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とりねこの小枝

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2012年10月の日記

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【20-2】燃える家

2012/10/11 18:25 騎士と魔法使いの話十海
 アインヘイルダールを囲む城壁の外、点在する集落を見回っていた時にそれは起こった。
 なだらかな緑の丘の向うにもくもくと黒煙が上がっていた。野焼きにしては時期外れ、たき火にしては明らかに大きすぎる。

「行くぞ、シャルダン」
「はい、先輩!」

 二人の騎士は即座に馬を走らせた。だが、あまりにも馬の基礎体力に違いがありすぎた。
 足並みを揃えて並走している時はさほどでもない。だが全力疾走では、はっきりと差が出る。
 とっさシャルダンは叫んだ。

「先輩、先に行って下さい!」
「わかった!」

 途端にくんっとダインの乗る黒馬は足を早め、瞬く間に銀髪の騎士の乗った栗毛の馬を引き離した。
(やっぱり私を気遣ってくれてたんだ。先輩も、黒さんも、無意識の内に)
 駆け去る背を見送りながら、シャルダンはきゅっと奥歯を噛んだ。
(自分の馬が欲しいな。黒さんに遅れないくらい、速い馬が……)

 一方、ダインと黒はひと息に丘を駆け登った。眼下に広がる集落の家が一軒、めらめらと燃えていた。城外の集落の例に漏れず、石組みやレンガをほとんど使わない木造の家だった。

「はいやっ!」

 黒毛の軍馬はまっしぐらに斜面を駆け降り、地響きとと共に燃える家まで駆けつけた。
 砂色の身頃に黒の前立ての詰襟の軍服。西道守護騎士団の制服を見て、怯える人々の顔に一抹の安堵が浮かんだ。

「おおっ騎士さまだ」
「西道守護騎士が来たぞ!」

 ここ数日、雨は一滴も降らず空気も土も乾燥し切っていた。おそらくは家を構成する木材も、屋根を葺く茅も。
 近隣の人々が手に手にバケツを下げて駆けつけ、手から手に渡して水をかけてはいたが火の勢いはあまりにも強い。折りからの風に煽られてますます燃え盛る。幸い、住人は既に逃れていたかに見えたが。

「はなしてぇええ、行かせてぇえええ!」
「いけない、あんたまで焼け死んじまうよ!」

 半狂乱になった女が数人の男女に押さえられている。

「どうした!」
「子供が。子供が、まだ中に!」

 瞬時にダインは決断した。

「子供の名前は?」
「レナーテです」
「……わかった。貸りるぞ」
「は、はいっ」

 傍の男から水の入ったバケツを受け取り、ざばあっと頭から引っかぶる。

「後からもう一人来る。彼の指示に従え」

 濡れたマントのフードを被り、襟を引き上げ口と鼻を覆う。仕度が整うやダインは身を踊らせ、燃える家の中へと飛び込んだ。
 家は平屋建て。薄い壁で仕切って居間と食堂を兼ねた部屋と、もう一つか二つ部屋を作ったありふれた作りだ。
 明るいオレンジ色の炎が天井を走り、壁を舐め、家の中には煙がもうもうと立ちこめている。鼻と口を覆う湿った布は瞬く間に熱っせられ、息を吸っても吐いても流れる空気は熱い。

「レナーテ! どこだ! どこに居る! 助けに来たぞ!」

 炎の音に負けじと叫んだ。腹から声を上げ、吠えた。

「返事しろ! レナーテ!」

 かすかに高い声を聞いた。怯え切って泣き叫ぶ子供の金切り声。生命の危機にさらされている声だ。

「おかーさーん。おかーさーん!」

 聞く者の本能を引っ掻き、胸をかき乱す悲痛な泣き声はドアの向うから聞こえて来る。
 駆け寄ろうとしたその時、天井が崩れ、折れた梁が降ってきた。とっさに後ずさりして躱すが、戸口を燃えた木材が塞いでしまった。
 こう言う時、必要なのは斧。だが手元にはない。迷わず剣を抜いた。幅広の刃、両手で振るうための長めの柄。最良の鋼を鍛えた剛剣の重さと、己の腕力を頼みに振り上げ、打ち下ろす。

「おぉおりゃあっ!」
 
 一刀両断、燃える梁が断ち切られる。ブーツを履いた足を振り上げ、どっかとばかりに扉を蹴り開けた。
 そこは家族の寝室だった。赤々と燃えて軽くなった寝具がふわふわと舞う部屋の片隅に、女の子がうずくまっている。

「レナーテ!」
「たすけて、おかーさーん!」

 剣を収めるのももどかしく走り寄り、小さな体をマントの中にすっぽりと抱き込んだ。

「こわいよーっ」
「もう大丈夫だ、よくがんばった」

 震える少女の背中を撫でる。

「目、閉じてろ」

 こくっとマントの下で頷く気配がする。

「行くぞ!」

 少女を抱きかかえ、ダインは猛然と火の中を走り出した。
 倒れてくる家具や柱を強引に肩で受け止め、足で蹴り飛ばし、ひたすら出口を目指す。呼吸すれば鼻からも口からも熱気が流れ込む。逃げ場が無い。煙が目に染み、視界が狭まる。
 大股で歩けば5歩もかからない距離が、百里の長さに感じられる。不意に自分が縮んで、家が大きく膨れ上がったような錯覚に囚われた。
(しっかりしろディーンドルフ)
 必死にしがみつく小さな手に我に返る。
(この子を助けるんだ!)

「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」

 絶叫と共に突っ走る。行く手を塞ぐ障害物を強引に押しのけ、大きく体を捻って飛び出した。炎に包まれた狭い空間から、青空の下へ。そのままだーっと走って家から遠ざかる。
 その直後。燃える家は轟音とともに崩れ落ちた。
 間に合った。安堵した刹那。

「今です!」

 いきなり四方八方から大量の水を浴びせられ、じゅわーっと白い煙が上がる。

「ぶはっ」

 ぶちまけられた水が鼻に入り、一瞬溺れそうになったが咽の焼ける感覚は和らぎ、マントに燃え移っていた火も消えた。

「大丈夫ですか、先輩!」
「…………………」

 ぽとぽとと滴を垂らしながら顔をあげると、銀髪の騎士がバケツを抱えて立っていた。

「良い判断だ、シャルダン」
 
 自分が飛び込んだ直後から、村人を指揮して水を満たしたバケツを手に待ちかまえていたらしい。飛び出したらすぐに消火できるように。

「娘は、娘はっ」

 転がるように母親が駆けてくる。崩れる家よりも娘が心配なのだ。

「無事だよ」

 それが親ってもんなんだ。何よりも子供が大事。子供の為ならどんな犠牲だって払う。それが母親って生き物なのだ。

「そら、出ておいで、レナーテ」

 マントを開いて少女を地面に下ろす。ちょっぴり顔にススがついて髪の毛がちりちりになっていたけれど、レナーテは怪我一つなかった。
 母親は娘の名を呼びながら飛びつき、抱きしめる。ひくっと少女の咽が震え、目に涙が盛り上がり……やがて声を上げて泣き出した。抑えていた感情が一度にあふれ出したのだろう。
 それはダインが家の中で聞いた、鬼気迫る金切り声とはまるで違っていた。

     ※

「いってぇっ」

 ぺっちん! といい音が響いた。人の頭を張り倒す、ある種小気味のよい音が。ダインは赤くなった額を抑えて突っ伏した。
 しばらく震えていたがむくっと体を起こし、涙のにじむ目できっとフロウを睨む。

「何すんだよ」
「まーた無茶しやがって、このアホわんこが」
「う」
「シャルに感謝しろよ? お前さんよりよっぽど冷静に対処してるじゃねぇか」
「う、それは、その……」
「真面目に魔法の勉強やってりゃ、とっさに防御呪文の一つもひねり出せたろうに」

 ぐっと言葉に詰まるダインの頭を、今度はぽんぽんとゆっくり、やわらかく叩く。あやすように。なだめるように。
 
「ま、とにかく無事でよかったよ。その女の子も。お前さんもな」
「うん」
「がんばったな。お疲れさん」

 ようやくダインは顔をあげ、はにかみながらも嬉しそうに笑ったのだった。口元をゆるめ、白い歯を見せて。
 これだけなら、日々の勤務の中の一幕で終わっていただろう。

 だが、その夜……。

次へ→【20-3】泣き叫ぶ子供★
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【20-1】赤い夕陽

2012/10/11 18:24 騎士と魔法使いの話十海
 
 アインヘイルダールの下町に、古い薬草屋がある。
 通りから石段を三段上った入り口の軒先には、杖の突き出した大鍋をかたどった木彫りの看板がかかっている。そこには流れるような書体でこう記されていた。
『薬草・香草・薬のご用承ります』
 ぱっと見、肝心要の店名がどこにも出ていないようだがそれは文字ではなく、むしろその形にあった。
 ほとんどの客から『下町の薬草屋』とか、『ジェムルの薬草店』とか呼び習わされているその店の屋号は、『魔女の大鍋』と言う。
 
 現在の主、フロウライト・ジェムルはカウンターに肘を乗せて頬杖をつき、ぼんやりと天窓を見上げていた。
 赤々と夕陽が照り映えて、まるで窓の外が燃えているように見える。
(真っ赤だなあ……こりゃあ明日も晴れるな)
 果たしてそれだけで済むんだろうか? 不吉な予感がひやりと腑を撫でる。
 美しいと言うにはあまりにその『赤』は深すぎて、どこか凄みすら感じてしまう。理性の殻のすぐ下で、生き物としての本能が恐怖を感じるのだろう。
 燃えている、すぐに逃げろ、と。
(お?)
 夕陽の赤を背景に、ぽつっと黒い影が映る。
 かたん、と器用に窓を押し開けて、小さなしなやかな生き物が入って来た。天井に渡された太い梁の上を音もなく歩き、ぱさっと翼を広げ、身軽にカウンターの上に舞い降りる。

「ふーろう!」

 猫だ。黒と褐色斑の翼の生えた猫。金色の瞳が見上げて来る。フロウはほっと息を吐いて頬をゆるめ、目尻を下げてほほ笑んだ。

「お帰り、ちび助」
「んぴゃあるるる、にゃぐるるる」

 咽を鳴らす猫の頭を撫でてやると、ぐいぐいと顔と体を押し付けてくる。
 まるで綿飴のようなふかふかの毛皮がくすぐったい。

「ぴぃうるる、うるぴぃるう」
「そーかそーか、ご苦労さん」

 言ってることはわからないが、察するに散歩しながら見聞きしてきた事を報告しているらしい。

「ダインは一緒じゃなかったのかい?」

 途端にちびは耳を伏せ、体を低くした。上目遣いに目を半開き、赤い口からは白い牙がのぞく。
 とてもとても猫相が悪い。

「とーちゃん、くさーい」
「……は?」

(一体何やらかした、ダインくん?)
 首をかしげていると、程なく。外の通りをずしん、ずしんっと重たい蹄の音が近づいてくる。

「お、来たか」

 客ではない。その証拠に蹄の音は裏へと回り込み、ぎ、ぎぃい、と、木戸を開ける音がした。
 わんこ騎士は明日から非番。だから昼間のうちに裏の馬屋に風を通し、寝藁を新しくして香草入りの飼い葉を用意してあった。
 薬に使う部分を取り除いた後の香草を混ぜた飼い葉は、黒毛の軍馬の好物なのだ。
 体を低くしてなおも『くさい、くさーい』とぼやくちびをなだめつつ、フロウはそれとなく頭の中で馬と乗り手の行動をなぞった。
 裏の馬屋に入り、馬具を外して馬房へと導き、体を拭いて、丁寧にブラシをかけて、蹄の手入れ。飼い葉と水を与えて、軽く首を叩いて撫でて、馬屋を出て……。
 のっし、のっしと重たいブーツの音が近づいてくる。裏口の扉が軋みながら開く。

「ただ今、フロウ」

 途端にちびがぶわっと尻尾をふくらませる。フロウもまた、眉をしかめて入ってきた男をねめつけた。

「……焦げ臭いぞ、ダイン」

 金髪混じりの褐色の髪、背は高く手足はがっちり、肩幅広く胸板も厚い。詰襟の軍服をまとった堂々たる体躯の男が情けなくもきゅうっと眉を山形に寄せ、きまり悪げにぽりぽりと、人さし指で己の首を掻いた。

「はは、やーっぱ臭うか」

 じっとぉっとフロウとちびに睨め付けられて肩をすくめ、ダインは改めて自分の肩や腕をくんくん嗅いだ。

「一応着替えて来たんだけどな」
「着替えた程度じゃ、染みついた煙やススのにおいは抜けないんだよ。髪の毛に篭ってるんだ」

 ちびが助走も無しにカウンターに飛び乗り、かぱっと赤い口を開けた。

「とーちゃん、くさーい」
「……すまん」

 一人と一匹(一羽?)の苦情を受け、ダインはますます背中を丸めて縮こまり、うな垂れた。

「とりあえず風呂沸かしてやるから、それまで近づくな」
「っ」

 その言葉を聞くなり、ダインはびょっくんっと跳ね起きた。
 目が限界まで見開かれる。白目の露出が増え、瞳孔がきゅーっと収縮し、眼球そのものが白っぽくなったように見えた。

「井戸で水浴びて来る!」

 言うなりくるっと回れ右。一目散に裏口へとすっ飛んで行く。あっと思った時は音を立てて扉が閉まり、ばたばたと騒がしい足音が遠ざかっていた。庭の井戸へとまっしぐら、ってとこか。

「おー、おー、慌てちゃってまぁ……」

 がしゃがしゃと井戸の滑車をを回す音が響いて来る。季節は双子月(6月)、暑い日が続いてるとは言え、まだまだ井戸の水は冷たかろうに。

「湯が沸くのも待ちきれないってか?」

 ざばー、ざばー、と派手な水音を聞きながらフロウは苦笑して、お湯を沸かしにとりかかった。
 風呂ではなく、お茶用に。 

     ※

 10分後、さすがに寒そうに身を縮めて入って来たダインは案の定、シャツも羽織らず上半身裸で戻って来た。
 しっとりと濡れ、いつもに増してくるっと巻いた髪が首筋にまとわり付いている。

「何つー格好してんだよ」
「拭くもんなかったから、シャツで拭いた」
「ばーか」
「うぶっ」

 ぼふっと顔面めがけてタオルを投げつける。白い柔らかな布を被ったまま、ダインは眉を潜めて目を細め、むぅっと口を尖らせた。

「馬鹿って言うな」
「阿呆」
「う」
「後先考えずに突っ走りやがって」
「うう」
「そら、これ飲め」

 首をすくめてひるんだ所にすかさず、ごっつい手に湯気の立つマグカップを押し込む。

「何だ、これ」

 くんっとにおいを嗅ぐとダインはほうっと小さくため息をもらし、目を細めた。

「いいにおいがする」
「普通の紅茶だよ。ショウガと蜂蜜入れといた」
「さんきゅ!」

 一口、二口とすすり、また小さく息を吐いてる。

「あ」

 あったまったら頭が回って来たのか。そろーっとこっちを見上げてきた。

「まだ臭うか?」

 おどおどしながら問いかける濡れわんこの髪に顔を寄せ、おもむろに深呼吸。しばし腕組みして考え込む、
 わんこは緊張した面持ちで息を呑み、じっと自分の言葉を待っている。その姿が何ともいじらしく、愛らしい。
 ここでダメ出ししたらどうなるだろう。またすっ飛んで水を浴びに行くだろうか? 意地の悪い考えが脳裏をよぎるが。

「……うん、合格」

 途端に眉間の皴は薄れ、食いしばっていた顎から力が抜ける。口角がにゅっと上がり、ぱあっと顔全体が輝くような笑みに包まれた。
(ほんと、わかりやすいよお前さんって奴は)

「とーちゃーん」
「ちび……」

 ちびもようやく落ち着いてダインにすり寄り、差し出された指先をてちてちとなめている。

「で、どうしたい。火事にでも出くわしたか?」
「うん。何でわかった?」
「何でわからないと思ったんだ」

 見つめあう事しばし。ぱち、ぱちとまばたきをすると、ダインはおもむろに音を立てて甘いお茶をすすった。
 フロウはひたすら待つ。
 こちらからはっきりと問いかけるまで、話そうとはしなかった。何かしら、引っかかるものがあるって事だ。こう言う時は無理に急かすと余計に黙り込む。こいつが自分から話すのを待つに限るのだ。

「おかわり要るか?」
「うん、もらう」

 一杯目を飲み終わり、二杯目の半ばまで口をつけた所でやっとダインが口を開いた。

「……馬で、城外を見回ってたんだ」
「うん」
「シャルダンと一緒に」
「あいつ、まだ自分用の馬持ってないよな?」
「うん。だから騎士団の共有馬を使ってる……」
 
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【20】夕陽のごとく赤々と

2012/10/11 18:23 騎士と魔法使いの話十海
  • 夕方、店に戻って来たダインには、燃える木と煙のにおいが染みついていた。「とーちゃん、くさーい」「お前焦げ臭いぞ」「洗ってくる!」
  • 速攻で裏庭で井戸の水を浴び、戻ってきたわんこに問いかける。「で、火事でもあったか」「うん……」
  • 燃える家と泣き叫ぶ子供。二の符号つが過去に通じる扉を開く。その夜、ダインは悪夢にうなされる。白目を剥いて唸るダインにフロウは……。
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