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ローゼンベルク家の食卓

【4-20-4】いたたまれず飲み会

2010/09/12 17:06 四話十海
  
「ごちそーさん、美味かった」
「………」

 ここ数日、空気が重い。だからあえて明るく振る舞ってるんだが、ことごとく滑る。
 シエンは曖昧にうなずき、オティアはまるっきりスルー。レオンは極上の笑みを顔に貼り付けたまま、ただこっちを見てる。そしてディフは……何を言っても無反応。ぼーっとして、フォークを動かし皿の上のものを口に運ぶ。
 たまにつるっと落ちて汁が跳ねても無反応。
 今日は特に酷い。さっきから無地のシャツに不規則な水玉模様が着々と増えている。真っ先に拭くはずの奴は、困ったような顔をして見ているだけ。中途半端な位置で手が止まっている。

 何があったんだ、レオン。どうしちゃったんだ、ディフ。

 食後の紅茶の後でオティアとシエンは部屋に引き上げていった。長居は無用、俺もさっさと退散するとしよう。邪魔しちゃ悪いし……。

「んじゃ、俺もそろそろ」

 わざわざ、普段言わないようなセリフを口にしつつ立ち上がろうとすると。

「ヒウェル」

 うわぁ。
 お呼びがかかった!

「一杯付き合わないかい?」
「え、いや、でも……」

 本気か、レオン。今夜は金曜だぞ? 邪魔者はとっとと失せろと、いつもにも増して無言の圧力をかけてくるくせに。いったいどんな風の吹き回しだ。熱でもあるのか?

「いい酒が手に入ったんだ。仕事も一段落したんだろう?」

 いかん。退路を断たれた。

「せっかくだから、ね?」
「……つまみ作ってきます」

 ああ。
 つくづく意志が弱いよ、俺って。

 バーカウンターに場を移し、飲み始めて三時間半。
 俺はカウンターのこっち側、レオンとディフはカウンターのあっち側。いつものように並んで座っている。
 最初にレオンが持ち出したボトルはとっくに空になり、既に三本目の底が見え始めている。
 初めの十分ほどは俺から話題を振ってみたのだが(無難に天気の話とかな)、レオンもディフもまったく乗ってこない。黙れと言われないだけ、まだマシか。
 無言でグラスの中味をあおり、空になったらさしだす。出されたグラスに注ぐ。氷も無し、水も、ソーダも無し。
 しまいにゃ俺も諦めて、ひたすら飲みに徹する事にした。
 ちくしょう、せっかくのいい酒を何が悲しくてこんないたたまれない空気の中で飲まなきゃいけないんだ!

(やってらんねーっ)

 早いとこ酔っぱらって、この重苦しい沈黙から逃げ出そう。躍起になって杯を重ねた。
 それなのに……酔えない。頭の中味はほどよく充血し、手足はそれなりに重く、アルコールが確実に肝臓を浸し、体に影響を与えているのを感じる。
 だけど、酔えない。
 むしろ意識は冴え渡り、いやでも感じてしまう。察してしまう。いつもぴったり寄り添っているこのバカップルどもの間に、決定的なズレが生じていることに。
 一応隣に座っちゃいるが、レオンのやつ、さっきから全然ディフの方を見ようとしていない!
 いつだって、目を細めてディフの一挙一動をとっくり眺めているはずなのに。

「……」

だんっとカウンターの上に空のグラスが置かれる。つげってことかよ、ディフ。お前さっきから一言も喋ってないよな。双子が部屋に戻ってから一言も、だ。

 ああ、もう、焦れったい。むずむずする。何で俺がこんな目に合わなきゃいかんのだ。
 ぐっとグラスの中味をのどに流し込む。アルコール度98%のスピリッツが。透明な雫の形をした炎が降りてゆく。くはーっと熱い息を吐き出した。
 ……酒くせぇ。
 酔ってはいない。だが酔ったふりはできる。手の甲で口をぬぐい、充血した目でぎろっとにらみつけた。

「ったく。お前ら、いい加減にしろよ? 二人っきりになるのが気まずいからって、人を巻き込むんじゃないよ。こちとらいい迷惑だ!」
「……」

 反応無し。俺は空気か? ああ、いいさ、だったら空気が何を言おうと構わないよな。言ってやろうじゃないか。

「こんな所でぐだぐだ飲んでないで、さっさと熱いキッスの一つや二つ、三つや四つやっちまえばいいじゃないか! 今更遠慮するよなタマでもねぇだろ。そら、ぶちゅーっとやっちまえ!」

 ことり、とレオンがグラスを置き、こっちを見て………笑った。
 この上もなく優しげな顔で。どんな画家でも再現できないような、美しいほほ笑みで。

「あ」

 さーっと血の気が引く。背骨にドリルで穴を開け、液体窒素を流し込まれた気がした。

「ご……ごめんなさいっ」
「何故あやまるのかな」

 わかってるくせに。あえて聞くか。言わせたいのか。

「いやその、あのその」

 だらだらと額から脂汗が流れる。吹き出すアドレナリンの力を借りて、恐怖にちぢみあがった脳みそフルにぶん回して探した。これ以上、姫の怒りをかき立てない無難な言葉を。

「出過ぎた真似をしたかな、と」
「そうだね」
「………失言でしたっ」

 がばっとカウンターに両手を着いて頭を下げる。次の一撃を予測し、腹に力を入れて踏ん張った。
が。
 かすかなため息とともに、席を立つ気配が伝わってきた。

(あれ?)

 恐る恐る顔を上げると……レオンは肩をすくめてひと言。

「先に休むことにするよ、おやすみ」
「…………おやすみなさい」

 マジかよ。すたすた行っちまった。俺はともかく、ディフを置いたまま。
 こいつは何の冗談だ。
 あり得ない。
 天変地異の前触れか?

「…………」

 ディフはディフで、ぼーっとしたまんまちびちび酒を舐めている。レオンが行っちまったのに、後を追いかける素振りもない。

「ったく……おい、こら、そこの当事者。こっちを向け!」
「………」

 ぎろっと睨まれた。
 凶暴な獣さながらの眼光の鋭さに、一瞬、生命の危機を感じた。

「あ、いや、その」

 途端に、俺の目の前で地獄の番犬が………子犬に化けた。
 こっちを正面からにらみ付けたまま、うるっと瞳に涙が盛り上がる。

「あ……すまなかった、ごめん、も、言わないから」
「…………」
 
 透明な雫はなおもうるうると盛り上がり、限界を超え、ぽとっとこぼれ落ちた。

「あ、ほら、泣くなよっ! グラスに落ちるっつの!」

がくっとうつむいちまった。ゆるく波打つ赤い髪がカーテンみたいにたれさがり、俺と彼の間を遮る。
 泣くなと言ったところで涙が止まれば世話はない。後から後からぽたぽたと落ちて、酒の表面に波紋を走らせる。
 涙だけじゃないな、この分量は。鼻水も混じってる。多分。

「泣くなよ、もー……しょうがねえな……」

 ひと言も喋らないまま、ずぞっと鼻をすすりあげた。微動だにしないで泣き続けるとは、ある意味器用なやつだ。ハンカチをとりだし、ぱんっと開いてさし出す。

「ほら、拭けよ」
 
 もっそりと受け取り、両手で広げ、ぐしゃっと顔に当てた。やれやれ、豪快なんだか、繊細なんだか。ハンカチに顔を埋める赤毛さんの背中をぱたぱたと叩く。また、ずぞ……と豪快に鼻をすすり上げる音が聞こえた。
 まあいいさ。
 泣ける時は泣いておいた方がいい。ため込むよりずっといい。

 だけど……。

(俺にも言えないんだな、ディフ)

 肝心の傷口がどこにあるのか、わからない。わからないから、もどかしい。手探りであちこち突き回していいものか、途方に暮れたまま、俺は……広い背中を撫でることしかできなかった。
 
 ※ ※ ※ ※

 細く開けていたドアを閉め、オティアはひっそりと足音を忍ばせ、廊下を引き返した。
 
 駄目だ、あいつ。使えない。
 ヒウェルが口火を切った瞬間、これが突破口になるかと期待した。伊達に付き合いは長くないなと、ほんの少しだけ感心しさえもした。
 だが、結局はこのざまだ。
 所詮あいつはレオンに頭が上がらないし、ディフを叱咤することもできない。そもそも、あの二人の間に何があったのか、理解さえしていないのだ。おそらく単純な夫婦ゲンカぐらいにしか思っていない。
 期待するだけ、時間の無駄と言うものだろう。やはり、自分でどうにかするしかあるまい。

 原因はレオンにある。ヒウェルにあれだけ言われても、全然怒っていなかった。怒りと言うものを感じなかった。
 ディフに原因があるのならとっくにレオンに謝っているだろうし、レオンがその謝罪を受け入れない訳がない。

 言いたいことは決まってる。問題はいつ決行するか、だ。
 シエンにも、ディフにも気付かれず、なおかつレオンが家にいる時でなければいけない。

 さて……。
 
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