけど……」

 小夜がこの写真を見て、何を思い出しているのかは容易に知れた。
 以前、男嫌いの神獣『貘』と共闘する為にランドールは(もちろん風見光一も、ロイも)女装した事がある。
 元にしたのは学生時代のハロウィンの仮装、白雪姫。宝塚さながらの濃いぃメイクで完璧に、神獣『ぽち』を懐かせる事に成功した。少なくとも、途中までは。
 当人には抵抗がなかったが傍から見れば……。

「あれって、本当に罰ゲーム状態だったんですね」


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