ローゼンベルク家の食卓

お父さんの眼鏡

2011/06/13 2:34 短編十海
 
  • 拍手お礼用短編の再録。執事と眼鏡と愛妻とのサイドエピソード。
  • 2007年サンフランシスコ。ディーンくん(4才)はどうやらお父さんの新しい眼鏡が気になって仕方がないようです。
 
 ディーンはパパが大好きだ。
 パパは最高にかっこよくて、いつだってパーフェクトなのだから。
 
 土曜日の夜。
 夕ごはんの後、パパはいつものようにソファに座って新聞を読みはじめた。すかさずディーンも絵本を持ってきて、となりに座る。パパはちらっとディーンを見て、静かに笑って。また新聞を読みはじめた。
 ディーンもマネして絵本をひらく。
 目を細め、まゆの間にしわをよせてページをにらむ。しぱしぱとまばたきをしてから、背中をんーっとそらして絵本を顔から遠ざける。
 クリスマスを過ぎたころから、パパの新聞の読み方がちょっと変わった。
 だからディーンも同じ読み方をする。
 何てったってパパは最高にかっこよくて、いつだってパーフェクトなのだから。

「ディーン……」
「なに、パパ?」
「私は、いつもそんな風に新聞を読んでいるのかい?」
「うん!」
 
   ※

 日曜日。
 パパとママといっしょに朝からお出かけ。行き先は眼鏡屋さん。
 ママはとっても楽しそう。ずらりとならんだ棚の間をくるりくるりと飛び回り、パパの元へと眼鏡を運ぶ。
 まるでミツバチみたいに。バレリーナみたいに。
 パパはちょっぴりこまったような顔をして、次々と眼鏡を顔に乗せていた。

「これは、どうだろう、ソフィア」
「それだわ、アレックス!」

 眼鏡をかけたパパを見て、ママは顔中で笑った。ぱあっとやわらかな、オレンジ色の光があふれるみたいなすてきな笑顔。すごく、すごくうれしそうだ。

「上のラインがね、あなたの眉に沿っていてとも自然なカーブを描いているの! 色もいいわ。顔色に馴染んでいる。優しい色合いね」
「そ……そうかな」
「ええ、そうですとも!」

 ママがうれしいと、ディーンもうれしくなる。

「ディーン。どう思う?」
 
 ディーンはぱちぱちとまばたきして、うで組みして考えた。
 何て答えよう。ママと同じことを言ったんじゃ、つまらない。
 にあってる? サイコーにカワイイ? うーん、ちょっとちがうな。パパなら、そう、やっぱり……

「かっこいい」

 これだ。

「そうか」
「パパは、それが一番かっこいい」
 
   ※
 
 回転木馬でぐるぐる回って、アイスクリームを食べているあいだにパパの眼鏡はできあがっていた。
 すぐにかけるのかな? ちょっぴりどきどきしながら見守ったけれど、新しい眼鏡はケースにしまわれたままだった。

 でも、その後、ランチを食べに入ったレストランでメニューを選ぶ時、パパは眼鏡をかけた。
 ママは目をきらきらさせて、携帯で写真をとった。何枚も、何枚も。

(そうか、あれは字を読むときに使う眼鏡なんだ)

 家に帰って、夕食の後。パパはいつものようにソファで新聞を読み始めた。すかさず絵本を持って隣に座る。

(あ)

 パパはもう、目を細めてもいなければ、首を後ろにそらしてもいない。新聞を顔から遠ざけてもいなかった。
 どうやら、新しい眼鏡には、すっごいパワーがあるらしい。
 新聞を読み終わると、パパはテーブルの上に眼鏡を置いたまま行ってしまった。

 ディーンにとって、眼鏡自体はそれほど珍しいものじゃない。
 おじいちゃんも、友達のヒウェルも、ベビーシッターのサリーもかけている。だけど、パパがかけているとなると話は別だ。とても、気になる。
 どんな風に、見えるんだろう?
 試してみたい。
 ちょっとだけ。ちょっとだけなら。

 そーっと手にとる。
 軽い!
 パパのマネをして、ツルを左右に開いて鼻に乗せる。

「わっ」

 がいんっと頭をどこかにぶつけたような気がした。痛くないけど、くらくらする。天井がゆがんでる。壁がぐにゃぐにゃ曲がっている。

「ふええ……」

 大変だ。早く、どこかにつかまらなきゃ!
 両手をじたばたさせていると。

「ディーン!」

 あ、ママの声だ。
 ひょい、とほっそりした手がのびてきて、眼鏡を外した。

「ふわわわわぁ……」

 まだ世界がぐるぐるまわっている。回転木馬に乗ったときよりすごい。

「ディーン?」

 ママがにらんでいた。

「パパの眼鏡を勝手にいじっちゃだめよ? 大切な物なんだから」
「はぁい……」

 怒られた。

「ごめんなさい」
 
   ※
 
 ディーンは一つ学んだ。眼鏡をかけると、すごいことが起きる。
 いつも自分が見てるのとは、ぜんぜん違う景色が見えるのだ、と。
 一度知ってしまうと、気になってくる。

(ヒウェルの眼鏡は、どうなっているんだろう?)

 試すチャンスは意外に早く訪れた。
 幼稚園から帰ってきて、家のある5階に上がろうとママと一緒にエレベーターに乗ったら、ドアの閉まる直前に急ぎ足で歩いてくる、ひょろ長い姿が見えた。
 ママは『Open』のボタンを押して、ヒウェルがやって来るのを待った。

「さんきゅ、ソフィア。助かった!」
「どういたしまして。三階でいいの?」
「あ、いや、六階で」
「OK。それじゃ、ついでに家にも寄っていってくれない? クロワッサンを焼いたの」
「おお! サンキュー、それすっごい嬉しい!」
「チョコレートワッサンもあるよ!」
「やったね!」

 のびあがってぺしっとハイタッチ。ヒウェルは大人だけど、ディーンに負けないくらい、チョコレートが大好きなのだ。
 
 エレベーターが動いてる間、ヒウェルの頭をじっと見上げる。
 ヒウェルはずっと髪の毛が長かった。でもこの間、急に短くなっててびっくりした。その前は、くりんくりん。いきなりくりんくりん。Mr.ランドールみたいにくりんくりん。

「……どーした、ディーン」

 ヒウェルはくしゃっと自分の後ろ頭をなで上げた。

「やっぱまだ慣れないか、この髪形」
「うん」
「しゃあないさ、俺もまだ慣れてないくらいだからな。妙にスースーするっつーか、落ち着かないっつーか」
「じゃあ、どうしてみじかくしたの?」

 いきなり黙ってしまった。

「………いろいろあったんだよ」

 エレベーターを降りた後で、ヒウェルがぽそりと言った。

「いろいろ……ね」

 廊下を歩く間もちょっと元気がなかった。何だか大変らしい。

「ちょっと待っててね、今、袋に入れるから」
「OKOK。ついでにディフんとこにも配達するよ」
「ありがとう」

 家に戻ると、ママはすぐ台所に行ってしまった。今がチャンスだ。

「あのね、あのね、ヒウェル」
「ん、どーした、ディーン」
「眼鏡……ちょっとだけ、かして」
「へ? 眼鏡?」
「うん」
「わーったよ」

 にまっと笑うとヒウェルは眼鏡を外して………

「そら、気を付けてな」

 膝を折って屈みこみ、ひょい、とディーンの顔に乗せてくれた。ご丁寧にツルがちゃんと耳にかかるようにして。

 その瞬間、世界が歪み、ディーンは再びノックアウトされた。
 パパの眼鏡の時より、ずっと、ずっと強い! 目に見えるものが全部、二重にぶれてる。床も、壁も、天井も、ヒウェルの顔も。しかも、こっちに向かって押し寄せてくる!

「ふえ、ふえふええ……」

 にやにや笑いながらヒウェルはゆらゆらゆれるちっちゃな体を抱き留め、眼鏡を外してやった。

「ちょっとばかり刺激的だったろ?」

 ぱちっと片目をつぶってウィンクして、元通り眼鏡をかけた。ディーンはぺたんと床にすわりこみ、ごしごしと目をこすった。
 
   ※
 
 二度にわたり眼鏡に挑み、二度ともノックアウトされてもディーンの探求心は、いささかも衰えることはなかった。

 次の週末。

「ではサリー様、行って参ります」
「ディーンをよろしくね」
「はい。行ってらっしゃい」
「いってらっしゃーい」

 デートに出かけるパパとママを見送るなり、ディーンはくいくいっとサリーの服のスソをひっぱった。

「サリー、サリー」
「ん、どうしたの?」
「ちょっとでいいから、眼鏡、かして?」
「うん、いいよ。でもその前に」

 サリーはソファに深く腰かけ、ぱたぱたと隣をたたいた。

「ここに座って、ディーン」
「OK」
「じゃあ、目を閉じて」

 ディーンがしっかり座ったのを確認すると、サリーは自分の眼鏡を外して、ゆっくりとディーンの小さな顔にかけてやった。真ん中を鼻に乗せて、左右のツルを耳にかける。

「OK、ディーン。もう目をあけてもいいよ」

 ディーンはいきおいよく目を開けた。

 今度は大丈夫……かな?

 パパの眼鏡やヒウェルの眼鏡のように、ぐらぐらしたりしない。
 ほっそりしたフレームに縁取られ、まるで小さな窓から世界を見ているような気がした。
 おもしろくて、めずらしくて、くるくる部屋中見回していると……

(あれ?)

 何だろう、これ。
 ぐいぐいと、目玉を押されてるような感じがする。何もさわっていないのに。目に見えない指が、ぐいぐいと押してくる。
 何度まばたきしても、取れない。

「大丈夫?」
「目がいたい」
「じゃあ、そろそろ外そうね」
「うん」

 元通り眼鏡をかけるサリーの姿を、ディーンはじっと見守った。

「サリーは……それ、かけてていたくないの?」
「うん。平気だよ」

 うでぐみして考える。不思議でしょうがない。

「パパがね」
「うん」
「ずっとこーやって新聞読んでたのに」

 絵本を手にとり、ぐーっと首を後ろにそらす。

「眼鏡かけたら、そうじゃなくなったんだ。だから、きっとすっごいパワーがあるんだって」
「だから、試してみたの?」
「うん」

 パパと、ヒウェルと、サリー。三人の眼鏡を試してみたけど、全然よく見えなかった。くらくらして、ぐらぐらして、ヒリヒリした。

「どうして、みんな、平気なんだろう……」
「あのね、眼鏡はそのひとのために一個づつつくるんだよ。だからだれかの眼鏡をかけても、ディーンには使えないんだ」
「そ、そうだったのか!」
「お父さんが眼鏡をつくってもらったの、見てたんでしょう?」
「……うん」

 パパはお店の人と二人で、むずかしそうな機械をのぞきこんで話していた。背中しか見えなかったけれど、とっても真剣な声だった。

「ディーンも将来必要になるかもしれないけど、今はなくてもいいものだからね」
「わかった。もう、他の人のめがね、かけない」

 他の人の眼鏡を使っちゃいけない。
 ディーンくん(4才)は三度目にしてようやく学習した。

 しかし、四ヶ月後のハロウィンで……

「はっはっは、待ってたぞ、ディーン・パン!」
「………………ちがう」
「え?」
「メガネ、外して」
「あ、ああ、そうか。海賊が眼鏡かけてちゃおかしいものなー。なかなかチェック厳しいぜ……っておい、ディーン、何クレヨン出して、あ、あ、ああーっ!」

 ヒウェルの眼鏡が、ものの見事に被害に遭う訳なのだが……
 サリーに教えられた教訓はしっかりと活きていた。

 なるほど、確かにイタズラはした。だけど自分では、かけなかったのだから。

(お父さんの眼鏡/了)
 
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