少年♂赤ずきん

外伝1「小さな駒鳥と骨の話」

 時は19世紀、所はフランス。

 昼なお暗い裏町の、さらにどん詰まりの袋小路にたたずむ小さな本屋があった。扱うのは手あかのついた古本ばかりのその店で、今しも男が二人、商談中。一人は黒髪を伸ばした青白い顔の美中年。身に着けているのは黒の三つ揃えのスーツ、一分の隙も無い紳士だ……少なくとも見た目は。

 いま一人は同じく黒髪だが髪質は直毛、きちんと整えた豊かな顎髭と口ひげが顔を縁取る。瞳の色は凍てつくような鋭い空色。白いシャツに黒いベストの上に革のエプロンをかけている。
二人の間のカウンターには、布張りのカバンが置かれている。長さは60センチかそこらと言った所。中には人形が二体、互いに抱きあうような形で横たわる。顔、形こそヒトと寸分違わぬもののその関節は、可動性を優先していた。すなわち、球体とそれを受ける皿から構成されていたのである。

 磨き抜かれた象牙色の肌は、ともすればこれが無機質であることを忘れてしまいそうな出来栄えだ。
「確かに二体。いつもすいませんねえ、格安で手配していただいて」
「気にするな。試作品に余計なパーツをつぎ足しただけの代物だ」
 ぶっきらぼうに店主が答える。紳士はさらさらと小切手に金額を記入し、署名し、千切ってカウンターに乗せた。
「何をおっしゃるやら。いつもながら見事な出来栄え、いっそこちらを本職にしたらいかがですか?」
 小切手をポケットに突っ込みながら、店主はふっと、鼻で笑った。紳士は首をすくめるとコートを羽織り、シルクハットを手にとる。
「ではまたいずれ」
「まいどあり」

     ※

 店を出ると、今しも東の空に太陽が顔を出そうかどうかと言う頃合いだった。
 淡い夜明けの光を浴びて、紳士の足下に長い灰色の影が伸びる。コートと帽子の合間に鎮座するのは、虚ろな眼窩にむき出しの歯を食いしばった髑髏(されこうべ)。

 どんなにヒトの形を真似ても、影には本性が写る。だが見た所で真実を受け入れられる者など滅多にいない。大抵は信じたがるのだ……目の迷いだと。
「いい事なのか、悪い事なのか」
 おかげでいちいち、取引の前に証明しなきゃいけない。

 悪魔でございます、と。

 明け方の裏町は妙に静かで油臭く、酒臭い。夜通し飲んでた酔っ払いもいい加減つぶれているし、客をつかまえた商売女はとっくにどこぞにしけこんでる。さもなければとっとと宿に引き上げているか、だ。
 動いているのはそここで、さえずるスズメとカラスと野良犬ばかり。
「こう言う風景はいつの時代でも、どこの国でも変わりませんねぇ」
 こつこつと靴音を鳴らし、カバンを下げて歩く。
 無秩序に立ち並ぶ安酒場に売春宿に見せ物小屋の裏口を通り過ぎ、目指すは悪名高いグラン・ギニョール劇場。

 もっともパリの本場と違い、上演されるのは正真正銘の人形芝居。しかしながら人形故に、容赦無し。首は飛ぶ飛ぶ腕はもげる、血しぶきも臓物もぶちまけ放題。いくら人形があっても足りやしない。
 一番の人気シリーズは「悪魔と狩人」だ。不思議な力を身に着けた狩人が、悪魔と戦い、そして殺す。

 悪魔に虐殺される犠牲者の酸鼻を極めた死に様と、それ以上に惨たらしく狩られる悪魔の断末魔に観客は大興奮。大乱闘の末にたどり着く終幕は常に残酷、阿鼻叫喚。ぶちまけられた血と臓物で舞台は真っ赤に染まる。

 この悪趣味極まりない芝居小屋のオーナーこそが、この男。いや、悪魔だった。訪れる客も大半は悪魔。たまたま迷い込んだ人間こそが、本当の『演者』であり『見せ物』。

 手加減無用のど派手で酸鼻を極めた悪趣味人形劇を見て、彼らは泣き、恐れ、嫌悪する。一方で美しい者が容赦なくぶち壊される有り様を見て、昂ぶり、沸き立ち、酔い痴れる。人形に投影されるその情動を、悪魔たちは間接的に摂取するのだ。

 もっとも甘美なのは、恍惚から醒めた瞬間の罪悪感。金を払ってわざわざイケナイものを鑑賞し、歓喜した己を忌む、その矛盾した心。
(まったく人間って奴は不可解極まる)
口元歪めるその顔が、ふと。虚をつかれた無表情に変わる。

チュリー、チュルチュル、ホイピーホイピーチュリー、チュルリリリ。

 小鳥が、さえずっている。
 珍しい。コマドリがこんな所まで来るなんて。灰色の背にオレンジの胸のちっぽけな小鳥。何気なくその姿を探して頭を巡らせ……別の物を見つけた。

 路地裏に倒れ伏す、幼い少年を。最初はもう死んでいるかと思った。それぐらい、生気が感じられなかった。
 金色の髪は血と土ぼこりで汚れ、靴も履いていない足は白い靴下がむき出し、泥まみれ。しかも片方は膝から下が切断され、代わりに義足と呼ぶのもおこがましいような棒切れがくくりつけられている。

 服の裾からのぞく手足や首筋には、青紫から黄色まで色とりどりの打撲傷。火を押し付けられた痕跡も見受けられる。指先は爪の代わりにかさぶたが張り付いていた。ごく最近、生爪を剥がされたようだ。
 あたかも彼の上演する数多の惨劇からそのまま抜け出したような、無残な有り様。
「ふむ」
 紳士は胸ポケットから、金色のフレームの優雅なモノクルを取り出して左目に装着した。しかる後、少年の姿を一べつ。
 レンズ越しに見る傷は全て、変化無し。
「人間(ヒト)による虐待ですか。だったら管轄外ですね」

 歩み去ろうとする足が、くいっと引き止められる。
「おや」
 ズボンの裾を、ちいさな手が握っていた。二度、三度と足を振るがその程度では外れない。
(何て力だ)
 かがんで、引き離そうと手に触れる。その瞬間、少年の記憶が見えた。
「ほほう……これは、これは」
 骨紳士はほくそえみ、ちっぽけな体を抱き上げる。驚くほどに軽い。カバンに入れた人形とさほど変わらない。
 片手で軽々と抱えて、芝居小屋へ向かう。ぐったりと目を閉じたまま、少年は必死でしがみついていた。黒い、上等のコートに。
(これは意外と、拾い物かも知れませんよ)

     ※

「さぁて、どうしたものやら」
 滅多にないことだが、骨紳士は困惑していた。
 芝居小屋の二階。実際の建物よりも遥かに広大な住居部分の、長イスの上で。
 拾い物は飢えていた。
 あたためたミルクをカップに三杯、立て続けにがぶがぶ飲んで。シナモンと葡萄を練り込んだデニッシュ・ペストリーをこれまた三つ。むさぼるように平らげて、いや文字通り貪って、眠ってしまったのだ……よりによって、彼の膝の上で。
「どうしたものやら」
 おかげで、つぶさに見ることはできた。
 まどろみの中、少年の中に息づく、静かな殺戮の記録を。

 攫われて見せ物小屋で虐待される日々。自分をかばって殺された兄弟。誓った復讐。偶然、手に入った毒薬。自らが飲むか、あるいは?
 選んだのは後者。そして彼は逃げ出した。復讐を成し遂げた達成感。もうこのまま死んでもいいと思いながら、力尽きて倒れ伏し……すがった。目の前に現れた気配に。

 路上で触れた時、断片をかいま見た。生る意志と混ざり合い、一つになった復讐と殺意はひたすら一途で純粋。
 悪魔の最も好む味がする。
 契約するには幼い、このまま育てて経過を見るのも一興か。まったくの気まぐれから拾った小さな命。
「どうしたものやら」
 すがりつくちっぽけな手に、力がこもる。その刹那、悪魔は見た。見てしまったのだ。
少年の中の殺意が。復讐への熱意が全て、たった一人への感謝と愛情に塗り替えられるのを。
「お、おぉ」

 ヒトの感情は悪魔にとって麻薬。生のまま直に摂取すれば、それこそ狂おしいまでの高揚感と陶酔に翻弄される。病みつきになる。
 自分は上級悪魔だ、そんなものに流されるほどヤワじゃない。だが、自分に向けられる愛なんて。こんなもの、今まで、出会った事が無い。有り得ない。有り得ない!
「お、おぉお、おぉ……」
 くぐもったうめきとともに髪の色が抜け落ちる。先端から徐々に黒から白に近い銀髪へと変わって行く。のみならず擬態が溶け落ち顔半分、骨がむき出しになる。血の涙を流しながら、骨紳士は声なき慟哭をあげていた。
 上級悪魔の誇り? 意地? いや。彼は単に、少年の眠りを妨げまいとした、それだけなのだ。

     ※

 数刻の後。骨紳士は夢からさめたように、頭を左右に揺すり、つぶやいた。
「……これは、参りましたね」
 乱れた息の合間から、途切れ途切れに。そして、やおら行動を起こす。
 少年をそっと膝から下ろすとまっすぐに台所に行き、キッチンナイフを手に取る。
 左手をまな板に載せ、小指に刃を当て、とん、と切り下ろす。
 血は一滴も出ない。そもそも悪魔である自分の体には血なんて流れていないのだ。
 ころりと転がる白く、細長い塊。拾って乳鉢に放り込み、丹念にすり潰す。
「私としたことが……あんなちっぽけな人間に。人間の子供なんかに」
 擬態は繕われ、顔は既にヒトの殻をまとっていた。目を赤くぎらつかせ、ひきつる口を吊り上げて笑う。
「ふふ……ふふふふ……ふふっ」

     ※

 少年は、ふと目を覚ました。寒くはなかった。長イスの上でまるまった体は、男物の黒い上着にくるまれていた。けど、あの人がいない! 不安にかられて床に飛び降りる。
 逃げ惑う兎のように、きょろきょろと探し回る。どこ? どこに行ったの?
 咽が震える。とっくに枯れたはずの涙が藍色の瞳にあふれる。
「ぁ……あ!」
「おや、もうお目覚めでしたか」
 いた! どこにも行ってなかった。消えてなかった。駆け寄り、しがみつく。手袋をはめた手が、優しく髪をなでる。
「ココアはお好きですか?」
 うなずくと、彼は床にひざをつき、手にした銀のトレイをさし出した。優雅な白いカップが一つ。立ち昇る湯気は濃厚なチョコレートの香りがする。
「では、めしあがれ。これを飲めば……」
 男はほほ笑んだ。嘘のない笑顔だって、直感で悟った。わかるのだ。嘘で塗り固められた笑みは、嫌と言うほど見てきたから。
「ずうっと私と一緒にいられますよ?」
 言われるままに少年は飲み干した。適度な温さに調整された、うっとりするほど甘い液体を。
 飲み終わると同時にごとりと音を立て、木の義足が床に転がった。新たに生えた足を不思議そうに眺める瞳の色と、髪の色が反転する。
「これはこれは、実に美しい変化を遂げましたねぇ」
 骨紳士は満足げに、藍色の髪をなでる。指先にちっぽけな角が触れた。
「そうだ、あなたに新しい名前をさしあげましょう……」

チュリー、チュルチュル、ホイピーホイピーチュリー、チュルリリリ。

 窓辺でさえずる小鳥が一羽。灰色の体に赤い胸。森に捨てられ息絶えた幼子を弔うとも。煉獄で苦しむ罪人に、水を運んだとも唄われる鳥。
「駒鳥(ロビン)。ロビンと言うのはいかがですか?」
 少年はほほ笑み、小さな手でそっとしがみつく。
「ロビン。ロビン。可愛い私の駒鳥。ずうっと一緒ですよ」

     ※

 時は流れて20世紀。
 怪しげな街の片隅の古本屋。半分はカフェに改造され、訪れる客は思い思いの飲み物を片手に好みの書物を読み耽る。
 飴色のガラス窓を通して降り注ぐ光の中、寄り添い座る二人連れの姿があった。
 藍色の髪に金色の瞳の幼い少年と、血色の悪い銀髪の紳士。二人の着ている服は、サイズと丈こそ違うものの、何から何までおそろいだ。
「ココアのおかわりはいかがですか、ロビン?」
 少年がうなずく。
 紳士は優雅な仕草で片手を挙げて、店主に呼びかける。
「ココアをもう一杯。クッキーもお願いします」
 カウンターの向こう側、整った顎髭と口ひげをたくわえた店主が機械的に手を動かす。小鍋で牛乳を沸かし、ココアと砂糖を溶かしてカップに注ぐ。
 店内に香ばしいチョコレートの香りが漂う。小さなバスケットに紙ナプキンを敷いて、冷ましてあったクッキーを載せる。
「お待たせしました」
 少年が小さな小さな声で礼を言う。
「Merci」
「De rien」
 短いやり取りの後、店主は眉をしかめて露骨に骨をにらんだ。
「いい加減、ツケを払え」
「100年経ったら払ってさしあげますよ」
「私が言ってるのは、100年前のツケだ」
 骨紳士は肩をすくめて小切手帳を取り出す。だが店主は間髪入れずに、ぴしゃりと言ってのけた。
「現金だ。結局、あの時の小切手は不渡りだったんだからな?」
「やれやれ、まったく古い事を根に持つ根に持つ」
「試作品とは言え、取引だからな」
「古いつきあいじゃあありませんか」
「いかにも。だからこそ貴様のやり口は知り尽くしてる」
「はっはっは、こりゃあ一本とられましたねぇ」
 険悪な雰囲気漂う二人の間に、そっと小さな手差し伸べられ、小銭を置いた。
「ああっ! 私のロビン!」
 途端に骨紳士は大慌て。
「いいんですよ、私がっ、私が払いますからっ! いえ、払わせてください、是非っ」
「……毎度あり」
 店主はすまして紳士から札を受け取り、レジに放り込む。
「あ、お釣りは要りませんから」
「はいはい」
 実際は千円札一枚程度じゃ到底足りないのだけれど。小さな駒鳥の健気な努力に報いる程度には、この男は世知を心得ていた。
「ああ、可愛い可愛い私のロビン。何て賢い子なんでしょう」
 骨紳士は少年を膝に乗せ、キスして、頬ずりして、またキスする。少年も嬉しそうに頬にキスを返す。

honekoma
 100年前のあの日以来、骨は立派に拗らせていた。
 色々と。
 そりゃあもう、色々と。

 

 骨は駒鳥が好き。
 駒鳥も、骨が大好き。

(小さな駒鳥と骨の話/了)

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