▼ 【4-21-10】にらまれてもキニシナイ
2010/12/04 20:04 【四話】
スモールサイズのラテは小さい。緊張してのどが乾いていたせいもあるんだろう。だんだん底が見えてきた。もうすぐ、飲み終わってしまう。オレがこの場に居る理由が、だんだん残り少なくなって行く。
刻一刻と減って行くラテをにらみながら次に言うべき言葉を探していると、シエンの方から声をかけてきた。
「今度は……さ」
「ん?」
「氷が溶ける前に飲みたいな」
こくっとコーヒー味の残る唾を飲み下す。たった今、耳から入ってきた言葉を頭の中で整理して、何度も復唱する。
「それ……また……会ってくれるってこと……かな?」
語尾に力が入らない。抱えた願いの大きさに、声が震える。我ながら何て大それたことを口にしてるんだ!
「……」
あ。あ。あ。
うなずいた!
「俺も一人だと……寂しかったみたい」
神様。天使様。ヴァルハラのご先祖さま。
ひょっとしてオレ、今、この先の人生全ての幸運を使い切っちゃったかもしれない……ああ、それでも悔いはない!
「うれしい………よ……」
君のいなかった時間。色も、温かさも、味さえも失われていた灰色のざらざらした記憶が、一気に息を吹き返す。鮮やかな色彩を取り戻し、枯れた川を澄んだ水が駆け巡る。乾いた大地に一斉に緑の草木が芽吹き、花が開く。
「ごめんね……会いに………行けなくて。俺……どうしても……」
「ん………あ、ああ……オレも……勇気出せずにいたら……ある人が背中押してくれた」
もぞ、と頭の上で小さな生き物が動く気配がした。
「いや、蹴りかな?」
「オティア、気にしてたから」
「……うん……聞いた……いでっ」
オティアの名前に反応したらしい。ちっちゃな口が髪の毛をくわえ、思いっきり引っ張った。
がし、がし、がしっと。
あ、爪が入った。
「オーレ、だめだよ!」
「は、はは平気平気、大丈夫だよこれぐらい!」
飲み終わったコップを片づけ、できあがった餃子の一部を平たいタッパーに詰める。
「重ならないようにね。くっついちゃうから」
「OK」
並べた餃子がずれないよう、慎重に冷凍庫にしまった。静かに、静かに、慌てずに。タッパーを安置して、ぱたりとドアを閉める。
「エリック」
「はい?」
「そのうちに……聞いてほしいな。色々、あったから」
「うん。聞かせてください。君のことなら、なんでも聞く」
ごんごん、と低い音が響く。扉がないから壁を叩いたらしい。なんとも豪快なノック……ガーディアンのお出ましだ。
「エリッーーーク」
わあセンパイ、その笑顔が怖いよ。
「明日の朝、早いだろ?」
暗に、いや露骨に言ってる。『そろそろ帰れ』と。
「いや俺、ナイトシフトで…」
「エリック?」
微妙に声にドスがきいてる。指をバキボキ鳴らす前に、大人しく退散した方がよさそうだ。
「……そろそろ帰らなきゃいけないみたいだ」
「あ、ちょっと待って」
シエンが冷凍庫を開けて、ついさっきしまったばかりのタッパーを取り出した。
「夕飯、まだなんでしょ?」
「うん」
ちらっとセンパイの顔をうかがい、それとなく付け加える。
「食べてく時間も無いし」
シエンはいそいそとフライパンを取り出し、コンロに火を入れて油を引いている。
「焼くから、ちょっと待ってて」
「えーと、もしかしてテイクアウト用?」
「うん。蒸すと、べしょべしょになっちゃうから」
「え……あ……ありがとう」
※ ※ ※ ※
「本当は何か主食も着けたいんだけど、ご飯、まだ炊けてなくて……」
「十分だよ。それじゃ、シエン。またね」
「うん……お仕事、がんばってね」
「うん!」
焼き上がった餃子をタッパーに詰めて、来る時持ってきた紙袋に入れてくれた。
ほかほかと美味そうなにおいのする袋を抱えて居間に引き返す途中で、腕組みをしたオティアに出くわした。
「あ」
しゅたん、と肩からオーレが飛び降り、飼い主の腕の中へ。ずーっと乗っかっていたもんだから首の周りが何となくすーすーする。軽いからほとんど居るって意識してなかったよ。
オティアはぎろりとこっちをにらんで、キッチンへと入って行った。
ありがとう。
(きっと言葉に出すと、またにらまれるんだろうな)
居間を通り抜け、玄関に向かう途中でまた誰かとすれ違った。
「あ、どーも……」
軽く挨拶して、はたと気付く。
「やあ、スヴェンソンくん」
「こ、こんばんわ、ローゼンベルクさん」
いつ帰ってたんだ!? ものすごくいい笑顔だ。怖い。怖いよ。取調室で対面してる時の比じゃないよ!
「……おじゃましてます」
表情一つ動かさずに彼は玄関の方角を視線で示し、ただひと言。
「さようなら、スヴェンソンくん」
「さ、さようなら」
そそくさと玄関に向かう。扉の前にセンパイが腕組みして立っていた。口をヘの字に結んでぎろりとにらみ付けてくる。
深々と頭を下げて一礼する。
「………ありがとうございました」
「俺は、何もしていない」
じろっと手の中の紙袋に視線を落とし、ふーっと息を吐いた。肩から力が抜け、ヘーゼルブラウンの瞳から鋭い光が消えた。
「またな、エリック」
「……はい!」
※ ※ ※ ※
その夜、サンフランシスコ市警察ではちょっとした異変が起きた。
早めに出勤してきた夜勤の署員と、慌ただしく業務の締めくくりにかかる遅番の署員とでごった返す署内を、金髪のひょろながバイキングがふよふよと歩いて行く。
それ自体は別に珍しいことじゃない。ハンス・エリック・スヴェンソンはここで働いているのだから。勤務態度も真面目で、少し早めに出勤してくるのもよくある事だ。
だが……
スターバックスの紙袋を手に、にへにへとゆるみ切った笑顔で歩いてくる様子は傍から見てあまりにも「異様」だった。しかもどこに頭を突っ込んだのやら、ただでさえつんつんに堅い髪の毛がぐしゃぐしゃのもしゃもしゃ。そのくせ、全身から幸せそうなオーラがだだ漏れなのだ。
(酔ってる?)
(まさか、何か危ない薬をやってるとか……ないよな?)
(実験で何かヤバいもの吸い込んだか?)
白っぽい上着を羽織ったエリックがへにょへにょと歩いて行く先々で、さあっと人波が左右に別れる。さながら映画「十戒」の1シーン。無言のうちに離れてゆく人々の中、ドレッドヘアーのアフリカ系の男性が思い切って声をかけた。
「エリック」
「……やあ、キャンベル」
「お前……ニンニクくさいぞ?」
「え?」
きょとんとするエリックのすぐ脇を、黒い長毛のシェパードがハンドラーを引きずり、全速力で駆け抜けて行った。
「あ……ヒューイ……」
「中華料理でも食ってきたのか?」
「ううん。まだだよ」
答えながらエリックは、手にした紙袋を撫で、ほわほわと幸せそうに笑うのだった。
「……それ、何だ?」
「うん、餃子」
「餃子……か」
「夕飯、食べてくる暇なかったから……ね。テイクアウトしちゃった」
休憩室のテーブルに袋を置き、幸せそうにコーヒーを注ぐバイキングをキャンベルは見守った。やや遠巻きにして。
「イタダキマス」
どこで覚えたんだろう。
コーヒーを飲みながら、ミニサイズのクロワッサンを食うみたいにばくばく餃子をほお張ってる。
餃子オンリー、ちまきもシュウマイも蒸かし饅頭も無し。ひたすら餃子、餃子一筋。
この間のミルク粥といい、何だってこいつの持参する弁当は妙な方向に偏ってるんだろう? いや、料理自体はおかしくないんだ。ただ、こいつの持ってきかたと言うか、食い方に問題があるだけで……。
「エリック」
「ん?」
ニラを口の端にくっつけ、ゆるみ切った顔で振り返るエリックを見た瞬間、キャンベルは悟った。如何なる突っ込みも今は無意味なのだと。
「……食い終ったら、歯、磨けよ」
「あー、うん、そうだねー。虫歯になったら困るものね……」
「そうじゃないんだけど……」
「ふぇ?」
「あ、いや、何でもない」
やれやれ。
ヴァルハラのご先祖が見たら、嘆くだろうなあ……いや、斧で全力突っ込みか?
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