▼ 【4-8-3】しまわれたカップ
2008/12/12 21:50 【四話】
あたしは猫。
名前はオーレ。ちっちゃい頃はモニークって呼ばれてた。本のいっぱいある場所で生まれて、おうじさまにお嫁入りしたの。
おうじさまの名前はオティア。金色の髪に紫の瞳。世界一ハンサムで優しい男の子。
今日はお家でたいへんなことが起きた。
シエンとおうじさまがケンカしちゃったの。
そうよ、きっとあれはケンカだわ! 大きな声出していたもの。シエンがあんな声出すの初めて聞いたからすごくびっくりした。
しっぽがぞわぞわ。ヒゲがぴりぴり。今すぐ逃げ出して、すみっこに隠れたい気分。でもオティアの膝の上にいたい。ここがいちばん安心できるから。
「出てってよ! 当分こっちには来ないで!」
オティアは立ち上がると、部屋を飛び出して行った。すごく心配、追いかけようとしたけど目の前でドアが閉まった。
あの時と同じ……。
シエンもその後部屋を出て行って、あたしはひとりぼっちになっちゃった。
どうしよう。
所長さんに知らせた方がいいのかな。でも居間のドアが閉まってるから、廊下に出られない。向こうのお家にも行けない。
しかたないから大声で呼んだ。
「なーお、ふなーおおおう」
ねえ、所長さん! 所長さんってば! こっちに来て! 早く来て!
「なおーっ! なおーっおおう」
所長さーん! たいへんなんだってば!
鳴いていたら、シエンが帰ってきた。
帰ってくるなり、ぱたぱたと部屋を片付け始めた。
「にゃー? にゃー?」
どうしたの? オティアは? ねえ、オティアは?
「今忙しいから相手できないよ、オーレ」
「みゅ……」
どうしてベッド片付けちゃうの? どうして、歯ブラシも、着替えも、パジャマもまとめてるの?
「なうー」
ぐいぐいとシエンの足に体をすりつけて、しっぽでぱたぱたたたく。
何か変。いつものおそうじとちがう。
「あ………っ、踏んじゃうよ、あぶない」
シエン、どうしたの? シエン、シエンってば!
「あおー、あおーん」
どこかに行っちゃうの? お願い、行かないで。
「ごめん、あとで相手してあげるから」
「みゅー……」
ひょい、と抱き上げられてケージに入れられちゃった。遊んでほしいんじゃないのに。
「なーっ、なーっ、なーっ!」
あたしをケージに入れたまま、シエンは荷物を抱えて行ったり来たり。向こうのお家とこっちのお家を行ったりきたり。
その度にちょっとずつ、こっちのお家からシエンの物が減って行く。
心細い。
さみしい。
オティア、おねがい、早く帰ってきて………。
それが何かはわからない。けれど、いま、たいへんなことがおきている。
※ ※ ※ ※
ハロウィンってのはどうにも落ち着かない。子どもの頃は仮装して菓子ねだりに回るのが楽しくて。
ティーンエイジャーになってからは女の子を誘ってパーティーに行くのが楽しくて。
そして大人になってからは続発する犯罪に備えて。非番の時もいつ呼び出しがかかるかと思うと気が気じゃなかった。
レオンは今日はロスに出張中。
夕食が終わってヒウェルも子どもたちも自分の部屋に戻ってしまうと、ぽつんと一人、することもなくとり残される。
そのくせやたらと神経は研ぎ澄まされて頭がびしびし回る。参ったね……。リラックスしようぜ、ディフォレスト。もう警察官じゃないんだ、応援に呼び出されることもないだろう。
ここが庭付きの一戸建てならちびっこモンスターどもにイタズラされないように、大鉢いっぱいのお菓子を用意して待ち受ける所だが……。
マンションの6Fまで菓子をねだりに来る子どもがいるでなし。
さしあたって朝飯の下準備をして……ああ、明日は水曜日だ、クリーニングに出すものもまとめとこう。
冷蔵庫の中には大量のカボチャが居座っている。ソフィアからもらった分(ランタン用にくりぬいた中味)と、自分で買った分が1/2。
カボチャ料理のバリエーションってあと何があったっけ。パスタにでもするか?
思案しつつ食料品のストックをチェックしていると、何やらぱたぱたと人の動く気配がする。
(何だ?)
お日柄よくイタズラお化けでもおでましか?
リビングに行くと、ぱったりとシエンと顔を合わせた。両手いっぱいに抱えているのは自分用の布団と毛布、枕まで乗っかってる。
「シエン?」
「俺、こっちで寝るから」
そのまますたすたと歩いて行く。廊下を抜けて、6月まで自分たちの寝ていた部屋に向かって。
俺、と言った。確かに言った。俺『たち』じゃない。
お前一人でってことなのか、シエン。オティアは一緒じゃないのか?
双子の部屋からはかすかに、オーレの鳴く声が聞こえる。
何があったかはわからない。だが、ただごとじゃないのは確かだ。
後を着いて行く。
双子の使っていた部屋は、まだ家具もベッドもそのまま残してあった。(もともとあまり物は置いていなかったし)
ベッドの上には、シエンの服や靴、寝間着、携帯、本、その他身の回りの細々した物が置かれている。とりあえず急いで移動させた、と言った感じだ。既に簡単に掃除をすませてあるようで、空き部屋特有のほこりっぽさは拭い去られている。
「今日一晩だけってつもりじゃ……なさそうだな?」
「当分ね」
シエンはてきぱきと引っ越し荷物をあるべき場所に収めて行く。服と靴はクローゼットの中、携帯はデスクの上に。ベッドのカバーを外し、シーツを被せて毛布と掛け布団を乗せ、枕を置いて。
何もかも一人分。どうやら、オティアと一緒の部屋に居たくないらしい。
次第に整えられて行く部屋を見ながら、必死に頭を巡らせる。自分の経験と照らし合わせて。
どんな時だったろう………兄弟と同じ部屋で並んで寝るのもイヤだっ! って気分になったのは。
『うるさいぞ。ディー』
『何だよ、バカ兄貴! ジョニーなんかキライだっ』
『言ったな? 絶交だ。もうお前の顔なんか見たくない!』
『ああ、俺だってこれ以上一緒の部屋にいるのは一秒だってお断りだ!』
原因は、今思えば笑ってしまうようなくだらない事、ささいな事。だけど子どもの時は真剣だった。
心底腹を立てて、毛布と枕とクマだけ抱えて屋根裏部屋に閉じこもり、一晩過ごした。
部屋を片付け終わると、シエンは深くため息をついた。
……どうしたもんか。ここで下手に『何があった』『相談しろ』と言ったところで『別に』で終わるのがオチだ。
「ココアでも飲むか。それとも、ミルクティの方がいいかな」
「ん………ココア」
結局、食い物で釣る(いや飲み物か)自分にちょっぴり自己嫌悪を覚える。まぁ、あれだ。あったかいもの飲ませて落ち着かせるのも一つの方法だよな、うん。
どれぐらいの効果が期待できるかわからんが。
キッチンに向かう俺の後を、とぼとぼと着いて来る。冷蔵庫から牛乳を取り出し、ミルクパンに注いで火にかける。
じわじわと沸騰させずにあっためて、ココアを加えてかき混ぜた。隠し味に塩をほんの少し。
「カップ出してくれるか?」
こくっとうなずくと、シエンは戸棚からマグカップを取り出し、じいっと見つめた。いつも使ってる赤いグリフォンの描かれたカップ。ウェールズの象徴、本当はドラゴン。
「それ、やるよ」
「ほんと? いいの?」
「うん………掃除と、洗濯のお礼っちゃ何だけど」
「ありがとう!」
できあがったココアを満たしたミルクパンを手に振り向くと、キッチンカウンターの上には無地の白いカップが二つ、並んでいた
「……それ使うのか?」
「ん」
赤いグリフォンのカップはしまわれていた。普段使わない食器を置いてあるエリアの、一番奥に。
ああ。そうだったのか。
兄弟喧嘩の原因、わかってしまった。
白いカップに熱々のココアを注ぎ、ぽこっとひとさじ、バニラアイスを浮かべる。
「え? ココアにアイス?」
「今日は特別だ。美味いんだぞ。ちょっとぬるくなるけどな」
シエンは両手で包みこむようにしてカップを持ちあげ、そっと中味を口にふくんだ。
「美味しい……」
「そうか……」
自分も飲みながら考えた。シエンはここにいる。だけどオティアはどこにいるんだろう?
「なーっ!」
双子の部屋でかすかに猫の声がする。オーレだ。
彼女は普段はほとんど大きな声を出さない。いつもはまるで話しかけてるように『みゃっ』と小さく鳴き、何か訴えたい時にピンポイントで「ニャーッ」と高い声を出す。
オティアが一緒にいるなら、あんな鳴き方はしないはずだ。
シエンは食卓に肘をつき、だまってココアを飲んでいる。
思い切って話しかけてみた。
「……………オーレ、鳴いてるな」
「………そうだね」
「……オティア、留守なのか?」
「うん」
ぎょっとした。
それを一番恐れていたんだ!
こんな霧の深い夜に、たった一人で外に出て行ったのか? しかもハロウィンってのは犯罪の発生率がとんでもなく高いんだ!
「この時間に、出かけたのか」
「ヒウェルが行ったからほっといていいよ」
「………………………」
そっけない言い方だ。やっぱり喧嘩したんだな………。
兄弟喧嘩のきっかけなんて些細なことだ。互いの考えが噛み合なかったり行き違ったり。
こうしたい。イヤだ。お前なんかキライだ。
そして翌日にはけろりと忘れる、幼い頃からそのくり返し。そうして少しずつ学んで行く。自分たちの間のルールと距離感、考え方の違いを。
年を重ねるに連れて、泣いたり怒ったり取っ組み合いをする前に自分の考えを言葉にして。相手の言葉を聞くことを覚えるのだ。話してもどうしても受け入れられない部分てのもある訳だが、そこはどちらかが譲る。
少なくとも俺と兄貴の場合はそうだった。
だが、オティアとシエンは違う。
この世でただ一人の双子の兄弟。
何を考えているのか、何を思っているのか、口に出さなくても当たり前のように通じる。両親を亡くしてから、次第に悪化して行く環境の中で互いを唯一の存在として支え合って必死で生きてきた。
生まれてから十七年。こいつら、今まで喧嘩したことなんかあったんだろうか?
些細な言い争いも無しにいきなり兄弟喧嘩が勃発したとなると……心配だ。練習も無しにいきなり本番。しかもティーンエイジャーの喧嘩ってのは深刻だ。
マンガを貸すの貸さないの、なんてのとはレベルが違う。
同じ相手を好きになった。
おそらくは初恋。
だが相手の男が恋しているのは一人だけ。
舌の奥にココアの苦さがやけに染みる。
(支えられるだろうか。受けとめられるだろうか)
(この子たちの痛みを、自分の心の揺らぎすら持て余す、すき間だらけの未熟な手で……)
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名前はオーレ。ちっちゃい頃はモニークって呼ばれてた。本のいっぱいある場所で生まれて、おうじさまにお嫁入りしたの。
おうじさまの名前はオティア。金色の髪に紫の瞳。世界一ハンサムで優しい男の子。
今日はお家でたいへんなことが起きた。
シエンとおうじさまがケンカしちゃったの。
そうよ、きっとあれはケンカだわ! 大きな声出していたもの。シエンがあんな声出すの初めて聞いたからすごくびっくりした。
しっぽがぞわぞわ。ヒゲがぴりぴり。今すぐ逃げ出して、すみっこに隠れたい気分。でもオティアの膝の上にいたい。ここがいちばん安心できるから。
「出てってよ! 当分こっちには来ないで!」
オティアは立ち上がると、部屋を飛び出して行った。すごく心配、追いかけようとしたけど目の前でドアが閉まった。
あの時と同じ……。
シエンもその後部屋を出て行って、あたしはひとりぼっちになっちゃった。
どうしよう。
所長さんに知らせた方がいいのかな。でも居間のドアが閉まってるから、廊下に出られない。向こうのお家にも行けない。
しかたないから大声で呼んだ。
「なーお、ふなーおおおう」
ねえ、所長さん! 所長さんってば! こっちに来て! 早く来て!
「なおーっ! なおーっおおう」
所長さーん! たいへんなんだってば!
鳴いていたら、シエンが帰ってきた。
帰ってくるなり、ぱたぱたと部屋を片付け始めた。
「にゃー? にゃー?」
どうしたの? オティアは? ねえ、オティアは?
「今忙しいから相手できないよ、オーレ」
「みゅ……」
どうしてベッド片付けちゃうの? どうして、歯ブラシも、着替えも、パジャマもまとめてるの?
「なうー」
ぐいぐいとシエンの足に体をすりつけて、しっぽでぱたぱたたたく。
何か変。いつものおそうじとちがう。
「あ………っ、踏んじゃうよ、あぶない」
シエン、どうしたの? シエン、シエンってば!
「あおー、あおーん」
どこかに行っちゃうの? お願い、行かないで。
「ごめん、あとで相手してあげるから」
「みゅー……」
ひょい、と抱き上げられてケージに入れられちゃった。遊んでほしいんじゃないのに。
「なーっ、なーっ、なーっ!」
あたしをケージに入れたまま、シエンは荷物を抱えて行ったり来たり。向こうのお家とこっちのお家を行ったりきたり。
その度にちょっとずつ、こっちのお家からシエンの物が減って行く。
心細い。
さみしい。
オティア、おねがい、早く帰ってきて………。
それが何かはわからない。けれど、いま、たいへんなことがおきている。
※ ※ ※ ※
ハロウィンってのはどうにも落ち着かない。子どもの頃は仮装して菓子ねだりに回るのが楽しくて。
ティーンエイジャーになってからは女の子を誘ってパーティーに行くのが楽しくて。
そして大人になってからは続発する犯罪に備えて。非番の時もいつ呼び出しがかかるかと思うと気が気じゃなかった。
レオンは今日はロスに出張中。
夕食が終わってヒウェルも子どもたちも自分の部屋に戻ってしまうと、ぽつんと一人、することもなくとり残される。
そのくせやたらと神経は研ぎ澄まされて頭がびしびし回る。参ったね……。リラックスしようぜ、ディフォレスト。もう警察官じゃないんだ、応援に呼び出されることもないだろう。
ここが庭付きの一戸建てならちびっこモンスターどもにイタズラされないように、大鉢いっぱいのお菓子を用意して待ち受ける所だが……。
マンションの6Fまで菓子をねだりに来る子どもがいるでなし。
さしあたって朝飯の下準備をして……ああ、明日は水曜日だ、クリーニングに出すものもまとめとこう。
冷蔵庫の中には大量のカボチャが居座っている。ソフィアからもらった分(ランタン用にくりぬいた中味)と、自分で買った分が1/2。
カボチャ料理のバリエーションってあと何があったっけ。パスタにでもするか?
思案しつつ食料品のストックをチェックしていると、何やらぱたぱたと人の動く気配がする。
(何だ?)
お日柄よくイタズラお化けでもおでましか?
リビングに行くと、ぱったりとシエンと顔を合わせた。両手いっぱいに抱えているのは自分用の布団と毛布、枕まで乗っかってる。
「シエン?」
「俺、こっちで寝るから」
そのまますたすたと歩いて行く。廊下を抜けて、6月まで自分たちの寝ていた部屋に向かって。
俺、と言った。確かに言った。俺『たち』じゃない。
お前一人でってことなのか、シエン。オティアは一緒じゃないのか?
双子の部屋からはかすかに、オーレの鳴く声が聞こえる。
何があったかはわからない。だが、ただごとじゃないのは確かだ。
後を着いて行く。
双子の使っていた部屋は、まだ家具もベッドもそのまま残してあった。(もともとあまり物は置いていなかったし)
ベッドの上には、シエンの服や靴、寝間着、携帯、本、その他身の回りの細々した物が置かれている。とりあえず急いで移動させた、と言った感じだ。既に簡単に掃除をすませてあるようで、空き部屋特有のほこりっぽさは拭い去られている。
「今日一晩だけってつもりじゃ……なさそうだな?」
「当分ね」
シエンはてきぱきと引っ越し荷物をあるべき場所に収めて行く。服と靴はクローゼットの中、携帯はデスクの上に。ベッドのカバーを外し、シーツを被せて毛布と掛け布団を乗せ、枕を置いて。
何もかも一人分。どうやら、オティアと一緒の部屋に居たくないらしい。
次第に整えられて行く部屋を見ながら、必死に頭を巡らせる。自分の経験と照らし合わせて。
どんな時だったろう………兄弟と同じ部屋で並んで寝るのもイヤだっ! って気分になったのは。
『うるさいぞ。ディー』
『何だよ、バカ兄貴! ジョニーなんかキライだっ』
『言ったな? 絶交だ。もうお前の顔なんか見たくない!』
『ああ、俺だってこれ以上一緒の部屋にいるのは一秒だってお断りだ!』
原因は、今思えば笑ってしまうようなくだらない事、ささいな事。だけど子どもの時は真剣だった。
心底腹を立てて、毛布と枕とクマだけ抱えて屋根裏部屋に閉じこもり、一晩過ごした。
部屋を片付け終わると、シエンは深くため息をついた。
……どうしたもんか。ここで下手に『何があった』『相談しろ』と言ったところで『別に』で終わるのがオチだ。
「ココアでも飲むか。それとも、ミルクティの方がいいかな」
「ん………ココア」
結局、食い物で釣る(いや飲み物か)自分にちょっぴり自己嫌悪を覚える。まぁ、あれだ。あったかいもの飲ませて落ち着かせるのも一つの方法だよな、うん。
どれぐらいの効果が期待できるかわからんが。
キッチンに向かう俺の後を、とぼとぼと着いて来る。冷蔵庫から牛乳を取り出し、ミルクパンに注いで火にかける。
じわじわと沸騰させずにあっためて、ココアを加えてかき混ぜた。隠し味に塩をほんの少し。
「カップ出してくれるか?」
こくっとうなずくと、シエンは戸棚からマグカップを取り出し、じいっと見つめた。いつも使ってる赤いグリフォンの描かれたカップ。ウェールズの象徴、本当はドラゴン。
「それ、やるよ」
「ほんと? いいの?」
「うん………掃除と、洗濯のお礼っちゃ何だけど」
「ありがとう!」
できあがったココアを満たしたミルクパンを手に振り向くと、キッチンカウンターの上には無地の白いカップが二つ、並んでいた
「……それ使うのか?」
「ん」
赤いグリフォンのカップはしまわれていた。普段使わない食器を置いてあるエリアの、一番奥に。
ああ。そうだったのか。
兄弟喧嘩の原因、わかってしまった。
白いカップに熱々のココアを注ぎ、ぽこっとひとさじ、バニラアイスを浮かべる。
「え? ココアにアイス?」
「今日は特別だ。美味いんだぞ。ちょっとぬるくなるけどな」
シエンは両手で包みこむようにしてカップを持ちあげ、そっと中味を口にふくんだ。
「美味しい……」
「そうか……」
自分も飲みながら考えた。シエンはここにいる。だけどオティアはどこにいるんだろう?
「なーっ!」
双子の部屋でかすかに猫の声がする。オーレだ。
彼女は普段はほとんど大きな声を出さない。いつもはまるで話しかけてるように『みゃっ』と小さく鳴き、何か訴えたい時にピンポイントで「ニャーッ」と高い声を出す。
オティアが一緒にいるなら、あんな鳴き方はしないはずだ。
シエンは食卓に肘をつき、だまってココアを飲んでいる。
思い切って話しかけてみた。
「……………オーレ、鳴いてるな」
「………そうだね」
「……オティア、留守なのか?」
「うん」
ぎょっとした。
それを一番恐れていたんだ!
こんな霧の深い夜に、たった一人で外に出て行ったのか? しかもハロウィンってのは犯罪の発生率がとんでもなく高いんだ!
「この時間に、出かけたのか」
「ヒウェルが行ったからほっといていいよ」
「………………………」
そっけない言い方だ。やっぱり喧嘩したんだな………。
兄弟喧嘩のきっかけなんて些細なことだ。互いの考えが噛み合なかったり行き違ったり。
こうしたい。イヤだ。お前なんかキライだ。
そして翌日にはけろりと忘れる、幼い頃からそのくり返し。そうして少しずつ学んで行く。自分たちの間のルールと距離感、考え方の違いを。
年を重ねるに連れて、泣いたり怒ったり取っ組み合いをする前に自分の考えを言葉にして。相手の言葉を聞くことを覚えるのだ。話してもどうしても受け入れられない部分てのもある訳だが、そこはどちらかが譲る。
少なくとも俺と兄貴の場合はそうだった。
だが、オティアとシエンは違う。
この世でただ一人の双子の兄弟。
何を考えているのか、何を思っているのか、口に出さなくても当たり前のように通じる。両親を亡くしてから、次第に悪化して行く環境の中で互いを唯一の存在として支え合って必死で生きてきた。
生まれてから十七年。こいつら、今まで喧嘩したことなんかあったんだろうか?
些細な言い争いも無しにいきなり兄弟喧嘩が勃発したとなると……心配だ。練習も無しにいきなり本番。しかもティーンエイジャーの喧嘩ってのは深刻だ。
マンガを貸すの貸さないの、なんてのとはレベルが違う。
同じ相手を好きになった。
おそらくは初恋。
だが相手の男が恋しているのは一人だけ。
舌の奥にココアの苦さがやけに染みる。
(支えられるだろうか。受けとめられるだろうか)
(この子たちの痛みを、自分の心の揺らぎすら持て余す、すき間だらけの未熟な手で……)
次へ→【4-8-4】深い霧の中で1