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とりねこの小枝

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2014年1月の日記

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【おまけ】★愛しくて、離れ難く

2014/01/24 0:49 騎士と魔法使いの話十海
 最近、ダインがおかしい。
 自分では今までと同じように振る舞っているつもりなのだろうし、実際、表面上はそう見える。
 だが、ふとした拍子に日常と言う名の薄い皮に裂け目が入り、内側に潜む生臭い溶岩が噴き上がる。

 今日なんかニコラ相手に本気で怒鳴ってた。敵意を含んだ声に後先考えずにカウンターを離れ、台所を覗いた。一声だけだったのは不幸中の幸いだ。あのまま二度、三度と続けていたら、迷わず飛び込んでいた。
 その後、畑で肩を凄まじい力で掴まれた。ほんのつかの間、だが衣服の上から爪が刺さるほど強く。
 肌に刻まれた赤い痕は、まだ消えない。

 夜ごとにベッドに潜り込んでくるのはいつもの事だが、抱きついたりしない。手も握らず、キスも自分からは仕掛けてこない。何よりこの二週間と言うもの、一度も肌を重ねていないのだ。今まではそれこそ、三日と明けずにせがんできたものを!
(もっと早くに気付くべきだったんだ。明らかに不自然すぎる)
 これが並の男なら浮気を疑う所だが、ダインに限ってそれはまず、有り得ない。自分が父親と同じ轍を踏む事を、あいつは何よりも嫌っている。嫌悪と憎悪による忌避は、徳に根ざした自制なんかよりも、遥かに強い。

 よほど疲れているのか、あるいは立たなくなったのか?
(いや、それは、無いな)
 昼間、掴まれた肩が疼く。若い雄特有の猛々しさは、欠片ほども損なわれちゃいない。
 理由は薄々察しがついている。
 レイヴン。
 二十年来の同居人が、東への遠征旅行から帰って来た。ダインの異変は、彼との対面を境に始まった。
(一度、きっちり話をつけなきゃなあ)

 心の片隅にそんな懸念を残しつつ、今日も切り出せぬまま一日が終わる。
 ニコラが帰ってから、ダインはむっつり黙り込んでほとんど口もきかない。黙りこくったまま寝室に入り、無言の内にベッドに横たわる。だが決して触れては来ない。それどころか、背中を向けている。
 規則正しい呼吸だけが隣から聞こえてくる。試しに寝返りを打つふりをして、わざと体をくっつけてみた。
「っ!」
 声もなくダインが身をこわばらせる。触れ合わせた肩と腕から、細かな震動が伝わってくる。
 震えているのだ。
(そら、やせ我慢すんな。溜まってるもの全部、吐き出しちまいな)
 さらに体を寄せて、胸や尻、太ももまで押し付ける。しっかりとした弾力のある質感と肌の温もりを伝える。
 いつもならとっくにこっちに向き直り、がばっとばかりに覆いかぶさって来る所だが、果たして……。

 ぎしり、とベッドが軋む。
(やれやれ、やっとその気になったか)
 今夜ぐらいは我がままを聞いてやろうか。なんて心構えになっていた矢先、聞こえてきたのは深いため息。
(え?)
 歯を食いしばる気配とともに、ダインはベッドの反対側の端にむかって体をずらす。
 離れた。
 それも、自分から!
(重症だな)
 今からでも遅くはない。別にベッドの中で話してもいいではないか。きっかけさえあれば、すぐに突破口は開ける。そのはずなのに……押し寄せる疲れを言い訳に目を閉じる。
(駄目だ、もう頭が回らねぇ)
(明日だ。明日、話そう)
 すぐに眠れるかと思った。
 だが、そうではなかった。

 意識の一部が細い釣り針にひっかかり、宙ぶらりんになっている。
 眠っているのか、起きているのか、それとも『眠れない』夢を見ているだけなのか。目を開けようにも、瞼が鉛のように重い。
 もがいて、もがいて、目覚めたかと思えばそこはまだ夢の中。幾重にも重なった息苦しい夢をくぐり抜け、必死になって水面を目指す。段々、天井が低く。壁が狭くなってきた。やばい、このままじゃ、押しつぶされる!

「っは……」
 咽から絞り出される息の音に我に返る。やれやれ、ようやく目を覚ます事ができたようだ。
 首筋に粘つく汗がにじんでいる。手足が強ばり、肩だの背中がガチガチに固まっている。やれやれ、かえって眠る前より疲れてしまった。
 頭を振って起き上がると、妙にベッドが広い。
「……ダイン?」
 隣に眠っているはずの男は居なかった。手洗いか、あるいは自分の部屋で眠ってるのか?
 そのどちらでもない事は、わかっていた。月明かりの差し込む部屋の中、彼の脱いだはずのブーツが無くなっている。つまり、外に出たって事だ。
(ったく、世話の焼ける騎士様だ)

      ※

 裏口を開け、庭に出る。
 空には満月を少しすぎたばかりの十六夜の月。月光に満たされた庭は、灯火無しでも歩けるほど明るい。
 しかしながら薬草畑の何処にも。壁際のベンチにも。井戸の側にも、のっそりたたずむばかでっかい図体は居なかった。
 と、なると可能性はあと一つ。
 庭を横切り、馬小屋に向かう。果たして、ダインはそこに居た。何を思ったかこの夜更けに、黒馬にブラシをかけている。

「……居ないと思ったら何してんだ?」
「見りゃわかるだろ。黒の手入れだ」
 手も止めず、振り返りもしない。
「……前髪触ってるぞ」
 動きが止まり、ぴくっとブラシを握る指が震えた。有り得ないとわかっていても、反射的に動いてしまったのだろう。
(当たり、か)

 出会って間も無い頃に見抜いたダインの癖だ。
 いらいらしてる時。落ち着かない時や拭えども拭えぬ不安を抱えてる時、こいつは無意識に髪に触れる。それも左目を覆い隠すように不自然に降ろした前髪に。何気なく指摘した時は驚いた顔をしていた。多分今もそうだろう。
 こちらに向けたままの背中は揺るぎもせず、事情を知らなければそれなりに逞しく、また頼りがいがあるようにも見える。

「レイヴンが気に入らないか?」
 藁山に腰を降ろして問いかける。この二週間と言うもの、先延ばしにしてきた言葉だった。こうして口にできるのは、寝起きでぼんやりしているせいか。
 それとも、振り向こうともしないダインに苛立ちを覚えたからなのか。
「……あいつは…………………いい奴だ…………腕も立つ」
 黒の首筋に手を当ててうつむいている。あくまでこっちを見る気は無いらしい。
(こンの野郎!)

 何かにつけてひっつきたがる。顔を見たがる。しっぽを振ってでかい図体をすり寄せる。
 うっとおしいと思っていたこいつの行動の数々が、欠けている事に気付いてしまったら、妙に落ち着かない。
 ぽっかり空いた穴がやたらと寒々しいのだ。
「お前と20年のつき合いがあって、同居してるって以外は、いい奴だと思う」
 なるほど。それがお前さんにとって最大級の妥協って訳か。
 乾いた唇を舐めて湿す。だったらこっちも答えなければいけない。
「いや……うん、言い忘れてたのは悪かった。お前と出会った頃、ちょうどアリスタイアの方に行ってたんだよ、あいつら」
 初めてこの家に泊めた時、こいつはちびを(一時的にしろ)手放した直後だった。
 元気が取り柄の男だってぇのにぽやーっとして、一人じゃボタンの掛け外しもできないような状態で、見るに見かねて連れ込んだ。以来、なし崩しに居着いて今に至る。
 同居人の存在を話さなかったのも、ダインを迎え入れたのも、どちらも自分だ。言い逃れはすまい。こいつが出て行くと言うのならそれまでだ。引き止める権利は、無い。

「フロウ」
「ん?」
 ようやくダインは黒馬の傍を離れ、大股に近づいてきた。相変わらずうつむいたまま、どっかりと腰を降ろした位置はベッドの中に居た時より近い。ほんの少し指先を動かせば触れ合いそうだ。
「お前は、悪くない」
「の、割にはご機嫌斜めじゃねえか」
「頭でわかってても、気持ちが納得しない」
 藁の上に投げ出された手が、きつく握りしめられる。がさがさと乾いた音を立て、文字通りダインは「藁をも掴んで」いた。
「自分で自分の手綱が……取れない」
「……そりゃまた、難儀なこったねぇ」

 手を伸ばし、頭を撫でる。汗ばみ、もつれた金褐色の毛並に指をからめる。
 息を呑み、身をすくませる気配が伝わってくる。だが敢えて離さず、逆に引き寄せて胸元に抱え込む。
「っおい!」
 抵抗は無かった。ずっしりと重たい体が呆気なく腕の中に頃がりこんできた。だが、固い。手足を強ばらせ、奥歯を噛みしめ、震えている。
「俺は逃げも消えもしねぇんだから……な?」
「……フロウ……」
 軋るような声で名前を呼ばれた。
(どんだけ思い詰めてるんだ、お前)

「もしも。もしも、レイヴンが旅に出ないで家に居たら……お前はあの時、俺を」
「ああ、泊めたよ。とてもじゃねぇけど、あのまんま一人にはしとけなかったからなあ」
 くぐもったうめき声とともに息が吐き出される。鼻と、咽から延々と。彼の中で煮え滾っていた物がそっくりそのまま溶け込んだような、生々しい熱さがこもっていた。

 長い長いため息をついた後、ようやくダインは力を抜いた。
「フロ……ウ……」
 拳がひらいて、ゆっくりと腕が巻き付けられ……しがみついてくる。二週間ぶりの抱擁だった。
 背中に手を回して、撫でる。張りのある筋肉に触れ、手のひらから甘美なしびれが広がる。
 そのまま、ゆるやかに互いの体を触りあった。撫で回した。
 どんなに水を飲んでも癒せなかった渇きが。満たされなかった飢えが少しずつ埋まって行く。何のことはない。こいつが自分に触れたかったように、自分もダインに触れたかったのだ。

 藁山の上で抱きあって、どれほどの間そうして触れ合っていただろう。
「……フロウ」
「ん?」
 ほんの少しためらってから、ダインは久しぶりに。本当に久しぶりに、その言葉を口にした。
「キスして、いいか?」
 忍び笑いとともに答える。
「……何を今さら」

 熱く湿った手が頬を押さえ、唇と唇が触れあう。それが精一杯だったのだろう。動きを止め、固く目を閉ざしている。こちらから吸い付くと、ようやく安心したのか……改めて深く重ねて来た。
 差し込まれる肉厚の舌を迎え入れ、むしゃぶりつく。わざと音を立てながら何度も吸い上げてやった。
「ん……っふっ……うー……う」
 抗いもせずに吸われるままだ。シャツを握る指に力がこもる。陽に焼けた咽が上下して、混じり合う唾液を飲み下す。
 息が、荒い。顔に当たり、髪をなびかせる。
(俺が教えてやるまでこいつは、キスの時に鼻で息をすることすら知らなかった)
(かわいいやつ……)
 さんざん舌先をねぶり上げてから、根元から先端へとしごくようにして唇を離す。
「はー、はー、はー……」
 顔を赤らめ、息を弾ませている。だがもう一つ聞こえるこの息の音は誰のだ? 黒か?

「ふ……はぁ………あぁ……」
 絡めた腕の中でダインはうっとりとこっちを見上げ、親指でなぞってきた。今し方離れたばかりの濡れた唇を。
「んっ」
(何てこった。この乱れた息は、俺のだ!)
「俺、どうしようもなくお前が……好きだ。大好きだ」
 このまま、溺れてしまえたらどんなにいいか。このあまりに一途で純粋な愛情に、心置きなく浸れたら。
「いっそ冷たくした方が女に目がいくのかねぇ……」
 苦笑混じりに答えると、しがみつく腕に力が加わった。息が詰まるほどではない。だが、逃げる事を許されないほどには強い。
「……やだ。放さない」
「はいはい、逃げねぇよ。お前さんが愛想尽かすまでは」
「愛想なんか、尽かしてやんねぇ」
「そうかよ」

 背筋からこみ上げる疼きが肌の表面にまで突き抜け、細かい泡となって散開する。
 眩暈がするほど心地よい。
 自分はこんなにも強く、この男に求められている。若くて力に溢れ、純朴な男に、ひたすら一途に慕われているのだ。
 男としての盛りは過ぎた。この先、衰えるばかりだと言うのに……。

 離れなきゃいけない。離れたくない。相反する感情を持て余し、手綱を取れずにいるのは自分も同じだ。
 レイヴンの存在を言い忘れていたのも。話しあう事を先延ばしにしていたのも、その結果なのだ……恐らくは。

「……ったく。俺は寝るから好きにしな」
「うん……」
 ダインの腕に身を委ねて目を閉じる。頑丈な骨太の体がもぞもぞと動き、抱きしめられる側から抱きしめる側に体勢を変える。
「おやすみ、フロウ」
「おやすみ、ダイン」
 藁の中、抱き合って目を閉じる。
 今度はすぐに眠れた。

(愛しくて、離れ難く/了)

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【32-7】★★夕闇に花開く

2014/01/24 0:48 騎士と魔法使いの話十海
 アインヘイルダールの夏の夕刻は、長い。
 西の辺境、と呼ばれてはいるがこの地は王都に比べて北にある。そのため冬は早くに日が暮れ、逆に夏は伸びる。太陽は西の地平線の際に長く留まり、夕暮れの薄明が延々と続くのだ。
「………明るいなぁ」
 ダインは裏庭のベンチに腰を下ろし、刻一刻と変わって行く空をぼんやりと眺めていた。
 モレッティ屋敷から帰った時には、既に日暮れと言ってよい時刻になっていた。
 東の空は既に濃いスミレ色に覆われ、端には藍色の夜空がにじんでいる。一方で西の空は陽の照り映えを受け、あかね色を留めている。近隣の家々の壁もまた、うっすらと赤みを帯びていた。
 体に覚え込んだ感覚はもうとっくに夜だと告げている。
 なのに今、目の前に在るのは長い長い夕刻だ。温い空気に溶けた香草の香りは気まぐれな風の流れに混ぜ合わされ、時に甘く、時に涼やかに。あるいはねっとりと鼻腔にまといつく。
 あるはずのない時間のすき間に落ちたような、そんな曖昧なひと時。
 いつもなら夕食の後片づけに追われている頃合いだが、今日は他所で食事を呼ばれて来た。 
 授与式の後、ニコラの祖母モレッティ大夫人の招きでささやかな晩餐会が催されたのだ。しかも堅苦しい礼儀に囚われずに楽しめるよう、庭園に面したテラスに席を設けて。

 さすがのフロウもこの招待を断る事はできなかった。弟子のローブ授与式の際には、師匠へのお礼と友人知人へのお披露目を兼ねて、家族が振る舞いの席を儲けるのが慣例なのだ。
 客の数は式の時よりも増え、その中には騎士団の上司であるロブ隊長やその副官ハインツの姿もあった。ニコラの立場上、騎士団員が交じるのはごく自然な事ではあった。しかしながら、王都で多感な時期を過ごしたダインにとっては……。
 騎士団長の娘が正式に魔法使いとなり、その祝いの席に団員が列席するのは希有な事に思えてならなかった。
 術師と騎士。魔法と武術。相反する二つの思想、二つの社会、二つの文化が共存する。それが西の辺境なのだとわかっていても、実際に公式な場に立ち合うと改めて痛感せずにはいられない。
(ここは、王都とは違うんだな)
 同時にダインはその事実に安堵してもいた。
 騎士の身でありながら左目に異相を宿し、生まれながらに魔法の才を有する己の存在もここでは何の疑問もなく受け入れられている。
 赦されているのだと。
(もしも、俺が騎士にならず、魔法使いの道を選んでいたのなら……)
 左目に軽く触れる。
(あんな風に、祝福されながら術師になっていたんだろうか)
 選ばなかった幻の道はあまりにかすかで、想像しても輪郭すらつかめない。
 それに自分が騎士の誓いを立てた時も、やはり祝福されていたではないか。家族や親しい人たちに。その後の道は決して平坦ではなかった。けれど、だからこそ出会えた人がいる。得たものがある。
 流した血も飲み込んだ涙も決して無駄ではない。
 故に、迷いはない。

 しかしながら、いかにめでたい席とは言え、二の姫レイラにロブ隊長。上司二名と席を共にすれば緊張する。
 さすがに居酒屋や砦の食堂で飲んで騒ぐのとは訳が違う。
 授与式は元より夕食の間もきっちり礼服の襟を締めていたもんだから、すっかり首や肩がこわばってガチガチに固まってしまった。着慣れぬ礼服は帰ってすぐに脱ぎ捨て、今は着慣れた木綿のシャツとズボンと言う出で立ちに戻っていた。胸元をとめるボタンは当然のごとくいつものごとく全開だ。
「ふーっ」
 首を左右に傾けて、ぐるりと回す。ついで右手で左肩をもみながら肘を回していると、背後で草を踏む気配がした。
「年よりくっせぇなあ、若者が」
「ンだよ、中年」
 振り向くと、フロウが居た。とっくに着替えたと思ったら、まだきっちりと襟の詰った裾の長い神官の法衣を着ている。
 陽が落ちたとは言え夏だ。空気の中にも地面にも、昼間の熱が蓄えられている。喉元から手首、つま先にいたるまでくまなく肌を覆ったフロウの姿はいつになく窮屈そうに見えた。
(何やってんだ、こいつ)
 ダインは思わず片方の眉をしかめ、苦笑した。
「おいおい。授与式も晩餐会も終わったてぇのに、まだそんな格好してるのか?」
「ん~?まあ、久しぶりに着たし、たまには使ってやんないとなぁ、ってな」
「暑くないのか?」
 素朴な疑問を口にする。薄いとは言え布を二重に、部位によっては三重に重ねてるのだ。この暑さの中、隙を見ては衣服をくつろげて涼を取りたがる普段の言動とはおよそ真逆の服装ではないか。
「てっきり速攻で着替えてくると思った」
 フロウはにんまりと口元を緩め、法衣の裾をつまんだ。
「騎士様、これがマギアユグド神官の礼服だってのがわかってねぇなぁ」
「え? 礼服なんて基本同じだろ? そりゃ俺らの制服に比べりゃ布地も柔らかいし裾は長いけど」
「そうだな、『基本は』同じだな……」

 言いながらフロウは胸元に手を当て、ボタンを外す。すると首筋から胸元、肩を覆っていた濃い緑色の布がパサリと取れた。下に重ねた淡い緑の部分は襟ぐりがVの字型に広く穿たれ、むっちりした胸元や滑らかなうなじを惜しげもなく晒している。
「え、え、え?」
 ダインは目を閉じ、次いで限界まで開く。月光の下、数時間ぶりに見せつけられた肌身から目がそらせない。
 フロウはほくそ笑むとさらに袖や裾のボタンを外し、紐を解く。重ねた布に巧みに隠されていた継ぎ目が離れ、袖が脱げ落ちる。
 さらには裾を覆う布が花びらが散るように解けて行き、下三分の一がぱさりと地面に落ちた。
「え? ええっ?」
 ダインは石のように凍りついたまま、一部始終を凝視していた。最後の布が解けるや、ぐいっとばかりに半身乗り出す。
「お前、なんっつー格好に!」
「おや、こっちが『本当の礼服』だぜ?」
 今やフロウの法衣は袖無しの衣、それも角度によっては透けそうなくらいに薄い布が一枚だけ。裾はやっと膝を覆う程度、さらには脇に脚の付け根までのスリットが入っている。柔らかな布は体の線に沿い、肉感的な曲線を縁取り、浮かび上がらせる。
 体を覆うより強調するかのような、あまりに奔放で、扇情的な衣服へと変貌を遂げていた。

「う、上に重ねてただけなのかっ。いや下もか? 袖もかっ」
 若者の視線を受け止めるように中年男は両手を広げ、にんまりと笑った。明らかにダインのうろたえぶりを楽しんでいる。
「そーうよ。神殿での正装はこっち。今外したのは、余所行き用の追加の布地さね」
 長い沈黙の後、ダインはごくりと音を立てて生つばを飲み込んだ。
「…………………………下着とかつけてたりしない……よな?」
「は?」
 フロウは眉を潜め、じとぉっと半眼で睨め付けた。
「あるわけねぇじゃん、このままヤれるように出来てんのに」
 ダインはやおら動いた。木製のベンチを軋ませて立ち上がるや否や、一番したかったことをした。
 すなわち、フロウに抱きついたのだ。

「うぉぅ?」
 目を白黒させたまま、フロウは頑強な厚みのある肉体に包み込まれる。
「知らなくって良かった」
 押し殺したうめき声が、ため息とともに耳元に吹きこまれる。うなじに当たる熱さと強さにフロウは反射的に首をすくめる。
「そうと知ってたら……落ち着いてらんなかった。授与式の時も、晩餐会の時も」
「んだよ、ちゃんと余所行き用の布着けてただろ?」
「下着着けてないんだろ?」
「まあ、そうだな」
 ごつごつした手が裾から忍び込み、尻を撫でる。フロウの言葉通り、遮る物は何一つ無い。
「……っん」
 むっちり張りつめた弾力のある肉と、吸い付くような肌が手のひらの下で震える。
「やらしいな。この服、すごくやらしくて、色っぽいよ、フロウ」
 執拗に尻をもみしだきつつ、胸元に顔を埋める。荒い呼吸を繰り返す程にとろけるような甘い匂いが体内を満たして行く。
「ははっ、そりゃあ……寛容にして奔放なるマギアユグドの法衣だもの?」
 ダインの褐色の髪を撫でながらフロウは若い体を抱きすくめ……自ら誘うように身を横たえる。柔らかな芝生の上へ。
 西の空は未だに薄明るい。しかしながら、薬草屋の裏庭は既に刻一刻と密度を増す藍色の闇に覆われていた。
 人目を遮るには充分なほど暗く、互いの体を目視するには充分なほど明るく。

     ※

 子犬みたいにダインは素直だった。
 気負う事も焦る事もなくフロウの導きに身を委ね、のびのびと生きる悦びを謳歌した。
 せめぎ合う情熱の求めるままに肌を重ね、ぶつけ合い、蕩け合う。
 昂ぶりの極みを分かち合う瞬間を過ぎても腕を解かず、離れようとはしなかった。
「……もう一年になるんだな」
 ダインがぽつりとつぶやく。
「何が?」
「三日月湖畔での戦い。去年の夏だった」
 珍しい事もあるものだ。
 フロウは内心驚いた。これまで、彼が自分からあの遠征での出来事を口にするなんて滅多になかったからだ。
「今日、式の後でエルダに言われたんだ。ありがとうございましたって」
「……あぁ、クレスレイク家の次男坊か」
 ニコラの先輩にあたる、赤茶色の瞳に赤い髪、ほお骨の周りにそばかすを散らした新米召喚師。彼は三日月湖のほとりの村の出身だった。一年前の戦いで、西道守護騎士団が救った村だ。
 故郷が鬼族の来襲を受けた際、エルダは既に魔法学院の寮生だった。自身は巻き込まれる事はなかったものの、残してきた家族の身を、遠く離れたアインヘイルダールから祈るしかなかったのだ。
 一番始めにエルダはニコラの姉、二の姫レイラに感謝の言葉を告げた。だが二の姫はゆるく首を左右に振り
『ありがとう。だが私はその遠征には参加していなかったのだ。実際に三日月湖畔で戦ったのは、この男だ。おい、ディーンドルフ!』
 猫背の部下を前に押し出したのだった。
「……嬉しかった」
「そうかよ」
 くしゃくしゃと汗ばむ褐色のたてがみを撫で回す。
 防衛戦の勝敗を決定づけたのは、他ならぬダインの捨て身の一撃だった。だが手柄を妬んだ同僚の投げつけた心無い言葉が全てを変えた。「魔族混じり」と。
 途端に救われたはずの村人たちは脅えて口を閉ざし、『忌わしい魔族の血族』から目を背けた。飢えて、乾いて、傷つき倒れたダインに手を差し伸べる者は、誰一人いなかった。
 変わり者で世話好きの薬草師以外は。
「よかったな」
「……うん」
 エルダの素直な賞賛の眼差しと感謝の笑顔は、彼の中でくすぶり続けていた小さな傷口を塞いでくれたのだろう。
「待てよ、ってことは、そうか」
「ん?」
 フロウは半身を起こしてのぞきこんだ。とろりとした翡翠色の右目と、月色の虹を宿した左目を。
「お前さんと出会ってから、もうすぐ一年になるんだなあ……」

(四の姫の初級試験/了)
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【32-6】開かれた窓

2014/01/24 0:47 騎士と魔法使いの話十海
「くぅうう」
 ニコラは今、教室に居る。行儀が悪いのは承知の上で机に腰を下ろし、左手を宙にかざす。そこに宿る巫術師の指輪の冴えた銀色の輝きに目を細め、嬉しくてつい、手足をばたばたさせてしまう。
「きゃわ……きゃわわ?」
 柱の壁から、小さな声が近づいてくる。聞く者の耳をくすぐるような、小さな生き物が動き回る気配がする。
(何だろう?)
 キアラは琥珀のブローチの中で眠っている。さっきの試験で疲れてしまったのだ。と言うことはこのくすぐったい気配の正体は……。
「ちっちゃいさん?」
「きゃわっ」
 ニコラの目の前、机の上にころころと、ちっぽけな二頭身の小人が押し合いへし合いしながら並んでいる。
 ブラウニーズ……金属性の小精霊だ。またの名を『家付き妖精』。単に「ちっちゃいさん」と呼ぶ場合は、彼らを意味する。
 恥ずかしがりなのに好奇心いっぱい、人間の生活に興味津々でお菓子が大好物。古い建物に好んで住み着き、小精霊の中では比較的、確かな実体を備えていて馴染みも深い。
 築百年を越え、安定した力線の通るフロウの店にも住んでいる。
「そうだ。あのね!」
 ニコラはちょいちょいとちっちゃいさんたちを手招きし、精霊の言葉で囁きかけた。ちっちゃいさんはまるまっちい頭を寄せ合ってじっと聞き入り、やがて色めき立って口々にきゃわきゃわとさえずり始めた。
「お願いね?」
「きゃわー!」
 短い手足をぶんぶん振り回しながら一斉に駆けて行く。
 ちっちゃいさんの姿を見送ったら、何だか急に静かになってしまった。
 静かになったら、浮かれていたのが気恥ずかしくなってきた。おとなしく椅子に座り直したその時だ。
 身軽な足音が近づいて来る。廊下を走ってくる。多分あれは先生じゃない。教室の扉が勢い良く開いて、見覚えのある少年が駆け込んできた。
「やったよ、ニコラさん! 召喚できたよ……合格だ!」
 エルダだ。頬をうっすらと赤く染め、その腕には一匹の子犬を抱えていた。尖った耳、青みがかった灰色の毛皮。口を開けてほほ笑み、短い尻尾をぷりぷりと左右に振っている。
 召喚師になるのには、何も異界の存在を喚ばねばならぬとは限らない。極端な話、犬だろうが猫だろうが、とにかく喚べば合格なのだ。
「おめでとうございます、先輩!」
 ニコラは椅子から立ち上がって駆け寄った。
「見て、僕の狼!」
「狼?」
「うん。試験官の先生がそう言ってた」
「わあ、可愛い……」
 子狼は短い鼻面を伸ばし、ニコラの手に顔をすり寄せ、舐めた。
「ふふっ、くすぐったい。なでていいですか?」
「どうぞ!」
 ほんとうに、その子はまだ幼かった。鼻面は短く、全体的にずんぐりしていてふわふわした産毛が指をくすぐる。毛並に添って額、頭、耳の後ろと撫でまわすうち、ニコラはあれっと首をかしげた。
「エルダ先輩、この子……普通の狼じゃないです」
「うん、大切な僕の『召喚されしもの』だよ。ビーティーって名前にしたんだ」
「いや、その、それは正しいんですけど、あのぉ、この子、多分……幻獣です」
「え?」
「雷狼(ヴォルファトゥワン)なんじゃないかなって」
「へ?」
 ニコラはふかふかの子狼の毛並をかきわけた。額の中央にぽつりと小さな突起がある。まだ皮膚を被ってはいるけれど、先端がちょっとだけ顔を出していた。
「ほら、ここにちっちゃいけど角が」
 エルダはじっと見つめ、まばたきし、口を開いた。
「瘤じゃなかったんだ」
「これ、核角ですよ。雷撃を撃ち出すための」
「ああ」
 エルダはさらっと答えた。何しろ実技が追いつかなかった分、必死になって学科を勉強したのだ。幻獣の特徴も知識としてしっかりと頭の中に入っている。ただ量が多すぎて、とっさに必要とされる知識が出てこない傾向はあるが。
「体内の雷エネルギーの蓄積によって成長して行くんだよね」
「そうそう、だから子供のころはちっちゃいんです」
「……わあ」
 ここに来てようやく、知識と目の前の事実が結びついたらしい。
「その通り。どこから見ても立派な雷狼の子供だね」
 澄んだ声が飛んでくる。見ると教室の出入り口に黒髪の華奢な人物が立っていた。前髪に混じる一房の赤い髪が鮮やかだ。金色の双眸は、今は細められている。困ったの半分。嬉しいの半分と言った体(てい)か。
「あ、先生」
「ナデュー先生。今日はお休みじゃなかったんですか?」
「うん、お休みですよ? 何かすんごいのが出たみたいだから、飛んできたんだ。いやはや、まさかここまでの大物を喚び出すとはね? これじゃ、実習用の召喚円程度じゃあ、通り抜けられない訳だ」
「え? え? え?」
 ナデューはエルダの傍らに立ち、肩を叩く。
「この子はずーっと、君の呼び声に答えてたんだよ。ただ、開いた窓が小さすぎて、今まで通り抜けられなかっただけなんだ」
「ああ!」
 ようやくニコラは合点が行き、ぽんっと手を打った。
 エルダ先輩は落ちこぼれなんかじゃあなかった。とんでもない大物だったのだ!
「試験用の大きな召喚円を引いたから、やっとこっち側に出てこられたんですね?」
「正解」
 誰も気付かなかった。彼自身でさえ。もしも途中であきらめていたら、気付かずに終わっていただろう。
「おめでとう、初級召喚師エルダ」
「ありがとうございます!」
「おめでとう、初級巫術師ニコラ」
「あ……ありがとうございます!」

     ※

 さて。
 初級術師試験が行われてから一週間後。
 魔法学院の講堂にて、ニコラのローブ授与式が厳かに行われた。家族の代表として西都から駆けつけた二の姫と、祖母のモレッティ大夫人、そして師匠のフロウ、その他多くの友人たちに見守られて。
 師匠は珍しく神官用のローブを着ている。樹木やつる草、葉や花を思わせる刺繍のほどこされたマギアユグドの祭司服は、色合いの違う緑の布を重ねる構造で、裾も襟も二重になっていた。しかしながら布地そのものは薄く、風にそよぐ様はまさしく花だ。
 白を基調とした西道守護騎士の礼装に身を包み、二の姫は感極まって涙ぐむ。フィアンセのさし出すハンカチはもはや三枚めだ。
 同じく礼服を着たダインは窮屈そうにしきりと襟を気にしている。肩の上では黒と褐色斑の猫が脚を踏ん張り、得意げに胸を張っている。シャルはきりっと背筋を伸ばしてたおやかにほほ笑み、エミルはそんなシャルにちらちらと横目で見蕩れている。レイヴンはいつものローブ姿だ。魔術師なんだからこれが正装で、礼装。
「初級巫術師、ニコラ・ド・モレッティ」
「は……いぃ」
(やだ、声裏返っちゃった)
 ぎくしゃくした足取りで壇上に上る。マスター・エルネストが、水色の術師のローブを肩にかけてくれた。袖に手を通す。指先がほんの少し震えた。
「魔法学院の名の下に、これより君を術師として認めよう。己の手にした力を正しく律し、よりいっそう精進に励むように」
「はい!」
 拍手がわき起こる。
 一礼して壇を降りる途中、既に授与を終え、黄色のラインで縁取られた褐色のローブを羽織ったエルダと見つめ合う。ニコラはにかっと歯を見せてほほ笑み、親指を立てた拳を掲げた。エルダはほんのりと恥じらいに頬を染めながら、同じ仕草を返して来た。
 
 こうして、おまけの四の姫は、魔法使いになった。
 
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【32-5】閃いた!

2014/01/24 0:45 騎士と魔法使いの話十海
 じとーっと目の前のフレイミーズの群れを睨む。今はただ、上機嫌でくるくると空中ででんぐり返しに興じている。
(ひょっとしたら。走って通り抜ければ振り切れるかも?)
 勢いに任せて駆け出した途端、さーっと押し寄せてきて取り囲まれる。思ったより動きが早い。2mほど進むのがやっとだった。
(無理矢理、かきわけたらどうなるんだろう?)
 試しに手を伸ばして触てみた。
「あっつぅい!」
 まるっきり本物の火に触れた時と同じ。何の安全措置も取られていない。手加減無しだ。
「むーむむむむむ」
 しゃくに障ることにこのフレイーミーズ軍団、後ろに下がる分には追いかけては来ない。あくまで前進を阻んでいるだけなのだ。
「逆に考えれば、行かせまいとする方角に出口があるって事よね」
 よし、これで目指すべき方角はわかった。問題はどうやってフレイミーズを回避するかだ。彼らは無意味に漂っているのではない。はっきりした目的をもって配置されている。しかも、元気でご機嫌だ。動きが活発になっている。
 どうして?
 答えは簡単。この場には木の力が満ちているからだ。
「そうだぁ!」
 その瞬間、属性の基礎知識が閃光となってニコラの頭の中を駆け巡る。
「木は火に力を与える。火は金に強く……水に、弱い!」
 フレイミーズは水と触れ合うと力が中和され、消滅する。正確には『この世から消えて炎の精霊界に戻る』。
 つまり、水をかければ彼らを火の精霊界に送り返せるってことだ。けれど緑のドームの中には、こう言う時に限って水が無いのだった。
(んーもう、エルネスト先生ってば徹底してるなあ)
 幸い、水の精霊力そのものはブローチに宿った使い魔……水妖精キアラのおかげで使える。と、なれば。
「よーし!」
 ニコラは左手で琥珀のブローチに触れ、右手で杖を構えた。鈴を振るような声が慣れ親しんだ呪文を詠唱する。
『水よ集え 凍てつき鋭き針と成り 我が敵を貫き通せ!』
 空中に生じた氷の針を、片っ端から赤い光球にぶつける。
『きゃわー』
『きゃわわっ』
 じゅわっと水蒸気をあげて、フレイミーズが一体、また一体と消失して行く。やはりこれでいいのだ。
 しかしニコラは直に気付いた。
 標的の数が多すぎる!
「わぁん、これじゃ私の魔力だけじゃ足りないよぉ!」
 既にここに来るまでに、呪文を使っていた。その分の消費がじわじわと痛い。これでは全てのフレイミーズを消す前に魔力が尽きてしまう。やっと、問題を解く方法に気付いたのに実行する力が足りない。
「だ、だめだ……」
 時めきと喜びは瞬時に凍えるような失望に変わる。
 さらに追い打ち。
 呪文による攻撃が途絶えた瞬間、フレイミーズが増殖を始めたではないか。それこそじわじわと燃え広がる炎のように。
「うそおっ! せっかく減らしたのにぃ!」
 この葉には木の力が満ちている。フレイミーズはそこからいくらでも力を補給できるのだ。片やニコラの魔力は不足している。補う術は無い。
(詰んだ……)
 膝から力が抜ける。ニコラはへなへなとその場に座り込んでしまった。
「もぉだめぇっ!」

 魔法訓練生でも騎士の娘でもやはり本質は14歳の少女である。万策尽きて行き詰まり、一度崩れ始めると、もろい。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう、わあんっ)
 声すら出さず、耳を塞ぎうずくまって震えるしかできない。ちりぢりになった思考はもはや言葉を為さず、習い覚えたはずの知識は塵となって霧散する。
 このまま、ただ虚しく時間切れを待つしかないのか。いや、むしろそうなってしまった方が楽になれるんじゃないか。
(だめーっ、このままじゃ試験に……落ちるっ)
 心身ともに萎縮して、縮こまって震えていると……。
『ニコラ』
 小さな手が瞼に触れる。ひんやりして心地よい。じりじりと押し寄せる炎の熱さを。緑のドームの外側から照りつける夏の太陽を、忘れた。
「あ……」
 瞳に写るのは、金色のふわふわの巻き毛に金魚のヒレにも似た赤い二対の翼。水妖精キアラだ。
『ニコラ、だいじょうぶ?』
 そうだ。
 私は、一人じゃない。
『キアラは、ニコラといっしょ』
 その言葉に我に返る。
 使い魔と宿主は一心同体なのだ。そして今、ニコラの挑む試練は『持てる知識』と『身に着けた魔法』全てを駆使して切り抜ける事。
(キアラを呼んだのは私)
 キアラの存在を『魔法を使うための精霊力の源』としてしか考えてなかった。でも、そうじゃないんだ。
(キアラも一緒なんだ。一緒に……)
「一緒に、巫術師に、なる!」
『なる!』
「ありがと、キアラ」
 ニコラは立ち上がる。しっかりと地面を踏みしめて。
(木の力が満ちてるから元気なんだと思った。けど、それだけじゃ、フレイミーズがこんな風にはっきりと実体化する事はできないはず)
「キアラ、私の回りを飛んで」
『キアラ、飛ぶ』
 キアラは円形の軌道を描いて空中を舞った。フレイミーズは動かない。彼らが追尾しているのは、ニコラだけなのだ。
「よっしゃあ!」
 ぐっと拳をにぎりしめ、足を踏ん張り腹の底から声を出す。明らかに騎士たちの(と言うかその中の約一名の)影響だ。あまつさえ、隣に浮かぶキアラまでもが同じポーズをとっている。
「キアラ、ドームの中を飛び回って。フレイミーズに触らないようにね!」
『了解!』
 キアラが飛ぶ。背中の翼をはためかせ、金色の髪をなびかせて。ニコラは目を閉じて、感覚を重ねる。今、彼女はキアラの目で物を見ている。フレイミーズの群れに遮られていた視界が変わり、見えていなかった物が見えて来た。
 さっきまでは目の前に迫る赤い光球の群れに圧倒されて気付けなかった。一ヶ所だけ、炎の力が不自然に強い場所がある。
「そこかぁっ!」
 キアラの視点を通して意識を集中する。庭園に植えられた潅木の一本が揺らめき、霞み、かがり火を点した台座に変わった。
 幻術で巧みに偽装されていたのだ。あれこそが、フレイミーズたちの拠点。かがり火を中継点にして、マスター・エルネストが術を施したに違いない。さらにフレイミーズの集団にけん制させ、ニコラが気付かないようにしていた。
(もうわかっちゃったもんね! ざーんねんでした。ふふふん!)
「キアラ、水!」
『はーい』
 水妖精は小さな手のひらを合わせ前に突き出す。幸い、水源は豊富に合った。隣り合ったエリアには池もある。水路もある。余裕で転送距離内だ。
 キアラの手のひらからしゅわーっと透き通った水が噴き出す。空中に細かな水の雫を散らし、小さな虹を写しながら、きらめく水が降り注ぐ。雨のように、かがり火の上へ。

 じゅーっ!

 凄まじい音とともに、水蒸気が立ちこめる。
 かがり火は見る間に小さくなって行き、やがて炭化したたきぎの奥に潜む熾火となる。
 けれどキアラは手を休めない。さらに水を送る。
 やがて、かがり火は完全に消えた。
『きゃわーっ』
『きゃわわーっ』
 フレイミーズは大混乱。拠点を失い、赤い光が急激に弱まった。
「今だーっ」
 ニコラはすかさず杖を振り上げた。
『水よ集え 凍てつき細かな針の雨と成れ 炎の子らに降り注げ!』
『ふりそそげ!』
 キアラの詠唱が続く。
 一人ではできなかった事が、キアラの助けがあればできる。呪文を拡散し、一気に広範囲のフレイミーズめがけて氷の針を散布した。
(威力は弱くなるけど、触れればいいんだからこれでOKのはず。何でもっと早くに気付けなかったんだろう、悔しい!)
『きゃわっ』
『きゃわわんっ』
『きゃわぁっ』
 こまかな氷の針を吹きつけられ、フレイミーズが次々に消失して行く。力の拠点を断たれた今、もう増殖することはない。
「もういっちょ、行くよ、キアラ!」
『もういっちょ、ゆく!』
 二度目の詠唱で、残りのフレイミーズは全て消えた。
 そして最後の赤い光球が消失すると同時に行く手の壁が細かく震え、左右に開いたのだった。
「やったぁ!」

     ※

 あまりにあっけない開門だった。あっけなさすぎて、本当に最後の課題を突破したのかどうか、実感がわかない。
 途中で閉まったらどうしよう。ひょっとしてあれも幻影だったりして? 
 考えるとキリがない。
(ええい、迷ってる場合じゃない!)
「キアラ、行くよ!」
『キアラ、行く!』
 ニコラは走り出した。
 水妖精を引きつれて、金色の髪をなびかせて。叫びたい。でも口を開いたら心臓が飛び出してしまいそう。
 たんっと踏み切り、門を抜ける。
「わ」
 そこは、庭園の入り口だった。ぐるっと回って最初に戻っていたのだ。
(全然気がつかなかったーっ!)
 迷路の中を進むうちに感覚が惑わされていたのだろう。
 目の前に、マスター・エルネストが立っていた。相変わらず眉間に皴を寄せ、不機嫌そうな顔でむっつりしてる。
 ニコラは息を弾ませて上級巫術師を見上げる。もしかして、失格? トラップに引っかかった? 一抹の不安。だがやれるだけの事はやった。今、この瞬間、悔いは無い!
 エルネストが口を開き、重々しい口調で告げた。
「おめでとう、ニコラ・ド・モレッティ」
「え?」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。祝福の言葉と、むっつりした表情にあまりに差がありすぎて。
(もしかして先生、今おめでとうって言った? おめでとうって? じゃ、私、受かったの?)
「君を初級巫術師として認めよう」
「ほんとですかっ?」
 とっさに聞き返してしまう。マスター・エルネストが薄い眉をはね上げる。
「何か不満があるかね?」
「いえっ、ありませんっ! ぜんっぜん、ありませーん!」
「よろしい。後日、日を改めてローブの授与式が行われる。今はこれを受け取りたまえ」
 骨張った手の上に、指輪が一つ乗っていた。平打ちの銀に、背を向け合う二つの三日月。それを囲む真円は満月の、そして同時に新月を表す。終わりのない月の巡りを刻んだ指輪……巫術師の証だ。
「はいっ!」
 ニコラはきちっと背筋を伸ばし、両手で指輪を受け取った。
 アイテムとしては決して高額なものじゃない。店でも普通に売られているありふれた品でしかない。
 だが紛れも無く試練を踏破し、術師の資格を得た印なのだ。それはとりもなおさず、『自分の杖』を作る権利を与えられた印でもある。震える手で自らの左指に嵌める。ひんやりとして冷たい。
 唇の端がむずむず震える。次の瞬間、ニコラは満面の笑みを浮かべて飛び上がった。
「や………やったぁーっ」
『やったーっ!』
 ぴょんぴょんと兎のように飛び跳ねる教え子とその使い魔を見守りながら、厳格なマスター・エルネストはほんの少し目を細め、口元を緩める。
 勤務中は滅多に無い事だが、彼はほほ笑んでいた。いつもしかめられている薄い眉から力を抜いて、確かに笑っていたのだった。

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【32-4】試される時

2014/01/24 0:45 騎士と魔法使いの話十海
 初等訓練生ニコラ・ド・モレッティ。
 これから君は持てる知識と、力と、術を全て駆使して、私の待つ最後のエリアまで到達しなければいけない。
 道中に待ち受ける関門は四つ。クリアする方法は自由だ。
 制限時間を一秒過ぎても不合格と見なされる。
 何か質問は?
 ……よろしい、それでは健闘を祈る。

     ※

「ほえー……」
 四の姫ニコラは水色の瞳を真ん丸にして、目の前の光景に見入っていた。
「いつもとちがーう」
 試験会場として連れて来られたのは、学園の敷地内に広がる広大な庭園だった。元からあった森を巧みに取り入れた庭園は、実習の際には力線の豊富な屋外教室として。休み時間には生徒たちの憩いの場所として親しんできた場所だった。
 それが、がらりと様相を変えている。
「夏だからってこんなに伸びるものなんだろうか」
 見渡す限り木々の枝葉ががみっしりからみ合って壁になり、空めがけて高々とそびえている。生きた壁はニコラの背丈より遥かに高く、密に茂った枝葉の向こうに何があるのかまるでわからない。
 広々とした庭園の中を木々を編んだ壁で区切り、あたかも閉じられた建物の中のような空間に仕立て上げている。
「これ、どの先生がやったんだろう」
 首をひねりつつ細い通路を歩いて行くと、行き止まりになっていた。
 何だか咽がつまる。先が見えないから、心細くなる。
 しかし通路のとっつきまで行き着くと、かすかな葉擦れの音とともに目の前で絡み合った木々が解け、入り口が開いた。
「あぁ、良かった」
 閉じこめられずにすんだ。

 中に入ると、そこは円形の広場だった。白い大理石の噴水がちょろちょろと噴き上がり、円形の水盤に澄んだ水が落ちる。その小さな噴水には見覚えがあった。小鳥や使い魔の水飲み場として、時には水浴びにも使われている物だ。
「ここはいつものまんまなんだ」
 ほっと胸を撫で下ろす背後で、ざわざわと何かの蠢く気配がする。振り返ると何てこと。つい今し方、入ってきた入り口の両脇から枝が伸び、葉が茂り、蔦が絡みあい、あっと言う間に塞がってしまった。
「うそーっ!」
 慌てて飛びつくが、もう入り口は影も形も無い。
「閉じこめられたーっ!」
 飛びついた手がちくりとトゲに刺される。
「あっつっ!」
 指先からぽつっと赤い雫がにじむ。顔をしかめて口にくわえた。
 生い茂る枝にはびっしりと鋭いトゲが生えていた。ほんの少し触っただけでこれだけ痛いのだ。よじ登るのは難しい。
 円形の広場はすき間無く木の壁に囲まれている。試験に受かるためには、ここから抜け出し、先に進まなければいけない。
「むーむむむむむむ」
 これが、術師の試験なんだ。
 ただ知識があって、呪文を覚えただけじゃ、術師にはなれないんだ。実際に身に着けた力を使えないと……。先生の目の前で課題をクリアすればいいんだ、なんて何となく思っていた。
 こんな風に、自分の知恵と技で実際に障害をクリアしてゴールにたどり着かなきゃいけないなんて。
 何もできなきゃ、最初のエリアから先に進む事もできないなんて。
(厳しい)
 文字通り、行き詰まってる。
 どうしよう。
 どうすればいい?
(うわぁん、目が回ってきたーっ)
 ぐるぐる渦巻く頭を抱えてうずくまっていると……

 ピー……チチチチ。

 透き通ったさえずりが聞こえる。小鳥の声だ。見ると噴水の水盤の縁に小鳥がとまっている。水に体を浸し、ぱしゃぱしゃと羽根を震わせ、雫を飛ばしてる。
 ニコラが焦って慌てて頭を抱えている間にも、小鳥はいつものようにのんびりと水浴びを楽しんでいる。
 見上げれば、青い空を心地よい風が吹き、明るい陽光が降り注ぐ。
 ここは確かに庭の中なのだ。いつもの庭園なのだ。外なのだ。決して閉ざされた空間なんかじゃない。
「よし、ちょっとだけ落ち着いた!」
 落ち着いて、確かめよう。今、自分にできること。今、自分が持っている物。何がある? 何ができる?
 試験会場に持ち込む事を許されたのは、身に着けた衣服の他は自分の杖と、使い魔を宿したブローチと、そして指輪に込めた圧縮呪文(パックドマギ)だけ。
 絆の耳飾りは外している。会場の外と連絡が取れちゃうんだから当然だ。
 逆に言えば、これだけの装備品があれば、前に進めるはずなのだ。そんな風に作られている。
 ニコラは大きく息を吸って、吐いて、瞳を閉じた。
 目に見えるものだけに頼ってはいけない。自分は魔法使いを目指してる。魔法使いには、魔法使いにだけ感じられるものがある。
(ダインみたいに持って生まれた特別な力がなくっても、私にだって、できることがある!)
 感覚を解き放て。
 自分の髪が伸びて広がる所をイメージする。広場の隅々まで延びて広がる金色の髪の先に、きっと伝わるものがある。感じ取れるものがある。ふわふわとどこまでも、どこまでも………。
「あ」
 ちかっと『髪の先』で光の粒が散った。意識の指でしっかりと捕らえたまま、瞼をあけてその方角を見定める。視界そのものに変化はない。けれどニコラは今やはっきりと、いつもの風景の中に混じる異変を感じ取っていた。
「………」
 物も言わず、まっすぐに歩み寄る。
「ここ!」
 絡み合った木々の中に一ヶ所だけ、元気のない部分があった。葉っぱがしおれてうつむき、それぞれの枝の先には、丸くふくらんだ大きな蕾があった。花びらが色づき、今にも開きそうだ。だが、明らかに弱っている。力が足りない。
「水は……木に力を与える」
 迷わず噴水に駆け寄り、両手のひらで水をすくいとった。
『ちっちゃいさん、流れる水のちっちゃいさん。力を貸して。しおれたお花を咲かせてあげて……』
 きゃわきゃわと手の中で揺れる水の小精霊に呼びかけ、祈りの言葉を口にする。
『乾いた者に水の癒しを。ヒール・ウォーター』
 ほわっと水がきらめきを増す。精霊の力が活性化し、指先に痺れるような細かな振動が伝わって来る。
 ニコラは手のひらの水を、静かに注いだ。しおれかけた花の根本に。
 乾いた土に水が吸い込まれて行く。
 目を開いて見守る。
 根本から徐々に力が行き渡るのがわかった。しなびていた葉がぴんっと張り、茎が伸びる。
 そして花びらが鮮やかに色づき、震え、開いた。大輪の、薄紅色の花。
「きれい……」
 ほころびる花びらの合間から、甘くかぐわしい香りがあふれ出す。その香りに誘われるように絡み合う蔦がほどけ、枝が。葉が動き、形を変える。まるで生き物のように。
 緑の壁の中にぽっかりと、アーチ状の通路が開いた。
「やったぁ!」
 意気揚々と花のアーチをくぐって次のエリアに進む。背後で元通りに壁が閉じて行くのを見ても、もう、さっきみたいに慌てない。
 どうすればよいか、やり方がわかったからだ。見えたからだ。
 扉を開くために必要なものは、必ず広場の中にある。あるものを利用すれば、必ず次のエリアに行ける。
「よし、次行ってみようか!」

     ※

 試験会場は実に上手い具合に作られていた。次のエリアに進む道を開くには、必ず魔法が必要になる。いつ使うか、どんな順番で使うか、正解は一つじゃない。
 エリアを一つ進むごとに、時間は刻一刻と過ぎて行く。けれど一度その法則に気付いてしまえばもう、迷わない。
 それどころか、観察し、考え、魔法を使う事を楽しむ余裕さえ出てきた。
 一つ、二つ、三つと切り抜けてとうとう四つ目のエリアに入る。
 試験官の待つエリアに到達するため、通過するべき関門は全部で四つ。ここを突破すれば合格だ。
「あれっ?」
 意気込んで入ったものの、そこは今まで通り抜けてきたエリアとは明らかに違っていた。まず、空が見えない。木々の枝葉や蔦、そして葉っぱがみっしり絡み合い、緑色のドームを編み上げている。まるで、目の詰った巨大な篭だ。中に踏み込むと、自分がカゴに閉じこめられた小鳥になったような錯覚に捕らわれる。
 その密閉された空間の中に、赤い光球が浮いている。実体はない。いくつもいくつも、小さな赤い光がまるでホタルのように群を成し、ふわりふわりと漂っている。
「何、これ」
 警戒しながらもゆっくりと一歩、前に出てみる。すると何とした事か。赤い光球が一斉に、ニコラめがけて押し寄せて来るではないか!
「やだ!」
 身の危険を感じ、とっさに足を止めると、光球群の動きも止まった。それ以上は近づいて来ない。しかし、そろりと片足を踏み出そうとすると、また近づく。試しに一歩下がると光球も後退する。右に行けば右に。左に行けば左に動く。
 完全に、ニコラの動きを追跡していた。
「むー」
『きゃわ……きゃわわ……』
 かすかに聞き慣れた声が聞こえてくる。
「あ。もしかして」
 改めて意識を集中すると、予想通り火の力を感じた。
 さらに赤い光の中に二頭身のちっぽけな小人めいたシルエットが浮かんでいるのに気付く。元からそれはそこにあった。ニコラが意識の焦点を合わせたことで知覚できるようになったのだ。
「ちっちゃいさんだ!」
 然り。赤い光球の正体は火の小精霊、フレイミーズであった。瞬時にニコラは思い出す。赤いローブを着ていた試験官の姿を。
「そーだ、マスター・エルネストの属性は火だった!」
 つまりこのエリアの仕掛けを作ったのは、火霊使いのマスター・エルネスト本人だと言うことだ。この緑のドーム全てが彼の思考に基づいて組み上げられているってことなのだ。
(やだーもう。あの先生、苦手なのに!)

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