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ローゼンベルク家の食卓

【5-5-9】ライドオン

2012/07/17 1:58 五話十海
  
 その週の日曜日。マッキロイ農場前の停留所で、市バスから降りる二人の人影があった。
 一人は癖のある赤毛にヘーゼルアイ、鼻回りにそばかすの散ったがっしりした体格の少年。着古したジーンズにフリースのシャツ、上からざっくりと羽織ったコートは軍用のフィールドジャケットのレプリカだ。
 上から下まで安くて丈夫な衣類で揃えている。

 片やもう一人は、臈長けた美貌の持ち主。涼しげな瞳も、絹のようなさらさらした髪も明るい褐色。さほど華奢、と言う訳ではないはずだが、赤毛の少年と並ぶとどうしても、ほっそりした印象が際立つ。

 ベージュのスラックスにカシミヤの白いセーター、羽織っているのは藍色のPコート。持っている服の中から精一杯、動きやすい服を選んできたようだが、それでも隣の赤毛と比べると……。
 こんな郊外にいるよりは、ユニオン・スクエアあたりを歩いている方がしっくり来る。本人も薄々それを察しているのか、微妙に落ち着かないようだ。

「こっちだ、レオン!」

 ディフは慣れた調子で一声かけて、歩き出す。少し進んでから振り返り、そこからはレオンと歩調を合わせて歩き始めた。

「いきなり押しかけて、邪魔にならないかな」
「大丈夫、マッキロイさんには話、通してあるから」
「……そうか」

 その言葉通り、マッキロイ氏はあたかも当然と言った風情でレオンを出迎えた。

「こんちわ、マッキロイさん!」
「よう、マックス。来たか」
「こいつ、レオンっての、俺のルームメイト!」
「そうか」
「こんにちは」

 大人しく、礼儀正しい子だ。
 育ちの良い人間にありがちな、牧場のにおいに顔をしかめる素振りもない。
 不用意に音を立て、馬を怯えさせることもない。ただ目を細めてしげしげと、馬房の馬たちを眺めている。
 明らかに、慣れているようだった。おそらく、乗馬の心得があるのだろう。それも付け焼き刃ではなく、かなりみっちり習って作法を身に着けている。

「うむ、良く来たな、レオン!」

 マッキロイ氏は大様にうなずいた。

「手が空いたら馬に乗っていいぞ。ズボンとブーツは貸してやる。あと帽子もな!」
「ありがとうございます」

 ディフが仕事をこなす間、レオンは柵に寄りかかってじっと彼の働く姿を見守った。不思議なことに退屈はしなかった。いつもと同じように、彼がそばにいる。作業の合間合間に話しかけ、時々、他愛も無いことで笑い合う。
 それだけの事なのに、とても心が安らぐ。
 この数日間、ずっと溜め込んでいた苛立ちが、ロウソクみたいに溶けて行く。

(ああ、そうか)

 ディフが他の誰とでもない。
 自分と一緒に居るからだ。
 レオンは自分でも気付かぬうちにほほ笑んでいた。この上もなく満ち足りた、穏やかなほほ笑みだった。それを見て、ディフは秘かに胸を時めかせていた。

(良かった。やっとレオン、機嫌直してくれた!)

「っし、作業、終わりましたっ!」
「ご苦労さん」

 マッキロイ氏が馬屋の右側の列を指さした。

「こっちの列から好きな馬選んでいいぞ! あっちは人様からの預かり物だからな」

 借り物の乗馬ズボンとブーツは使い込まれてはいるものの、丈夫で質が良い。しかもこの種の貸し装備にしては、きちんと手入れが行き届き、コンディション良く保たれている。
 不思議なもので、レオンが身に着ける事で内側から溢れる気品が道具にまで移ったのか……何とも上品で洗練された出で立ちに見えた。
 ディフはと言えば、作業用の長靴を乗馬用に履き替えただけ。

「どれに乗る?」
「そうだな……」

 二人ともそれぞれ、自分の流儀に基づいて馬を選び、馬具をつける。
 手伝いなんか頼む必要は無かった。ただ、時折手を止めて、ディフに何がどこにあるのか、尋ねさえすれば良かったのだ。

「お、こいつ新入りだな。よし、お前に決めた」

 レオンは大人しそうな葦毛の馬を。ディフはちょっとばかり向こう気の強そうな、栗毛の馬を選んだ。

「大丈夫かい?」
「うん。慣らしの終わった奴しか、こっちの馬房には入れないから」

(そう言う問題じゃないだろう)

 栗毛の馬は実際、相当に利かん気が強く、馬場に引き出す間も時折、鼻息荒く体を揺すってレオンを冷や冷やさせた。
 だが当のディフは一向に慌てず、立ち止まって穏やかな声で話しかけ、馬が静かになるのを待つのだった。

「そうか、そこが気になるのか。いいぞ、好きなだけ調べろ……ん、満足したか? じゃ、行こうか。お前だって走るの好きだろ? 俺もだよ……さあ、おいで」

 優しく、親しげに語りかける様子に、ちくりと胸が疼く。馬鹿な。相手は馬じゃないか! そう、たかが馬だ。わかっていてもつい、馬に向ける眼差しが鋭くなってしまう。

「よーしよし、いい子だ」

 馬場に出るなり、レオンはあぶみに足をかけてひらりと跨がった。
 
「すげえ。王子さまみたいだな、レオン!」
 
 続いてテンガロンハット(いつも寮の部屋の壁にかかっていたやつだ)を被ったディフが栗毛に飛び乗った。
 軽く鞍に手を添えただけで、ほとんど自分の足の力だけで飛び乗っていた。

「……君はカウボーイみたいだね」
「おうよ!」

 顔全体を笑み崩し、白い歯を見せて、ディフはくいっと拳を握り、親指を立てた。

「テキサス流だからな!」

 干し草の匂い、生きた馬の濃い匂い。進む蹄が乾いた地面を叩き、その度にぽこん、ぽこんと土の匂いが濃く立ち上る。時折、北からどっと吹きつける冷たい風をものともせず、カウボーイと王子、二人の少年は並んで馬を走らせる。

 個性も体力も違う馬を、同じペースで走らせるのにはかなりの技術と、慎重さが要求される。だがレオンもディフもごく自然にそれをこなしていた。
 ただ、相手のことを見ればいい。思えばいい。習い覚えた技と手が答えてくれる。
 
 馬場を囲む柵の近くまで来た時。ディフがいきなり、呟いた。

「こいつ飛べるかな……」
「え?」

 怪訝に思ったレオンが問い返す間に、うなずいて馬の首を軽く叩く。

「飛べるよな! うん、飛びたがってる!」

 言うや否や、駆け出した。

「……ディフ!」

 呼びとめようとした声は、走り去る背中を虚しく滑る。
 あっと言う間の出来事だった。迷い無く馬を走らせ、ディフは手綱を引き絞り、上体を低く屈め……
 軽々と柵を飛び越えた!
 それは馬術の美しさとは無縁の、馬の気分と性質と能力に乗り手が合わせた、何とも無骨で乱暴な飛び方だった。
 着地の衝撃でテンガロンハットが脱げ、かろうじてあごひもで引っかかる。

「っしゃあ!」

 ガッツポーズを取ると、ディフはもう一度引き返すべく馬首を巡らせ……

「ディフっ!」

 レオンと目が合った。
 真っ青になって眉間に皴を寄せ、途方に暮れた表情でこっちを見つめている。まるですがりつくみたいに。
 きゅうんっと胸の奥が疼いた。柵の直前まで追いかけて来たのはいいものの、自分まで飛び越えることはできなかったのだろう。
 無理も無い、あの葦毛にそんな度胸は無い。
 鞍の上でぼう然としている。

(やばい。心配かけちまった!)

「ごめん、レオン、すぐ戻る!」

 帽子を被り直すのもそこそこに、慌てて柵に沿って馬を走らせる。レオンもはっと我に返って後を追う。
 しばらくの間、二人は柵を挟んで並走した。馬場の出入り口にたどり着くまでの数分が、とてつもなく長く感じられた。

 ディフが戻ってくると、レオンはほーっとため息をついた。
 柵のこちら側に一人置いて行かれたのが、寂しかった。自分を置いて急に駆けて行ったのが面白くなかった。

 しかもあの栗毛は、障害を飛ぶように訓練を受けた馬ではない。勢い任せのあんな乱暴な飛び方で、ちょっとでも引っかかったら大惨事だ。無鉄砲にも程がある!
 言いたい事が頭の中でぐるぐる回る。
 
「……ごめん」

 かぽかぽと歩み寄る赤毛のルームメイトをにらみ付け、一言告げる。

「次は飛ぶ前に言ってくれ」
「………ごめん」
「わかればいい」

 毅然として馬を走らせるレオンの後を、ディフは大人しくついて行く。眉根を寄せ、ちょっぴり困った犬みたいな顔をして。レオンが右に曲がれば自分も右へ。左に迎えば自分も左へ。
 もう、彼を置いていきなり駆け出すような真似は、しなかった。

    ※

「おー、やっとるな」

 マッキロイ氏はそんな少年たちを、ほほ笑ましい気持ちで見守っていた。
 先週の日曜日、マックスに聞かれた。『来週、友達を連れてきていいか』と。
 ほほうこいつはてっきり、デートかな? と思っていたら連れてきたのは男。しかもルームメイトだと言うじゃないか。

 やれやれ、まだ女の子のご機嫌を取るより、男の友情が優先って訳か。
 くすっと小さく笑う。
 マクラウドの甥っ子に浮いた話ができるのは、もうしばらく先のことになりそうだ。

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