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2012年2月の日記

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【12】ひなたぼっこ

2012/02/24 2:42 騎士と魔法使いの話十海
  • ちっちゃいさんの一件の直後。
  • おいちゃんとわんこの日常の一コマ。
 
 冬にしては風の流れもおだやかで、ぽかぽかあったかい陽射しの降り注ぐ気持ちのいい日だった。
 馬小屋で黒の世話をしてる間に、ふいっとちびの姿が見えなくなった。
 どこ行った? ついさっきまで、藁の中にもぞもぞ潜って遊んでたのに。

「ちびー。おーい?」

 外に出てみたら、居た。裏庭に置かれた台の上でうずくまってる。
 テーブルくらいの大きさで、薬草を干すのに使われてるだけあって、日当たりは抜群。目を細めて、いっちょまえに前足を体の下に折り畳んでうとうとしてる。

「そーかそーか、日向ぼっこしてたか」

 やっぱ猫だなあ。ああ、でも翼をふわふわふくらませてるとこは、鳥っぽいや。
 なんてこと考えながら横を通り過ぎて、裏口に向かう途中で足が止まる。
 
「ん?」

 何か、今、猫と薬草以外のものも乗ってなかったか?
 そろりと振り向くと、居た。
 手のひらに乗っかるぐらいの二頭身の小人が、柔らかい亜麻色の髪をふわふわふくらませて台の上。まるまっちぃ体をぺたーんっと平べったくのばして、くつろいでる。
ちっちゃいさん』だ!
 これだけはっきり見たのは、始めてだ。目に付いただけで七匹(七人?)いる。うっとりと目をとじて、すごく気持ちよさそうだ。ちっちゃな細い手足をわきわきさせて、時々パンケーキみたいにくるっとひっくり返ってる。

「うわあ、可愛いなあ」

 ぼーっと見てたらフロウに耳をひっぱられた。

「こら。無闇にちょっかい出すなっつったろ」
「いででっ。見るだけだよ見るだけ!」
「手ー動いてたぞ」
「あ」

 撫でくりまわしたいとか、こね回したいとか思ってたのが、つい、動きに出てたらしい。

「仕方ない。じゃ、こっちを触る」
「おい」

 フロウに抱きついてやった。髪に顔をうずめ、ふはー、むはーっと何度も深呼吸。

(あー、すっげえいいにおいする……)

 日の光をたっぷり吸い込んだ干し草のにおい。
 すーすーする葉っぱとか、ふわふわ甘い花のにおいと、調合に使う蜜蝋とか蜂蜜、酒のにおい、油のにおいに、肌からにじみ出す汗とか脂とか。ちょっとくたびれた体のにおいが溶け込んでる。
 自分の体のにおいってのは、嗅いだ瞬間うんざりして、早く風呂に入りてえ! って思うんだが。
 フロウのにおいは違う。もっと嗅ぎたくなる。欲しくなる。

(何でだ。どこが違うんだ?)

 気になってまた吸い込む。鼻の奥、咽でしみじみと味わう。
 すっぽり抱きすくめた腕の中で、小柄でまるっちぃ、確りした肉付きの生き物が動いてる。
 手足に伝わってくるその動きが。振動が、愛おしくてたまんない。

(女の子を見ても、可愛いな、きれいだなとは思う。だけど、そこまでだ。触りたい、とか。キスしたいとか。そこまで繋がるのは……ぐいぐいと引き寄せられるのは、こいつだけ。フロウだけ)

 別に今すぐヤりたいって訳じゃないんだよな。まだ股間も固くなってないし。何となく体温上がってんなーって感じはするんだけど……。

「ダイン。ダイン。こら、ダイン」
「う」
「いつまでひっついてる」
「………」

 くらくらしてた。体ん中いっぱいに吸い込んだフロウのにおいで酔っぱらって。服の向こうから染みてくる、自分以外の体温でのぼせあがって。

「……俺、お前が好きだよ」

 ちゃぷちゃぷと、においのいい酒でいっぱいになったみたいな頭の中から、ぽろっと甘ったるい言葉がこぼれ落ちる。

「奔放なとこも。ひねくれてて、たまに意地悪なとこも。声も、体もひっくるめてぜーんぶだ」

 言っちまった。
 普段思ってても絶対言わないようなことを、ぽろっと、本人の前で!
 恥ずかしいやらむず痒いやらで、体中かきむしりたい。でもそうするにはまず、フロウから手ぇ離さなきゃならない。それは、イヤだ。離したくない。
 結果。
 自分の熱で熱々に蒸し上げられて、身動きもできずに固まっていると……手が伸ばされて、髪の間に指が潜り込み、くしゃり、と撫でられた。

「あ」

 撫でてくれる手から。薬草の香る指先からしみ込む温かさが心地よくて、自分からもすり寄せる。
 また、撫でてくれた。
 気持ちいい。
 嬉しい。

 触ってくれるのが。触らせてくれるのが、嬉しい。

「へいへい、わかったから。昼飯にするか?」

 あやすみたいな口調だった。実際あやされてるんだろうな。俺は子供か?
 いや、確かに子供扱いされても仕方ない。俺の生きてる時間なんて、たかだかこいつの半分とちょっとだ。どんなにがんばっても、てんで追いつけるもんじゃない。
 それでも、やっぱオスの本能ってやつか。敵わないのは悔しい。ついヘソを曲げたくもなる。
 
「ほんっとにわかってんのか?」

 だああ。何やってんだ。
 言わなくていいことまで言っちまって。墓穴掘ってる。ざくざく掘って頭から飛び込んでる。
 照れ隠しにぶっきらぼうな声を作ったところで、かっかと炭火飲み込んだみたいに火照った顔や、耳たぶまでは隠せない。

「ああ、わかってるともさ」

 ぎっくぅんっと心臓が飛び上がる。その先が聞きたいのか、聞きたくないのか。おっかないけどやっぱり聞きたい。かっかと内側から蒸されながら、煮られながら、まんじりともせずに待っていると。

「お前さんがバカってのがな」

 え?

 あっけにとられたその一瞬、フロウはするりと腕の中から抜け出して、裏口の向こうへと消えていた。

「……バカだよ」

 へっと、吐き出すように答えたところで相手は既に家ん中だ。聞こえるはずもない。
 それなのに。
 バカって言われてんのに、何で俺、笑ってんだろ。何でこんなに、腹の底がこそばゆくってしかたないんだろう。

(ちゃんと、返事してくれた)
(拒まれなかった)
(受け入れてくれた)
(答えてくれた!)

 それだけで、嬉しい。
 ぽわぽわと、たんぽぽの綿毛みたいなくすぐったさと、あったかさが自分の回りをふわふわ浮かんで、飛び回ってるような気分になる。

「おいダイン。いつまで突っ立ってるんだ? さっさと入れ」
「……うん」

 そっか、俺、今、しあわせなんだ。

     ※

 来たか。

 のっそりと裏口から入ってきたダインの姿を見て、フロウはよし、とばかりに小さくうなずいた。
 あのまま、いつまでもでかい図体であそこにぼさーっと突っ立ってたんじゃ、『ちっちゃいさん』達が落ち着かない。ミルクの小皿をけ飛ばして連中のご機嫌を損ねてから、まだ一週間も経っちゃいないのだ。

 まったく、ちびは一度であいつらとの付き合い方を覚えたってぇのに、飼い主と来たら。
 やれやれとため息つきながら台所に立ち、昼食の仕度をしていると。

「お?」

 後ろからばかでっかい体がのしかかって来る。背後に立つ、と言うにはあまりに距離が近い。背中も丸めているようだ。
 もともとこいつは、普段は猫背気味だ。単に姿勢が悪いと言うより、何かから隠れようとしてるみたいにいつも背中を丸めている。(全然隠れてないが)
 それが、剣を持つ時とか、怒った時とか。とにかく真剣になった途端、背筋をびしっと伸ばすもんだから、ぬうっと体が一回りでかくなったみたいに見える。
 意識してやってる訳じゃなかろうが、結果としてすごみが増す。

(癖になっちまったんだろうな。目立たないように、縮こまってるうちに……)

 ふわっと髪の先が舞い上がった。首筋にダインの顎が乗っかって、耳の後ろに息が当たってる。
 かと言って、盛ってる訳でもないんだよな。すぐ尻の後ろにある股間は、ぴったり寄せられてはいるが、至って行儀良い。ガチガチになってもいないし、ぐりぐりこすりつける気配もない。
 ただ、寄り添っているだけ。
 さすがに薬草を調合してる時なら即座に追っ払う所だが、今やってるのは料理だ。
 また感心なことに、腕の動きを邪魔するような触り方はしてこない。手のひらで肩を包み込んでいるだけ。
 図体こそでかいが、ちびとやってる事はさほど変わらない。あいつもしょっちゅう、人の顔やら足に体をすり寄せてくるしな。

(何やってんだかなあ)

 わからないけど、まあ、いいか。あったかいし。

 背後にダインをひっつけたまま、野菜を切って、ベーコンと一緒に鍋で煮る。
 下ゆでしたジャガイモと、ソーセージと一緒にフライパンで炒めて……。
 煮えてきたスープを小皿にとりわけ、肩越しに差し出した。

「ほれ、味見」
「ん」
「熱いぞ」
「わーってるって……あちっ!」

 わかってないのは、どっちだか。

(ひなたぼっこ/了)

次へ→【13】四の姫と兎の隊長さん
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6.しょうがないなあ

2012/02/11 22:34 騎士と魔法使いの話十海
 
 その夜。窓辺に陣取り、馬屋の方角を睨むダインにフロウが声をかける。

「ダイン。左目、光ってるぞ」
「おっと」

 慌ててまぶたを『閉じる』姿を苦笑しながら見守った。

「いーから寝ろ! いつまでも見てるな!」
「う……うん」
「向こうだってやりづらいだろう」
「でも」
「そんだけガン見されてちゃ、いやでも気付く」
「わかった」

 わかった、と言いつつなおも渋ってる。とことこと歩み寄ると、フロウはよいしょっとばかりに伸び上がり、広い背中に腕を巻き付けて……
 唇を重ねた。
 ちゅくっと、小鳥のさえずりにも似た音を響かせて。

「っ!」

 追いすがる手からするりと逃れると、そのまま悠々と寝室に歩いて行く。すぐ後ろを、どかどかと重たい、歩幅の大きな足音が着いてくる。
 小さくほくそえむと、フロウは肩越しに振り返り、ダインと一瞬だけ視線を合わせ……寝室のドアを開け、中に滑り込んだ。

 来いよ、なんて言う必要もなかった。
 
     ※

 わんこと飼い主、そして翼のある猫。二人と一匹がベッドに入ってから、数刻が過ぎた。
 厩の穴の周囲の空気がゆらっと揺れ、わやわやと巣穴から小さな生き物が現われる。
 ちっちゃいさんたちは、甘いお菓子に狂喜乱舞。てんでにキャンディを抱え、輪になってケーキを囲んで踊り出した。

「きゅぷっ、きゅきゅきゅっ」
「きゅ、きゅいいい」
「きゅー、うっきゅう」

 ひとしきり踊ると、一斉に歓声を上げてお菓子に飛びかかる。
 あるものはキャンディを両手で抱えてがしがしと丸かじり、あるものは直にケーキにかぶりつく。
 おおぶりの一切れがみるみる小さくなって行き、瞬く間に砂糖衣ひとかけら、ドライフルーツ一粒にいたるまできれいさっぱり無くなった。
 ちっちゃいさんは全員、ぽっこんと丸くなったお腹をさすってご満悦。
 そのうち、顔を突き合わせて何やらきゃわきゃわと相談を始めた。 

「きゃわ、きゃわわ」
「きゅーきゅきゅきゅきゅきゅ?」
「うっきゅ」
「くきゅう」

 どうやら、結論に達したらしい。もっちもっちと転がるようにして巣穴に戻り、ほどなく銀色に輝く楕円形のものを引っ張り出した。

「きゅっ」
「きゅっきゅー!」

 一列になって運ぶその有り様を、黒い馬と、窓から差しこむ月だけが見ていた。

     ※

 翌朝。

「ああったああああああああああああああああ!」

 ダインの絶叫でフロウはたたき起こされた。

(まだ夜も明け切っていないじゃないか。珍しいこともあったもんだ、あいつがこんな時間に目ぇさますなんて)
(ってか、いつ起きた?)

 よほど気になっていたのだろう。
 ちびを抱えて階下に降りて行くと。

「あった。あった。あははははっ!」

 居間のテーブルの脇で、涙目で絶叫してる馬鹿が約一名。
 その手にはしっかりと、銀色のペンダントロケットが握りしめられていた。

「ありがとう、ちいさいさん。ありがとう、ありがとうっ」
「馬鹿、そこで何で俺っ、あ、こら離せーっ」

 文句を言ったところで、聞きやしない。
 よっぽど嬉しかったのだろう。ダインはフロウを抱え上げ、ダンスでも踊るようにくるくる回り始める。
 その仕草は、キャンディを抱えて、とっときのフルーツケーキを囲んでを踊る『ちっちゃいさん』に、ちょっぴり似ていた。

     ※

 見ようとして、見えない。
 見えないけど、いる。
 ちっちゃいさんは、あなたのすぐそばに。

(見えないさん、ちっちゃいさん/了)

次へ→【おまけ】銀色のしっぽ
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5.ごめんなさい!

2012/02/11 22:34 騎士と魔法使いの話十海
 
 力線と境界線。二つの流れが絡まり合った『木』から一筋、道が伸びていた。
 ここまで追いかけてきた痕跡が『糸』だとするなら、これはそれが寄り合わされ、さらにみっしりと織り上げられた『布』だ。
 どこよりもくっきりと浮かび上がっている。それだけ何回も行き来したのだろう。

「こっちだ」
「ぴゃあ」

 練り上げられた緑の道のその先は。

「ぶるるるっ」
「よお、黒。元気か?」

 馬屋だった。

「ぶふ、ぶふ、ぶふふーっ」
「ははっ、相変わらずなつこいなーお前さんは。こら、鼻つっこむなっつの、くすぐってぇ!」
「大概にしとけよ、シュヴァルツ・ランツェ!」
「ったく、馬相手に何ムキになってんだよ」
「るっせぇ」

 必要以上にフロウに親密な愛馬に向かって、くわっと歯を剥いて威嚇する。そんな飼い主の頬をつつくと、フロウは本来の目的に注意を引き戻した。

「で。どこに続いてるんだ? 俺にゃ見えないからな。お前さんだけが頼りなんだよ」
「っと、そうだった……」

 ダインは右目を手のひらで塞ぎ、馬小屋の中をぐるりと見回した。
 以前なら考えられないことだ。『月虹の瞳』を解放し、こうして『あっち側』を視ようと意識を集中するなんて。
 当たり前の世界との繋がりを断たれ、向こう側に引きずり込まれるんじゃないか。恐ろしくて、不安で、とてもじゃないけどできやしなかった。
 フロウの指導の元、自分の意志で視界を切り替え、使うことを覚えた今だからこそ、できることだ。

「あった。そこだ」

 つうっと足跡の終点を指し示す。
 壁と壁の出会う角。馬屋の隅っこにぽっかりと穴が開いていた。ネズミの通り道のような、ちっぽけな穴。だがその周辺はびっしりと、緑の足跡で塗りつぶされていた。

「隅っこが好きなんだなあ」
「落ち着くんじゃねーの?」
「次はどうする?」
「んー」

 腕組みして、フロウはきっぱりと言った。

「買い物だな。菓子屋で」
「へ?」

    ※

 その日の夕方。
 小さな陶器の皿に乗せた、とっておきのケーキが一切れ。
 新鮮なバターと牛乳をふんだんに使い、苺に木苺、ブルーベリー、ヴァンドヴィーレ産の干しぶどう……たっぷりの果物とナッツを練り込んで、砂糖衣とシナモンでコーティングした、とろーりと甘いフルーツケーキ。
 わざわざ町で評判の店で買ってきたものだ。さらに、同じく貴婦人方ご用達の店で買い求めた宝石と見まごうような美しいキャンディと、いつもの牛乳を添えて、ことりと『ちっちゃいさん』の巣穴の前に置く。

「なあ、フロウ」
「ん?」
「ほんとにこれでいいのか?」

『ちっちゃいさん』の飲み食いする分なんてわずかなものだ。必然的に残りは全て、この甘党のヒゲ親父の腹に収まる事になる。
 そしてキャンディの代金も。ケーキの代金も全て、ダインの財布から出ているのだった。
 どこか、こう、騙されたような気がしないでもない。

「ああ。ちっちゃいさんとの仲直りには、昔っからとっときのあまーいお菓子って相場が決まってんだよ」
「だけどよ。お前、このケーキ好物だったよな?」
「さーて、そうだったかなー」

 そっぽを向いて、口笛なんか吹いてやがる。

(とぼけやがって!)

「そら、ダイン」

 すました顔でフロウが相棒の脇腹をくいくいと肘でつつく。

「ちっちゃいさんがどこで見てるか、わかんねーぞ。誠心誠意謝れ! 大事なものなんだろ?」
「う……うん」

 そうだった。あやうく大切なことを忘れる所だった。

「ごめんなさい。俺が悪かった。返してくれ。それ、大事なものなんだ!」

 響き渡る声に、何ごとかと黒が耳を伏せる。かまわず、ダインはぱしっとばかでっかい両手をあわせて拝んだ。

「もう二度と、君らのミルクをひっくり返したりしないから。ほんと、ごめん。謝る。この通り!」

 答えは無し。

「ごめんなさい!」

 叫び終えると、ダインは食い入るように壁の『巣穴』を睨んだ。

「こらこら、ガン見しててどうする。忘れたか? あいつら恥ずかしがり屋なんだよ」
「う、うん」
「しばらくそーっとしとけ。そこでお前さんが張り付いてたんじゃ、お菓子取りに来ることもできねえだろ?」
「わかった」

 後ろ髪を引かれる思いでダインはその場を立ち去った。
 後には皿に盛りつけられたケーキと、キャンディと、ミルクが残された。

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4.ちっちゃいさんを探して

2012/02/11 22:32 騎士と魔法使いの話十海
 
「俺、どうすればいいんだろう……」
「そりゃあやっぱ、謝るしかないだろうなあ」
「……どうやって?」
「どうって」

 ずぞ……とあっためたミルクをすすると、フロウはくしくしと人さし指で無精ヒゲに覆われた顎をかいた。

「基本的には、人間相手と同じさね。手土産の一つも下げて、あちらさんのお家に詫びにうかがうんだ」
「ん、わかった」

 こくっとうなずくと、ダインはようやく目の前の朝食に手をつけた。それまで咽を通らなかったのだ!
 あぐあぐとチーズを乗せたパンをほお張り、スープをすすり、ミルクを流し込む。

(やれやれ、やっぱ腹へってたんじゃないかお前さん)

 とりあえずは一安心。

「う」

 いきなりぴたりとダインの動きが止まった。

「どうした、詰まったか?」

 ぷるぷると首を左右に振る。

「何んだよ、脅かすな……」

 パンくずを口の回りにくっつけたまま、この上もなく真剣な顔で一言。

「ちっちゃいさんの家って、どこだ?」
「……知らん」

 途端にきゅーっと太い眉が下がる。ぐんにゃりと口角が下がり、目尻も下がり、世にも情けない顔になった。

「えーっ」
「あいつら、じろじろ見られんの嫌うからなぁ。ま、そこはそれだ」

 ぺち、と手のひらで額に触れた。目を白黒させるわんこの顔をのぞきこみ、薬草師はゆるりとほほ笑んだ。

「お前さんの、その目の出番だよ。せっかくの才能だ。こう言う時にこそ使わなくっちゃな?」

     ※

 部屋の真ん中に立つと、ダインは目を閉じた。ゆっくりとまぶたを上げながら、左目の奥にあるもう一つの『見えないまぶた』を開く。
 肩の上にはちびがいる。しっぽをピンと立て、細かく震わせて。
 じんわりと目の奥が熱い。
 ゆらありと視界が揺れる。かげろうのようにゆらゆらと、いつもの風景に本来なら見えないはずの『流れ』が重なっていた。

「よし……行くぞ」

 テーブルの下。自分のひっくり返した皿の回りに、ちっぽけな足跡が残っていた。それは右目で見る分には踏み荒らされたミルクの染みにしか見えなかったが。
 左の目にはくっきりと、足跡の放つ淡い緑色の光が見えた。

「やっぱ緑なんだな」
「そんな風に見えるのか?」
「ああ」

 視線を転じれば、目の前にいる薬草師もまた、同じ色合いの淡い光をまとっている。左目の奥に意識を集中すると、さらにその光がくっきりと形を為した。実体のないつる草や葉っぱにふわふわと包まれるフロウの姿をじっと見つめていると。

「こら。俺をガン見してどうするよ」

 睨まれた。ぽわっと小柄な体を包むつる草にそって、一段と眩しい光の粒が走る。

「ごめん、つい」
「ったく」

 テーブルの足、テーブルの上、そして自分のシャツの胸元に押された『ちっちゃいさん』の痕跡をしっかりと覚え込む。猟犬がにおいを嗅ぎ取るように、丹念に。
 後は、たどればいい。
 床の上を横切り、壁で途切れたがそれは右目に見える足跡だけ。左目には、壁を抜けて続くちっぽけな足跡のラインがはっきりと見えていた。

「こっちだ」

 ちっちゃいさんの痕跡は、家中至る所にあった。新しいものはくっきり強く。古いものはほんわり淡く。文字通り縦横無尽に動き回っていた。たまに天井まで過っていたりして……(どうやって登ったんだろう?)

「なんか、この家、すごいな」
「珍しいこっちゃないさ。古い家には大抵、住み着いてるもんだぜ?」
「そうなのかっ!」
「ここはポイントに建ってるから、出入りが楽なんだろ」
「ああ、確かに」

 古い家の中には、うっすらと綿を刷いたように力の流れがふわふわと漂っていた。
 幾重にも違う色合いの重なる、虹のような『境界線』と。それ自体には色はないが、木や火、土、水、あるいは風。この世に存在する諸々の元素(エレメンツ)と触れ合った瞬間、それぞれの色を帯びる『力線』。
 絡み合い、重なり合い、時折、ぷくっと泡のように膨らむ。透き通る小さな球体の中に、束の間異界の景色が浮かぶ。水の中、雪と氷に閉ざされた極寒の土地、あるいはみっしりと濃い緑の生い茂る、南国の密林。

「やっぱ、森の風景が一番多いな……あと草原も」
「見えてるのか」
「うん、ちっちゃくてすごい早さで消えちまうけど、緑のもわっとしたのは何となく」
「何それ、ずりぃ」

 にゅうっと口をひん曲げると、フロウは手のひらでぺちっとダインの額を叩いた。

「ってぇなあ」
「ほら、さっさと行け!」
「へいへい」

 足跡を辿り、裏庭に出る。
 井戸の手前に、力の流れが密集していた。
 寄り集まって地面から燃え上がり、ゆらゆらと揺れるその様は、まるでそれ自体が一つの木のように見えた。
 四方に延びた枝の合間で、時折ぷくっと膨らむ異界の泡は、店の中で見たものよりもずっと大きい。

「オレンジ、いや、リンゴくらいあるな」
「何が?」
「境界線と、力線。ここで絡み合って木みたいに伸び上がって……」

 地面から手を持ち上げ、顔の高さでひらひらと動かす。今しも指の通り抜けた位置で、ぷくっと異界を映す『泡』が膨らみ、また消えた。

「枝の部分で泡みたいに膨らんで、異界の景色が見える」
「ほんと、便利な目だな……」

『ちっちゃいさん』の足跡は、『木』の回りでぐるぐると幾重にも円を描いていた。
 どうやら、お気に入りの場所のようだ。だが、動きがあまりに激しく、せわしない。躍りでも踊っているようで、休んでいる様子はない。

「家って訳じゃないみたいだな」
「だ、ろうなあ。騒がし過ぎて、落ち着かん」
「うん、なんか、皮膚の内側がざわざわする」
「ポイントだからな。生きる力が、活性化されるんだ」

 井戸の回りに広がる薬草畑には、この寒い中でも青々とみずみずしい葉が生い茂っていた。

次へ→5.ごめんなさい!
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3.無い!

2012/02/11 22:31 騎士と魔法使いの話十海
 
 翌朝。

「うー、さぶっ」

 ぶるっと身震いしてダインは起き上がった。フロウがかけてくれたはずの毛布はずり落ち、床にわだかまっている。そんなことなぞ露しらず、頭をぼーりぼーりと掻いて。

「俺、寝ちまったのか……惜しいことしたなあ」

 たはっとため息一つ。要するに、添い寝の機会を一回逃したのが悔しいのだ。

「あ、やべ」

 うっかり騎士団の制服のまま寝ちまった。シャツも上着もしわくちゃだ。

『服装の乱れは心の乱れだ。たるんでるぞ、ディーンドルフ!』

 こんな格好、ロブ先輩に見られたらきっと怒鳴られる。
 苦笑いと言うには、あまりに楽しそうにくっくっくっと声をたてて笑いつつ。シャツをつかんで胸元の皴を伸ばそうとした手が、はたと止まった。
 無い。
 あるべきものが、無い!
 さあっと青ざめる。待てこらちょっと待て、頼む、気のせいだ。夢であってくれ。虚しい願いにすがりつつ、ごそごそと首の周りを、胸をまさぐる。が、いずれも空振り。
 駄目押しでがばっとシャツの前を開けて確かめる。

「無いーーーーーーーーーーーーっ!」

 びいんっと窓ガラスが。薬瓶が振動した。

「なーに朝っぱらから騒いでんだようっせえなあ」

 時ならぬ絶叫にたたき起こされ、しぶしぶと下に降りたフロウが目にしたのは……

「無いっ、無いっ」

 四つんばいになって床をはい回る謎の大動物……いや、ダインの尻だった。

「……ダイン?」
「俺のロケットが無い。どこにも無いんだ! 昨日は確かに首にかけてたのに!」

 がばっと立ち上がり、見つめてくる緑の瞳はいじらしいくらいに必死で。心なしか潤んでいるようにさえ見えた。

「あー、あれかあ」

 つるりとした楕円形の銀のペンダントロケット。中には、金髪に青い瞳の少女の肖像画が収められている。
 ダインの『姉上』だ。

(それじゃ、騒ぐのも無理ねぇか)

 そしてもう一つ、蓋の内側には透明な樹脂で固めたラベンダー。他ならぬ自分が術の触媒として使ったのを、後生大事に身に付けてやがる。

「どうしよう。あれ無くしちまったら俺、俺っ」
「ばっか、なーにうろたえてやがるよ!」

 わなわな震えて、きゅーっと眉を寄せて。目の回りを赤くして、今にも泣き出しそうだ。
 何て顔だ。見てるこっちまで恥ずかしくなってくる。

(あーあ、いい大人がべそかきやがって。何でそう必死になるか。あ、あれだな姉上だな、姉上が大事なんだよな、そうってことにしとくぞ!)

 ぽふっと頭に手を乗せてやると、少し呼吸が落ち着いたようだった。そのまま指に髪をからめてくしゃくしゃとなで回す。

「ちったあ落ち着け、騎士さまよ?」
「う……うん」
「夕べ、お前さんの首にかかってたのは俺も見てる。無くしたんなら、おそらくこの部屋の中だ」
「そうだな……そうだよな」
「ちびの巣材にゃ不向きだし、と、なると」
「ぴゃーっ」
「ん、どうした、ちび公」

 とりねこの声に目を向けると、耳を伏せてテーブルにうずくまり、一角をじっと睨んでいる。
 フロウとダインは顔を突き合わせつつのぞきこんだ。

「ああ、これか」
「何だ、こりゃっ」

 テーブルを横切り、ちっぽけな足跡転々と続いている。向かうその先は正しく、昨日ダインが突っ伏していた席だ。

「ちょっと見せてみろ」
「うぇ?」

 うろたえるダインの胸元に顔を寄せる。シャツが乱れていた。
 いつもの事だが、今日に限っては妙に皴が『細かい』。まるでちっぽけな手でひっつかんで、ぐしゃぐしゃにしたみたいに。

「ふーむ、なるほどねぇ」
「………」

(落ち着かねぇ)

 ダインはもそもそ身じろぎした。シャツの合間からのぞく胸にフロウの息が。ヒゲが当たって、こそばゆい。
 ほんのちょっとうつむけば、柔らかな亜麻色の髪に唇が届く。

(やばい、これ以上この状態が続いたら、俺、もう我慢できねぇ!)

 ふつふつと燃えたぎる若い下心を見透かされたか? 急にぽいっと放り出される。

「う」

 ほっとしたの半分。残念なの半分で見下ろせば、フロウはちょこんと床にしゃがみ込んでいた。
 蜜色の瞳が見つめる先に転がっているのは、陶器の小皿。毎晩、ミルクを満たしている、あの皿だ。物の見事にひっくり返り、床板にはうっすら白い染みがこびりついている。

「どうやら、ちっちゃいノのご機嫌を損ねちまったようだな、ダイン」
「え?」

 慌てふためく若者をちろりとねめ付けると、フロウはくいっと口の端を上げた。

「あいつら銀が好きだからなあ」
「えええええっ! そりゃ、確かにあれ、銀でできてるけど、何でっ?」
「お前さん、ミルクの皿けっ飛ばしただろ」
「……………」
「覚えがないか」

 すとんっと床に降り立つと、ちびはふんかふんかとダインのつま先を嗅ぎ、かすれただみ声で一言。

「んびゃああ」
「あう」
「やっちまったなあ」

 がっくりと、金髪混じりの褐色頭がうなだれた。

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