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ローゼンベルク家の食卓

【4-21-3】結局一人ぼっち

2010/11/06 16:50 四話十海
 
 EEEの作ってくれた英国式バケットサンドはとても美味しかった。正直に感想と称賛を口にすると、彼はライムグリーンの瞳を細めて嬉しそうに、そしてちょっぴり残念そうにほほ笑んだ。

「残念ながら英国式には、一味足りない」
「え? 何か秘密の隠し味でも?」
「マーマイトが入っていないんだ」
「マーマレード?」
「マーマイト。ビールの酵母から作ったスプレッドだよ」
「何だか健康によさそうですね」
「うん、とても栄養があるよ。薄めてスープにしてもいい」
「便利そうだな。ミソみたいだ」
「確かに便利な食材だが、味に癖があってね……」

 そう言ってエドワーズは顔を伏せた。

「つい、いつもの癖で入れそうになって」
「ええ」
「リズに止められた」
「………」

 白い猫は既に夕食を終え、優雅に毛繕いをしていた。自分のことが話題に出たのに気付いたのか、顔を挙げて小さく「みゃ」と鳴いた……まるで「その通り」と言わんばかりに。猫の言うことには逆らわないに限る。そのすさまじき味わいは想像するにとどめ、大人しく紅茶を飲んだ。

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 四分蒸しの濃く入れた紅茶はかなりストロングで、熱と苦さがしっかりと体に活を入れてくれた。おかげで来たときとは打って変わった堂々たる足取りでエドワーズ古書店を後にすることができた。しかしながら、やはり紅茶は紅茶、いざとなるとコーヒーが恋しくなってくる。表通りに戻ってから、エリックの足取りは自然と丸い緑の看板へと引き寄せられていた。
 ……なんてのは単なる言い訳だ。
 
 かすかな期待を抱いてドアを潜り、まず店内を見回した。すこしくすんだ金髪と紫の瞳、優しいアースカラーのコートを探した。このひと月余りの日々、何度繰り返したかわからない儀式。だが求める面影は今日も見つからない。
 OK、想定内。だが、きっとハズレだと予測しながらも止めることができない。1%の希望を捨てることができない。

「ソイラテの……トールを一つ、泡多めで」

 紙コップを受け取り、シナモンとハチミツを追加しながらふと思う。いい加減、マイタンブラーを持ち込むべきなんだろうな。余裕で元が取れるくらい、通い続けているもの。
 だがタンブラー持参だと如何にも期待してるみたいで照れ臭いような、じれったいような気分が倍増してしまう。
 あくまで、たまたま立ち寄っただけなんだと言い訳する事ができがなくなってしまう。
 我ながら往生際が悪いよな……その『たまたま』が積み重なって毎日になっているって言うのに。

「……あ」

 物思いにふけっている間に、大量のハチミツが投下されてしまった。糖分は脳を活性化させる。にしても入れ過ぎた。
 ふわふわのソイミルクをすする。比重の関係で過剰に投与されたハチミツは底に沈み、泡の部分は比較的、影響が出ていない。だが下に近づくにつれて次第に甘みが強くなって行く。

『もともと甘いのに足さなくても』
『試してみたくなるじゃない。それに、適度な糖分は脳の活動を促進するし?』

 ああ。何をしてもシエンのことばかり思いだす。いっそ自分からメールなり電話なりすりゃいいんだ。シエンに直接でなきゃ、センパイに!
 衝動に駆られてポケットから携帯を取り出す。開いて、キーに指をかけて………
 指先から力が抜ける。
 だめだ。
 意気地無しめ。結局、怖がってるんだ。
 何が怖い? それもわかっている。考える時間はたっぷりあった。自分からアプローチを仕掛けて、決定的な拒絶を返されるのが恐ろしいのだ。

『元気がないね、エリック。何かあったのかい?』

 サンドイッチをかじりながらさり気なくEEEに聞かれた。彼は観察力に長け、人の機微を見抜くのに優れている。警察官だった時も今も変わらずに。

『仕事が忙しくて。今日なんかこのあったかい中でゴミ箱漁りですよ!』

 ある意味正しい。でも全部ではない。EEEも察したようだった。けれどあえて追求はしてこなかった。ただ食後の紅茶を飲みながら、しみじみと口にしただけ。

『エリック。伝えることを怠ってはいけないよ……言わなくても想いが伝わる、なんて事はただの幻想だ。気付いてないだけなんだ』
『実際には言葉以外の何かでちゃんと伝えようとしているし、相手も読みとろうと必死になっている。だから通じるんだ』
『ほんのひと言。そう、呆れるほど些細なことを言わずにいたために、決定的にすれ違ってしまう場合も……あるんだよ』

 あの時はただの世間話ぐらいにしか思わなかった。だが今、一人になってみると何気ない言葉の一つ一つがしんしんとしみ込んで来る。
 あれは、EEE自身の経験なのだろうか。

(夫として? それとも警察官として?)

 じゅういいいいい、とソイラテをすする。この辺りに来ると、すさまじく甘い。コーヒーを飲んでいるのかハチミツを飲んでいるのかわからなくなってきた。

(もう一杯追加しようかな……ブラックで、スモールサイズで)

 扉が開く。とっさに目を向けてしまう。こんな時間に、シエンが来るはずがないってわかっているのにどうしても見てしまう。

(あれ?)

 入ってきたのは、全くの見知らぬ相手ではなかった。つやつやの黒髪にフレーム大きめの眼鏡。褐色の瞳の優しげな顔立ちの日本人。仕草がたおやかで、それでいて背筋がぴしっと伸びていて、それ故に雑踏の中でも周りからくっきりと面影が際立つ。

「サリー先生だ」

 スモールサイズの紙コップを受け取り、ちょこんとカウンター席に座って隣に荷物を置いた。
 大きめのカボチャほどのサイズと形の布包み。重くないのかな。運ぶの手伝ってあげた方がいいんじゃないかな、あんなにほっそりした華奢な人なんだから……。あ。「ふーっ」とかため息ついてる。やっぱり重いんだな。
 うん、決めた。手伝おう。
 立ち上ろうとした正にその時、一人の青年が現れた。茶色の髪にターコイズブルーの瞳の快活そうな青年が、親しげにサリー先生にほほ笑み、手を振った。

「よ、待たせたな、サリー」
「テリー! ううん、ほとんど今来た所だし」
「じゃ、行くか」

 テリーと呼ばれた青年はごく自然に荷物を運び、二人並んで店を出て行く。

(ああ……そうか、彼を待ってたんだ。友だちかな。それとも、彼氏……かな)

 せっかく知ってる人が来てたのに、挨拶を交わすことさえできなかった。
 取り残された寂しさが呼び水となり、押し殺していた感情がどっと湧きあがる。
 シエンに会いたい。冷えきった紙コップを両手で包む。不覚にも涙が出そうだ。会えないことがこんなに辛いなんて。

 シエンに会いたい。その気持ちは、彼の部屋を後にしたあの瞬間からこれっぽっちも変わらない。時間の経過とともに劣化するどころか、どんどん強くなる。
 だけど、それを伝えることで、シエンにプレッシャーをかけてしまうのではないか。
 また、怯えさせてしまうのではないか。それが、怖いのだ。恐ろしいのだ。

 既に自分は一度、彼に恐怖を与えてしまっている。逃げ出そうと……道路に飛び出そうとしたシエンを捕まえようと、腕をつかんだ時に。振り返った時の怯えた表情が、忘れられない。

 じわっと視界がにじんできた。
 ぱちぱちとまばたきし、眼鏡を外して眉間に手を当てる。今、目が充血しているのは疲れてるだけなのだと自分に言い聞かせる。
 自分は泣いてなんかいない。この涙は寂しさ、哀しさ、悔しさのせいなんかじゃない。
 ささやかな見栄と嘘は、ついたそばから脆くも崩れ落ちる。いっそ人目もはばからず、すすり泣いてしまえばすっきりするかな……

 ぐしゃっと手の中で紙コップが潰れる。無意識のうちに握りつぶしていた。噛みしめていた奥歯がぎしぎしと軋む。
 やぱい、やぱいぞ、自制しろ、エリック。
 深く呼吸して、思い返す。穏やかなライムグリーンの瞳を。母音のきっちりとしたイギリス風の発音を。

『言わなくても想いが伝わる、なんて事はただの幻想だ』

 そうだ。オレはずっと自分に都合のいいファンタジーの中に逃げ込んでいた。シエンのためなんだって、みっともないごまかしを打って。
 伝えなければ、伝わらない。言わなければわからない。

(オレは『言葉以外の何か』で、ちゃんと伝えようとしているだろうか?)

 自分の気持ち。今、この瞬間もシエンに会いたい……その『些細なひと言』を。

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