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» 仮面ライダークウガ » date : 2004/09/25  
■仮面ライダークウガ 2000〜2001年テレビ朝日
 原作:石ノ森章太郎/出演:オダギリジョー、葛山信吾
 ビデオ、DVD発売・レンタル中

未完成故に初代を超えた、自然体の『仮面ライダー』

かつて古代リント族(人間)に殺りくの牙を剥いたグロンギと言う一族がいた。彼らは異形の姿に変わり、独自の言語を話し、ゲームとして一定のルールに基づき無力なリントを殺害する。自らのほほ笑みのためだけに。
一人の戦士が立ち向かう。彼は神秘の石アマダムの力で変身し、グロンギ一族を葬り去り、自らは封印となって眠りについた。
時流れて西暦2000年。
長野県九郎ケ岳で、城南大学の発掘チームが奇妙な石棺を発見、開封する。時同じくして大学の研究生、沢渡桜子と五代雄介 (見てるだけ) が碑文を解読する。いわく『開けるな危険』
その石棺こそ、かつて古代の戦士が命がけでグロンギを封じた封印に他ならなかったのだ。かくして爽やかにお目覚めになられたグロンギにより発掘チームは惨殺、後に「未確認生命体第0号」と呼ばれるこの存在により、殺りくに200名以上ものグロンギの皆さんが復活した。 (不確定名『大いなる異形の影』……なにやら古都ルルイエとかブラックホールあたりでお休みになっているような禍々しさよね。)

携帯電話越しに殺りく現場の物音が東京の桜子さんと五代のところに実況中継されちまう下りは背筋が寒くなるようなリアリティがありました。ぶれぶれの映像や、ノイズ混じりの聞き取れない音声。ブレアウィッチプロジェクトのパクリっちゃパクリなんですがそこはそれ、きれいに噛み砕いてモノにされていた。
一路発掘現場に急ぐ五代雄介はそこで長野県警の一条薫警部補と運命の出会いを果たす。
(中略)←おい
その後、長野県警に乱入した蜘蛛男が手当りしだいに集団殺人、現場に居合わせた五代雄介は遺跡から発掘された戦士のベルトを身に付け、白い戦士に変身。一条警部補の協力を得てからくも蜘蛛男を撃退する。

かくして。
1999の特技を持つ男、五代雄介は、2000番目の特技『変身』を駆使して人々の笑顔のために戦うのだった…。

ところであの石棺にすがりつく手は誰のものなんざんしょ? 私見ではおそらく前世の一条さんではないかと…(だけどよく考えれば初代クウガ、蓋開ける直前まで死んでなかったやんっ)

言わずと知れた特撮ヒーロー番組の流れを組む2000年代の新ヒーロー。日本では去る1月21日に大好評のうちに最終回を迎えた。 (宮崎では現在も放映中。放映スケジュールが二ヶ月ほどずれてっからね(^^;)
初代ライダーへの強烈なオマージュが随所に見られ、画面のカット割にさえ石ノ森テイストふんぷんたる本作品ではあるが、結局最後まで「仮面ライダー」とは名乗らなかった。正統派でありながら異色と言う希有なポジションにあると言えよう。

楽しむためだけの連続殺人を行う未確認生命体VS警察、そして戦士クウガと言う構造からして異色。 (未だかつて警察組織と共闘したライダーなんているだろうか?) 現代社会の仕組みの中にしっかり組み込まれて息づいている。「もし、こんなことが起こったら」と思わせる説得力がある。
そして、『クウガ』は人が死ぬこと、殺されることの意味を、手加減なしにありのまま、子供の前に叩き付けた作品でもある。血と死体、。直接画面に表示されることは少ないものの、その生々しさたるやショッカーにやられて溶ける被害者の比ではない。
実際に東京あたり歩いていると、そのへんからひょこっとアクの強いファッションの、唇の黒い兄さんだか姐さんだかが現われて、「リント、ボゾク」とかぼそっとつぶやき、次の瞬間自分が死体になってるんじゃねえかと想像せずにはいられない。 (怖かったっす。ガリマおねーさまの「振り向くな!」。ゴ・ジャラジ・ダの殺し方なんかほとんど都市伝説だし、ズ・ザイン・ダの犯行現場なんざ実家の近所だぜい)
そこにあるのは、他者を殺すことの快感ではなく、不条理に命を奪われ、愛すべき日常を突然、中断させられる被害者の苦痛と、逃げ場のない恐怖と悔しさである。

いやだ。
そんなのは、いやだ。

その思いは早くも第二話で、第0号に惨殺された発掘隊のメンバーの葬儀の場面に凝縮されていた。 (余談だがクウガでは、モブで殺された被害者や、警察官の『死』を感じる生き残った人の描写が冴えていた。一歩引いた視点で撮られた映像が、それ故に胸に響くのである。)

止めなきゃ。
こんなこと、早く終わらせなくちゃ。

だから、五代は戦ったのだ。「どうも、あの感触は好きになれないなあ」と己の拳を見てつぶやく青年は、自分にそれを止める力があると悟った時、戦士となる覚悟を決めた。他者の痛み、自分の傷つけた相手の痛みに、ごく自然に共感できる彼だから。
怖かったろう。哀しかったろう。
最終回が近付くにつれ、五代の顔からどんどん笑顔が消えてゆく。それでも仲間の前では前向きに振るまい、決して泣き言を言わなかった。振り向かなかった。
たまに「五代っていい子すぎて鼻につく」と言う感想を目にするが、よく見てみてほしい。カットの切り替わるほんのすき間に、何ともやり切れない顔をしてるのだ。強くなるにつれ、ぼろぼろになってるのだ。 (そのへん、しっかり理解している一条さん……だからこそ五代も最後までやれたんだろうな、とか思う私。ちょっと腐女子視点入ってます)

きっと、あやつの特技のひとつには「やせ我慢」なんてのもあるに違い無い。

本郷猛は、完成された変身ヒーローだったように思う。
五代雄介は未完成。そして、新しい力が発現するたびに、だんだん自分の体が『自分でないもの』に変わってゆく。本郷猛のように『改造された』時点で出来上がってるのではない。じわじわと現在進行形で変わっていた。
多分、最初の変身の段階では自分が何を始めたか理解すらしていなかったろう。明確な意識をもって彼が戦うことを決意したのは、第二話の炎上する教会のシーンだった。
「見てください、俺の、変身!」
何度見てもトリハダ立ちます、あそこは。
オダジョーもすごいが、一緒ンなってノリノリの葛山信吾もまたイイんだこれが。コウモリ男役の藤王さんも「教会のセット見せられた時、これはすごいなと燃えてきた」ってインタビューで答えてました。相乗効果でえれぇ盛り上がったんだろうな、あの撮影現場。


クウガとグロンギ族の戦いも、「これは時代劇かっ」と思うほどに(同、「刑事ドラマかっ」「子供向けなのかっ」など多数)凝った殺陣が随所に見られた。映像の遊びと完成度では、近年の日本ドラマの中でもピカイチだと思う。これに対抗し得るのは「踊る大捜査線」ぐらいなんじゃないかしらん。
石ノ森テイストばりばりなファンタジックな映像の後の音のない緊張から緑のフォームによる一瞬の撃ち合いに到ったメ・バチス・バ戦。
マカロニウェスタンか剣豪小説のような、すれ違い際の対決を見せつけたゴ・バダー・バ戦。 (一度立ち上がり、体に封印のマークが浮かび上がって倒れると言う芸の細かさ!)
波打ち際、足で拾い上げた流木をドラゴンロッドに変えたとこなんざほとんど巌流島の対決だったゴ・ベミウ・ギ戦。

ガリマ以降、複雑なルールで展開されるようになったグロンギの、殺人ゲームのルールを解明し、未然に防ごうとする展開はまるでミステリードラマを見るかのような面白さがある。
三十分で二回ぶん、と言う限られた時間の中、だれる暇もなく進むドラマにぐいぐい引き込まれる。外国のTVシリーズに通じるものありますな。海外に輸出しても受けると思う。 (ただしパワーレンジャーみたいなツギハギはナシね)

「リントは我々と等しくなった」
薔薇のタトゥの女はこう、言い残した。

まあ、アマダムなんざ体に埋め込まなくてもグロンギになってる人間多いけどさ、最近。
ただ連中に関して言うなら『楽しむ』ことさえできずにいるんじゃないですかね。
あいつら感情に振り回されてんじゃない。感情が『無い』んだ。
彼らが真に満足できるのは、きっと自分のハラワタをつかみ出した時だけだろう。

けれど、少なくとも、五代雄介だけは違った。
第0号を倒すために「凄まじき戦士」になった時でさえ。
想像してみて欲しい。
自分の殴る相手の、その痛みを共感できるまま。
他者を傷つけ、自分もまた損なわれる恐怖を知ったまま、強大な力を持ってしまうことを。
これ以上の恐怖があろうか?
まだしも理性ぷっつんして、ただ、ただそれを楽しむだけの状態になったほうが楽ってもんだ。

笑顔で殴った0号。
顔をくしゃくしゃに歪め、泣きながら0号を殴った雄介。
鮮血に染まる雪原。
賛否両論の第48話、実はテレビ朝日HPのストーリーダイジェストを見ただけなのだが……。意外な事に文句をつけてるのは大人のほうで、子供さんたちはと言うと一緒になって泣きながらも目を離さなかったらしい。
「雄介がんばれーっ」「雄介かわいそーだっ」と画面に向かって叫びながら。
「クウガ、いたい、いたい」と画面の雄介をなでた子もいたそうな。
彼らはおそらく強烈に感じたのではなかろうか。
「雄介を笑顔にしてあげたい」って。
クウガと、五代雄介と同じ思いを共有したのではなかろうか。

何がよくて、何が正しくて、何が悪い。
そんな価値観はあっちにぶん投げて、それでもなお、自分がどう感じたか。
損なう事、死ぬこと、殺すことを、クールにせせら笑い、絶対安全圏から見下ろす姿勢ではなしに。同じ地面に立ち、同じ青空を見上げて伝えられたメッセージを受け止め、共に感じる人間が、確かにいたのである。

クウガから学んだことを別の媒体で学ぶこともできよう。
けれど、笑顔で思い出すことは、できないんじゃないかな。
そこにあるのはいつも曇った空と、鉛のように重たい不快感でしかなくて……

一年に渡るグロンギとの戦いは雄介の心に凄まじく深い傷をつけた。
それを癒せるものがあるとしたら時間と……笑顔。
空っぽの胸を満たしてゆく、あたたかな滴のような、小さな、笑顔だけなのではなかろうか。

それこそ、彼が守りたかったものなんだと私は思う。

で、こっからは余談なんですが。
どうせなら、「あれ、強烈だったよな」「うん、さいこーにイヤな終り方で」ってな形で人の記憶に残るより。タイトルなんか忘れられてもいい。造り手の名前なんか覚えられなくてもいい。笑顔と共に思い出されるモノを造りたいと思った。

これほど最終回が気になるライダーもなかった。
これほど、『お願い、無事でいて!』と願った事も。
» category : 映画とTVドラマのこと ...regist » 2004/09/25(Sat) 02:53

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