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とりねこの小枝

5.騎士、登場。

2011/12/26 0:10 騎士と魔法使いの話十海
 
「んびゃーっ!」

 天井の梁の上で、何かが甲高い声で鳴いた。
 見上げると、そこに居たのは黒地に褐色の斑模様に金色の瞳の猫だった。つぴーんとしっぽを立てて、翼を広げ、奥に通じるドアの方を向いている。

「あれが、ダインの猫?」
「うん、名前は『ちび』だ」
「羽根生えてるけど!」
「そう言う生き物なんだ」

 答えるフロウの額には、じっとりと冷たい汗がにじんでいた。
 あの仕草、あの目つき、何が来たかは予想がつく。つくづく間の悪い奴だ。シャツと毛布と靴下と、こんなに早く洗い終わるとは!

(せめて服は着てろよ、ダイン……)

 がちゃっとドアが開き、ぬうっと金髪混じりの褐色頭が突き出される。
 何てこったい。裏庭に出る時は着てた筈の上着、脱いじまってる。ダインの上半身を覆っているのは、もはや金髪混じりの褐色の髪と、銀色のロケットのみだ。

「終わったぞー」

 のほほんと答えるその右肩に、かろうじて畳んだ上着が担がれているのが見えた。なるほど、洗濯する間、濡れないように脱いだか。で、そのまま戻って来た、と。
 ばーんと張った胸板も。くっきり割れた腹筋も、何もかもフリーダムに、オープンに。

 別にこいつの裸なんか見慣れているが、こっちの女の子はどうだろう?
 一目見るなり、少女は拳を握ってうつむいて、ぷるぷる震え出した。
 やっぱりな。目を塞いでさしあげるべきだったか。

 ってなことを考えている間に、つかつかとダインに歩み寄った。

「やあ、レディ・ニコラ!」
 
 にっこり笑ってるよ、あのど天然が!

「どうして、ここに? よくこの店がわかったなあ」

 次の瞬間。
 ふわっと水色のスカートが翻り、赤い靴がどかあっとダインの鳩尾にめり込んだ。

「ふぐぉっ」
「さいってぇっ!」

 たまらず、半裸の騎士は腹を抱えて床にうずくまった。
 素早くニコラの足は元通り、行儀良くスカートの中に収まっている。
 いい蹴りだ。ただのお嬢様じゃなさそうだ。

 に、したってダイン。ぬけぬけとレディの前に半裸で顔出すとはなぁ。よりによって、このタイミングで。
 

「……え~、弁護なし」
「ひでぇ……」

 ぱさり、とちびが床に舞い降りて、ダインの膝に前足を乗せる。

「とーちゃん?」
「……ありがとな、ちび」
「とりあえずさっさと服来て来い馬鹿」
「へーい」

 よれよれと立ち上がると、騎士さまはちびを肩に乗せ、すごすごと奥へと引っ込んで行った。
 一方でニコラ嬢は耳まで真っ赤にして、ぶるぶる震えていらっしゃる。
 そりゃーまーそうだよなあ。いきなり男の半裸とか見せつけられちゃ、なあ。

「……蹴っちゃった……ダイン、蹴っちゃった……」
「あ?」

 そっちか。

「まあ良いんじゃね?別に」
「ちょっと、すっきりした」
「そりゃ良かった」

 カウンターのコンロで湯を沸かし、ティーポットに茶葉を入れる。薄くかちっと焼かれた白いカップを選んでこぽこぽと注いだ。

「どうぞ?」
「……何、これ」
「アップルティー。落ち着くぞ」
「いただくわ」

 少女はカウンター前のスツールに腰を降ろした。見事だ。無造作にすとんっと腰を降ろしているようで、その実スカートの裾も乱れず、動きの中に気品がある。

 両手でカップを持って、こくっと一口含み、目を閉じてしみじみと、あったまったリンゴと茶葉の香りを味わってる。カモミールティーにしようかとも思ったが、この年ごろの子には、果実を使ったお茶の方がいいだろう。

 それと、甘いお菓子も忘れずに。
 木鉢に盛った丸いクッキーを差し出してみた。混ぜ込んだスパイスの色で赤みがかった褐色が強くなっている。
 つーんとした爽かな香りは、リンゴの香りと酸味と仲良く溶け合い、混じり合い、互いの味を引き立てる。
 相性がいいのだ。

「シナモンクッキーもどうぞ」
「ありがと………」

 小さな丸いクッキーをぽしっとかじるなり、ニコラは目を輝かせた。

「おいしい! これあなたが作ったの?」
「ん? あぁ。昨日は暇だったからな。」
 
     ※
 
 四の姫はしみじみと手の中のクッキーを見つめた。

 スパイスを混ぜ込んだクッキーをきれいに焼くのは、難しい。ちょっとでもオーブンの火加減を間違えたら最後、あっと言う間に焦げてしまう。かと言って焼きが甘いと香りが引き立たない。
 生地は均一に練られ、絶妙の焼き加減だ。しかも厚みも形もきれいに揃ってる。

(可愛くて、胸もあって、お菓子作りも上手だなんてーっ! おじさんなのにっ。おじさんなのにっ!)

 クッキーをつまんだまま、ぷるぷる肩を震わせる。

(私には無理だ……かなわないっ)

「うぇ? ど、どうした? 何か、妙なもん混じってたか?」
「……ずるい」

 涙目でじとーっとにらみ付ける。

「は? な、なんだよ急に!?」
「うーっ」

(くやしい、くやしい、くやしいっ)

 ばりばりと猛烈な勢いでシナモンクッキーをかじり、アップルティーで流し込む。
 リンゴの香りのお茶は、ちょっぴりすっぱくて。砂糖も蜂蜜もはいっていないのに、ほんのり甘かった。

「……で、えっと……ダインに会いに来ただけ、で、いいんだよな?」

(んな訳ないでしょ!)

 口の周りにクッキーの粉をつけたまま、きっとにらんだ。

「ダインを取り戻しに来たのよ!」

 だけど。
 さっき、ちらっと見たダインの姿は、のびのびとして。騎士団の兵舎にいる時よりずっと、幸せそうだった。
 ここにいるのが、どれほど楽しいのか。くつろぐのか。伝わってきた。

(ここから、彼を引き離すことは、彼のためになるんだろうか?)

 声から力が抜ける。がっくりと肩が下がる。

「取り戻すって………何とも物騒な言い方だねおい」
「………そのつもり……だったわ」
「いや、用事があるなら普通に連れてってくれていいが」
「ちがうの。そうじゃないのっ!」

 用事なんかない。約束なんかしていない。これはただの、私のわがまま。彼を訪ねていったときはいつも、待っていてくれるって勝手に信じてた。思い込んでいた。
 それが叶えられなくて、怒って、慌てて押しかけてきた。
 全て私の暴走。
 最低。

「ダインは、ダインは『私の騎士』だからっ! それが、それが男と恋仲になったとか聞いてっ」

 ぼろっと涙が零れる。銀髪の騎士から告げられた瞬間、胸の外側に刺さったトゲが……今、やっと心臓に届いたみたい。
 堅い殻を打ち破り、柔らかな滴があふれ出す。後から後からぼろぼろと。

「休みのたびに泊まり込んでるって……」
「あ~……なるほどなぁ………」

 差し出されたハンカチは、きれいに洗われ、やわらかく、お日さまとラベンダーのにおいがした。
 素直に顔を埋めて涙を拭いた。ついでにこっそり、鼻水も。

「恋仲っつぅかなんつぅか……まあ、懐かれては居るが、な」
「いつから?」
「うーん、四ヶ月ほど前か。北の峡谷に、妖鬼の群が出た時があったろ」
「……うん、知ってる」
「あの時の討伐戦に、奴も参加してたんだよな。で、引き上げてくる時に、会ったんだ」

 この人は、私より先にダインに会ってたんだ。
 私と会った時、ダインの心には既にもう、この人が居たんだ。だから、あんな風に笑えたの?
 何の見返りも求めずに。何の欲も抱かずに。ただ私の前に跪き、名誉のために戦った。

「どうやって、知り合ったの」
「あいつが怪我してたから、手当てした…………まあ、そんなとこだ」

 バカみたい。
 最初っから、かなう筈なんかなかったんだ……。
 顔を拭ってる間に、二杯目のアップルティーが注がれていた。涙を流したせいか、のどが乾いていた。
 こくこくと一気に飲み干した。

「はー……」

 リンゴの香りが鼻から咽を吹き抜ける。ひりひり染みた塩辛い痛みが、ほんの少しやわらいだ。

「なあ、お嬢さん」
「ニコラよ。ニコラ・ド・モレッティ」
「そーか。俺は、フロウだ。それで、ニコラ」
「なあに?」
「一人で来たのか? 此処って結構治安良くないキワキワなんだが」
「きわきわ?」
「うん。あと路地の1、2本も曲がれば、スラム街さね」

 ざわわぁっと背筋が泡立つ。
 細い道から店の前を横切る道に飛びだした時。建物の影になった部分や、道と道の交わる角に、妙に目つきの鋭い男たちがたむろしていた、ような気がする。
 あの時はひたすら店しか見えていなかったけれど……今思うと、彼らは確かにこっちを見ていた。

「ちょっと怖かったけど。根性で来た!」
「根性って……またえらいお嬢ちゃんだこと」

 だって、ダインの事で頭がいっぱいで、他のことなんか考える余裕なかったんだもの!

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