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ローゼンベルク家の食卓

【4-20-7】★★★目をそらすな

2010/09/12 17:09 四話十海
 
 何とかしろと言われてしまった。自分でも何とかしたい。だがどうすればいい。
 思い悩んでいるうちに時間は過ぎて、夜になってしまった。だが夕食後、仕事と称して書斎に引っ込むのは自重することにした。
 本来なら一秒でも惜しい二人きりの時間が、妙にそらぞらしく息苦しい。ディフもそわそわと落ち着かない。
 何てことだ。互いに逃げ出さないでいるだけで精一杯じゃないか。

「先にバスルームを使っていいかな」
「あ……うん、構わないぞ」

 憶病者め。ここでひと言「一緒に入ろうか」と誘えたら、ごく自然に触れ合う事ができただろうに……。
 以前なら意識することもなく言えたひと言が、今、言えない。
 一人浴室に入り、蛇口をひねる。もうもうと立ちこめる湯気の中、うつむいてシャワーを浴びた。

 いつになくゆっくりと湯に浸かり、寝室に戻るとディフが立っていた。腕組みして両足を踏ん張り、まっすぐにこっちを見て。
 口を引き結び、奥歯を噛み、真剣そのものの表情だ。頬はうっすらと赤く染まり、ヘーゼルの瞳の奥に緑色が混じっている。視線は鋭く、まっすぐに。ほとんどにらみ付けていると言ってもいい。
 一方で、身に付けたものはゆるい。頭からすっぽりシーツを被っているのだ……さながらジェダイのローブみたいに。
 
「……」

 何のつもりだろう? 何を考えているのだろう?
 一瞬、呆気にとられる。

「いいか、俺を見ろ。目をそらすな。絶対だぞ!」
「な……」

 はらり、とシーツが落ちるとその下からは……がっちりした体を包む、網タイツが現れた。
 実物を見るのは初めてだ。ボディストッキングと言う奴だろうか。
 左右のつま先から始まり足首、膝、太ももにみっちりと貼り付いた、細い肩ひもで支えられたモスグリーンのメッシュの布地。
 生地の隙間からのぞく肌の白さが際立ち、なまじ全裸でいるより何倍もくっきりと『裸』を見せつける。
 しかも下半身はガーターベルト状になっていて、内またと股間の部分がそこだけえぐり取られたように肌が露出していた。
 かろうじてそろいの生地でできたパンツを身に着けてはいるが……三角の布を、紐で吊っただけの頼りない代物でしかない。その紐でさえ左右に引っ張られ、ディフの体に食い込んでいる。
 
 湯上がりに目にするには、あまりに刺激的な光景だった。
 同じ格好をプレイメイトがグラビアでしていても、露ほども感じない。男性モデルでも同様。だが着ているのがディフとなると……。

(目をそらすな? わざわざ言う必要なんかない。そらせる訳がないじゃないか!)

 落ち着け。
 落ち着け。
 慌てるな。

 深く息を吐き、肩の力を抜いた。ゆるく握った拳を口元に当て、しみじみと眺める。

「ふむ」
「………言うことは、それだけか」
「ああ、いや……」

 考えて。考えて。悩んで、迷って……行き着いた場所がコスチュームプレイか。だから、あんなにそわそわしていたのか。
 君って人は、どこまで一途なんだ。何て、可愛いんだ。

「愛してる」
「…………知ってる」

 ディフが近づいてくる。腕が首に回され、モスグリーンの網に包まれた肢体が寄せられた。

「愛してる、だけじゃ解決できないこともある」

 囁く声は、かすかに震えている。だが、そこに迷いはなかった。ヘーゼルブラウンの瞳が見つめてくる。強い意志と、揺るぎない決意を込めて。ただ自分だけを見ていた。求めていた。

「愛してるから、困るんだ。戸惑うんだ。レオン、はっきり言ってくれ。何故、俺とのセックスをためらう?」
「っ!」

 彼らしい、まっすぐな言葉だった。
 逃げてはいけないと思った。ここで曖昧な言い方で取り繕えば、ディフを裏切ってしまう。それだけはしたくない。

「この間は………君に………」

 ともすれば目をそらしそうになるのを、懸命にこらえた。かすれて消え入りそうになる声を振り絞った。

「…………酷いことをした」

 ディフは目を細めた。ほほ笑みと呼ぶにはあまりにもかすかな動きだったが、表情はあくまで穏やかで。彼の中で今、動いた感情が怒りや悲しみではないのだと教えてくれた。

「俺は、お前に酷いことをされたなんて思っちゃいない」
「……そうだろうね」

(だから困るんだ……)

「あんな性質があると、お互いわかっちまったんだ。折り合いつけなきゃやってけないぞ?」

 背中に回された腕に力が入る。

「俺たち、墓に入るまで一緒に居るんだから……な」
「ディフ」

 初めて彼の声が震えた。すがりつく瞳が潤んでいる。

「俺……やだよ。このままお前と距離が離れたまんまなんて。耐え切れない!」

 何てことだ。俺が君を疎んじていると。遠ざけているとでも思っているのか? この数日、ずっとそんな風に考えていたのか。

「ディフ。ディフ。ちがうんだ。君は誤解している」
「え?」
「俺にとっては、性癖なんてものは問題じゃないんだ」
「じゃあ……何が問題なんだ」
「君を守ることだよ。俺自身から」
「……だったら………」

 こつん、と額を寄せてきた。二人の顔の距離が限りなくゼロに近づく。ぱさりと被さる赤い髪に覆われた空間の中、囁かれる。

「守ってくれ」
「……ああ」

 もう駄目だ、我慢できない。自分からも腕を伸ばし、抱き返した。
 君が求めているとわかっているのに。自分が欲しているとわかっているのに。これ以上、触れずにいるなんて、耐えられない。
 まさぐる指先が肌を包む編み目に触れた。馴染みのない感触に、つい、指先でつまんでしまう。

「これは、どうしたんだい?」
「………………………………買った。サイズ、なかなか見つからなくて、苦労した」
「ありがとう」
「何で、礼なんか言うんだっ」

 ぎょっとした顔だ。そんなに左右に視線を走らせて、うろたえてるね。可愛いな……。

「俺のために探して、買ってきたんだろう?」
「そうだ」

 すうっと深く呼吸すると、ディフは正面からじっと見つめてきた。ヘーゼルブラウンの瞳がすっかり若葉の緑に染まっている。
 よほど感情が高ぶっているのだろう。

「寂しかったんだ。ひょっとして、倦怠期ってやつかと……それで……」
「……すまない」

 うつむく頬を、がっしりした手のひらが包み込む。

「お前が、謝ることない。俺が勝手にその……」

 優しい手に身を委ね、目を閉じた。息を飲む気配が伝わって来る。

「ど、独自判断だ、これはっ」

 なるほど。俺が『何とかする』前に、君が『何とか』してしまった訳か。
 震える唇が、まぶたに触れる。右に、左に、一回ずつ。小鳥が頬ずりするようなキスに誘われ、目を開ける。

「今日、オティアにも叱られたよ」
「オティアに? あの子が?」

 一体どうしてしまったのだろう、俺は。よりによってこんな場で、自分から子どもたちの名前を出すなんて。

「シエンが気付く前に片付けろってね」

 この家に暮らしているのは、自分とディフだけではない。オティアと、シエンも一緒だ。
 俺の幸せは、ディフが幸せであること。
 ディフの幸せは、双子が健やかに育つこと。

 あの子たちと、ディフと、自分と。しっかりと組みあって、互いの「幸せ」を支えている。誰か一人が欠けても、バランスが崩れてしまう。必要不可欠なのだ……今となっては。
 意識して繋がなければ。言葉や態度で確かめなければ、いとも簡単に崩れてしまう。もろく儚い、けれどもはや手放せない絆が、確かに存在しているのだ。

「……俺は……君をそんなに悲しませたかな……」
「いや、そんなことは………」

 目を伏せている。じっと自分の内側に潜り、記憶をたぐり寄せているのだろう。真摯に向きあい、決して口当たりのいい言葉でごまかさない。

「お前は優しい。キスも忘れない。だけど、ここんとこずっと、間に透明なフィルムが挟まってるみたいで。どんなにもがいても、とれなくて……こんな事初めてで…………どうしていいか、途方に暮れてた」
「そう……だな。俺も……」

 そんな君だから。
 俺も自分の弱さを。未熟さを、隠さずにいられる。

「どうしたらいいのか、わからなくなってた」
「今は、わかるぞ」
「どうしたいんだい?」

 返事の代わりに、唇を吸われた。はやる心を押さえながら応える。うっすらと開いて、重ねて。どちらからともなく舌をさし出し、重ねた。濡れた舌先が触れあった瞬間、ぴしり、と互いに求めるものが通じ合った。
 もっと熱い場所を。もっと湿った場所を。もっと深く、もっと強くからめたい。繋がりたい。
 もつれ合ってベッドに倒れ込む。

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