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» 玉繭物語 » date : 2004/09/25  
『繭。紡げば糧。祈らば浄化。』土の香り立ち上る「日本のひと」のための空想物語。

★DATE:1998年日本/プロデューサー・プログラマー:清水謙二/シナリオ原案:浜垣博士
アートディレクション:近藤勝也/サウンド:松前公高/GENKI

 今回はゲームの話をします。有に映画一本分の見ごたえと余韻を残した作品でした。
玉繭物語は、98年末にプレイステーション用のRPGとして発売された。キャラクターデザインを「魔女の宅急便」の近藤勝也氏が手掛けている為、「もろジブリ」な絵柄である。そのテーマと背景世界から「もののけ姫」の亜流みたいな扱われ方をしたが、むしろ「太陽の王子ホルスの大冒険」や、「風の谷のナウシカ」に近い空気を感じた。

 底深い井戸を覗き込み、ふらっと目眩を覚える。そんな感触を残すゲームだ。架空世界をしっかり構築しながら、はっきりと語られるのは表層的なことに過ぎない。こちらのイマジネーションを刺激する、ちょっとしたキーワードや何気ない仕掛けはそこ、ここに転がしてはあるものの、ユーザーとある程度距離を置いて静かに佇み、自分から近寄ってこようとはしない。(ただし、行けば応えてくれる)登場人物の着ているものや家、墓地の模様はアイヌもしくはアメリカインディアン的だ。語り部の伝える伝承に世界の歴史が綴られるあたりも共通する。

「森」の恵みがなければ生きてゆけない世界。 精霊や神がすぐそばに息づく時代。
けれど、ある日を境に恵みの森は災いの森に転じる。その引き金を引いたのはほかならぬ『知恵ある獣』、人間だった。
その日以来、人間は己の施した結界の内に引きこもりひっそり生きる。過ぎ行く時間が結界の力を弱め、いつか森に飲み込まれるその日まで。そこにあるのは、自然に反旗を翻し、敗北したゆるやかな滅びの世界。山野を蹂躙し、力強く生きる人間のたくましい活力はかけらもない。

辺境の村「サイラス」は、息を潜めて生きる人間の寄り集まった小さな世界。ほとんどこの村ひとつしかゲームには登場しない。ひょっとしたら他の村はもう全部滅びてここしか残っていないんじゃなかろうか?と思わせられる。ハード限界を逆手にとって「閉じられた」世界を演出した結果なのだとしたら、見事としか言い様がない。
死者の霊が還る慰霊祭の夜。結界が破れ、滅びの蟲「オニブブ」が村を襲い、人々は病に倒れた。(ほらね、ナウシカしてるでしょ?)癒しの術を求め、また滅びから逃れる道を求め、村の長は新たな繭使いを森に送りだす。笛を吹く以外に何の取りえもない若者。彼の父親はかつて近在に並ぶ者なしと言われる腕利きの繭使いだったが、ある日忽然と姿を消してしまったのだ。

もう、お分かりでしょう。この若い繭使いが主人公です。やーRPGのオヤクソクだよね。名前はレパント、好みのものに変える事もできます。無口ですが仕種を見れば何を思い考えているのか何となくわかってくる、たれぱんだのような奴です。

「我、敵を愛し、その哀しみの為に祈ります。我ら知恵ある獣が、その心に触れることをお許しください。」
「ごめんね…これが私の心の影。でも、これも私の一部なんだよ。それでも、私のこと……すき?」
(本編より)

★デウス・エクス・マキナの不在
『人間』が意図的に要約、ないし編集、改ざん、創作した神話。しかもロクな代償もなしにほいほい人だの世界を救っちゃうひと山なんぼの安易な神様。こーゆーのを「デウス・エクス・マキナ」と申します。昔の芝居に出ていた『話の都合が悪くなると天井から降りてきて事態を解決してくれる』機械仕掛けの神様の事だそーです。れれれ式に言っちまうと「慈悲深い宇宙人」かしらん。

閑話休題。このゲームには、そゆ都合のいい神様は、出ません。 たびたび口に登る「エルリム」と言うお偉い神様は名前だけで顔は出さない。代わりにちょくちょく主人公と関わってくるのが、かつては聖霊でありながら、物欲だの情慾に溺れて失墜、罪滅ぼしに精霊として森を守っている「森人」や「鳥人」、どちらかと言うと妖怪に近い二流の元神様です。こっけいな言動にあはははと笑っていると、冷水を浴びせられることになる。時折、垣間見せる背筋の寒くなるような底の知れない残酷さ、得体のなさ。彼等はまぎれもなく古い存在であり、異界の住人なのだ。自分と異質な存在を『恐れる』心から生まれた荒々しい神話。土や水、空気と強く結びついた原色の神話がゲームに登場するのは、ものすごく稀なことなんじゃなかろうか。

★忌み嫌われる主人公
繭使いは不浄の狩人。
奏でる楽の音色で魔物の荒ぶる魂をしずめ、繭に封じ込める。その妻たるナギの女は繭に眠る魔物の魂を祈りによって浄化する。しかし、それで魔物の怒りや哀しみが消えるわけではない。ただ、移るだけなのだ。浄化を行えば行うほど、呪いはナギの女の体と魂を蝕み、朽ちさせる。

言ってみれば夫婦がらみで体の良い人柱にされているようなものである。しかも、周囲からは不浄の者と忌み嫌われこそすれ、感謝される事はまず、ない。ちょっと離れてる時と、側によった時とじゃ村びとの表情も、話す事もがらっと違う。一見、親切そうな奴に限って、人のいないとこじゃ酷い事言いたい放題だったりしてね。唯一の理解者と思った親友でさえ、最後の最後でどろっとした腹の内をぶちまけ、「そりゃねーだろぉ」と言わしめる。本音と建て前、妬みや僻み、日本人が「ないふりする」のが大好きな、もろもろの影の部分が、容赦なくさらけ出されている。(ほらね、ホルスしてるでしょ?…例えが古かったか。)

★健気だけでは終わらぬ妻
え〜先程から妻、妻とゆ〜とりますが、このゲーム、妻の存在なくしては話が進みません。冒頭のシーンで幼馴染みのマーブと言う女の子が登場します。ゲーム開始と同時に結婚式のシーンが入り、以後、彼女と手に手をとって話を進めてゆくことになるのですね。

マーブの役目は主人公がとっつかまえてきた森の魔物を浄化して、ポケモンよろしく代わりに闘ってくれる「しもべ」に変えたり、二種類の「しもべ」を合成して新たな「しもべ」を作ったり、繭を糸に紡ぐ(これを店に売って始めて金が入る!)事。いっぱいお仕事して疲れたら妻のとこで休んで、おまけにお金も入って…村人の冷たい視線が何だ。君さえ居ればボクは幸せだ!とか浮かれてる場合では、ない。ゲームが進めば進むほど、妻の体と心は恐ろしい早さで呪いに蝕まれてゆくのだ。

安心したまえ、ステータス的には何もペナルティはない。会話用の顔グラフィックが変化するだけだ。 とは言え彼女の顔から微笑みが消え、体を隠して行く様を見せられるのは辛い。その分厚く巻き付けられた布の下に何が隠されているのか、決して明らかにされることはないのだが。
 遂には顔まで覆ったマーブにがく然とした時、母の言葉が蘇る。 「お前の父さんは逃げたんじゃない。」

父は繭使いの狩…愛する人の犠牲と引き換えの浄化を続ける事に耐え切れず、真の浄化を求めて村を捨てたのだ。

果たして自分は何のために魔物を狩るのか?
自分が守りたいのは蔑みの目を向ける村の住民なのか。それともそばに居る彼女なのか。シナリオごとの関門をクリアしてストーリーを進める一方でふとこんな疑問が頭をもたげたその時、一大カタストロフが訪れる。
事態はつるべ落としに急転直下、はっと気が付くと村一つの存亡どころじゃなくなってしまうのである。

ありがたいことに、決してプレイヤーはおいてきぼりを食らわずにすむ。なぜなら、そこに至るまでの日常会話でさりげなく伏線がはり巡らされ、反芻するだけの時間も与えられているからだ。事態の急変にも「あ、こうなってもしょうがないよな」「ついに来たか。」と、割と冷静に受け止められるのである。

ところが、だ。異変はこれだけでは終わらなかった。
白く石のように凍り付く村の人々。家に戻る。
彼女は無事だった。体から呪いの刻印も消えている。しかし…。
「…何だか、苦しいよ…この姿だと、長く生きられないのかな。」
このままではマーブが消えてしまう。
彼女の肉体が、記憶が、魂さえも消滅してしまう。
本当に守りたいのは誰?
何のために戦うの?
自らの存在意義を知るために。愛する人を取り戻すために主人公は異界へと旅立つ。

★ゲームとしての「玉繭物語」
しっかしこの異界の森ってのが、ゲーム前半で出てくる四つの森の音楽と色変えただけなんだよなあ。要するに「裏ゼルダ」だ。出てくるモンスターはさすがに違うけどね。
背景の書き込みも遠近感もよくできてるから、メモリ食ったんだろうねとは思いますが。もーちょっとどうにかならなかったのかしらん。(ちなみに主人公の着てる衣装が目立つように配色されているため、現在位置を見失って迷子になる事はない。)

ポケモン型、ないし女神転生型のゲームなので、まずは魔物をどつき倒すよりも、捕まえることから始めます。最初は武器でどついて相手が弱ってきたらすかさず「封印」。笛の音色で魂をしずめ、手にした繭に魔物が入ればめでたくゲット。どつき倒してしまうと、主人公の経験点はいつまでたってもゼロのまま。封印して始めて繭使いとしての経験を積めると言うわけです。

序盤はまだ笛がへたくそで単調なメロディしか奏でられませんが、レベルが上がると深みのある、落ち着いた音色にかわり「ああオレって成長したのね」としみじみ実感できます。
「しもべ」を使わず自分一人だけでどかばきやる事もできますが、それやっちゃうとものすごく戦闘はタルいです。何せ相手が固いもんだから。

コツは、相手が苦手とする攻撃法を持ってる「しもべ」でさっさと体力をレッドゾーンに落としてから、おもむろに自分がしゃしゃり出て「封印」することでしょう。自分のレベルが上がったら、今度は「しもべ」で敵をどつき倒して「しもべ」を成長させてあげる。経験値は高いが、封印はできない中ボス戦は、自分は手を出さずに「しもべ」に相手させるのがかしこいやり方と言えましょう。

★飾りに終わらぬ『豪華声優陣』
このゲームの話題のひとつとして豪華なキャスティングがあげられる。三國連太郎、田中真弓、大塚明夫、納屋悟郎。割と古い世代の人間でさえ「おおっ」と思うようなベテランが勢ぞろいで声を当てている。声優で貧弱なゲームをごまかしている?とんでもない。「声」でしっかり「表情」を見せられる人。「声」で「芝居のできる」人が命を吹き込んでこそ、玉繭のキャラクターは生きたのだ。それだけの重みのある「声」を受けるに足る素材だったと言う事ですね。「声」と「キャラクター」がしっかり融合し、いきいきと呼吸しているのです。

ポリゴンの表情が動かないのは如何ともしがたいが、仕種と声が十二分に人物の喜怒哀楽を表現する。「流行りだからついでにしゃべれるようにしてみました」「お金があるから、有名な声優使ってみました」的なゲームとは根本的にスタンスが異なるのだよ。この辺「火星物語」や「東京魔人学園剣風帖」にも通じるものがあります。
特に印象的だったのが「青の繭使い」コリスを演じた大塚明夫。(いやその趣味も入ってるけどさ)普段はどちらかと言うと熱血したり元気に女性を口説いたりと、感情豊かな気取った役所の多い彼だが(しかもうさん臭い)、今回は始終控えめな芝居に徹し、囁くような声で全編を通している。その抑えた演技故に、最後の最後で明かされる彼の過去が際立つ。「妻を大事にしろ。いたわってやれ。妻の支えになれるのは、お前だけだ。」彼の言葉が透明な青い針となって心臓に突き刺さり、いつまでも抜けなかった。

★イマジネーションの繭
何が正しくて、何が間違っているのか。どうすべきなのか。
「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない。」 かつてひとりの少女の口を借りてこう告げた自然は、玉繭物語では明確な言葉を何一つ語らない。静かに語られる物語は受け手と言う土に種を蒔くのみ。それをどう育むかは私たち自身の手にゆだねられる。確かにこれは「繭」だな、と思った。

シルエットミラージュやサンサーラナーガの1をクリアした時も同じように長いこと余韻に浸ったものです。
ゲームとしてのバランスは確かにイマイチなのですが、十分、鑑賞に値する物語だと思います。
サクサク進むしな。一ケ所を除いてつまる所もねーし。
もしあなたが ブルーフォレスト物語 を好きだとしたら、買って損はありません。
» category : Bの大箱(再録) ...regist » 2004/09/25(Sat) 14:27

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