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2013年2月の日記

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【27-4】いざ入浴

2013/02/14 14:05 騎士と魔法使いの話十海
 
 薬草師の家に風呂は不可欠だ。蒸気を使う蒸し風呂や、薬草のエキスや香油、時には草そのものを漬けた湯に入る薬草風呂は治療に欠かせない。
 だからエミリオはこの家を借りた時、家主の許可を得て浴室を建て増しした。

 と言っても、先輩薬草師たるフロウの店にあるような、密閉性の高い半地下室にほうろうびきの浴槽を据えた本格的なものではなく。母屋に隣接して建てられた木造の小屋に過ぎない。
 中には木製の風呂桶と湯を沸かすためのボイラーが設置されている。薪を燃やす煙は煙突で屋外に運ばれ、桶の栓を抜けば水はそのまま床下に設けられた溝に流れ落ち、庭に排出される仕組みだ。
 手前の床は浴槽回りより一段高くなっていて、脱衣用の篭が置かれている。風呂に入る時はここで服を脱ぐと言う訳だ。
 総木造の簡易浴室を家主はいたく気に入り、エミルの監修のもと、年老いた母親のために同じ物を自分の家にも作らせた。

 そして、今。

 シャルダンはゆっくりと服を脱ぎ、用意されていた大きめのタオルを肩からかけた。白い吸水性のある布が、外套のように肩から上半身を覆い、ぎりぎりで裾が太ももの付け根あたりに届く。
 湯に入るまでの間、肩を冷やさないようにと考えた結果なのだが、見た目はたいへん悩ましい。なまじ体の線が隠れているだけに、たおやかな仕草と相まってまるで湯浴みする乙女のように見えてしまうのだが、幸い見ている者はいない。(少なくとも、この場は)
 しずしずと湯船に歩みより、湯に手を浸して首をかしげる。
 木製の風呂桶にはお湯がなみなみと満たされている。いつもはそこに疲労回復の薬効のある薬草がつけてあるのだが今日は違っていた。

「薔薇?」

 赤、白、藤色、ほんのり花びらの縁に薄紅をにじませた乳白色。色とりどりの花びらが浮かんでいたのだ。

「夏薔薇が、盛りだからな」
「エミル」

 振り向くと、そこにはシャツの袖をまくったエミルが立っていた。

「いい香り……」
「朝一番に咲いたのを集めたんだ」

 シャルはするりと肩からタオルを滑り落とし、しずしずと浴槽に身を沈めた。
 エミルは一瞬目を見開き、息を呑む。男だとわかっていても、どきりとする。体を覆う布が取り払われ、肩が、背中が露になる動きから目がそらせない。
(騎士団の砦に居る時も、こんな格好で風呂に入ってるんだろうか)
 エミルは迷いのない足取りで歩み寄り、じっと見下ろした。

「ふう、いい気持ち……」

 解いた銀髪が肩から胸を覆っている。細いながらも均整の取れた体、象牙のような肌が、湯に浮かぶ薔薇の花びらの合間に見え隠れする。
(こんな悩ましい姿を、他の男の見ている前で無防備に!)
(しかも、あれだ。騎士団なんて体育会系の野郎どもの集まりだ。背中の流しっことかしてるんだろうな。してるよな! って言うか俺なら絶対やる。そんな機会、逃さない)
(背中流して、か、髪の毛洗って……俺のシャルの体に触れる。俺のシャルの。俺のシャルの!)
 手の震えを押さえようと固く拳を握る。何やら不穏な気配を察したか、シャルが怪訝そうに見上げて来た。

「どうしたの?」
「……髪、洗ってやるよ」

 我知らず髪をかきあげる手に力が入り、ほんの少し性急に引き寄せる。だがシャルは疑いもせずに力を抜き、浴槽の縁によりかかった。
 手桶で湯を汲み、髪に注ぐ。銀の髪がお湯を含み、わずかに厚みを増す。
 持参した茶色の小瓶の蓋を開け、ぱしゃぱしゃと中味を注ぐ。お湯をほんの少し手にとって泡立てると、控えめながらラベンダーとカミツレの香りが広がり、薔薇の香りと溶け合った。

「いいにおい」
「洗髪剤だよ。俺が調合した」
「だと思った」

 シャルは目を閉じてすうっと香りを吸い込む。白い咽がふくらみ、次いで滑らかな胸板が上下した。

「今、いちばん欲しいなって思ってた香りだから」

(これを調合しながら俺が何を想像してたかなんて……お前は想像もつかないだろうな)
 手のひらいっぱいに泡立てて、クリームのような泡に包まれた指でシャルの髪に触れる。地肌をもむように指先で洗った。耳の後ろも、首筋もまんべんなく。長い髪を指で撫で梳き、先端まで行き渡らせる。

「気持ちいいな……人に髪をいじってもらうのってこんなに気持ちいいんだね」
「そうか」
「騎士団では何でも自分でやらなきゃいけないから」

 エミルは少しほっとした。如何に体育会系の騎士団とは言え、無闇に背中を流したり髪の毛の洗いっこをしたり、とまでは行かないようだ。
 しかし安心したのも束の間、シャルがとんでもない事を口走った。

「今日はロブ隊長に褒められたよ。稽古が終わって、一緒に水浴びしてる時に」
「水浴びって、どこで?」
「ん? 裏の井戸で」

 その瞬間、エミルの耳の奥で一斉に教会の鐘が鳴り響いた。
 俺のシャルがロブ隊長と水浴びを。
 俺のシャルが、井戸端でロブ隊長と水浴びを。
 俺のシャルが。
 俺のシャルが!

 当然上は脱いでるはずだ。

 俺のシャルと隊長が、上半身裸で並んで水浴びを!
 きっと隊長の筋肉に見蕩れていたんだろう。そうに決まってる。目に浮かぶようだ。

「『やっと貴様も自分の得意な部分に気付いたようだな』って、言われたんだ。隊長の最大級の褒め言葉だよ、もう嬉しくてっ」
 
 心臓が肋骨を突き破って今にも飛び出しそうだ。
 ああそれなのに、シャルと来たら頬を染めて笑顔で……。胸の前に手を組んで、足をじたばたさせている。子供の時から見慣れた仕草だ。すごく、嬉しいんだ。

『たっ、たとえダイン先輩と言えども、シャルの尻尾を触るとか許しません!』

 試食した魔法のスープで猫の耳が生えた時の記憶が蘇る。
 あの時、先輩に詰め寄ったのは本心からだ。
 つとめて考えないようにしてきたけれど、シャルはあの人と同じ部屋で寝起きしてる。
 一緒に町内を見回り、訓練をして、時には馬に乗って城外まで巡回に出る。この間は馬泥棒を捕縛したし、自分が居合わせなければ氷の魔物だって二人で退治しただろう。
 ダイン先輩が非番の時は、ロブ隊長がシャルと組む。新入りを鍛えるのは隊長の役目だから。
 見回りの途中で一緒のテーブルに着いて、食事をして。稽古をつけて。夜勤の時は仮眠室のベッドで隣同士で寝て……。

(俺は、あの人に。いや、あの人たちに嫉妬してる……)
(俺の知らない時間をシャルと過ごしているから)
(この手に剣は握れない。俺にできるのは応援だけ、だがロブ隊長は違う。シャルと剣を交わして、成長を見極めて、認める事ができる)
(シャルが着替えたり、服脱いだり、風呂に入ったり、汗ばんで息荒くしたりしてる姿もすぐそばで。それこそ手の届く位置でーっっ!)

 自分が騎士団に入り浸っているのは、少しでもその差を埋めたいからだ。
 非番の日にこうして一緒に過ごすだけじゃ、安心できない。先輩にフロウと言う決まった相手がいると知った時は少なからず安堵した。
 けれど、それでも若い男だ。どうしても抑え切れない感情が溢れる事もあるだろう。
(そりゃあダイン先輩はフロウさんにぞっこんだし、年上が好きだってわかっちゃいるんだけど。わかっちゃいるんだけど!)
(あの人だってれっきとした男じゃないか。こんなに可愛くて美人で色っぽいシャルの姿を見ていたら、うっかりムラムラと来ない事がないとは言い切れない!)
(って言うか騎士団はそもそも、血気盛んな若い男の巣窟だーっ!)

 そして当のシャルはムキムキに憧れている。
 本人は純粋に憧れのつもりでも、周りがそう受け取めるとは限らない。ロブ隊長やダインを始め、ライバルは山のようにいるのだ。この白い頬をうっすらそめて、長い器用そうな指で胸板をすーっと撫でられたりしたら。
『すごい筋肉ですね、いいなあ……』なんて切なげに囁かれたりしたら!

(いっそ、俺も使い魔を喚ぶか)
(そうして四六時中シャルにひっつけて……ってそれじゃ覗き魔だーっ)

 ふとシャルが見上げて来る。青緑の瞳に見つめられ、エミルは一瞬のうちに渦巻く妄想のただ中から現実に引き戻された。

「こんな風に髪をいじらせるのは、エミルだけだからね?」
「っ!」

 見抜かれたのか。それとも知らずに言っているのか。エミルの胸は張り裂ける寸前まで膨れ上がった……主に喜びで。

「俺も……こんな風に髪の毛いじりたいのは、シャルだけだ」

 シャルの目が細められる。薔薇の花びらのような唇の合間から真珠の歯がこぼれ落ちた。

「嬉しいな」
「髪……すすぐぞ」
「うん」

 シャルは目を閉じて咽をそらせた。浴槽の外に、泡に包まれた髪が垂れ下がる。
 今この瞬間、無防備にさらけ出されたうなじにキスできたのなら。エミルは己の片腕はおろか、心臓さえ喜んで差し出しただろう。
 だがぐっとこらえ、手おけに湯を満たす。

「流すぞ」
「……いいよ。来て」

 流れ落ちるお湯が、泡を洗い落とす。洗髪剤が全て流されてもなお、エミルは湯を注ぎ、シャルの髪を撫で梳く手を止めなかった。
 止まらなかったのだ。

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【27-3】銀髪騎士は修業中

2013/02/14 14:03 騎士と魔法使いの話十海
 
「きゃーっ、シャル様、がんばってー!」
「シャル様、しっかりー」

 滅多にない事だが西道守護騎士団アインヘイルダール駐屯部隊隊長、ロベルト・イェルプは思った。
 やりづらい、と。
 ここは砦の中庭の修練場。日ごろ騎士たちが木剣と木盾を手に修練に励む場所に、時ならぬ黄色い歓声があがっていた。何となれば修練場の柵の周りにぐるりと町のご婦人たちが鈴なりになっているからだ。
 一挙一動ごとにいちいちきゃーきゃー騒がれて、気が散ることこの上ない。
 原因は、わかってる。自分が今、稽古を着けてる男だ。きりっと結い上げた銀髪に青緑の瞳、すらりとした体つきに素早い身のこなし。従騎士シャルダン・エルダレントだ。先日、二の姫に稽古をつけてもらって以来、彼は武器を変えた。
 これまではディーンドルフや自分と同じ幅広の長剣を使っていた。だが今、彼が手にしているのは二の姫と同じタイプの細身の剣だった。

「どうした、踏み込みが甘いぞ、シャルダン。もっと攻めてこい!」
「はい!」
「躊躇するな。やる時はためらうな。迷った時は、積極的に前に出ろ!」
「はい!」

 力任せにぶった切るのではなく、自身の器用さと素早さを生かし、突きを主体とした剣技は弓を射るのにも通じる。事実、細剣に持ち替えてから日は浅いものの、目に見えて上達していた。
 時に予想もつかないタイミングで繰り出される突きに、ひやりとさせられたのも一度や二度ではない。一撃も当てられることなく防ぎ切る事ができたのは、まだシャルダンが新しい剣に慣れていないからだ。
 
「よし、本日はここまで」
「はい、ありがとうございました!」

 二人はかちりと剣を打ち合わせて後、礼をして収めた。
 六月の陽射しの下、激しい稽古でぐっしょりと汗をかいていた。だからシャルダンとロベルトはごく自然に裏の井戸に行き、並んで汗を流した。上半身裸になって、豪快に水をかぶるロベルトをシャルはうっとりと見つめていた。
(ああ、やっぱりすごいなあ、隊長の筋肉……)
 熱い視線に気付いたか。ロベルトはふと体を拭く手を止め、シャルに目を向けた。

「やっと貴様も自分の得意な部分に気付いたようだな」
「え?」
「お前は俺やディーンドルフとは体格も資質も違う。優れた射手としての目と、素早さを備えているのだ。それを伸ばせ。活かせ。いいな?」

 ロベルト・イェルプは公平な男だった。厳しい反面、部下の優れた点はきちんと認め、評価する。
 シャルはしばらくの間、ぽやーっとしてロベルトを見上げていた。ほどなく目元からうっすらと赤みが広がる。顔や首筋に水滴をまとわりつかせたまま、シャルはほほ笑んだ。心の底から、嬉しそうに。

「はい、隊長!」

    ※

 夕方。魔法学院の校門から東西に伸びる道を、ぽくぽくと歩く白馬が居た。背にまたがっているのは銀髪に青緑の瞳の騎士。時折、道の両脇に植えられた街路樹の花の香りをうっとりとかいでほほ笑むその姿は、さながら一幅の絵。
 明日からは非番。これから一週間、エミリオの家で過ごす為にやって来たのだ。
 やがて白馬は緑の生け垣に囲まれた平屋にたどり着いた。
 木戸の前には、黒髪の青年が待ち受けていた。深緑のローブを脱いで、腕まくり。シャツとズボンだけの身軽な姿で立っている。一目見るなり、シャルは鞍から飛び降りて駆け寄った。
 広げられた黒髪の青年の、たくましい腕の中にまっしぐらに。

「ただ今、エミル!」
「お帰り、シャル」

 二人は固く抱き合った。
 分厚い胸板に顔を埋め、シャルダンはうっとりと目を細める。

「ああ。エミルのにおいがする……」

 がっしりした手が、つややかな銀髪をなで下ろす。そのまま二人は微動だにせず抱きあっていたが。
 ぶるるるるっ。
 白馬が焦れったそうに鼻を鳴らし、つつましく蹄で地面を叩いた。
 シャルとエミルはようやく我に返り、気の進まぬまま抱擁をほどいた。陽に焼けたがっしりした手が、それでもしばらくシャルの背に回されたままだったが、二度目の鼻息を聞くに至ってようやく渋々と離れる。

「馬屋の準備は整ってるよ」
「ありがとう!」

 エミルは先に立って木戸を開け、シャルと白馬を導いた。
 この一軒家はかつて、隠遁した老夫婦が細々と家庭菜園を営みつつ、家畜を飼って住んでいた。
 夫の死後、未亡人が息子の家に身を寄せて、空いた家をエミルが借り受けたのだ。
 畑の半分は今は小さいながらもいっぱしの薬草園に生まれ変わり、残る半分には野菜や果物が植えられている。そして今、老夫婦が家畜を飼っていた納屋の扉が開けられた。
 入る物のいなかった馬房には清潔な寝藁が敷き詰められ、桶には水と飼い葉が満たされている。

「うわあ、すごいや、これなら騎士団の馬屋に勝るとも劣らないよ!」
「馬房そのものは元からあったからね。俺は整えただけだ」
「ありがとう、エミル。よかったね、ヴィーネ!」

 シャルダンは愛しい白馬の首を撫で、手際よく馬具を外す。馬を世話するのに必要なものは何もかもそろっていた。二人は一言も交わさぬままブラシを手に取り、手分けして白馬の毛並をブラッシングし始めた。
 純白のヴィーネは勇猛果敢にして俊足、体力もある。牝馬ながら軍馬として優れた性質を備えているのだが、唯一にして最大の欠点を抱えていた。
 彼女は筋金入りの男嫌い。男性が乗ろうものなら一歩も動かず、手綱を取れば振り払う。困り果てた牧場主によって騎士団に献上され、今はシャル専用の乗馬となった。
 乗れる人間が乗れば良い、と言うのがロブ隊長の判断で、それはすなわち英断であった。

 かようにして扱いの難しいヴィーネであったが、エミルに対しては比較的穏やかな態度を取っていた。

『エミル、エミル、見て、見て! この子はヴィーネ。私専用の馬なんだ!』
『ヴィーネ、紹介するよ! 彼はエミル。私の大事な人だよ』

 初めて紹介された瞬間からシャルの大事な人だとわかったし、無粋な男ではあるけれどいつも薬草のいいにおいがするからだ。
 しかしながら両者の関係は微妙である。
 ブラッシングの合間に、ヴィーネとエミルは無言のうちに目を合わせ、すっとまた行儀良くそらす。
 
(むっさい男は嫌いだけど、シャルの大事な人だから仕方ないわ)
(ヴィーネ、君にとってシャルが王子様なのはわかってる。だけど俺にとっては女神なんだ!)

 黒髪の青年と白馬の間に交わされた思惑を、シャルが気付くはずも無く……

(本当に良かった、二人とも仲良くなってくれて……。ヴィーネは大人しくエミルに触らせてるし、エミルも、ヴィーネの為にこんなに気持ちの良い馬屋を用意してくれたし)

 素直に喜んでいた。
 ある意味、最大のライバルとも言うべき白馬を馬房に封印すると、エミルはともすれば震えそうになる声を抑え、精一杯、平静を装いつつ口火を切った。

「シャル、風呂、沸かしておいたぞ」
「うん、ありがとう、エミル!」

 エミリオの壮大な計画が、いよいよ実行に移されようとしていた。

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【27-2】クッキー程度じゃあ

2013/02/14 14:02 騎士と魔法使いの話十海
 
 アインヘイルダールの下町。北区と呼ばれる一角にその店はあった。

 半ば石、半ば木造、茅葺きの屋根には草が生え、緑と褐色の斑模様を描き出す。生け垣にみっしり囲まれた裏庭からは、甘さと爽やかさ、つんと鼻を刺す薬を思わせる匂いが入り交じり、風に吹かれて漂ってくる。
 入り口の軒下には、木の看板が下がっていた。鍋から突き出した杖をかたどった看板には、流れるような書体でこう記されている。『薬草・香草・薬のご用承ります』。
 屋号は看板の印そのままに『魔女の大鍋』。店主は何度か代替わりしているが、店は変わらず薬とお茶と、若干ではあったが魔法の品を売り買いしている。
 現在の主、フロウライト・ジェムルことフロウはいつものようにカウンターに肘をつき、うつらうつらとまどろんでいた。遠くで教会の鐘が鳴る。一つ、二つ、三つ、四つ……。夢うつつの中でぼんやりと考える。
(ああ、そろそろ起きないと、あの子が来る頃合いだ……)
 正にその瞬間、扉が開き、聞き慣れたドアベルの音が響いた。
(やっぱりな)

「ししょー」
「お?」

 入って来たのは伯爵家の四の姫にしてフロウの一番弟子、ニコラ・ド・モレッティ。さらさらした金髪も、水色のリボンも、藍色の魔法訓練生の制服も、もはやすっかりおなじみだ。
 しかし今日はいつになく元気がない。いつもは勢い良く駆け込んで来るのだが、肩を落としてとぼとぼ歩いてる。

「……どうしたい」

 ニコラは力なくカウンター前のスツールによじ登り(いつもはぴょんっと飛び上がっているのに!)肩にかけた鞄を開け、中から布に包んだ平べったいものを取り出した。
 チョークのにおいですぐわかった。ノート代わりの小黒板だ。

「こんなんだった」

 羊皮紙を綴じた帳面と並べてカウンターに置いた。
 来るべき初級術師試験に備えて、フロウ自らが作った問題集だ。繰り返し使えるように回答は小黒板に書かせている。ざっと目を通したが、既に赤いチョークで採点されていた。
 しかも筆跡からして明らかにニコラ自身の自己採点ではない。
(エミルか!)
 読書用の眼鏡をかけて改めてじっくり見直す。

「ん~……あぁ、俺がひっかけで作ったとこにハマってんなぁこりゃ」
「見事にずっぷりと」

 ぺたっとニコラはカウンターに突っ伏した。

「ちゃんと問題文読んでたらお前さんなら気づけるはずだぜ? 魔法円の時も勢いで書くほうがやりやすいって言ってたが、こういう時は悪い癖だね」
「ううう。不覚にもつい、他のことに気をとられちゃったからーっ」

 がばっと顔を上げたニコラは眉間に皴を寄せ、悔しそうに歯を食いしばっていた。それでもやはり女の子だ、どこか愛嬌がある。

「他の事ねぇ……」
「レイラ姉さまから聞いたのね。王都の騎士は、遠征から戻ったら奥方と一緒に薔薇の花びらのお風呂に入るんだって」

 がぜん、会話に勢いがついた。なるほど、そっちに気を取られてたんじゃ、注意力散漫にもなろうってもんだろう。

「へぇ……そりゃ優雅だねぇ」
「でしょでしょ! だからエミルに聞いてみたの。シャルといっしょに花のお風呂に入らないのかって!」
「……あ~……なるほどね」

 目に見えるようだ。無邪気なニコラの一言に引きつり、慌てて黒板をかっさらうエミルの姿が。

「それで泡食って採点して話逸らしたわけか」
「やっぱりあれ、話そらしてたんだ!」
「なはは……ま、良いじゃねぇか。初々しくて……なぁ?」

 ついつい笑ってしまう。どんだけ真面目くさった顔してたのか、あいつは。
 もはやニコラはすっかり元気を取り戻し、頬杖をついてうっとりと夢見るような眼差しを宙にさまよわせている。

「……実際はどーなのかな。入ってるのかな、入ってないのかなー」
「入ってないな、多分」
「だから、あんなに慌てたんだ」
「んでもって、近々入るな、絶対に。」
「入るの!?」

 きらっと水色の瞳に星が宿る。

「入らない理由が今のところ見当たらないなら、エミルは入ろうとするだろ、多分」

 ニコラは両手を握って胸元に当て、足をばたばたさせている。

「きゃーきゃーきゃー今度聞いてみよっと。入ったのーって!」

 これでいい。この子はしょんぼりしてるより、元気な方が似合う。

「なはは、面白い話聞いたら俺にも聞かせてくんな。」
「うん!」

 と、その時。かたん、とかすかな音がして、天井近くの猫用出入り口が開いた。
 黒と褐色まだらの生き物が、しなやかな体をくねらせて天井の梁を歩き、すたんっとカウンターに舞い降りる。

「っぴゃ」

 猫そっくりの体に鳥の翼。とりねこのお帰りだ。

「んお、おかえりちび。今日はどこほっつき歩いたんだ?」

 ちびは金色の瞳をくるくるさせて、赤い口をかぱっと開く。

「えーみーる、くっきー!」
「おや、エミルのところ行ってたのか……クッキー貰ったのか。エミル元気だったか?」
「師匠よくわかったね、今の……」
「ん~、まあ単語繋ぎあわせたらなんとなくな」

 ちびはちょこんと小首をかしげ、自分の鼻をちょいっと前足で撫でた。

「えみる、はなー、ぼとぼとー」

 途端にフロウはにんまりと顔をほころばせる。

「……へぇ~。」
「エミル、鼻水たらしてたの?」 

 ニコラの問いかけに、ちびはヒゲをつぴーんと立て、耳を伏せた。

「はーな!」

 どうやら、ちがう、と言いたいようだ。

「鼻水はぼとぼと落ちねぇだろうから、鼻血だな……薔薇風呂の妄想でもしたか?」
「………なに、それじゃ私が帰った後で鼻血?」

 ぶぶっと吹き出すとニコラは再びカウンターに突っ伏し、拳でとんとんと天板をたたく。スカートの内側では足が物すごい勢いでじたばた前後に揺れていた。

「やーんエミルってばじゅんじょーっ!」
「多分、クッキーで口止めしたつもりなんだろうなぁ……」
「ぴゃっ、くっきー!」
「得したのちびちゃんだけだよね……」
「ま、エミルの恋路はさておき……俺たちもお茶にするかね。」
「はーい」

 とりねこはひゅうんっと長い尾を一振り。
 お湯を沸かしておやつを用意して、たのしいお茶の時間の始まりだ。
 ニコラの言葉通り、一番得をしたのはちびだった。

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【27-1】薔薇のお風呂

2013/02/14 13:59 騎士と魔法使いの話十海
 
 アインヘイルーダールの魔法学院の敷地には、広大な薬草園がある。そこには国内のみならず、外国や海の向うの大陸から運ばれてきた貴重な薬草が植えられて、力線の恵みを受けてすくすくと生い茂っていた。
 薬草畑の中には「作業小屋」と呼ばれる建物があった。その名の通り、収穫した薬草を加工したり、調理するための場所だ。
 便宜上、小屋と呼ばれてはいるものの、授業で使うための教室も兼ねているからそれなりに広い。

 甘いの、すーっとしたの、ツンとしたの。葉っぱに花に根っこに種に茎。陽の光と数多の草木の香りが混じり合い、溶け合う空気の中で今、二人の学生がせっせとそれぞれの作業にいそしんでいた。
 一人は藍色の魔法訓練生の制服を着た金髪の少女。
 もう一人は黒髪の青年。肩幅が広く、肌は陽に焼けて健康的な小麦色。木属性を象徴する深緑のローブの上からも、がっしりした体つきがうかがい知れる。

 少女はテーブルの上に羊皮紙を綴じた問題集を広げ、かりかりと答えを手元の小さな黒板に書き込んでいる。彼女の名はニコラ・ド・モレッティ。西道守護騎士団を束ねるド・モレッティ伯爵の四女であり、下町の薬草師フロウに師事する傍ら、学院で学んでいる。
 間近に迫りつつある初級術師の試験を前に、師匠お手製の問題集に取り組んでいる真っ最中なのだった。

 一方で青年は、作業台の上でもくもくと薬草を束ね、部屋に渡したロープにぶら下げている。畑でとれた薬草を、こうやって小屋の中で陰干しするのだ。
 がっしりした指先は器用に動き、次々と薬草を細い紐でくくって行く。
 ふと少女の声が沈黙を破った。

「えーっと、土の小精霊がアーシーズで、火がフレイミーズ、金がブラウニーズで水がアクアンズ……あと一つ、木属性は何だったっけ」
「……………………俺が答えてしまったら、勉強にならないでしょう?」

 青年は顔をあげようともせず、手も止めずにさらりと受け流した。
 ニコラは肩をすくめて、再びかりかりとチョークを走らせる。
(さすがフロウさんだな)
 木属性の精霊は、植物と同時に風をも司る。故に小精霊は風由来の名前で呼ばれているのだ。慣れないうちはよく引っかかる。ニコラの師匠はきっちりツボを抑えた問題を出したようだ。

「ねーエミル」
「はい?」

 中級術師エミリオ・グレンジャーは秘かにほくそ笑んだ。さっきは危うく条件反射で答える所だったけれど、もう、簡単には引っかからないぞ。

「レイラ姉さまに聞いたんだけど、王都の騎士は遠征から帰って来た後、薔薇の花びらを浮かべたお風呂で奥方とくつろぐんですって」
「ああ、そう言う優雅な風習もあるそうですね。旅の疲れをいやすのに」
「うん」

 またしばらく、カリカリとチョークを走らせる音が続く。どうやら純粋に気晴らしのおしゃべりだったようだ。
(やれやれ、考えすぎたかな)
 ほっと気を抜いた瞬間。かたり、とチョークを置く気配とともに、予想外の言葉が飛んできた。

「エミルはシャルと入らないの?」
「はい?」
「薔薇のお風呂!」

 完全なる不意打ち。ぶふっと思わず吹き出した。とっさに手を当て、唾液や鼻水が薬草にかかるのは防いだが。
 なおもげほごほ咳き込む青年を、四の姫は満面の笑みで見守っている。
 自分の発言に絶対の自信を持っているようだった。そうするのが当然じゃないの、と言わんばかりの表情だ。

「ど、ど、どうしてそう言う話になるんですかっ」
「えー、だって……」

 次の言葉が出るより早く、エミルはさっとニコラの手から小黒板を取り上げた。

「採点してさしあげます」
「あ」

 授業に使う備え付けの黒板から赤チョークを手に取るや、ガリガリと凄まじい勢いで採点を始める。さすが中級術師、ほとんど模範解答のページも見ずに正誤を判断している。
 疾風怒涛の勢いで採点を終えると、べしっと小黒板を勢いよく机に乗せた。わきおこる風圧で、ふわっとニコラの髪の毛が舞い上がる。

「うわー、けっこう自信があったんだけどなあ」

 真っ赤に添削された回答を見て、ニコラが肩を落として力なくうな垂れる。

「余計な事を考えるからです。もっと集中しなさい。術師にとって一番、重要なのは才能でも知識でもありません。集中力です」
「うう、精進します」
「今日はもうお帰りなさい。ご自宅かフロウさんの店でじっくり落ち着いて勉強するといい」
「はーい」

 書き込まれた答えを消さぬよう、小黒板を丁寧に布でくるんで問題集と一緒に鞄にしまう。
 丈夫な帆布製の鞄は防水と布の強化を兼ねて草木の汁で染められ、蓋(フラップ)の部分には花模様の刺繍が施されていた。
 蓋の留め金をかけ終えるとニコラは鞄を肩にかけ、ぺこっとエミルに一礼。
 エミルも静かに礼を返す。

「それじゃエミル、ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 ニコラが小屋を出てから、五秒後。

「うぐっ」

 エミルは一声うめいて手で鼻を押さえ、うつむいた。指の間から、ぼとぼとと赤い血が滴り落ちる。
 鼻血であった。原因は言うまでもなくニコラの無邪気な一言。それでも後輩の前では耐え切った。
 ぜーぜーと荒い呼吸をつきながらエミルは手探りで作業台をまさぐった。どこに何があるのか、幸いにも知り尽くしている。脱脂綿をひとつまみつかみ取り、細長くねじって鼻の穴に突っ込んだ。

「はー、はー、はー」

 口で息をしながら、床にしたたった血痕をふき取る手つきも慣れたもの。
 鼻血の後始末をしながら、エミルの頭の中にはついさっきのニコラの発言が、ぐるぐると渦を巻いていた。

(シャルと一緒に薔薇のお風呂)
(シャルと一緒に。シャルと一緒に。俺のシャルと一緒にいいいいいっ!)

 妄想がわああんっと膨れ上がり、また新たな鼻血が込み上げる。
 急いで鼻を押さえ、ハンカチを水に浸して鼻の付け根に当てた。

「………いいかも知れない」
「ぴゃっ?」

 ぎっくうんっと心臓が縮み上がる。振り返ると、テーブルの上に黒と褐色まだらの猫のような生き物が乗っかっていた。きちっと前足を揃えて、翼を畳んで座っている。
 鳥のような、猫のような生き物。幻獣とりねこだ。
(ダイン先輩の使い魔がっ! 何故ここにっ!)
 見られた。聞かれたっ?
 いや、いや、落ち着けエミリオ。不思議はない。薬草調理学実習のおやつが目当てで顔を出しただけだ。第一、ダイン先輩だっていつもこいつと感覚を同調させてる訳じゃない!
 でも念のため。

「ちびさん」
「ぴゃあ」
「クッキーをあげよう」
「ぴゃあああ! くっきー!」

 とりねこは今見聞きしたことをころっと忘れて、目の前のクッキーにかぶりつくのだった。

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【27】薔薇の花びら浮かべよう

2013/02/14 13:57 騎士と魔法使いの話十海
 
  • 魔法学園の作業小屋で、せっせと作業にいそしむエミルと試験勉強に励むニコラ。
  • いきなりぽつりとニコラが爆弾発言。「ねー、エミルは入らないの?」「何がです」「シャルと一緒に、お風呂」
  • その一言が引火してエミルの若い血潮が大爆発!非番の週を共に過ごすべく家にやって来たシャルを何気なく風呂に誘うが……。
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