:: back :: :: top :: :: next ::

 
» ダーク・クリスタル » date : 2004/09/25  
『病みたる芯を癒せ、さすらいびとよ、身寄りなきものよ』掛け値なしの摩訶不思議

★1982.英国.監督:ジム・ヘンソン&フランク・オズ /DVD発売中

まず監督の名前を見て「誰じゃらほい」と思った人へ。ジム・ヘンソンはセサミストリートのマペットの作成者。フランク・オズは、スター・ウォーズでヨーダの声を演じた俳優さんです。ぐっと身近に感じられるようになりましたね?
三つの太陽が巡る惑星トラは、残虐なは虫類に似た種族スケクシーに支配されていた。彼等の城の奥深くに眠る巨大な水晶柱ダーク・クリスタル。それは1000年の昔、太陽が一つになる「大合致」の際に砕け散り、以来歪んだ力をスケクシーたちに与えてきたのだ。ひとつの予言がある。『病んだ水晶は1000年後に癒されるだろう。ゲルフルリン族の若者の手で。』予言の成就を恐れ残虐な支配者はゲルフリン族を根絶やしにする。(顔の長細い、エルフをイメージさせる種族です。他のマペットに比べ、イカニモ御人形的な作りになっちゃってるのがちょい残念ね。)今、惑星トラは再び大合致の時を迎えようとしていた。だが水晶を癒すゲルフリンはもういない。

…果たして本当にそうだろうか?

辺境の地。善良な老いたる賢者族ウル・ルーたちの住む谷に、ひとりの少年が暮らしていた。名前はジェン。ひとりぼっちのジェン。沼地のほとり。陽気な小人族ポッドピープルの村で一人の少女が育てられていた。名前はキアラ。この世にたった二人だけ生き残ったゲルフリン。スケクシーの皇帝とウル・ルーの長老が死んだ時、運命の輪が回りはじめる。ジェンは谷を出て旅立つ。砕け散った水晶を癒すために。そしてキアラの隠れ住む村にはスケクシーの作り出した人造の怪物、ガーシムの群れが送り込まれた。

何故、クリスタルは砕けたのか。ウル・ルーとスケクシーは何処から来たのか。善悪、対立する存在でありながらなぜ互いに干渉しないのか?舞台は辺境から沼地、そして火山に聳え立つ城の奥深くへと展開する。そして遂に三つの太陽が一つになる瞬間がやってきた…

「ようやく」オウグラはつぶやいた。「ようやく。オウグラはまたあれを見ることができる。 このために、あたしは目を守ってきたんだ」
(本編より)
(はっきし言って登場するのはバケモノのが多いっす。確かパソコンゲームにもなってたはづだ。)

★本物よりも本物らしいニセモノ
この映画、実は人間がひとりも登場しません。ファンタジー大流行、CG全盛の今でこそ「ふ〜ん、それが何か」ぐらいの感覚しかありませんが、16年前の作品だと言うことをこんこんっと頭に入れてください。今程技術も発達してない上に、世界的に「ファンタジー」と言うジャンル自体が広まっていなかった頃のお話です。しかも全部マペット(人形)なんです。肌のきめこまかさ、ウロコのぬめり、皺の一本一本まで実に丹念につくられ、計算しつくされた照明とカメラワークの中で本物以上にリアルに動いてます。ただし画面はちょっと暗め。全編に渡りペンで描き込まれたような風合いがあり、そこが余計に本物っぽくてよろし。その出来映えたるや、アーサー・ラッカムやミュシャの描く幻想的な絵画がそのまま動き出したような、奇妙な錯角を覚えるほどです。

★練り上げられた無駄のないシナリオ
中だるみがないんですわ。ってーか退屈してる隙がないのね。初めて見るものの連続で。生態系も、生えてる木も咲いている花一輪でさえ、私たちがふだん目にする地球のものとはまるで懸け離れているのです。はっきり言って筋書きや設定は思いっっきりファンタジーの「定番」の域を出ていないのですが、同じ材料もシェフの調理次第でがらりと化けるもの。画面の説得力で、ぐいぐい押してくる力強さは、かえって近年の作品に勝るように思えます。

凶悪な怪物ガーシムは固い殻に覆われ、鋭いハサミを振り回し、建物を踏みつぶし、ポッドピープルたちを容赦なく切り刻む。平和的なウル・ルー族は見るからに「のほほん」とした風体で、顔はしわくちゃ。そして惨たらしいスケクシーたちは顔中イボだらけ、禿鷹とは虫類の間の子のような顔。そして狡猾な天文学者「オウグラ」。この作品でのトリック・スター的な役所の彼女はもう、いっかにも意地悪そうな「魔女」。(人相の悪いキング・シーサー…あ、古い?)ひと目見ればもう、その役の説明はいらない。字幕なしでも、十分楽しめるんじゃなかろうかと思うくらいです。

★女の子には羽があるの…
スペースオペラが「筋の通った荒唐無稽」だとしたら、ファンタジーはさしずめ「筋の通っ
た摩訶不思議」と申せましょう。

これだけ、日常と懸け離れた世界を打ち立てながら、決してそれが「理解不可能」な絵空事に終わらないのは、きちんとその世界なりの「ルール」が定められ、話の運びも、映画の中での自然現象も全てその「決まり」に従って動いているから。他の種族に比べて造型がいまいちなゲルフリンも、その文化から風習、能力、進化形態に至るまできちっと仕上げられていまして。でも、多分映画の中では設定、全部使い切ってませんね。話の中に登場するのは二人だけ。それでも背後にひとつの種族を、文化を感じさせる。しかも、押し付けではない。枝の一部を見せて巨大な木の本体を想像させられるような見せ方してくれます。

★かくて大合致の時は来たれり
この映画のクライマックスは、ジェンによって砕けた水晶が戻されるシーンです。はっきし言ってこの場面、派手です。いろいろなことが一度に起きます。でも「ばーっと光りが輝いて」終わり、じゃないのです。

「ほんまにこれで世界は救われたんかいな〜」的な、アリガチなラストシーンではありません。見て、わかるのです。水晶が癒されたことで、何が起きて、何が変わったのかが。 完全な善も、完全な悪も調和を欠いた「ゆがみ」なのだと。(白黒はっきりつけたがる英国人らしからぬこの東洋的な曖昧さ!)はり巡らされてきた伏線が、最後の場面でぴたり、と組み合わさり、すとんとあるべき場所に落ちるような感触。くり返し見たくなる。また、あの世界に触れてみたい。愛?希望?友情?真実?その辺はこっちに置いといて。
お説教もなけりゃ教訓もない、ただ、ただ真実味のある幻想世界の構築を志した贅沢な映画と言えましょう。

現在はDVDで見ることができます。
レンタルビデオで既に見たことのある人も、是非、見て欲しいDVD。
色が鮮やかなんです、びっくりするほど!
「うわ、これ、ほんとはこう言う色だったんだ……」
オウグラの天球儀を見た瞬間、つぶやいてしまいましたとも。

角川書店からノベライズもでてました。こちらも古本屋で探してみよお。口絵に映画のカラースチール豊富です。
» category : Bの大箱(再録) ...regist » 2004/09/25(Sat) 14:32

:: back :: :: top :: :: next ::

:: P column M-i-O ::