【ネタバレあり感想】美女と野獣

昨日(5/3)に実写版「美女と野獣」を見てきた。
かつて1992年にアニメ版が公開された時は二十代で、会社勤めの帰りに映画館で見た。15年の時を経てよもや再び実写版を劇場で見ることがあろうとは……。

当時はディズニーの起爆剤となった斬新な新作、今となっては定番。そして誰もが知ってる名作扱い。

 

アニメでこうだったよなーと言う印象的なポイントを外さない。期待にこたえてくれる。
アニメーションで最適解だった表現が実写でもそうだとは限らない。
そこを見極めず、何でもかんでもアニメのマネをしていたらかえって興ざめ。それをきっちりわかってらっしゃる。だから安心して見ていられる。

ひとことで申し上げれば、アニメ→実写の順で映像化した場合の差違を巧みに埋めて。演者さんもスタッフも、アニメを研究し尽くした上で敬意を払っているのが伝わってくるよい作品だった。

(以下、ネタバレあり)

アニメーションは「絵」だ。
人物や背景は簡略化され、絵として動かすのに最適な形に整えられている。
それを見る側も、自分が暮らしている現実との間に無意識のうちに隔たりを感じとる。このフィルターを噛ませることで、現実との段差(ギャップ)を受け入れる余地ができる。

しかし実写となると、このギャップの大きさ変わってくる。
人間が演じることで、生々しさが生じる。アニメーションならば受け入れた、あるいは気にせずにいられたことが、生身の人間が演じる時には気になってしまうのだ。

その差をしっかりと踏まえた上で、アニメ版にはなかった補足がしっかりと本作を支えていた。

たとえば……
ベルの母親の存在。アニメーションではまったく触れられていない。
父親との会話から、ベルが母親と似ていて、変わり者だったことが語られる。
「そんな母さんを自分は素晴らしいと思う。同じようにお前も」
村で変わり者扱いされているベルは、生きている父親と、亡き母親から受け入れられている。支えられているのだ。

では何故、母親が不在なのか。その理由は野獣との『旅行』で明らかにされる。

たった10年であんなに近くにあるお城の存在を、何だって村の人々が知らずに居たのか。王子が住んでたってことを何故に誰も口にしなかったのか?
アニメで同じくきれいにすっ飛ばされた理由が実写では冒頭の昔語りで補足されている。
王子を獣に変えた魔女が、忘却の呪文をかけて人々の記憶から城の存在を消してしまったのだ、と。

何故、王子が野獣に変えられたのか。
アニメではステンドグラス風の絵本で語られた場面が、実際に演じられた。
王子がどんだけ傲慢で嫌な奴だったか、観客にしっかりと体験させる。
老婆のガワを脱ぎ捨てて魔女が美しい正体を現す場面の映像が美しい。
そして、肖像画を爪で引き裂くあの忘れ難いカットとともに映像が現在の荒れ果てた城に切り替わる。

お城で生きた道具と化した召使いたちの家族が、村に住んでいたことでベルの住む村と、野獣の住むお城がきっちり地続きになっている、と感じた。
野獣のお城は決して「隔てられた異界」ではないのだ。
アニメの結末では、ベルは俗界を解脱して、異界であるお城に入ったような印象を受けたし、パンフレットを読んだ記憶が正しければ恐らくそのように作られていた。

しかし2017年の価値観はそれを良しとしなかったってことか。
自分も(今は)こっちの方がいい。しっくり来る。自分が受け入れられるのに、今いる場所を捨てる必要は無い。その方がいい。

女性の身でありながら本を読み、知識を求めるベルは村では異端者だった。
野獣に変えられた王子もまた異端者だった。しかしそれ以前に彼もまた、母親を無くして傲慢な父親に育てられた過去があった。
受け入れられなかった二人が、出会って、お互いを受け入れる。お城の中での二人の暮らしからよりはっきりとその過程を感じた。

魔法の薔薇がどのタイミングで散ったのかも、アニメと実写では違う。
中盤で「何だか日に日に体が硬くなってくる」「言葉がうまく喋れない」等、変化を思わせるやりとりを経て、生きた道具たちが、ただのモノと化す場面が切々と心に迫る。
結末がわかっているはずなのに泣きそうになった。
必死でこらえていたら、隣の席に座っていた若いお嬢さんが声を出して泣いていたので、「あ、ここ、そうなんだ。泣いていい場面なんだ」と安心して滂沱の涙を流してきましたことよ。

そしてガストンさんが、アニメより数倍危ない人になっていた。
戦場で心を歪ませて、真性を発揮したナルシストのサイコパス野郎だった。
一方でル・フウは冒頭からそこはかとなくいい人っぷりを発揮する。

大きな変化が来る前に、細かく伏線を張り巡らせてるからすとんと納得できる。
この手順を怠ると観客はおいてきぼりになる。
「は? 何でそうなるの?」「唐突にそんなこと言われてもなあ……」
意表をつくにも、手順が重要。

ベルが城を去る時、アニメでは野獣は悲しげに吼えるだけだった。
実写の野獣は歌う。ともすれば中だるみしそうな所だが、「ひそかな夢」を歌いつつ人間離れした動きで塔を高く高く昇る野獣の姿に、飽きる暇が無い。
より彼の孤独と悲しみが視覚的に伝わってくる。

わかりやすいエンターテインメントは偉大なのだ。

同じ「ひそかな夢」はエンディングにも流れる。こちらは歌い方ががらっと変わって明るい。(歌う人も違うし)悲壮感が消えている。そこに野獣の変化を感じる。

野獣の変化。
ぎゅるんっと足が、手が人間に戻って最後にぐるぐる回る布の中で体が劇的な変化を遂げるあのシーンを、なんと実写では遠景で小さく写しただけだった。
これは正解だったと思う。あの表現はアニメでなきゃできないし、CGばりばりで見せてもきっと、見る者の心は動かない。
変化した後の王子の姿を見せることに意義があった。
人間の姿に戻った自分を、ベル(観客)に背中を向けたまま目で確かめる王子の動きが……ぎょっとするほどアニメと同じだった。もともと、音声を取る時の演者さんの動きをトレースしてアニメにしているのがディズニー作品。
人間→アニメ→さらに人間 と言う三段階の変化を経てこれだけ「あ、あのシーンだ!」と認識させるダン・スティーヴンスの俳優力に心底感服する。
何千回も見て研究したんだろうな……

いやほんと。あの一瞬のためにもう一度、劇場に行きたくなります。
なお、人間に戻った王子を見てベルが「え、誰?」ってけげんそうな顔をする所もしっかり再現されてます。
その後、青い瞳を見て「あなたね!」ってなるところも含めて。

重ねて申し上げます。
実写とアニメーションでは、表現の最適解が違う。
そこをちゃんと見極めたスタッフが作った、良作。

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