▼ 【5-5-8】姫>彼女
すやすやと規則正しい寝息が聞こえ始める。その時になってレオンはようやく、ノートから顔をあげた。
下着の上にパジャマの上着だけを羽織ったまま、下半身はパンツ一丁。とんでもなくラフな恰好で眠っていた。
「やれやれ」
大の字ならほほ笑ましいで済んだだろう。よりによって横向きに寝て、くるっと体を丸めている。
パジャマの裾からのぞく足が、ひどくなまめかしい。想像せずにはいられない。手のひらを当てたらどうなるんだろう、って。
(危険だ。早く隠してしまおう)
毛布をかけようと思ったけれど、生憎と上に寝ている。思案した揚げ句、ディフを真ん中にして毛布の端と端を持ち上げて、くるっと包んだ……クレープみたいに。
「ん……ありがとな、レオン」
どきっとしたが、毛布に顔をつっこんで眠っている。おそらく寝言だろう。ほっと息をついて、小さな声で答える。
「どういたしまして」
さて、危険物は毛布にきっちり包まれた。今度こそ、集中することができる。さっきまでは何を見て何を読み、何を書いたのか……まるで頭に入っていなかったのだから。
※
さて問題の土曜日の放課後。学校は午前中で終わり、ディフは喜々として出かけて行った。
そして日もとっぷり暮れる頃、うきうきしながら戻ってきた。よほど楽しかったのだろう。ほとんど足が地面に着いてないんじゃないかと思うほどの浮かれっぷりだ。
「ただ今、レオン!」
「お帰り」
笑顔で出迎えたのは、ディフが帰ってきて嬉しかったからだ。
どうだった、と儀礼上の質問を投げ掛けることもできず、静かに佇むレオンに、ディフは満面の笑みを浮かべて報告した。
「すっげえ楽しかった! も、サンフランシスコに来てから、最高に楽しい土曜日だった!」
「……良かったね」
胸の奥にもやっとした重苦しさを抱えながら、レオンは務めて冷静に振る舞った。鋼の自制心を振り絞り、ディフの報告に耳を傾けた。
「ツインピークスって、ドラマの中だけじゃなくて実際にあったんだな! サンフランシスコ全体が見えたよ。それだけでもすげーなーって思ってたら、まだ上があるって言うじゃないか」
「ああ」
「コイトタワーっての? あれのてっぺんまで上ったよ。フェリービルディングとか、ベイブリッジとか、フィッシャーマンズワーフまでくっきり見えたんだ! 360度、絶景だよ!」
体からもわもわと熱気が漂ってくる。そばかすがくっきり浮かんでる。肌はうっとりするほどきれいなピンク色だ。
きっと、服の内側も同じくらいきれいだろう。
ほんのり浮かんだ甘い想像は、続くディフの言葉でざっくりかき消された。
「彼女、兄さんからカメラ借りて来たって言うから、塔のてっぺんで記念写真とったんだ。現像ができたら、見せてやるよ」
「そうか」
(見たくない。考えたくもない)
「で、その後、バスに乗って、上から見た所をがーっと通ってってさ。フィッシャーマンズワーフでお茶飲んで来た!」
ごそごそと、腕にぶら下げてきたビニール袋から平べったいものを取り出した。金色の包み紙につつまれた、四角い板チョコだ……どうやらギラデリ・スクウェアのチョコレート工場にも行ったらしい。
「これ土産。食うか?」
「いや。甘いものは苦手なんだ」
氷柱を飲んだような声が出ていた。
「……そっか」
途端にすーっとディフの顔から笑顔が消え、途方に暮れる犬みたいな表情にとって変わる。
ちょっとは熱が冷めたらしい。口をつぐみ、静かになった。
それからは、舞い上がった状態から地上に着地していつもの彼に戻ったものの……。
何かにつけて思い出したようににへっと笑う。
また、その笑い方がでれんでれんにゆるみ切った上に、いかにも楽しそうで。見ていて、どうしても苛立ちを抑えることができなかった。
※
月曜日、教室で。
「よっ、ヒウェル!」
ヒウェルの姿を見るなり、ディフは駆け寄った。尻尾を全開でぶん回した大型犬が突進するような勢いで。
むわっと押し寄せる熱風に、若干、後ろにのけ反りつつ笑顔で出迎える。
「おはよう、ディフ。で、どーだったよデートは?」
「サイコーに楽しかった!」
(おーおー、舞い上がってらっしゃる!)
「コイト・タワーに上って、展望台見て、ギラデリのチョコレート工場見学して、フィッシャーマンズワーフに行った!」
「そーかそーか、サンフランシスコの観光名所、満喫したな」
「うん! どこもかしこも初めて行った」
幸せ一杯、満面の笑顔で報告する友人を、ヒウェルはほほ笑ましい気分で見守った。
「な? 彼女にまかせて正解だったろ?
「うん! お前の言う通りだった! それでこれ……」
ごそごそっと鞄から取り出したのは、ビニール袋に入った何やら四角い物体。包み紙の金色が透けて見える。
「土産だ!」
「お、ギラデリのチョコバーじゃん!」
大好物を目の前に、にへーっとヒウェルの顔面がゆるんだ。
「さんきゅ! でもいいのか? こんなに沢山」
「うん。ほんとはレオンの分も一緒なんだけど……」
ディフはうつむいて、くしゃっと赤毛をかき回した。
「あいつ、チョコは苦手だって」
「………そーか」
寮の部屋を訪れた時の記憶がありありと蘇る。ディフが居るかと聞いた瞬間、姫の美貌は分厚い氷に覆われた。
(こいつがいないってだけで、あんなに不機嫌になるんだものなあ)
(自分ほっぽって出かけた揚げ句、舞い上がって帰ってきたら……そりゃあヘソ曲げもするよな)
※
放課後。モニークが声をかけてきた。
「マックス、今日は暇? アイス一緒に食べに行かない?」
「アイス?」
ぱあっと顔を輝かせ、頷きかけてはたと動きが止まる。
「いいなあ。でも残念、今日は駄目なんだ、ごめん」
「そっか……クラブの練習?」
「いや。食料の買い出しに行くから」
「え?」
きょとん、として目をぱちくりするモニーク。ディフはかけらほどの疑問も抱かず、説明する。さも当然の事だよと言わんばかりの口調でさらさらと。
「今日はルーセントベーカリーの特売日なんだ! レオン、あそこの店のがお気に入りだからさ!」
「あ……そう言うこと」
「うん、だからごめんな!」
爽やかすぎる笑顔で『姫』のご飯を買いに行く。彼女を置いて、いそいそと。そんなわんこを見送りながら、居合わせたクラスメートたちは一斉にため息をついた。
『だめだ、こりゃ』と。
一方でディフは、ルーセント・ベーカリーで目的のパンを無事に買い入れ、うきうきしながら寮の部屋に戻ってきた。そしてルームメイトの顔を見るなり、切り出したのだ。
「なあ、レオン。今度の日曜日、暇か?」
次へ→【5-5-9】ライドオン