▼ 【5-5-2】赤い靴下ピンクのシャツ
聖アーシェラ高校ガブリエル寮の地下には、共用の洗濯室がある。
置いてある機械はやや旧式ではあるものの、町中のコインランドリーとそう代わり映えはしない。脱水機能のついた洗濯機が2台と乾燥機が一台。
寮生全員が使うには足りない。しかも洗剤こそ自前だが、使用に関してはコインランドリーと違って無料なのだ。
当然の事ながら霧や雨の続いた日は使用希望者が殺到し、順番待ちの長い列ができる。
人が待っていると思うと使う時も自ずとせわしなくなる。洗濯機が空いたら、慌ただしく自分の分の洗濯物を入れて、洗剤をセットして、スイッチを入れる。
そんな状況下ではついつい、中の確認もおろそかになったりする訳で……。
「うわっ!」
脱水の終わった洗濯機を開けた瞬間、ディフはあんぐりと口を開けた。
白いシャツが。靴下が。タオルが。ことごとくピンクに染まっている!
「何でだ? 色ものとは分けたはずなのに!」
わっさわさと取り出して一枚一枚確認して行くうちにふと、見慣れぬ物体に気付く。
淡いピンクの洗濯物に紛れ込んだ、一足の真っ赤な靴下に。
「……これか」
やっちまった。
恐らく前に使った誰かが忘れて行ったのだろう。少なくとも自分の持ち物じゃない。
よくぞまあこのちっぽけな布きれから、大量の布を染めるだけの色が染み出したもんだ。驚き呆れながらもとにかく、これ以上被害が拡大しないよう危険な靴下を取り除く。
後で食堂の壁にでも貼っておこう。その程度の憂さ晴らしは許されるだろう。
「乾かせば、ちょっとはマシになるかなあ」
わずかな望みをかけて、きれいに染め上がったシャツその他もろもろを乾燥機に入れた。
※
若干薄くはなったものの、乾かしてもやはりピンクはピンクのままだった。
ピンクのワイシャツ、ピンクのTシャツ、ピンクの靴下、ピンクのタオル。
畳んでクローゼットに入れながら、ディフは深々とため息をついた。
「どーすんだこのピンク……」
使用上の問題はない。履けるし、着られるし、拭ける。だが問題は、色だ。
(思いっきり女の子の色じゃねーか)
いみじくもテキサス男子たるもの、ピンクのシャツなんぞ間違っても着られない!
できれば取り換えたい。だがこれから実家に連絡して、代わりを送ってもらうまでに何日かかるだろう。
まとめて洗ったのが仇になり、ほぼ全滅だ。届くまでの間、残された衣類でしのげるだろうか?
それ以前に、何て説明すりゃあいい。
「やっぱ買い替えるしかないのか……」
がっくりと肩を落とす。
けっこうな出費になりそうだ。元を正せば自分のミスで招いた事態だと思うと余計に落ち込む。
(無駄遣いではないけれど、やっぱり無駄遣いだよなあ……)
仕送りの中から、自由に使える金額は限られている。十分やりくりできると思っていたが、不測の事態に備えるにはやはり足りないのだ。
「うーむ……」
悩んだ所でお金は天からは降ってこない。行動を起こすしかない。
ディフォレスト・マクラウドはこうと決めたら動くのは早い少年だった。その場で電話をかけて家族と話した。ただし、換えの靴下を送ってもらうためではない。
何となれば彼が電話をかけたのは、実家ではなく……農場を営む伯父の家だったのだ。
※
「レオン」
「何だい?」
その日の夜。夕食を終えて部屋に戻り、いつものように紅茶を飲んでいる時に打ち明けた。
「俺、バイト始めることにしたんだ」
レオンハルト・ローゼンベルクはカップを口に運ぶ手を止め、小さく「ほう」とつぶやいた。
切れ長の茶色の瞳、ふさふさとカールした豊かな睫毛、絹のようにさらりとしたライトブラウンの髪、細い眉。すっと通った鼻筋に形の良い唇……大理石の女神像のごとき丹精な美貌はいつものように冷静そのもの。
揺らぐ気配は塵ほども無い。
「どこで働くんだい?」
「郊外の農場。牧場やってる伯父さんに、知り合い紹介してもらったんだ。家畜の世話は慣れてるからな!」
「そうか、君は伯父さんの手伝いをしていたんだったね」
「うん。こう言うのは、やっぱツテと信頼が大事だしな」
農場の主マッキロイ氏は、マクラウド家と同じくスコットランド人を祖先に持つ男だった。マクラウド牧場の主の甥っ子の頼みを、二つ返事で引き受け手くれたのだった。
「手の空いてる時間は馬に乗っていいって言ってくれた。牛乳とか、自家製のバターとか、ベーコンとか卵も分けてもらえる事になったし」
「なるほどね」
ディフは満面の笑みで報告した。
「いいことづくめだろ?」
「……それで。いつから行くんだい?」
するりと躱し投げ掛けられるレオンの問いかけに、何の疑問も抱かず素直に答える。
「今週の日曜。週末の空いてる時間に行く事になったんだ。部活の練習とか、試合のない日に」
「それはよかったね」
レオンも表面上は何食わぬ顔で頷いた。さしたる興味もないかのように振る舞っていたが、その実、内心穏やかではなかった。
(これから君は週末、出かけるのか。部活のない日も、毎週)
(俺の知らない場所で、別々の時間を過ごすと言うのか)
もやっとした重苦しさが胸の底にわだかまる。
同室になった当初は、極力ディフと顔を合わさぬよう、何かと理由を着けては部屋から出ていたはずなのに。
自分の中に起こった変化を、レオンはまるで自覚していなかったのだ。
少なくともまだ、この時点では。
※
そして、日曜日がやって来た。
朝食を済ませた後、ディフは意気揚々とマッキロイ農場へ向かった。自分を見送った後、レオンが深い深いため息をついた事など知る由も無く。
サンフランシスコの街は狭く、建物が密集している。
郊外に向うバスに乗って30分も経たないうちに、窓の外はぎっしり立ち並ぶ家々から、なだらかな丘と広大な農地へと変わって行く。
標識と待合用のベンチ以外、ほとんど何もない停留所でバスを降りた。
歩き出すと、いくらも立たないうちに懐かしいにおいが漂って来る。牛や馬、鶏、山羊、羊。生きた体と植物と、そして彼らの出したあれやこれやが混じり合い、醸し出す濃厚なにおい。
「んーっ! 久しぶりだなぁ」
思わず立ち止まって、深呼吸した。不思議なもので、ゆっくりと息を吸い込み、吐き出すと鼻の奥に牛乳やラムチョップと同じにおいが残る。
同じ生き物の体から出ているんだから当然と言えば当然だ。
新学期が始まってから二ヶ月か。生まれてこの方、こんなに長い間、このにおいから遠ざかっていた事があっただろうか?
体の中のずうっと奥で、しくしく疼いていたちっちゃな穴が、すぽっと埋まった気がした。自分では平気なつもりだったけれど、やっぱりテキサスが恋しかったのだ。
カーン。
コン。
ガコン。
どこからか釘を打つ音が聞こえて来る。
『マッキロイ農場へようこそ!』
風や日の光にさらされていい感じに古びた木の看板に、テンガロンハットを被った五十がらみの男が釘を打ち付けている。白髪交じりの栗色の髪、瞳は青。頬と鼻の下をごま塩みたいなヒゲが覆っている。
くたくたに着古したチェックのシャツにブルージーンズと言う出で立ちは、ディフにとって見慣れた姿だった。
「こんにちは」
「おう、おまえさんがマックスの甥っ子か!」
皴だらけの日焼けした顔が、くしゃっと笑みを作る。白い歯が眩しかった。
「話は聞いとるよ」
「伯父さんもマックスって呼ばれてるんだ……」
「うむ。俺がマッキーで伯父さんがマックスな。ひょっとしてお前さんも?」
「はい、学校じゃマックスって呼ばれてます」
「だ、ろうな!」
マッキロイ氏は顔をのけ反らせ、愉快そうに笑った。
「歓迎するよ。手伝いは多い方がいいからな、ディフォレスト。だが学校はおろそかにしちゃいかんぞ?」
「はい! よろしくお願いします」
差し出された手を握る。節がごつごつして、皮が堅く、指の付け根にタコがあった。
「所でお前さん、着替えは持って来ただろうな?」
「はい」
肩に背負ったデイパックを揺する。力仕事は汗をかくのだ。冬でも秋でも。
「よし、ちゃんとわかっとるな、感心感心! 長靴はこっちで貸してやる」
「ありがとうございます」
「それじゃあさっそく手伝ってもらおうか」
「はい!」
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