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とりねこの小枝

6.はじめての魔法

2011/12/26 0:11 騎士と魔法使いの話十海
 
 私の騎士を取り戻す。ここに来るまでの間、ニコラ・ド・モレッティの頭にはそれしかなかった。
 乙女の一念は燃え盛る炎となって小さな体の内側にみなぎり、青い瞳からあふれ出し、裏町にたむろするゴロツキや不良少年など、寄せ付けもしなかったのだ。

 しかし。
 ごうごうと燃え盛っていた炎は、今やしゅうっと鎮火してしまった。

「で、帰りはどうすんだい?」
「考えてなかったーっ! ど、ど、どうしよう」

 さーっとニコラの顔から血の気が引いた。その途端。術具を収めたケースが、またカタカタと細かく振動を始めた。

「まあ、ダインに送ってもらえば心配はねぇな……って、ん?」

 フロウの目がスゥ、とわずかに細められる。間違いない。先刻の予感は今やはっきりとした確信に変わっていた。
 この子の感情に、術具が反応しているのだ。

「ダインに、送ってもらうっ?」

 ぽっとニコラの頬が赤くなる。その瞬間、またガッタン! と派手にケースの中で術具が跳ね上がり、ガラスの上蓋にぶつかった。
 指輪やメダルと言った比較的軽い物が、まるでフライパンで炒った豆のように跳ねている。

「……なぁお嬢ちゃんって、魔法学院(magic-academy)の生徒さんか?」
「え?」

 きょっとんとした顔でニコラが首を横に振った。

「ううん、魔術なんて習ったことも使ったこともないわ」
「………ってことは、感情で漏れた魔力でこれか……」

 フロウは秘かに舌を巻いた。
 無意識にあふれ出す魔力でさえ、これほどの反応を引き起こすなんて。この子が本気で術を使ったら、どれほどの威力を発揮するだろう?

「え、何? 魔力?」

 当のご本人は首を傾げていらっしゃるが。

「ん~……ちょっと待ってろ」

 術具の棚に歩み寄り、蓋に下ろしてあった錠を開けた。途端に中味がカタカタぴょいんっと飛び出して来た。

「おっと」

 床に転がったのを拾い上げていると、ニコラが側に寄ってきた。

「何? これ……きれいー」

 やはり年ごろの女の子だ。この手のきらきらしたアクセサリーは気になるらしい。目を輝かせている。

「梱包魔法(Packed magi)つってな……まあ、出来合いの呪文一つを、装飾品に封じた奴だ」
「パックド・マギ……これが? 実物は始めて見た!」
「まあ、一つあたりの値段が半端ないし、な。街中じゃああまり使う機会もなかろうし」

 元通りにケースの中に並べ直す、手の動きを少女の青い瞳が追いかけてくる。

「此処にあるのは市販品ばっかりで、いまいち自衛には向かねぇから……ああ、これがいい」

 透き通った水色の石のはめ込まれた指輪を手に取った。キーとなる石はアクアマリン、地金は銀。流れる波と水を象った意匠が施されている。

「あれ??? 何だか、それ………」

 ニコラが手をかざしてきた。

(お)

 白いほっそりした指と、水色の石をはめ込んだ指輪の間に小さな流れができていた。
 無論、普通の人間には見えやしない。魔術師が自らの意識をコントロールし、集中し、狙いを定めて始めて感知できる流れだ。

「懐かしい感じがする。見るのはじめてなのに。何で?」
「あぁ。多分、お嬢ちゃんと相性がいいんだろうな」

 この指輪を作ったのは、水の力を持つ魔術師だ。作り手の力は自ずと作り上げた物にも宿る。おそらく、この少女は水の力を秘めているのだろう。

「これは、いわゆる魔術の『発動体』って奴だ」
「魔術師の使う、杖と同じ?」
「そう、あれと同じだ」
「魔力に方向性を与えて、呪文を投射する手助けをしてくれる道具のことよね。無くても使えない訳じゃないけど、無駄な消費が増えるし、失敗する可能性も高くなる」

 おやおや、大したものだ。魔術の仕組みをちゃんと理解しているじゃないか!
 才能はあるけど、知識がからっきしな誰かさんとはえらい違いだ。

「わかってるなら話が早い。いいか、ニコラ。今からお前さんに魔法を一つ教えてやる」
「え、え、うそ、ほんとっ? 魔法教えてくれるのっ? いいの、ほんとにいいのーっ?」

 ほっぺたが真っ赤だ。ここに来てからは概ね赤かったが、今度のはちょっと質が違っている。目の輝きはさらに増し、はふー、はふー、はふーっと息まで荒くなってきた。

「………簡単に身を守れるのを一つだけ、な……」

 こっくこっくと派手にうなずいた。金色の髪が広がり揺れて、まるで翼のようだ。

「え、あれ? ってことは……あなた、魔法使いだったの!?」
「ん? あ~……そだな、一応。いいか、それじゃ見本見せるから」

 右手を掲げて、軽く指を曲げた。手首にはめた木の腕輪を介して意識を集中する。
 トネリコの木から削りだした腕輪は、使い込まれ、磨き抜かれ、品の良い飴色に染まっている。つやつやした表面には、花を模した印と魔導語が刻まれていた。

『内なる力よ 流れる力よ 集えこの手に……』

 呪文の詠唱とともに、腕輪に刻まれた魔導語と印にそって淡い光が走る。
 空気が震え、手のひらに青白い光りが集まって行く。ぱし、ぱち、と小さな音を立てて。

『energy-ball!』 

 言葉とともに練り上げた魔力の玉を空中に放つ。
 あたかも鞠のように跳ね上がった青白い球体は、ぱあっといくつもの火花になって飛び散った。
 ぱし、ぱし、ぴりり。
 金属の部分に軽く青いスパークが走った。

「すご……」
「今やったのは略式だ。本当はもうちょい威力のある呪文なんだが、それだと護身用を越えちまうからな」
「えーと、えーっと……内なる力よ 流れる力よ 集えこの手に」
「………」

 今唱えたのは、パックド・マギのために作られた、日常語で構成された呪文だ。
 魔術師の使う『魔導語』や、主に聖職者の使う『祈念語』と違って、ごく普通に会話で使われる言葉で唱えることができる
 だからって。

「一発かよ」
「魔法理論の基礎は姉さまから教わったもの。後は、法則に基づいた言葉の組み合わせでしょ?」
「なるほど、下地はあるのか。なら良いや」

 同じ騎士の家柄(あの見事な足さばきや教養の高さ、りんとした気性と行動力から察するに)でも、ダインの家と違って魔術に理解があるらしい。
 おそらく王都ではなく、この西の辺境に領土を構えた家なのだろう。
 古くから西の辺境では、魔術師と騎士が力を合わせて荒れ地を切り開き、蛮族や魔物の侵入から開拓者たちを守ってきたのだ。

「まあ、護身用だがあんまり人に向けて使うなよ? 30回に1回は人を殺せるかもしれねぇんだから」
「威嚇ね!」
「そう、威嚇だ。どれ、ちょっとやってみろ」

 水色の指輪を渡すと、ニコラは頬を染めながらそろっと薬指にはめた。指輪の帯びる力と少女の力が溶け合い、結びつく。
 やはり相性は抜群だった。

 すうっと息を吸い込むと、ニコラは澄んだ声で唱え始めた。

『内なる力よ 流れる力よ 集えこの手に……』

 間の悪いことってのは重なるもので。ちょうどその瞬間、ドアが開いてダインが戻ってきた。
 今度はきちんとシャツを着ている。
 だがあいにくと、彼の入ってきたドアはニコラの真正面だったのだ。やばいな、と思ったがまあ、所詮威嚇用の軽量版だ。ちょっくらしびれはするが大したことにはなるまい。

 なんてのんきに構えていたら。

『energy-ball!』
『energy-ball!』

「えっ」

 おい。今、呪文唱える声が二つ聞こえたぞ。もう一個は、やけにぴゃあぴゃあした声で……。
 慌てて見上げると、ちょうどニコラの真上にあたる梁の上で、翼を広げる黒褐色の斑の生き物が約一匹。金色の瞳を爛々と輝かせていた。

「ちびっ?」

 やばい。あいつ、共鳴してる! 
 
「おわあっ!」

 ばりばりーっと強烈な火花が飛び散り、部屋の中の金属にぱりっと青白いスパークが走る。

『とりねこ』には、感情や思念、願いと言った人間の『心の動き』に共鳴し、増幅する習性がある。当然、その中には魔術も含まれる。
 意識してやってる訳じゃない。動くものがあれば追いかける。それと同じだ。強い動きがあれば共鳴する。正に今みたいに。

 きっちり二倍に増幅された炸裂雷球(energy-ball)の呪文を食らい、ダインはばたっと床にひっくり返った。

「おーい、ダインー。生きてるかー」
「……しびれた」

 球体の当たった場所の服が破け、下からのぞく皮膚が赤くなっている。髪の毛の先っちょがくりんくりんに縮れてかすかに焼け焦げたにおいがするものの、命に別状はないらしい。

「ほんと、丈夫な男だねえ」
「俺が着替えてる間に……一体、何が……」
「うん、まあ話せば長くなる」

 涼しい顔で治癒呪文を唱えるフロウの横で、ニコラがぽつりとつぶやいた。

「あ、なんかだいぶすっきりした」
 
      ※ 
 
 最初の一撃こそ『不運な事故』を招いたものの。
 フロウの指導のもと、店の中で練習を繰り返すほどに精度は上がって行き……。
 西の空に日が傾く頃には四の姫は、自在に炸裂雷球の呪文を使いこなせるまでになっていた。

「よーし、上等だ。後は実践ある飲み、だな。筋がいいな、ニコラ!」
「ありがと、師匠!」
「し、師匠? 俺が?」

 面食らって目を見開くフロウに、ニコラは手を後ろで組んで首を傾げて答える。

「そうよ? だって魔法教えてくれたでしょ?」
「あー……なるほど、ね……確かにそーだ」

 フロウはほんのり頬を染め、人さし指でくしくしと己の顎の下をかいた。照れ臭かったらしい。

「あー、そうだ、ダイン。そろそろ暗くなるし、ニコラを家まで送ってやんな」
「ああ、元よりそのつもりだ。だけどその前に」
 
 のしっと背後からダインがひっついて、肩に顎を乗せてきた。

「まだちょっと痺れてるんですが、『師匠』?」

 すかさずフロウの手が、ぺちっと額を張り倒す。

「おらよっ」

 続いて呟かれた言葉は、ニコラにとっては馴染みの薄い言葉だったが、呪文なんだと言うことは分かった。ダインの皮膚にわずかに残っていた赤みが失せ、腫れが引いて行く。

(すごい……。あれを使いこなすには、もっと勉強しなきゃいけないんだ)

「ってえなあ」

 叩かれたダインは首をすくめたものの、嬉しそうだ。目尻が完全に下がって、口角が上がってる。あまつさえゆるく開いた唇の間から、白い歯までのぞかせて……。

 かちり、とニコラの中でフロウの位置づけが切り替わった。

(わかった。彼氏じゃなくて、飼い主だ!)

「レディ、こちらへ……」

『私の騎士』が手を差し伸べている。以前と変わらぬ、うやうやしさと優しさを瞳の中に秘めて。

「ニコラと呼びなさい」
「へ?」

 この瞬間、四の姫は悟ったのだった。

(犬と飼い主に焼きもちやいてもしょうがないわ!)

 きっぱりと言い切るニコラに、フロウが声をかけた。

「まあ、あれだ……頑張ってくれな」
「うん、がんばる。それじゃまたね、師匠!」

 満面の笑みで答える姫を、薬草師は目を細めて見送るのだった。まるで光を見上げるように眩しげに、蜂蜜色の瞳を細めて……。

次へ→7.いつかは。されど、今は。
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