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ローゼンベルク家の食卓

【4-20-7-2】★★★目をそらすな

2010/09/12 23:41 四話十海
 
 ディフの指が、手が、パジャマの間に潜り込み、慌ただしくボタンを外す。自分からも手を添え、取り去った。二人の間を隔てるしなやかな布地を脱ぎ捨てた。
 続いてディフの体を覆うボディストッキングをはがしにかかり、ふと手が止まった。

「これは………どうやって脱がせればいいのかな」
「あー……その……お、俺もどうやって着たのか、頭がわやでっ」

 説明書と首っ引きで、四苦八苦しながら着ている姿を思い浮かべる。

(ああ、やはり君は可愛いよ)

 腰骨の上を横切る細い紐をひっぱった。

「この部分は、別になっているのかな?」
「っ!」

 びくっと体をすくませている。まさぐると、後ろはほとんど丸出しだ。わずか紐一本が、尻の頬肉の間に通されているだけだった。

「別に脱がせる必要もなさそうだね。これをずらせば、このまま……」
「あぅっ、む、無茶言うなっ! 前が……きつくてっ」

 もぞもぞと体をよじり、パンツに手をかけている。

「い、今脱ぐから、待ってろ」
「わかったよ」

 こんな薄い布地だ。ちょっと力を入れてひっぱれば簡単に破れるだろう。だが、身に付けたものを破るのは。どこか暴力的な行為に興じるには、まだためらいがあった。

「え、あ、しまった」

 めり、と布の裂ける気配がした。
 おや。
 パンツを脱ぐ時に引っかけたのか。太ももに一ヶ所、大きな穴が開いている。

モスグリーンの中に開いた白い穴。ああ、何てきれいなんだろう。口を寄せ、歯を立てたらどんな声が出るのかな………

 いや、待て。
 いけない。
 落ち着け。

 暴れかけた獣の首根っこを押さえつけた。
 冷静になれ。彼が自分で脱ぐのを待つんだ。

「何で……そんな、冷めた目で……見る……」

 ディフが手を止めた。眉根を寄せている。当惑している。
 気付かれてはいけない。ふ、と軽く笑って言葉を返した。

「そのほうが、感じるみたいだしね」
「っ」

 くしゃっと顔をゆがめ、小刻みに体を震わせている。片方の目から涙が一粒、ぽろりとこぼれた。

「お前だって、誤解してるじゃないか」
「ああ……すまない、今のは本気じゃない」

 頬にキスすると、しがみついてきた。

「その冷たい目で見てるのは俺か? それともお前自身か?」
「……すまない、もう少し我慢してくれ」

 涙をためた瞳がのぞきこんで来る。戸惑いながらも、懸命に言葉をつづった。

「自分でも今は直せない……と思う」

(うかつに欲情に溺れる訳には行かないんだ。君を守るために。俺の中の獣を、押さえ込んだと確信が持てるまでは……)

 ディフはそっと俺の頬に手を当てて……にこっと笑った。
 彼には通じている。わかっているのだ!

「……君を悲しませるのは不本意なんだが……」
「俺が悲しいのは、お前が苦しんでるのに何もできないからだ」
「できてるさ」
「……そうなのかな」

 頬を包む彼の手に、自分の手のひらを重ねた。互いの薬指が絡み合い、そろいの指輪が触れ合う。

「最初は、君にこうして触れることすら恐ろしかった」
「……驚いたろうな」

 ディフが顔を寄せてきた。互いに見交わしたまま、唇を重ねる。短い、けれど密度の濃いキスの後、わずかに唇が離された。

「こんな風に俺にキスされて」
「そうだね。少し……油断してたかな」

 友ではなく、一人の男として俺を見ていると告げる、君の言葉に胸が震えた。単語の一つ一つをかみ砕き、夢ではないのだと確かめている間に唇が重なっていた。
 動くことを忘れ、視線をそらすこともできず、一部始終を見届けた。

「必死だったんだ。あんなに長い間一緒にいたのに……俺は………。お前への気持ちに気付いた途端、あれ以上待てなかった」

 おや。また目線を左右に泳がせている。照れているのか。恥じらっているのか。

「そのおかげで、こうしている」

 左胸が熱い。ディフの手のひらが当てられていた。ゆっくりと、円を描いてなでられる。その内側で心臓が踊り、鋭敏な感覚がぽつりと立ち上がる。
 
「そんなに恐れていたのか? あの夜、始めてこの部屋で……俺に触れた時も」
「手が震えるのをおさえるのに、必死だったよ。すぐに夢中になったけれどね」
「……俺は、どうやって力抜いたらいいかわからなくて。でもすぐにお前の手が。指が。唇が……余計な物を全部とっぱらっちまった」
「君は変わらないね」

 ゆるく波打つ長い髪。少年の頃よりもふさふさと伸び、首筋を……肩を覆い背に広がる。時に獅子のように気高く、時に親鳥の翼のように優しく包む赤い髪に指を絡めて、撫でた。
 しなやかな波が指の間を通り抜ける。触れるたびに、教えてくれる。手の皮膚から伝わる悦びがあるのだ、と。

「少し、髪は伸びたけれど。いつも正直に俺に話してくれる」
「他に、愛しかたを知らない」
「俺にとっては、嬉しいことだね。この上もなく」
「……そ、そう言う恥ずかしいことをはっきりと………」

 しばらくディフは口の中でもごもごとつぶやいていたが、やがて力抜いて、身を委ねてきた。

「世界で一番安心するのは、ここだ、レオン。お前の腕の中だ」
「………ありがとう」

 抱きしめる。ひゅう、と息を吸う気配がして、胸にぺたりと顔を埋めてきた。

「お前は、違うよ」

 ためらいを振り払うように、彼は静かに。だが、きっぱりと言い切った。

「俺を引き裂き、むさぼり食った奴らとは……違う」
「今はまだ……ね」
「これからも、だ」

 ディフは顔を上げた。視線に実体があるのなら、俺の心臓は間違いなく射貫かれていた。若葉色のペリドットと、透き通る黄褐色のトパーズを掛け合わせた、一対の真摯な瞳に。

「俺はお前を愛してる。それが最大の違いだ。覚えとけ」

(ああ)

「忘れたことはないよ……」

 もう、冷たい仮面をまとう必要はない。喜び、悲しみ、怒り。全てあるがままに解き放ち、簡潔な言葉で伝えよう。
 一番大切なことを。

「愛してる」

 ディフは歯を食いしばり、身を震わせた。

「もういちど……言ってくれ……あいしてるって……」
「愛してるよ。もうずっと昔からだ。そして、これからも」

 ディフの体から力が抜けて行く。うっすらと涙を浮かべた目が細められ、口元が上がり、白い歯がのぞいて……弾けるような笑顔が花開く。
 同じだ。高校の寮の一室で、初めて出会ったあの時と。
 何も含まず、何も隠さない。偽らない。何の見返りも求めない。
 ただ俺を慕い、ほほ笑み、迷いのない声で告げる。

「愛してるぞ、レオン」

 心臓が震えた。ここ数日、胸の奥でずっと疼いていた小さな刺し傷を、やわらかな羽根が包む。
 ひりつく痛みを。
 焼けつく冷たさを和らげる。
 君を想う時、胸を満たす温かさが蘇る。

「俺は、いつも君に救われてるよ……」
「その言葉、そっくりお前に返す」

 頬を両手で包み込み、そっと唇を重ねた。羽毛でくすぐるような軽やかなキスが、ねっとりと水音を響かせる淫らな舐め合いに変わるまでにいくらもかからなかった。
 
「レオン……レオン……」

 絡み合い、溶け合いながら何度も呼ばれた。
 繰り返し囁かれた。
 愛していると。
 
 求めあう心と絡み合う体。
 どちらが欠けても、俺たちの間に『愛してる』は成立しない。

 熱く熟れ溶けた彼に呑み込まれ、体中くまなく抱きしめられて。猛り立つ肉の楔を奥深く打ち込み、叩きつけ、無我夢中でほとばしらせた。注ぎ込んだ。

「ぅう、あ……あぁ……」

 歓喜の声を挙げてディフはぶるりと身を震わせ、精を放った。男として最も無防備な瞬間を俺の前にさらけ出した。ほんの少し恥じらいながら、かすかなほほ笑みを浮かべて……
 飛び散る雫を舐めとり、首筋に赤々と浮かぶ『薔薇の花びら』に口づける。何度も何度も繰り返し。燃え盛る欲情が次第に穏やかになり、ゆるやかなさざ波になるまで、ずっと。

 温かな腕が背に回される。汗ばんだ肌に顔を寄せ、包まれるまま身を委ねた。

「レオン……」

 ディフは髪に顔を埋め、乱れた息が治まるのも待たずに囁いてきた。

「お前の中に在る全てを愛してる。解き放つのをお前が恐れるのなら……俺が引き止める」

 そのひと言で、彼の中に横たわり、余韻に浸りまどろんでいたはずの『息子』がむくり、と起き上がった。

「……ディフ」
「っ、お前、何、また固くして……あっ、こら、せめて一度抜けっ」
「いやだ」

 肩ひもを外し、ボディストッキングを一気に引き下ろした。

「う、あ、あっ」

 ディフは背を反らし、水からあげた魚みたいにびくん、びくん、と不規則に震えた。肌に鳥肌が立っている。布地が思ったより食い込んでいたらしい。解放された胸の中央で、ぷっくり膨らみ揺れる乳首を口に含んだ。

「んぅっ」

 咽が鳴った。丁寧に舌で包み、吸い上げる。その動きに合わせて彼の後ろが収縮し、吸い上げるように動く。

「く、う、あ、んんっ」
「う……んっ」

 たまらず、突き上げた。はあはあと口から熱い息を吐き、本能の命じるまま腰を振りたて、抉った。
 すぐにディフは自分から足をからめ、俺の動きに合わせて体をくねらせる。さっき放ったばかりの精がかき回され、いやらしい水音を響かせる。
 モスグリーンのストッキングに包まれた足を持ち上げ、破れ目からのぞく肌を指先でなぞった。

「っ、どこ、触ってっ」
「きれいだな……」

 開かせた足を引き寄せ、わずかに角度を変える。彼が左右に身をよじり、赤い髪が乱れて広がる。一度、入り口近くまで引いてから、改めて深く交わった。

「レ……オ……ンっ」

 ああ、君って人は。愛でれば愛でるほど昂ぶり、どこまでも昇りつめる。どれほど俺を感じているか、求めているか、余さず伝えてくれる。

「可愛いよ……愛してる」

 すっかり君を裸にするまでに後何回、愛し合えるかな……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 汗ばむ体を寄せ合い、ベッドに横たわる。レオンも俺も、何も身に付けていない。左手の薬指にはめた揃いの指輪以外は。
 全力疾走した時よりも。プールを何度も泳ぎ渡った時よりも、けだるい。けれど頭の中はさっぱりしていた。
 ぬるい海の波間を漂うのにも似たふわふわした心地よさの中、首筋をなめられた。

「よせよ、くすぐったい」

 笑いながら顔をすりよせる。わざと髪の毛がレオンの肌に触れるようにして。

「そっちの方がくすぐったいよ」
「この……可愛い奴め」

 ひとしきりじゃれ合っていると、レオンに言われた。

「一緒にジムに行かないか?」
「え……ここの、下の、か?」
「いや。知り合いの経営してるクラブへ。本格的な設備の整った所で、ゆっくりと過ごすのもいいだろう?」
「いいな。でも……」

 マンションの付属のジムなら、同じ建物の中だ。だが外に出るとなると……。オティアとシエンを置いてかなきゃいけない。
 言い淀んでいると。

「子どもたちは、アレックスに任せればいいじゃないか。また、サリーに来てもらってもいい」
「そう……だな」
「サリーには、あの子たちも懐いてるし」

 確かにその通りだ。この間、彼が来た後はオティアもシエンも、目に見えて元気を取り戻していた……。

「あっ」

 不意に耳にキスされ、やんわりと噛まれた。すくみ上がった瞬間、低い声が囁く。ひと言、ひと言、吹き込まれる言葉が耳の穴を通り抜け、甘美なしびれが染み透る。

「たまには、君を独占させてくれ」
「俺は、いつだってお前の!」
「君は、この所ずっとシエンとオティアにかかりきりじゃないか」
「う」

 拗ねた声だ。拗ねた顔だ。つくん、と胸が疼く。

「心配なのはわかる。この一月と言うもの、二人とも不安定な状態にあるからね。シエンは特に。だが幸い、回復してきているだろう?」
「……そうだな」
「家族だけじゃない、外の人間と接触する機会を増やして行くことも必要なんじゃないかな」
「ああ……」
「君にも必要だよ。あの子たちの『まま』を休む時間が」
「……わかった」

 うなずくディフを見て、レオンはようやく満足した。すっかり桃色に染まった耳にふっと息を吹きかけ、顔を離す。

(これでいい)

 ぴくり、とすくむ肩を手のひらで包む。

「一緒にシャワーを浴びようか」
「………うん」

 今度はためらわずに言えた。
 
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