ようこそゲストさん

ローゼンベルク家の食卓

【4-8-7】ひとりぼっちの双子

2008/12/12 21:54 四話十海
 マンションに戻り、エレベーターで6Fに上がるころにはオティアはこっちを見ようともしなくなっていた。
 だが、俺を無視してる訳じゃない。耳まで赤くして、意図的に目をそらせている。空気相手にこんなマネはしない。

 ドアの鍵を開け、ローゼンベルク家の玄関ホールに入ると、奥からざかざかと大またでディフが出てきた。

「………戻ったか」

 オティアはディフの顔を見て、一瞬、何か言いかける。

「なおー。ふなーっ。なーっ、あーおおぉおう」

 はっとオティアは顔をあげて、小走りに走って行く。そりゃそうだ。滅多に鳴かない猫があんな遠吠えするなんてただ事じゃない。
 心配してたんだろうな、オーレ。でも何で迎えに出てこないんだ?

「うわっぷ」

 ばふっとバスタオルが降って来た。一枚、もう一枚。

「拭け」
「さんきゅ……でも、何で二枚も?」
「そっちはオティアの分だ」
「持ってけってことっすね。でも、いいのか?」
「……いいんだよ」

 ディフはそっと目を伏せた。髪の毛と同じ赤みの強いかっ色の睫毛が瞳に被さり、影を落す。

「その方が、あの子が安心する」
「OK、まま。シエンは?」
「もう寝た」
「……そっか」

 だったら静かにしないとな。

 足音をしのばせつつ境目のドアを抜け、双子の部屋に入る。リビングに入って行くと、オティアが猫用ケージのドアを開けていた。
 ……入れられちゃってたのか、オーレ。珍しい。

「なーっ、ふなーっ、なおーっ」

 白い子猫はオティアの足の間を八の字を描いてすり抜け、ぐいぐいと顔をこすりつける。
 くしゅん、とオティアは小さくくしゃみをした。そりゃそうだよな、髪の毛も顔も手も服も、霧の水気でぐっしょりだ。
 ぱふっと金髪頭の上からバスタオルを被せると、不思議そうにこっちを見た。

 何でここにいるんだろう、とでも言いたげに。そりゃそうだ、今まで断りも無しに俺が一人でこの部屋に入ったことはない。
 必ずだれかしらと一緒に入るし、用事のある時は境目のドアんとこで一声かける。

「……いーからまず頭拭け……」

「んみゃーっ」

 なんっつう大声。このちっぽけな体のどこからこんな声出すんだろうなあ、このお姫様は。
 一声鳴くと、オーレは俺が開けっ放しにしてきたドアに向かってとことこと歩き出し、こっちを向いてまたかぱっと口を開けた。

「にゃーっっ!」
「………」

 タオルを被ったまま、オティアはオーレの後をついて行く。それを確認してからオーレはまたててててっと歩き出す。
 何度も振り返り、一声鳴いて、また歩く。

 導かれた先は、双子の寝室。
 9月の木曜日にオティアがベッドに横たわり、点滴を受けていた場所だ。

 ドアは開いていた。

「……」

 一歩中に踏み込むなり、オティアの動きが止まった。

「どうした? ………っ!」

 寝室にはベッドが二つ。だが一つのベッドは空っぽだった。布団も、シーツも、枕も片付けられ、ただむき出しのマットレスだけが残されている。
 シエンの使っていた方だ。

「………………あ」
「オーレ」
「み……」

 足元に寄って来た猫を抱き上げると、オティアは黙ってリビングに戻り、ソファに腰かけた。ほとんど崩れ落ちるようにして……。

 玄関に出迎えたディフは落ち着いていた。つまりシエンは家に居る。ただしオティアと一緒のこの部屋ではなく、本宅に。
 去年の10月の終わりから、今年の6月まで暮らしていた部屋に戻ってしまったんだ。
 オティアを置いて、たった一人で。

 何故。どうして。理由なんて、これ以上ないくらいわかりきってる。
 ごめん、シエン。

「会わせてやるよ。お前の兄弟に」

 一年前、そう誓ったこの俺が、いつも一緒の二人を引き裂いちまった。何て皮肉。何て矛盾。
 それでもオティアに好きだと囁き、受け入れられて。口づけを交わした喜びに胸が震えていた……。
 逃げずに居てくれることを。今、こうして同じ部屋に居るのを許されていることが嬉しくてたまらなかった。

(酷い男だ。とんでもない極悪人)

「………オティア」

 びくん、と肩を震わせ、顔を上げた。あんまり素直に反応がかえってきたもんだから、平静な表情をとりつくろうのすら忘れてしまい………。
 半分泣き出しそうな半端な笑顔でほほ笑みかけてしまう。
 オティアはほんのちょっと不安そうに眉根を寄せたが、結局何も言わずにうつむいてしまった。

「風呂入れ……さもなきゃ、せめて、着替えろ」
「………」

 首をかしげてる。何か考え込んでるようにしきりとまばたきをくり返す。膝の上ではオーレがこっちをじいっと見つめてる。
 ってか、にらんでる。

「……俺は、帰るよ」

 嘘だ。本当は帰りたくなんかない。このまま、ここに居たい。お前のそばに居たい。
 だけど。

「……風呂出たら……ちゃんとベッドに入れよ?」

 小さくうなずくと、猫を抱えたままオティアはふらりと居間を出て行く。少し間をあけてから廊下に出た。どのみち帰るには境目のドアを抜けて一旦本宅に行かなきゃならないんだ。
 通り道だよ。
 付け回してる訳じゃない。

 それでも寝室のドアの前で立ち止まる。クローゼットを開け閉めする気配がして、着替えを抱えたオティアが出てきた。
 ちょっと離れた位置からかがんでのぞきこむと、わずかに怯えた表情を見せた。

「……すまん、近過ぎたな」

 一歩後に下がる。

「おやすみ、オティア」
「……………………………おやすみ」

 バスルームに入って行くのを見届けてから、部屋を出た。
 
 Good night.

 ありふれた挨拶の言葉。それこそ何十回、何百回とくり返してきた言葉。
 たった一言。
 でも、俺を見て、俺に話しかけてくれた。

 おやすみ。

 耳の奥に、心地よく響く。

「………何、にやついてやがる」
「よう、まま」

 ドアの前で待ち構えていやがった。

「あと5分遅けりゃ、耳つかんで引きずり出そうと思った」
「それは、ごかんべん」
「オティアは?」
「風呂入ってる」
「……そっか」

 ほっとディフは安堵のため息をついた。

「シエン、そっちに居るのか?」
「ああ。しばらくこっちで寝起きするそうだ」
「……そっか」

 今度はこっちがため息をつく番だった。

 玄関を出てから、指先で唇に触れる。
 痛みと苦みに苛まれながらも、胸の奥を甘く蕩かすこの喜びだけはごまかしようがない。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ヒウェルが帰るのを見届けてから、寝室に引っ込み電話をかける。だいぶ遅くなっちまった。待ってるだろうな。

「……ハロー」
「レオン……」
「どうかしたかい? ディフ」
「あー、その………」

 やっぱりお前には隠せない。一言話しただけでばれちまったか。
 すうっと深く息をすい、つとめて落ち着いた声で淡々と報告した。
 双子が喧嘩をしたこと。シエンがこっちの部屋に戻ったこと……オティアが家を飛び出したけれど、もう戻ったから心配いらない。

 レオンは時おり相づちを挟みながら聞いてくれた。
 いさめることも、とがめることも、さとすことさえなく、ただ聞いてくれた。

「レオン……明日、何時に帰ってくる?」

 ほんの少しためらってから、続ける。ベッドの傍らに置いた白いライオンに手を伸ばし、きゅっと胸に抱きかかえた。

「会いたいよ……今、お前がここにいないのがさみしい」

 いつもはこんな我がまま口にできない。彼が今居るのはロサンゼルスで、瞬間移動でもしなけりゃそれが叶えられることはない。
 それでも言わずにはいられなかった。

「約束できないけれどなるべく早めに帰るよ」
「うん………ありがとう………………………」

 すがりついた思いは受け入れられ、願っていた以上の言葉を返される。ああ、まったくお前ってやつは。どこまで俺を甘やかしてくれるんだ。

「………愛してる」
「俺も、愛してるよ」
 
  
 ※ ※ ※ ※
 
 
 いつもより長めの電話が終わる頃には、携帯の電池がかなり消耗していた。さすがに充電しとかないとな……。
 時刻は真夜中を少し過ぎた頃。ハロウィンは5分前に終わっていた。
 ようこそ、11月。

 ベッドに入る前に、子どもたちの様子を見ておこう。

 足音を忍ばせ、境目のドアを抜ける。鍵をかけるどころか開けっ放しになっていた。
 寝室のドアも開けっ放し。中をのぞきこむと……

 いないっ?

 心臓が縮み上がる。
 落ち着け、落ち着け。オティアの分の毛布がない。きっと、どこか他の場所で寝てるんだ。ここんとこずっと、変な場所でばかり寝てたみたいだし。

 深呼吸をして、居間に行ってみるが、いない。冷たい汗がにじみ始める。まさか、また家出したのか?
 一部屋ずつ確かめる。
 俺が住んでいた頃、客用の寝室に使っていた部屋。今は予備のベッドが置いてあるものの、ほとんど使われていない。
 
 ……いない。

 書庫。
 扉が少し開いている。猫一匹、通り抜けられるくらいに。

 ああ。
 ここだな。

 ほんの三日前にもシエンが夜遅くに呼びにきたことがあった。オティアが書庫に閉じこもったきり、出てこないと。ドアを開けてみたら……。

 そっとのぞきこむ。
 デスクと本棚のすき間に潜り込むようにしてオティアが眠っていた。床の上で毛布にくるまり、丸くなって。

 やっぱりな。

 足音をしのばせて書庫に入り、オティアに近づく。今夜は冷えるし、この子は冷たい霧の中、ぐっしょり濡れて帰ってきた。
 ちゃんと乾いた寝間着に着替えているようだ。ほんのり石けんの香りがするから、風呂にも入ったんだろう。良かった、ひとまず安心だ。
 腕の間からひょい、と白い猫が起きあがり、こっちを見た。

「み?」

 ほんの少し遅れて飼い主がうっすら目を開けた。

「寒くないか?」

 のろのろとうなずき、起きあがろうと身じろぎした。
 こんな時、いつもは口やかましく言ってきた。
『せめてベッドで寝ろ』と。だけど……今は……。

「いや、いい。そのまま寝てろ」
「………ん」

 力を抜いてぽてりと毛布に顔をつけ、目を閉じる。オーレはしばらくじいっと俺の顔を見上げていたが、やがてくるりと丸くなり、オティアに顔をくっつけて目を閉じた。
 足音をしのばせ、本宅に戻る。

 こっちの部屋にはシエンが一人っきり。
 どっちも俺にとっては『双子の部屋』、なのに今はそれぞれ一人で眠っている。ベッドの上のシエンの姿は、鏡に映したみたいにオティアとそっくり同じだった。
 別々の場所に眠っていても、必死にお互いを求めている。寄り添おうとしている。

 胸の奥が、きりきりと痛む。細い、長い針が差し込まれたようだ。
 ひとりぼっちの双子。原因はわかってる。だからと言ってここでヒウェルを殴るのは筋違いだ。

 そもそもあいつがいなけりゃこの子たちとも巡り会えなかった。双子を再会させたのもヒウェルなら喧嘩の原因になったのもヒウェル。
 皮肉な話だ……。

 寝室に戻り、ベッドに上がる。
 ごく自然に白いライオンを抱きしめていた。

 去年の今頃、俺は病院のベッドの上に居た。見舞いに来たシエンがこいつをプレゼントしてくれた。
 もう、あれから一年経ったんだ……。

 もう、一年なのか。
 まだ、一年なのか。

 俺は少しはあの子たちに近づいているんだろうか?

 お決まりの夜の堂々巡り。考えても答えは出ない。
 ライオンを抱えたまま左手に顔を寄せ、薬指の指輪に口付ける。

 レオン。
 レオン。

 一人では、潰れちまいそうだ………。

「……………レオン」

 世界中のだれよりも今、お前に会いたい。

(ひとりぼっちの双子/了)

次へ→【4-9】たとえそれが痛みでも
拍手する