▼ 【7-2】告解
【エピソード7】
「アパート寄ってきますか?」
「ん、いい。直接、実家に帰る」
「了解……じゃ、このまま神社に向かいますね」
「お願いね」
再び車が走り出す。
目指す先は隣の綾河岸市の結城神社……羊子の実家である。年末年始は実家の手伝い、巫女さんに徹するのだ。
(さて……そろそろかな)
風見邸がはるか後方に消えたところで切り出した。
「何かあったんでしょう」
「え、事件のことならもう報告したじゃない?」
「いや、悪夢事件のことじゃなくてですね……あなたのことですよ」
とりあえず『先生』の仮面を外してもらう事にしよう。
普段は禁止されてる少女時代の呼び名……この状況では効果的なはず。
「今なら彼らもいませんし、先生から普通の女の子に戻っていいんですよ、メリィちゃん」
「メリィちゃん言うなーっ」
はい、想定内のリアクション。
このあだ名、自分が口にした場合は生徒たちが呼ぶのとは若干、違った意味を帯びてくる。
これは時間を遡る一つの鍵。彼女がまだまだ新米の悪夢狩人だった頃。今よりも弱く、未熟だった日々に繋がる扉を開く。
「メーリさんの羊、羊、羊♪」
「うーたーうーなーっ」
「白状するまで歌い続けますよ、エンドレスで」
「わかった、言う、言います!」
それでも羊子が口を割るまでにはさらに若干の時間を要した。
三上は待った。忍耐強く待った。ここで急かすのは逆効果。既に彼女は話し始めている。ただ、声が喉から出るまでに時間がかかっているだけなのだ。
「………好きになったの」
しばし黙考。今回のアメリカ行きで彼女の周囲に存在した生身の男性を思い浮かべる。
サクヤ、風見、ロイ、いずれもメリィちゃんの目から見れば弟、もしくは生徒でしかない。恋愛の対象にはなり得ない。
事件に関わっていたと言う同級生たちも同様だ。とてもじゃないが同年代の男どもにこの暴れ羊さんの手綱を押さえられるとは思えない。
してみると、該当者はただ一人だ。
「例の、吸血鬼社長?」
こくっとうなずいた。
「それで? まさか黙ったまま帰国したとかそんなことないですよね」
今度はふるふると首を横に振っている。
「それはよかった」
(言わないまま離れたら、余計にこじれてしまいますから、ね……)
「で、結果は?」
「振られた」
「おや」
「そもそも恋愛対象だなんて思われてない。親しく接してくれるのも友だちだから。私のことをとっても大事にしてくれてる、でもそれはあくまで妹みたいに思ってるからで……」
支離滅裂だが言わんとすることは理解できる。
「わかってるんだけど、悔しくて。やりきれなくて」
「ひっぱたきましたか」
「……」
「まさか、グーパンチ?」
「………………………………キスした」
「はい?」
おやおや、また黙ってしまったか。
「メーリーぃさんのぉ」
「やめーいっ!」
ちらっと助手席に目を走らせる。
うさぎのぬいぐるみに半分顔を埋めて隠していた。視線に気づいたのか、ちらっとこっちを見上げてきた。
「さ、最初は……そんなつもりなかったんだ……ただ、その……友だちの家のクリスマスパーティに招待されて……つい……」
「やけ酒でもしましたか」
再び沈黙。だがYesと答えたも同然だ。
「珍しいこともあったもんだ。あなたが外で飲酒するなんて……まさか、一人で?」
「風見とロイも一緒だった」
ならひとまずは安心……いや、ある意味心配か。
「飲んで、飲んで、よっぱらってふわふわになったら、切ないのも苦しいのも忘れられるかな、消せるかなって思った。でも、消えなかった」
「でしょうね」
「やりきれないよ、ほんと……そうしたらあの人が迎えに来て。あんまり優しくて礼儀正しいもんだから」
「ぶち切れてキスした、と」
「う……うん」
「どこに? 頬? 額? 手? それとも……」
「う………」
「唇、ですか」
「うう」
「逃げられた?」
「それは、なかった。って言うか、むしろ逆?」
「ほう?」
「押さえ込まれて………」
こくっと喉を鳴らすと、彼女は蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「…………れられた」
「聞こえませんよ。もう一度お願いします」
「……………………」
「メリィちゃん?」
がばっと顔を上げるなり、羊子は車のエンジンに負けじとばかりに大音声を張り上げたのだった。
「がっつり舌入れられたって言ってるでしょ!」
「おやおや」
わずかに眉をひそめる。
その顔を見てようやく自分の口走った言葉の意味を認識したのだろう。羊子は再びウサギにつっぷしてしまった。
神社に住み込み、神職見習いに身をやつしていそいそと立ち働いたこの数日間。三上は結城羊子の母親と叔母(サクヤの母)から娘や息子に関するあれやこれやを聞かされていた。
羊子の師匠であり、三上にとっては仲間でもあった上原が彼女の初恋であったこと。
彼を失って以来、恋人と呼べる存在がいないことも。
(そんな濃厚なキス、おそらくは初めての経験だったろうに)
帰国直前、風見から電話を受けた蒼太が開口一番、低い声で口走ったのもこれで納得が行く。
illustrated by Kasuri
『三上さん、聖水を売ってくれ! 徳用サイズで。それと十字架も!』
『吸血鬼でも退治するんですか』
『似たようなもんだ』
『まあ、まあ、とりあえず落ちついて……』
標的は社長だったのか。電話で一部始終を聞いたに違いない。
素直に言ってしまう彼らも彼らだが……こんな経験はさすがにないだろうし、仕方あるまい。
見なかったことにして口をつぐんだり、奥歯に物の詰まったような無難な表現でごまかしたり。そんな大人びた対応を期待するには、ピュアすぎる。
風見くんも。ロイくんも。
確かに社長は吸血鬼を彷彿とさせるドリームイメージの持ち主だ。しかし、それにまつわるトラウマは既に克服したと聞いた気がする。
と、なれば、信仰心がなければただの棒や水でしかない十字架や聖水は蒼太くんが使っても効かないのでは……
アドバイスしておくべきだろうか?
ま、いっか。
言ったところでおそらく右から左に豪快にスルーされるのは目に見えてるし、実害もなかろうから。
それにしても『がっつり舌を』入れたとは。
「うーん……妹にするにしてはやりすぎ感が否めないとこですね……」
「妹……だよ。でなきゃ、娘」
声が震えている。恥じらいか、それとも悲しみのためか。
「だって彼……男の人しか愛せない人だもの」
「ああ。Omosessuale(同性愛者)ですか……教義的にはアウトなんですよねぇ。ちょっと断罪してきましょうか……」
「だめだめだめ、断罪しちゃだめーっ!」
頬を紅潮させ、きっとにらみつけるその顔はまるで十代の少女だ。一途で真剣そのもの、ちらとも迷わず真っすぐに。
実際に初めて三上が『メリィちゃん』に出会ったのはまさにその十代の少女の頃なのだが……その時でさえ、こんな顔は見せなかった。
ただ一人の相手を除いては。
「そんなことしたら、永久に絶交だ!」
ドスの効いた声と皮肉めいた言い回しで脅しをかける。そんな余裕さえないらしい。
『そんなことチラとでも考えてごらんなさい? 生まれてきたことを後悔させてあげる』
そう、いつもの結城羊子ならきっとこう言うだろう。
これではまるっきり拗ねた子どもだ。ほとんど小学生レベル。さてはて、ここは笑うべきか、憂うべきか……どっちだろう?
「……ってのは『もちろん』冗談ですよ?」
「みーかーみーっ!」
口の端がにゅっと跳ね上がる。
呼び捨て、ですか。
なかなかにレアな状況じゃないか、これは?
「紛らわしい冗談言うなーっ」
「冗談って言う前に割り込んだのあなたじゃないですか」
「うー、うー、うー……」
むーっとした顔で口をとがらせると、そっぽを向いてしまった。
「冗談でも、そんなこと言うなっ」
「はいはい……」
しばらくは黙って車を走らせる。助手席の羊もいたって静か。
落ちついたであろう頃合いを見計らって再び声をかけた。
「教義と言ったって解釈でどうとでも取れるシロモノですし、だいたい私がエセ聖職者なのは知ってるでしょう、あなたは」
「自分でエセとか言うな」
「……というか、珍しいですね、あなたが生徒の前でそんなになるのも」
「言ーうーなーっ」
今までの『言うな』とは微妙に、いや、露骨に口調が違う。ちらっと隣を見ると、完ぺきに頭を抱えていた。
幸い前方は赤信号。渋滞していてしばらく動く気遣いはない。
手をのばして、ばふばふっと頭を軽く叩いてやった。
「まぁ、ここで溜まってるものを吐くだけ吐いて、また彼らの前には先生として立ってあげてください」
こくっと手のひらにうなずく気配が伝わってくる。細かい震動も……震えているのか。
まずいな。このまま放っておいたら、泣き出すかもしれない。それもあまりいい泣き方ではない。
「メリィちゃーん。こっち見て」
「だから、その呼び名はやめろとっ」
がばっと顔を上げた。
今だ。
「っ!」
それは一瞬。
瞬きよりも早く夢と現が二重に重なる。時と時の狭間で唇と唇が触れ合い、離れた。
「………」
羊子はまばたきをして、人差し指の先でつ……と唇をなぞり、しっかりした声で問いかけた。
「いきなり何をするか」
「神父のキスに祝福以外の何があると?」
「よく言う。エセ聖職者のくせに」
「今のが正真正銘『清らかなキス』です。いかがです、社長と同じでしたか?」
「……………」
心震わすような熱さも、胸を締め付ける切なさも伴わない。
強いて感じるものがあったとすれば、いたわりと慈しみ、さらりとした温もり。
ただ、それだけだ。
「全然、違う」
「だったら……」
信号が変わり、車が動き始めた。
「目はあるかもしれませんよ? あなたがあきらめなければ、の話ですが」
「煽ってるの?」
「迷える子羊に手をさしのべるのは、聖職者のつとめですから」
「ふん、エセ神父のくせに」
つい、と顎をそらして口元に笑みを浮かべている。
「また溜まったらいつでも協力しますよ。ヤケ酒とか」
「覚えとく」
ほほ笑む彼女の顔はどこか小悪魔めいた余裕と若干の皮肉を含んでいて……
今やすっかり、『メリィちゃん』から大人に戻っていた。
(やれやれ、一安心、と言うところですかね)
それにしても。
(上原さんがずっと忘れられなかったんですね。その意味では良い傾向にはあるんでしょうが……相手がねぇ)
ため息一つつくと、三上は再び運転に集中した。
行く手にこんもりしげった鎮守の森と、神社の鳥居が見え始めていた。
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