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» フル・メタル・ジャケット » date : 2004/10/30  
後味の悪さは天下一品。戦争映画よりむしろサイコホラー。
今は「フルメタ」と言えば「パニック」とくるご時世ですが(笑)
おばちゃんの場合、どーしてもこの映画が浮かんでしまうのね。さっくりと。

★1987年・米・監督:スタンリー・キューブリック

スタンリー・キューブリック監督が亡くなった。
特にこの人のファンと言う訳ではなかったが、彼の撮る映画の何とも表現しがたい奇妙なあじわいは好きだった。「時計仕掛けのオレンジ」しかり、「博士の奇妙な愛情 あるいは私は如何にして心配するのをやめ水爆を愛するようになったか」しかり、「2001年宇宙の旅」しかり。「シャイニング」も「ロリータ」もそうだ。黒土の上にうっすらつもった雪のような映画を撮る人だった。一見、なだらかで真っ白なんだが、ちょっとかき分けると下の黒さが透けて見えるような。
思うにこの人がずっと描き出したかったのは、教訓めいたお説教や高尚な芸術的精神とは無縁の、人間の腹の中のうすぐらい側面、狂気とか恐怖とか冷酷さとか、そう言うものだったんじゃないかと思う。ただ、大声で絶叫したりショッキングなシーンを見せて度胆を抜くのではなく、じわりじわりと核心を微妙にずらした「静かな狂気」の演出が、とんでもなく洗練されているのだ。その結果、「芸術的」な映画としてキューブリック監督の作品は高い評価を得たのだろう。
「博士の…」のラストシーン。水爆ミサイルにまたがって楽し気に歌うピーター・セラーズの場面なんざシュールの極み。
「時計仕掛けのオレンジ」で主人公グループが「雨に歌えば」を口ずさみつつ振るう暴力の凄まじさには快感すら覚える。ただ後半、洗脳されて非暴力の権化となりはて、ボコにされる主人公の描写は恐かったです、はい。笑いと紙一重の恐怖ってやつだね。観客をも巻き込む洗練された狂気とでも申しましょうか。
さて…最後の劇場公開作だったと言う「フル・メタル・ジャケット」だけど、これビデオでなく映画館で見てたんだよね。弟と一緒に行ったんですわ、確か。いわゆるベトナム戦争ものなんだけど、後半のベトナム戦争のシーンより、前半、訓練所で精神を徐々に徐々にむしばまれて行く訓練兵のエピソードの方が無気味だった。
「殺すのが好きだ、できるだけ激しい戦場に派遣されたい」と公言してはばからない主人公。大人しく、おだやかで、のろまであるが故に教官のいらだちを買い、まっこうからいびりのターゲットにされる通称「微笑みデブ」(名前は失念した)。映画は分刻みで彼がいたぶられる様子を克明に描写してゆく。見ている方も最初は「わー気の毒に」とか思っている程度だが、いつの間にか彼のいびられる様にかすかな快感を覚え、「見る加害者」と化してゆく。


★静かな狂気の音のない爆発
隠し持っていたジェリードーナッツが見つけられる。しかし教官は彼を殴らなかった。代わりに「彼以外」の訓練生にべらぼうな回数の腕立て伏せを命じる。「せっかくだ、その間お前はこれを食っていろ。じっくり味わえ。」その結果、もたらされる効果を教官は知らなかったのか?いや、知っていたはずだ。夜中。こっそりとタオルにせっけんを包む訓練生ども。「微笑みデブ」の口にもタオルが押し込められる。音も無く忍び寄る訓練生。そして、手にした即席の凶器で容赦ない一撃が振りおろされる。(巧妙な遣り口だ。遠心力ついてるからね。しかも自分の拳はいためない。実際に使われた手口だろう、おそらく。)
この夜を境に「微笑みデブ」は変わる。愛用のM16に「シャーリーン」と名前をつけ、ほおずりせんばかりに手入れをする。殺すことを厭わなくなる。訓練の結果は全て優秀。落ちこぼれから目のさめるような優等兵に変ぼうした彼を見ながら、主人公はかすかな戦慄を覚える。
そして破滅の夜がやってくる。「微笑みデブ」が教官を射殺したのだ。月明かりに照らされながら、主人公に彼は微笑みかける。どこかいびつな笑顔。銃口を口にくわる。ばっと白い壁に血しぶきが飛ぶ。
誰しも、自分が正しいと信じていた。誰しも俺は悪く無いと。では何だってこんな事が起きたのか?主犯の姿は拡散しておぼろげだ。それ故に見る側は責任を転嫁する対象を失い、行き場を失った嫌悪と恐怖は普遍化し、じっくりと還元されてゆく。フル・メタル・ジャケットを装填した「シャーリーン」の引き金を引く指は、自分の指かも知れないのだ。

★そして戦場へ
この辺のぎゅ〜ぎゅ〜に押しつぶされた恐怖にくらべれば後半の狙撃兵のエピソードなんざどっかんばっきんと火花散るだけによほど開放的であった。て〜か、物陰からの凄腕の狙撃兵に、部隊の人間が一人づつ射殺され、遂に親友まで、と言う時点でネタバレしとるよ〜なもんだ。正体つきとめれば大概、本来なら無力な存在…女か子どもと相場が決まっとる。御多分にもれず、この映画でも少女でした。ベトコンの。ただキューブリックの秀逸な手腕はこの後にやってくる。大抵、オチは撃ちかえした弾に当たって倒れた死体が子供、ってのがパターンだが。主人公の掃射した弾に腹を撃たれた少女は生きていた。いや、死に切れなかったと言うべきか。しゅうしゅうと空気の抜ける声で彼女は訴える。その目はもう何も映していない。
「SHOOT…ME…」
音で表すと「シュウウウウウウウゥト…ミィイイイイイイ…」か。死にかけの人間の吐き出す息に、ようやく声が乗っているかのような。これが3度ぐらいくり返される。
やっとの思いで打ち殺した主人公に、同僚兵士が吐き捨てるように言う。
「おめでとう、これであんたも英雄だな。」

映画館から出た後、しばらく私も弟も無口でした。帰り道に寄った喫茶店の中では、何かを吹っ切りたくてやたらとしゃべりまくった。
どちらが「この映画見よう」って言い出したのかは今となっては思い出せませんが…
貴重な体験だったよな、うん 。

ふと思うのだ。
今、スタンリー・キューブリックが生きていたら、どんな映画を撮るのかな、と。題材は……言うだけ野暮ってもんだぜ、セニョリータ。
» category : Bの大箱(再録) ...regist » 2004/10/30(Sat) 11:10

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