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2012年11月の日記

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【23-3】白馬救出作戦2

2012/11/16 3:52 騎士と魔法使いの話十海
 
「見えた!」

 目を閉じたままニコラが顔をあげる。水の小妖精キアラは液状に変化して扉のすき間から入り込み、今しも隠れ家の内部で実体化したところ。

「よーし、その調子だ。ブローチに焦点を合わせて、キアラの視覚と同調しろ」

 フロウの言葉にうなずき、言われるまま胸元の琥珀のブローチに手を当てる。

『キアラ、中を見て』
『キアラ、中を見る!』

 どことなく水の膜を通していたようなぼやけた視界にくんっと焦点が合い、はっきりと見えた。
 自分が小さく縮んで床の上に立っているような感覚。キアラの視覚だ。ぐるりと周りを見回した。

「馬泥棒は、全部で5人……」

 ちゃりん、と金属の鳴る音がする。振り返ると、奥の馬房からもう1人出て来た所だった。間仕切りを閉めた時、耳に下がった金色の円環形の耳飾りが揺れて、ちりんっと鳴る。
 人間の耳には恐らく聞こえない。キアラの聴覚だから聞き取れるほどの微かな音。

「ううん、6人居る。奥が馬房になってて、馬が三頭。一頭はあの白馬ちゃんね。あ、ちょっと待って」

 しばらく集中してから、ニコラは言葉を続けた。

「さっき、家の壁が、がばあって開いたでしょ? 今は内側からかんぬきがかかってるけど、あれ外したら、外側からも開けられるんじゃないかな」
「なるほど、その方が視線が通るな」

 レイラはシャルとフロウに視線を向けた。

「射手と術師がいるのだ、遠距離攻撃は我々に利がある」
「やれるか、ニコラ?」

 師匠の言葉に、ニコラは目を閉じたままにかっと笑った。

「任せて!」
 
     ※
 
 小妖精キアラは水たまりと化して、じっと床に潜んだ。馬泥棒たちは、互いに傷の手当てに忙しいようだった。

「くそっ、あの白馬め、とんだ跳ねっ返りだ、ばくばく噛みやがって!」
「こっちはもうちょっとで蹴られる所だったぞ」
「さっさと売り払うに限るな」
「ああ、見た目は小奇麗だからな。いい値がつくだろうよ。その後のことは……」

 馬泥棒たちは黄ばんだ歯をむき出し、にしししっと笑いあった。

「知ったことか!」

 何となく自分が話題に出ているとわかったのだろう。白馬がぶるるるるっと不満げに鼻を鳴らし、がつがつと地面を蹄で穿つ。
 馬泥棒たちはびくうっとすくみ上がって白馬の方をうかがった。完全に怯えてる。

(チャーンス! キアラ、行って!)

 キアラはしゅるっと伸び上がるとかんぬきの近くで実体化し、両手で掴んだ。

『うーん』

 ぱたぱたと羽根をはばたかせて引っ張る。
 幸い、素早く開閉できるように馬泥棒たちはかんぬきの手入れを怠らず、きちんと油もさしてあった。
 音も無く金具の中で横棒が滑る。両開きの扉を繋ぎ止める仕掛けはもう効かない。

「OK! キアラ、戻って!」

 しゅわわっと液体に戻るとキアラは扉のすき間から外に流れ出した。

     ※

「よし、それじゃ全員集まれ」

 フロウは手首に巻いた腕輪に手を触れて、位置を確かめた。上着の内側に仕込んであった投げ矢の数を確認し、改めてベルトに挿し直す。これを使う羽目に陥らないのがベストだが、備えておくに越した事はない。
 杖を構えるニコラに弓矢を手にしたシャルダン、それぞれ剣の柄に手をかけたダインと二の姫を見回した。
 
「ぴゃっ」
『きゃ』

 使い魔二体もやる気満々、こいつらに限って言えば必ずしもこれからかける呪文は必要ないのだが……そこはまあ、気分の問題。士気を高めて損はあるまい。
 左手を掲げ、フロウはいつもよりやや声を落として唱えた。

『混沌より出し黒、花と草木の守護者マギアユグドよ。芽吹き茂り花開く、汝の活きる力もてこの者たちに祝福を……』

 しっぽをつぴーんと立てて羽根を震わせ、ちびが復唱する。

『祝福を……ぴゃあ!』
 
 詠唱が終わると同時に、ダインたちはほわっと自分の体内を巡る力が一段と活性化するのを感じた。

「ひゃ」

 ニコラが首をすくめている。慣れない感触に戸惑ったのだろう。

「戦闘前の祝福って、ただのお祈りじゃないのね」
「ああ、活力を付与して、戦う力を高めてるんだ」

 祈る神は違えどこれは騎士としての経験が役に立ったのか、珍しくダインが解説する。

「速い者はより速く。強い者はより強く動けるように、な」
「……なんか納得が行かない」
「は?」
「ダインに説明されるとなーんか今一、信用できないのよね」
「あのなぁ」

 ぐんにゃりと口をひんまげるダインを尻目に、フロウがにんまり笑った。

「安心しな、今回はこいつも正しいこと言ってるから」
「はーい」
「露骨に反応違うなおいっ」
「ディーンドルフ。騒ぐな。敵に気付かれる」
「……はっ」

 二の姫にたしなめられ、ダインはしぶしぶ口をつぐみ、剣を抜いた。対してレイラのレイピアは鞘に収められたまま。だがどちらも戦闘準備の態勢に変わりは無い。扱う武器も、得意とする剣技も違うのだ。

「さて、成り行きだが一緒に仕事することになったわけだねぇ……お手並み拝見といこうかね、騎士サマ?」
「任せろ!」

 蜜色の瞳に軽く笑みかけられただけで、わんこ騎士はやる気倍増。むしろ呪文よりこの一言だけで充分なんじゃなかろうかと言う勢いだ。

「では師匠、シャルダン、妹をお願いします」
「了解!」
「そっちも気を付けてな」
「姉さま、がんばって」

 ひそっと囁くニコラの声に顔がゆるんだがそれも一瞬。きりりと表情を引き締めて頷くと、レイラは改めてダインに向き直った。

「行くぞ、ディーンドルフ」
「御意」

 がつんっと黒が蹄で地面を叩く。俺だってやれる、と言いたげに。ニコラは伸び上がってそっと逞しい首を撫でた。

「あなたはここで待機ね? 黒ちゃん」

 小さなレディに言われてはいたしかたない。黒毛の軍馬はしぶしぶ大人しくなった。
 一方で二人の騎士は通りを横切り、木戸を潜り、静かに馬泥棒の隠れ家に近づいて行く。壁を装った隠し扉の前に立つとうなずきあい、身構えた。

「西道守護の名において、ここを開けろ!」

 レイラの声がりん、と響く。同時にダインが足をあげ、力いっぱい『壁』を蹴り着ける。狙いたがわず、ばーんっと隠し扉は全開、薄暗い隠れ家にさーっと日の光がさし込む。

「うわあ!」
「何で、お前らそこからっ!」

 来るはずのない所から敵が来た。その上眩しさに目がくらみ、馬泥棒たちは大混乱。右に左に逃げ惑う。
 だがいち早く一人の男が気を取り直した。海賊さながらに三角帽子を斜めに被り、この暑い中、黒い革のジャケットを羽織った男だ。

「慌てるな、騎士ったってたったの二人じゃねーか、しかも一人は女だ!」

 怒鳴りつけられ一味ははっと我に返る。

「お、おう」
「返り討ちにしてやりゃ、箔がつくってもんだぜ、おりゃあっ」

 手に手に抜き身の剣だの片刃の小剣を引っさげて、押っ取り刀で飛び出した。
 対するダインとレイラは見交わすや、さっと左右に別れて後ろに下がる。

「ははっ、見ろ、ビビってやがるぜ」
「逃がすかぁ!」

 調子に乗って馬泥棒一味は、へらへら笑いながら隠れ家から飛び出した。しかし、それは全て計算の上での行動。射線を確保するためだったのだ。
 二人の騎士が動いた瞬間から、既に四の姫ニコラは詠唱に入っていた。使い魔キアラも水のせせらぎに似た声を震わせ、後に続く。

『水よ集え 凍てつき鋭き針と成り 我が敵を貫き通せ!』
『つらぬきとおせ!』

 さらにもう一体、ぴゃあぴゃあした声が唱和する。

『貫き通せ、ぴゃあ!』

 金髪の少女の肩の上、黒と褐色斑の猫が後脚を踏ん張り、頭の上にフードのようにぺったり覆いかぶさって前足を載せる。さらにその上に、ふわふわの綿菓子頭の小妖精がうつ伏せになってぺったり乗っていた。
 見た目はたいへん愛らしい。だが。
 水の妖精(ニクシー)に強化され、さらにとりねこの精神共鳴によって増幅された呪文は、一人前の魔術師に匹敵する強さにまで高められていた。

『氷結鋭針(ice needle)!』

 空中に生じた氷の針を、ニコラはびしっと手にした杖で導いた。狙う先は傍らに立つシャルの矢じりと同じ。
 ぴんっと弦が鳴る。やや遅れて氷の針が飛んだ。

「うおおう!」
「なんっじゃこりゃあっ」

 どすどすどすっ!
 降り注ぐ矢と氷の針が迂闊にも飛び出した馬泥棒2人を直撃する。

「つべてぇっ」
「いでぇっ」

 狙い過たず放たれた矢はきれいに馬泥棒の利き手を射貫いていた。さらに氷の針が皮膚を裂き、たまらず武器を落とす。

「っとぉ、危ねぇ危ねぇっ」

 運良く出遅れた3人目は、難を逃れたかに見えたが。

『黒にして緑、マギアユグドの御名において 力よ我が手に宿り 敵を打て!』

 いつもの癒しや護りの呪文に比べ、短く力の篭った詠唱とともにフロウが左手を突き出す。
 腕輪に緑の光が走る。垂直に構えられた手のひらの周囲の空気が歪み、ォオンっと鳴った。

「うげっ」

 途端に3人目は目に見えない強烈な一撃を受け、もんどり打って地面に叩きつけられた。

「ン何だあ? 何で騎士なのに魔法使うんだよ、きったねぇぞ!」
「騎士じゃないもーん。魔法使いだもーん」
『もーん』
「ぴゃあ」

 臆せず言い返すニコラに思わずレイラは感慨に浸る。

「あの小さなニコラがすっかり立派になって!」
「二の姫、前、前!」
「おっと」

 二の姫はすばやく気を取り直した。細身の女に厳つい男。組みしやすしはこちらと見くびったか。こっそり忍び寄っていた四人目を、抜きざまびしりと斬り付ける。

「ひっ」

 振りかざした片刃の段平が達するより早く、銀光が走り、賊の手首にまとわり付く。
 あっと思った時は既に遅く、切っ先が蛇のように段平の柄を巻き上げ、空高く飛ばしていた。
 怯んだ所に、幅広の剣がびゅんと唸る。避ける暇もあらばこそ、鳩尾目がけて容赦無い一撃がたたき込まれていた。
 刃ではなく、平での一撃。だが衝撃と力にはいささかの手加減も無い。

「ぐげぇっ、ひゅう……」

 踏みつぶされたカエルのように呻きながら馬泥棒は、体を二つ折りにして後方に吹っ飛ぶ。
 ふんっと鼻息荒くダインは振り切った剣を背後から頭上へと回し、再び構え直した。

「あーあ、相変わらず容赦ねぇなあ、あの馬鹿力」
「お見事です、ダイン先輩!」

 油断なく第二の矢をつがえながらシャルダンがぽつりとつぶやいた。

「いいなあ、ムキムキ、いいなあ……」

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【23-2】白馬救出作戦1

2012/11/16 3:51 騎士と魔法使いの話十海
 
 背中の翼をきっちり畳み、ちびは普通の猫のふりをして件の家に忍び寄った。んーっと伸び上がって窓から中をのぞき込み。

「ぴ……」

 耳を伏せた。窓枠にはガラスではなく、薄く削いだ角を張り合わせた半透明の板がはめ込まれている。この界隈にはよくある作りだ。ガラスより安価で、牧畜の盛んなアインヘイルダールでは容易く手に入る。
 かろうじて光は通すものの、視界は良くない。さらに内側からぞんざいに板が打ち付けられていて、ほとんど中は見えなかった。
 聞こえるのは音ばかり。
 何か大きな生き物がしきりと足踏みし、鼻息も荒く暴れている。時折、カツ、ガツっと歯のぶつかる音が響き、合間に押し殺した人間の悲鳴が聞こえた。
 さらに、どごっと何やら小柄な生き物がすっとばされ、壁に激突する気配。ドンガラガンシャーンっと派手な音が響き、窓が揺れる。

「ぴーっっ!」

 さすがにちびはぶわっとしっぽを膨らませ、とーちゃんの元へと飛んで返った。

「ぴぃ、ぴい、ぴぃい」
「よーしよし、がんばったな、偉かったぞ」
「ぴいぅうううっ」

 とーちゃんのがっしりした腕に抱きしめられ、顔を胸にすりよせる。大きな手が背中を撫でてくれた。少しずつ、爆発したしっぽが元に戻って行く。

「すごい暴れてるな、あの白馬」
「可愛そうに」

 シャルが眉を寄せ、顔を曇らせる。

「いきなりあんな酷い事をされて、怯えてるんですね」

 ちびの耳を通して聞いた限りでは、可愛そうなのはむしろ馬泥棒の方なのだが……あえて口には出さないダインだった。

「どうにかして中の様子を見たいな。突入するにしても、何人いるのか、分かればいいんだが」

 誰にともなくつぶやいた、その時だ。不意に背後から、鈴を転がすような澄んだ声が答えた。

「手伝おっか?」

 ぎょっとして振り向くと、そこにはさらさらの金髪を小馬のしっぽのように結い上げた少女が一人。青い瞳をきらきらさせて、後ろ手に手を組み、首をかしげているではないか!
 胸元には琥珀のブローチ、髪に揺れるは水色のリボン。

「ニ……」

 ぱち、ぱちとまばたきしたダインの目が、次の瞬間、限界まで見開かれる。

「ニコラーっ! どうしてここに!」
「ちびちゃんがとーちゃん呼んでるって言うから、面白そうだなーって思って、後をついてきたの」
『きたの』

 ひょこっとニコラの胸元から、ふわふわ巻き毛の小妖精が顔を出す。その瞬間、ダインは全てを理解した。

(そうか……キアラにちびを追跡させたのか!)

 最初の衝撃をどうにか乗り越え、腕組みしてにらみ付ける。

「危ないだろう、一人でこんな所まで来ちゃ」
「心配ない、私が一緒だ」

 その瞬間、ダインの背筋がびしっと伸びた。

「二の姫!」
「え、この方がっ」

 ニコラのすぐ後ろにすらりとした女性が寄り添う。身に着けているのは砂色の身頃に黒の前立ての詰襟の軍服……女性の体に合わせて細身に仕立てられているが、まちがいない。西道守護騎士団の制服だ。襟元には、銀の星が光っている。
 ダインとシャル、二人の騎士はぴしりと気を付けの姿勢をとり、敬礼した。

「レイラ隊長! お久しぶりです」
「久しいな、ディーンドルフ。槍試合以来か」
「はっ!」
「そう堅くなるな、楽にしろ」
「はっ」

 そうは言いつつ一向に力を抜く気配のないダインにくすっと笑うと、二の姫は彼の隣に立つ銀髪の騎士へと視線を移す。

「そなたがシャルダンか」
「はい。お初にお目にかかります!」
「よい目をしている。ニコラから聞いているぞ。弓の名手で、妹に良くしてくれているそうだな。感謝する」
「いえ、私こそニコラさんにはお世話になりっぱなしで……」

 ほんのりと頬を染め、つつましく恥じらうシャルを見てレイラは思った。惜しい。これで女性だったら、まちがいなく女子隊にスカウトするものを、と。

「ところで、ディーンドルフ」

 二の姫は気付いてしまった。黒と褐色斑の猫が、騎士ディーンドルフの首にくるっと、襟巻きのように巻き付いているのを。

「はっ!」
「お主、ダインと呼ばれているのか?」
「はい。長い名前は呼びにくいですから」
「そうか。そうか」

(こいつがダインか……なるほどな)
 全ての手がかりがかちりと噛みあう。つまり、かわいいかわいいかわいいかわいいニコラの話にたびたび登場するダインとは、この男の事だったのだ。
(馬に乗せたのも。ニコラの手作りのスープを食べたのも。ニコラが焼いたパイを食べたのも全てこいつか!)

「あの……レイラ隊長?」
「お前もニコラと親しいようだな、かなり」
「ええ、まあ、それなりに」
「ふふ、ふふふふふ……そうか……それなりに、か」

(しかもさっき、お前思いっきりニコラを呼び捨てにしてたよな!)
 凄みのある笑みを浮かべる二の姫に、ダインは底知れぬ寒気を覚えた。
(何、俺、何かレイラ隊長を怒らせるような事したか? 試合のこと根に持ってるとか、そう言うんじゃないよな?)
 二の姫レイラの公明正大さは、騎士団にあまねく知れ渡っている。正々堂々と戦った結果に、私怨を挟むような人ではない。だとしたら。ダインはちらっと横目で己の愛馬を見やった。
 この緊迫した状況下にも関わらず、かなりご機嫌だ。小さくて可愛い生き物と美女が居るのだから当然と言えば当然か。
(あ)
 はっと閃く。
(ほんとは二の姫、黒が欲しかったとか……)
 だったら納得も行く。佳き馬に巡り合うのは、騎士として何よりの願いだ。性格に多少難があるとは言え、黒は滅多に無い優れた軍馬だ。
(ど、どうしよう。後で試乗していただくか? 黒も異存はないだろうしっ)
 じっとりとにじむ冷たい汗を拭い、ふと顔を上げると。

「ふー、やれやれ、やあっと追いついた」

 後続部隊が一人、増えてたりする訳で。亜麻色の髪に蜂蜜色の瞳の小柄な中年男。ひと目見るなり、かっくんっと顎が落ちる。

「お前も来たのかフロウ!」
「ニコラほっぽって、俺一人店に居るわけにも行かないだろ?」

 何とはなしに状況が飲み込めて来た。
 キアラがちびと一緒に居たのだから、ニコラも白馬誘拐の瞬間を見ているはずだ。しかも現場はフロウの店からほど近い。自分も直接行くと言い出したのは容易に想像が着く。
 二の姫が妹を一人で行かせるはずもないし、フロウにしたってそれは同じだ。
 結果、こうなった、と。

「ちびちゃん、ずーっと下見てたからねー。キアラが上飛んでたの、気が付かなかった?」
「気付かなかった……」

 フロウが片目をすがめてにやりと笑う。

「気配ぐらいは感じただろうによ? ちびの能力、まだまだ使いこなせてねーな、お前さん」
「ううう」

 図星を指されて言い返せない。がくっと肩を落とすしかなかった。

「ね、ね、馬泥棒捕まえるんでしょ?」

 落ち込む騎士の袖を、くいくいとニコラが引っ張る。

「キアラなら、中に入れるよ」
「どうやって?」

 とっさに聞き返していた。正に悩んでいた事の答えが目の前に転がり込んで来たのだから!

「目立つだろ。ちびと違って、猫のふりする訳にも行かねーし」
「こうやって」

 その途端、しゅわっとキアラの姿が透明になり、さやさやと宙に渦巻く一塊の水になる。

「すき間からしゅるしゅるっとね」
「そっか」

 ぽん、とシャルが手をたたく。

「キアラさんは、本来は水なんですよね」
「そ! 水たまりにもなれるし、霧にもなれる!」

 ニコラが得意げに胸を張る。

「変幻自在なんだから!」
「……わかった。人数の確認だけだぞ? 危ないから絶対、前に出るなよ!」
「心配するな、私が着いてる」
「俺もいるし。大丈夫じゃね?」

 ダインは渋い顔をして見渡した。やる気満々のニコラと、守る気満々の二の姫、そして余裕の笑みを浮かべるフロウ。悔しいが。本当に悔しいが、熟練の守護者が二人も居るこの状況で『危険だから』はもはや理由にならない。

 その間に、フロウはこれ幸いと、ちゃっかりニコラに実戦の心得を伝授していた。

「よしニコラ、それじゃあ戦う時の呪文の使い方を軽くレクチャーするからな。」
「はい師匠!」
「おい、本気でやる気かよ……」
「前には出ないよ?」
「当然だ」

 二の姫が重々しくうなずき、腰に帯びたレイピアに手をかける。

「我が身我が剣を以て私が盾となる。ニコラには、何人たりとも近づけん!」

 自分の使う剣に比べればあまりに華奢な武器だった。
 しかし、細くしなやかなその剣は、己の素早さを最大限に活かす二の姫レイラが手にすれば剣呑極まりない威力を発揮する。
 立ち昇る剣気の鋭さに、ダインは背筋がぞわあっと泡立つのを感じた。

「……とりあえず、大前提は『視界の確保』だな」

 その間、フロウ師匠は着々と弟子に教えを授ける。

「魔法は視認できない場所を基点にできない。呪文を使う時は、使い魔の視界でも自分の目でもいいから視界を確保しろ。あと、スパークとかの範囲を攻撃する魔法を使う時はちゃんと見極めろ。味方を巻き込んだら嫌だろ?」
「はい! 姉さまを巻き込まないように注意します!」
『します!』
「……俺は?」

 遠慮がちな前衛担当の一言は、物の見事にさらっと流された。

「あと、手元から撃ち出す魔法の時も注意しろ。つってもわかり難いだろうから」

 つい、とフロウは銀髪の騎士に目を向ける。シャルは戦仕度の真っ最中。愛用の楡の木から削り出した強弓に弦を張り、矢筒に収めた矢を腰のベルトに下げていた。

「シャルに頼れ。シャルと同じタイミングで、同じ相手に向けて魔法を打ち出せば射線はどうとでもなる……いけるよな?」
「了解っ! シャル、よろしくね?」
「はい、任せてください!」

 うなずくと、シャルは目を閉じてぴんっと弦を軽く弾いた。自らの守り神、果樹と狩猟の女神ユグドヴィーネに祈りを捧げたのだ。

「……何か、なし崩しに全員参加ってことになってるし」

 ぼそっと呟くダインの肩の上で、ちびがかぱっと赤い口を開ける。
 
「ぴゃあ!」 
「お前もやる気満々だな」

 顎の下をくすぐると、ちびは目を細めてつぴーんっとしっぽを立てて震わせる。

「ぴぃうぅ!」
「んじゃお前は、ニコラとフロウを手伝え」
「ぴゃっ」

 ちびの能力は、魔法使いと共に居てこそ最大限に発揮される。このちっぽけな生き物は、術師とともに呪文を唱え、その威力を高める事ができるのだ。
 最も猫なだけにかなり気まぐれで、それこそ気の合う相手としか共鳴しないのだが……フロウとニコラなら問題あるまい。

「あ、そうだニコラ……」
「なーに、師匠?」
「魔法で攻撃するのは最初の一回だけ、くらいにしとけ、今は……な。」
「えー」
『えー』

 ニコラと小妖精キアラ。宿主と使い魔は二人そろってぷうっと頬を膨らませた。とても不服そうだ。

「理由は二つ……一つ、攻撃魔法より先にダインと二の姫に使う補助魔法に魔力を割く方が有効だから」
「そっちがあった!」
「二つ……魔法は『手加減できない』……意味はわかるな?」

 ニコラは、はっと目を見開いた。そう、今回の目的は泥棒の捕縛。退治でもなければ殲滅でもない。

「…………わかった」
「ん」

(そうそう、それでいい)
 師匠フロウは秘かに安堵のため息をつく。今回の実戦は完全に予想外の出来事だ。あどけなさの残る弟子に弾みとは言え、人を殺めさせるには忍びない。自分はまだ、その覚悟も心構えもニコラに伝えていないのだから。
 一方、拳を握ると、四の姫ニコラはぶーんっと腕を回して見えない敵をぶん殴った。

「生かしたままふん縛るのが目的だものね!」
「ニコラっ?」

 さすがに二の姫も顔をしかめる。

「どこでそんな物騒な言い回しを……こらディーンドルフ。目をそらすな」

 一方でこっそりとフロウも視線をそらしていた。自分の言葉遣いも大概によろしくないと自覚があるからだ。

「ってわけで、ダイン、二の姫様……悪いが攻撃魔法の援護はあんまり期待しねぇでくれ。その分を治癒と防御にまわすから」
「心得た」
「それとニコラ」
「はい」
「どうしても敵に魔法かけたいなら、土の小精霊に敵をすっ転ばせる程度にしとけ。転んだ相手を捕まえる方がダインも二の姫も楽だろうしな」
「了解!」

 ぴしっと背筋を伸ばすと、ニコラは敬礼した。さすが騎士の娘、完璧な作法だ。

「護りと援護を優先します!」

 敬礼を終えると、ニコラは地面ぺたぺた叩いて呼びかけた。

「よろしくねっ」
『うきゅっ!』

 ダインは見た。ちびと共感すべく解放していた月虹の瞳で。
 地面からころころっと二頭身のちっぽけな小人どもが顔を出し、ニコラに向って敬礼するのを。
 土の小精霊(アーシーズ)だ。

「すげ、手なづけてる……」

 一方で二の姫は、四の姫の初陣を前に

(ああっ、あのちいさなちいさなニコラが立派になって。敬礼の作法も完璧ではないか! かくなる上は私も全力を尽くさねば……妹の初陣を、勝利に導くために!)

 感動に打ち震えていた。

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【23-1】白馬さらわれる

2012/11/16 3:50 騎士と魔法使いの話十海
 
 薬草屋の一幕など露知らず、ダインはひたすら集中を続け、ちびの視覚で白馬を探す。とりねこの目から見下ろすスラムの町並みは、様々な濃度の灰色のタイルを敷き詰めたように見えた。時に落ち葉のように重なって、かと思えば意外なほど広い空間がぽっかりと空いている。

 ふと気付く。でたらめなようで、一定の方向性があるのだ。くねくねと進む細い道と、アインヘイルダールの町を通り抜けて流れる川、そこから更に枝分かれした支流に沿って。所々に朽ちかけた家がある一方で新しく建てられた家もある。その一角だけ、くっきりと真新しい材木の木肌が浮かび上がって見えた。
 延々と連なる屋根は、全て人の手によって作られたのかと思うと不思議な気がする。

「っと……いかんいかん」

 見とれている場合じゃない。今は果たさねばならない務めがある。

「お」

 くすんだ町並みの中にぽつりと動く、白い生き物が居た。馬だ。この距離からでもはっきりそれとわかるほど、引き締まった、均整の取れた体格をしている。

『ちび、もっと近づいてくれ』

 高度が下がり、馬の姿がぐっと大きくなる。どうやら、ちびは近くの屋根に舞い降りたようだ。
 しっかりした骨格の上をしなやかな筋肉が覆い、しぼったばかりのミルクのような毛並が日の光を反射してまばゆいばかりだ。

「いた」

 まちがいない。逃げ出した白馬が、スラム街の入り組んだ町をぽこぽこ歩いていた。上機嫌で散歩でもしているのかと思いきや、様子がおかしい。塀の上、路肩の石、低く下がった軒下、かと思えば生け垣の根元。
 そこ、ここに鼻を突っ込み、何かを一心にほお張っている。草でも食べているのかと思ったが、違った。何やら白くて四角い物を、夢中になって口に入れている。

「角砂糖食ってる」
「甘いもの好きなんだ……女の子ですね!」

 甘い小さな白い立方体は、馬の喜ぶご褒美だ。しかし口に入れるとすぐ溶けてしまう。歯ごたえがないせいか、黒はあまり好まない。

「妙だな」
「どうしました、先輩?」
「何でこんな裏通りに角砂糖が置かれてるんだ?」
「! 確かに変です!」

 二人は顔を見合わせ、同時に叫んだ。

「罠だ!」

 美味しい美味しい角砂糖に釣られて、白馬は入り組んだ路地を奥へと奥へ入り込んで行く。追跡するちびの視界を頼りに追いかける騎士二人。だが、悲しいかな人間は地面を行かねばならない。翼のある猫ならひとっ飛び、だが人と馬にとってはまだ遠い。
 その間に白馬はとことこと、足取りも軽く袋小路に入り込む。ちびは身軽に軒先を伝い、時には翼で飛行して後を追う。
 もどかしい追跡を続けていると……ある家の裏庭に通じる木戸が開けっぱなしになっていた。しかも木戸の上にぽつっと一粒、白い立方体。
 白馬は迷わず口に含む。さらにふわっと漂う甘い香りに誘われて、前を見ればあら素敵。軒先に置かれた皿にこんもりと、角砂糖が盛りつけられている。

 白馬はとことこと弾むような足取りで裏庭へと入り込み、軒先の皿に鼻面を突っ込んだ。
 ぽり、ぽり、しょり、しょり。口いっぱいほお張って、夢中で角砂糖を食べる白馬の横合いから、忍び寄るがっちりした体格のむっさい男が一人。
 普段の彼女なら接近すら許さないような男だが、今は甘い甘いお砂糖に心を奪われていた。
 男は難なく近づき、いきなり白馬の頭に布袋を被せた!
 視界が遮られ、白馬は驚き立ちすくむ。その途端。がばあっと家の壁が開いた。何と壁そのものが細工され、両開きの扉になっていたのだ!
 すかさず中で待ちかまえていた屈強な男どもが手を伸ばし、白馬の首に縄をかけ、容赦なく引きずりこんでしまった。

 ちびは軒先にうずくまり、全てを見ていた。翼をたたんでぴたりと背に着け、声も発さず、普通の猫のふりをして。
 危ない、と呼びかける事もできた。だが白馬がそれに答えてくれるかどうか、確証はない。
 無闇に暴れさせて馬を傷つけるより、自分たちが到着するのを待った方が安全だ。
 ダインはそう判断し、ちびに命じたのである。

『声立てるな。翼をたたんで、静かに待て』と。

 それからしばらくして、ダインとシャルダンはようやく件の家の裏手に到着、ちびと合流した。
 路地一本挟んだ向かい側に身を潜め、近所迷惑も何のその。うず高く路面に積み上げられた木箱の陰からこっそりと様子をうかがう。
 一見、普通の家。だが、さっきちびの目を通してちらっと見えた。中は馬屋に改造されているようだった。何らかの仕掛けで壁面が内側に開き、馬を出し入れできるようになっているのだ。

「手の込んだ真似しやがって……」

 プロの手口だ。馬泥棒の隠れ家と言えば、馬の隠し場所を確保する都合上、町の外にあるものと思っていた。事実、その方が多い。

「まさか、こんな町中に隠れていたなんて。予想外です」
「まったくだ」

 この辺りは水路沿いに倉庫が建ち並び、荷馬車が頻繁に行き交っている。多少、馬の声が響いても。においがしても、誰も気にしない。

「……どうします、先輩?」
「まずは偵察だ。ちび、頼んだぞ」
「ぴゃ!」

次へ→【23-2】白馬救出作戦1
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【23】じゃじゃ馬探し〜白馬奪還編

2012/11/16 3:49 騎士と魔法使いの話十海
  • 二の姫の来襲に騎士団の砦は大騒ぎ。「大掃除に取りかかる!」「はい!」そんな中、ひときわ異彩を放つ銀髪くんの姿があった。
  • 「シャルダン」「はい」「その格好は何だ」「動きやすい格好をしろ、とのご命令でしたので」
  • きっちり結い上げたポニーテールを三角巾でつつみ、エプロン姿も甲斐甲斐しく掃除に励むシャルダンの姿はさながら新妻のお掃除姿。男所帯の騎士団どもは気もそぞろでまったく作業がはかどらない。
 
  • 困り果てたロブ隊長、ダインともども、脱走した白馬の追跡を命じた。
  • 使い魔ちびの目を借りて、白馬を探すと下町の奥深くまで迷い込んでいた。一方、白馬を追うちびを更に追跡する小妖精の姿が……。
 
  • 電子書籍「とりねこ」配信開始記念、二週連続エピソード、解決編。
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【おまけ】月酔★★

2012/11/09 2:19 騎士と魔法使いの話十海
  • 拍手お礼用短編の再録。
  • 電子書籍版「とりねこ」の第一話に直接繋がるエピソード。
 
 あれは、まだちび公を拾ってからいくらも経たない頃だから……去年の秋か。
 月のきれいな夜だった。庭のベンチに座って一杯やってたら、ダインの奴がぽつりと言ったんだ。

「俺、泣きそうだ」って。

 正直、驚いたね。
 何せ出会ったばかりの頃のこいつと来たら、多少しんみりした顔は見せるものの、泣いてる姿は断じて見せまいってそりゃあもう意地になってたから。
 ぼたぼた涙を落としても顔を背け、「泣いてない」と言い張る。それが自分から泣きそうだ、とか言い出すなんて……。
 とっさに奴のデコに手を当てていた。

「何してる」
「いや、らしくねぇこと言うからさ。熱でもあるのかと思ってよ?」
「あのな……」

 眉を寄せ、じとーっと両目を半月型にして半開き。えらく人相の悪い顔で睨んでる。
 手の下の額は熱い事ぁ熱いが、こいつは元々体温が高い上にすぐに頭に血が上る。この程度なら平熱のうち、病気ってほどでも無い。

「ん、熱は無いようだな」
「ったりめーだ、ばか」

 口調が荒いのは恥ずかしさと気まずさの裏返し。やたらと通りの良い低い声なのは、必要以上に力が入っているからだ。

「ばかって言うな」
「子供かお前は」
「はっ、どっちが?」

 鼻先で笑い飛ばして、ついでにぴんっと指で額を弾いてやった。

「おおうっ」

 ダインは大げさにのけ反り、額をさすってる。

「馬鹿でもなけりゃ熱もないってんならよぉ。説明してみろよ。何で泣きたくなるんだ?」
「………」

 言えるか? 言えねぇだろうな。顔が真っ赤だぜ、ダインくん。そもそも泣いてるのを必死こいて隠すような意地っ張りだもんな? なんて高をくくってたら。

「月があんまりにきれいだから」

 ほろっと口割りやがった。

「………えらく詩的だな、おい」
「わかってる。柄でも無いって言うんだろ?」
「よくご存知で」

 にっしっし、と歯を剥いて笑う。奴は目を伏せて、ぷいっとそっぽを向いちまった。

「お前が隣に居るから」
「っなんだよ、俺のせいかよ!」
「ちがう、そうじゃない」

 すう、はあっと大きく息を出し入れしてる。胸が膨らみ、肩が上がり、また下がった。えらく深い呼吸の後、ダインはついと顎を上げ、空を見た。
 背中を丸め、前かがみになったまんまベンチに両手を着き、遠吠えする犬みたいな格好で月と向き合ってる。
 
「お前と一緒にこうして話して、月を見上げてると、さ。腹の底がくすぐったくなって、嬉しくて。もうどうしたらいいのかわかんないくらいぶわーっと熱いもんが込み上げてきてさ……」
「何だそれ」
「咽から溢れそうになった」
「咽かよ。目じゃなくて!」
「不意打ちで泣いちまう時って、咽から出るだろ?」

 違いない。抑えても抑え切れないむせび泣きって奴は、大抵咽から噴き出すもんだ。歯を食いしばった所で止まるもんじゃない。
 どこか途中で引っかかったのを無理やり引っぺがし、文字通りごぼり、ごほっと咳みたいに。
 そこは理解できる。だがわかんねぇのは……。

「何で、俺と一緒だとむせび泣くのかねぇ」

 しぱしぱとまばたきするとダインはこっちに向き直り、背筋を伸ばした。普段は猫背癖がついてるもんだから、急に一回りでっかくなったように見える。

「お前、わかってないだろ」
「何、が?」

 後に引くのも何やら負けたみたいでシャクに障る。だからずいっと顎をそらして見上げてやった。
 視線と視線がかち合う。さあ来い、若者。こちとら伊達に年は喰っちゃいないんだ。ガタイは負けるが気迫じゃ負けねぇぞ?

「どれだけ俺が、お前を好きか」

 …………………………虚を突かれた。
 真っ白になった頭の中に、奴の言葉が。月の光に照り映えて、しっとりとした翡翠色を宿した瞳が、すうっと潜り込む。
 止められない。
 真っ直ぐに『俺』と言う存在の一番奥までたどり着き、ど真ん中に届いちまった。
 言葉に宿る本質が、魂の根っこを震わせる。

「ふ?」
「ん」

 唇が重なった。舌さえ入れない、触れるだけのキスだってのに、何そんなにうっとりしてるのかこの騎士さまは。目ぇ閉じて、鼻息荒くしてまぁ……。顔に当たって生あったかいやら、くすぐったいやら。
 
(わかってるよ。どんだけお前が俺を好きなのか)

『よせ、ダイン、死んじまう!』
『これでもまだ足りないくらいだ!』

 俺に怪我させた男を、こいつは寸での所でぶち殺す所だった。ケダモノみたいに吠え、唸り、剣すら使わず自らの拳を血に染めて。
 俺の為なら、こいつは騎士の誇りも務めも、いとも簡単に投げ捨てる。
 恐ろしいと思う一方で、また困った事に……。
 俺って奴は、快楽をむさぼっていた。傷の痛みにもうろうとしながら、ぞくぞくするほど甘美な痺れに震えていたんだ。
 そこまで自分がこの若い騎士を惹き付けてるんだって。支配し、昂ぶらせ、飼い馴らしてるとわかったから。
 こいつの首には、目に見えない首輪が嵌まってる。鎖の先を握ってるのは、他ならぬこの俺なのだ。
 そいつはどうしようもなく背徳的で、そのくせうっとりするほど心地よい感覚だった。

(わかってるから、困るんだよ)

 くっと口の端を上げ、次いで緩める。唇のすき間から歯をのぞかせて、目尻を下げる。

「まーたのらりくらりとはぐらかしやがって、このヒゲ親父め」

 浮かんだ笑みを皮肉と受け止めたか、ダインがむっと眉をしかめ、口をひん曲げる。

「やっぱわかってないだろ」
「さあて、どうだかねぇ?」

 咽が震える。
 俺の杯の中味は酒じゃない。干した香草の根と葉と花、果実の欠片を混ぜたお茶だ。月の光が溶けたとて、酔っぱらっいにはほど遠い。
 込み上げる激情を、咄嗟に余裕を含んだ忍び笑いに組み換えるだけの知恵は回る。
 飲み込んだ炎は体の奥へと沈み、ぽつりと小さな埋み火となる。放っておけば消えるだろうが、今夜は月があんまりにきれいだから……。

 服の襟元に手をかけて、ずいとばかりに押し広げる。
 ダインが目を剥き、ごくりと生つばを飲んだ。ああ、まったくわかりやすいね、若者。
 食い入るような奴の視線が喉元をはいずり回る。あんまり熱心に見るもんだから、こっちも何だか肌がむず痒くなってくる。

「来いよ」

 くつり、と咽を鳴らして笑いかけてやった。
(好きなんだろ?)
 のしかかってくる体は、さっきよりずっと火照って熱い。
(そうだ、それでいい)
 濡れた唇が喉元に吸い付き、舌が触れる。寄る年波には勝てず肌が緩み、皴の浮いたその場所にダインはいたくご執心で……事を始める前に必ず、念入りになめ回す。痕が残ろうがお構いなしだ。

「フロウ」

 押し殺した声が咽を震わせる。低い、よく響く声だ。どうしようもなく昂ぶって、若さと熱さを滾らせて、荒ぶる直前の張りつめた声。
 胸元に頭を抱え込んでやった。癖のある髪に指を通し、軽く撫で梳く。それで充分だった。
 堰を切ったように激しい息があふれ出し、がっしりした手が絡み付き、服のすき間に潜り込む。
 体を浮かせて導くと慌ただしく引っぺがし、あっと言う間に肌が夜気に晒される。

「おぅっ」

 やたらと手際が良くなりやがって、なんて感心する間もなく、まっしぐらに股間にむしゃぶりついて来た。
(あ、あ、また、そんなに、がっつきやがって)

「っはぁっ」

 股の内側の柔らかな皮膚のすぐそばで、荒い鼻息が爆ぜる。おいおい、奥ゆかしいキスからほんの数秒でこのザマか?
(くそ、まったく可愛い犬っころめ)
 遠慮するな。好きなだけ俺を貪れ。余計な事なんざ考えるな。
 そうすりゃ俺も、心置きなくお前を貪れるってもんだ。

「……ダイン」

 囁き返すその声は、自分でも驚くほどに震えている。零れる息の熱さに今さらながら、自分の欲情の強さを知らされる。
 何、何、気にする事ぁねぇ。こんなに月のきれいな夜だもの。多少酔っぱらった所で罰は当たるまいよ。
 徐々に意識と本能の境目が溶け始める。荒々しくまさぐる指先に身を委ね、降り注ぐ月光に身も心も明け渡した。

(月酔/了)

次へ→【おまけ2】薬草畑でそそられて★
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