ようこそゲストさん

とりねこの小枝

ちょっと、何したの焦げ臭い!

2015/04/23 0:46 お姫様の話いーぐる
 アインヘイルダールの下町に、古い薬草屋がある。
 通りから石段を三段上った入り口の軒先には、杖の突き出した大鍋をかたどった木彫りの看板がかかっている。そこには流れるような書体でこう記されていた。
『薬草・香草・薬のご用承ります』
 ぱっと見、肝心要の店名がどこにも出ていないようだがそれは文字ではなく、むしろその形にあった。
 ほとんどの客から『下町の薬草屋』とか、『ジェムルの薬草店』とか呼び習わされているその店の屋号は、『魔女の大鍋』と言う。
 
 現在の主、フロウライト・ジェムルは今、町の冒険者達の憩いの場「鍋と槌亭」に香草と冒険者用の薬を卸しに出かけている。
 その間、留守番を兼ねて弟子を名乗る貴族の少女、ニコラ・ド・モレッティがせっせと店の床を箒で掃いていた。
 ふと窓から外を見ると、赤々と夕陽が照り映えて、まるで窓の外が燃えているように見える。
(真っ赤だなあ……きっと明日も晴れね。)
 しかし……果たしてそれだけで済むのだろうか? 不吉な予感がひやりと腑を撫でる。
 美しいと言うにはあまりにその『赤』は深すぎて、どこか凄みすら感じてしまう。理性の殻のすぐ下で、生き物としての本能が恐怖を感じるのだろう。
 燃えている、すぐに逃げろ、と。
(あら?)
 夕陽の赤を背景に、ぽつっと黒い影が映る。
 かたん、と器用に窓を押し開けて、小さなしなやかな生き物が入って来た。天井に渡された太い梁の上を音もなく歩き、ぱさっと翼を広げ、身軽にカウンターの上に舞い降りる。

「にーこーら!」

 猫だ。黒と褐色斑の翼の生えた猫。金色の瞳が見上げて来る。ニコラはほっと息を吐いて頬をゆるめ、笑顔で見知った「とりねこ」を出迎えた。

「お帰り、ちびちゃん。」
「んぴゃあるるる、にゃぐるるる」

 咽を鳴らす猫の頭を撫でてやると、ぐいぐいと顔と体を押し付けてくる。
 まるで綿飴のようなふかふかの毛皮がくすぐったい。

「ぴぃうるる、うるぴぃるう」
「うふふ、ご苦労様。」

 言ってることはわからないが、察するに散歩しながら見聞きしてきた事を報告しているらしい。

「ダインは一緒じゃなかったの?」

 途端にちびは耳を伏せ、体を低くした。上目遣いに目を半開き、赤い口からは白い牙がのぞく。
 とてもとても猫相が悪い。

「とーちゃん、くさーい」
「……え?」

(一体どうしたのかしら、ダインったら。)
 首をかしげていると、程なく。外の通りをずしん、ずしんっと重たい蹄の音が近づいてくる。

「あ、黒の足音……そろそろ来るかしら。」

 客ではない。その証拠に蹄の音は裏へと回り込み、ぎ、ぎぃい、と、木戸を開ける音がした。
 わんこ騎士は明日から非番。だから師匠は昼間のうちに裏の馬屋に風を通し、寝藁を新しくして香草入りの飼い葉を用意してあった。
 薬に使う部分を取り除いた後の香草を混ぜた飼い葉は、黒毛の軍馬の好物なのだ。
 体を低くしてなおも『くさい、くさーい』とぼやくちびをなだめつつ、ニコラはそれとなく頭の中で馬と乗り手の行動をなぞった。
 裏の馬屋に入り、馬具を外して馬房へと導き、体を拭いて、丁寧にブラシをかけて、蹄の手入れ。飼い葉と水を与えて、軽く首を叩いて撫でて、馬屋を出て……。
 のっし、のっしと重たいブーツの音が近づいてくる。裏口の扉が軋みながら開く。

「ただいま……あれ、ニコラ?」

 途端にちびがぶわっと尻尾をふくらませる。ニコラもまた、眉をしかめて入ってきた男に声を上げた。

「師匠は今出かけてるわよ……って、ダイン焦げ臭い!」

 金髪混じりの褐色の髪、背は高く手足はがっちり、肩幅広く胸板も厚い。詰襟の軍服をまとった堂々たる体躯の男が情けなくもきゅうっと眉を山形に寄せ、きまり悪げにぽりぽりと、人さし指で己の首を掻いた。

「はは、やーっぱ臭うか」

 じっとぉっとニコラとちびに睨め付けられて肩をすくめ、ダインは改めて自分の肩や腕をくんくん嗅いだ。

「一応着替えて来たんだけどな」
「でも臭いものは臭いんだもの、ちゃんと身体や髪を洗わないと。」

 ちびが助走も無しにカウンターに飛び乗り、かぱっと赤い口を開けた。

「とーちゃん、くさーい」
「……すまん、井戸で水浴びて来る。」

 一人と一匹(一羽?)の苦情を受け、ダインはますます背中を丸めて縮こまり、うな垂れた。
 そして言うなりくるっと回れ右。一目散に裏口へとすっ飛んで行く。
 あっと思った時は音を立てて扉が閉まり、ばたばたと騒がしい足音が遠ざかっていく、庭の井戸へとまっしぐらに。

「いってらっしゃい、さてと……」

 がしゃがしゃと井戸の滑車をを回す音が響いて来る。季節は双子月(6月)、暑い日が続いてるとは言え、まだまだ井戸の水は冷たいだろう。
 ざばー、ざばー、と派手な水音を聞きながら、ニコラはお湯を沸かしにとりかかった。 

     ※

 10分後、さすがに寒そうに身を縮めて入って来たダインは案の定、シャツも羽織らず上半身裸で戻って来た。
 しっとりと濡れ、いつもに増してくるっと巻いた髪が首筋にまとわり付いている。

「きゃあ!なんて格好してるのよ!」
「拭くもんなかったから、シャツで拭いた」
「ばーか!」
「うぶっ」

 ぼふっと顔面めがけてタオルを投げつける。白い柔らかな布を被ったまま、ダインは眉を潜めて目を細め、むぅっと口を尖らせた。
 とはいえ、同じことを以前して思いっきり蹴りを食らったのだから、懲りないというべきか、ニコラがある程度慣れたと言うべきか。

「ほら、これ飲んで」

 首をすくめてひるんだ所にすかさず、ごっつい手に少女は湯気の立つマグカップを押し込む。

「何だ、これ」

 くんっとにおいを嗅ぐとダインはほうっと小さくため息をもらし、目を細めた。

「いいにおいがする」
「普通の紅茶よ。ショウガと蜂蜜入れといたわ、身体があったまるからって師匠が言ってた。」
「さんきゅ!」

 一口、二口とすすり、また小さく息を吐いてる。

「あ」

 あったまったら頭が回って来たのか。そろーっとこっちを見上げてきた。

「まだ臭うか?」

 おどおどしながら問いかける濡れわんこにすこし近づいてから、しばし腕組みして考え込む。
 わんこは緊張した面持ちで息を呑み、じっと自分の言葉を待っている。
 ここでダメ出ししたらどうなるだろう。またすっ飛んで水を浴びに行くだろうか? 意地の悪い考えがニコラの脳裏をよぎるけれども。

「……うん、合格!」

 途端に眉間の皴は薄れ、食いしばっていた顎から力が抜ける。口角がにゅっと上がり、ぱあっと顔全体が輝くような笑みに包まれた。
(ほんと、わかりやすいんだから、ダインってば)

「とーちゃーん」
「ちび……」

 ちびもようやく落ち着いてダインにすり寄り、差し出された指先をてちてちとなめている。

「で、どうしたの?火事にでも出くわした?」
「うん。何でわかった?」
「アレだけ焦げ臭かったら普通わかるわよ。」

 見つめあう事しばし。ぱち、ぱちとまばたきをすると、ダインはおもむろに音を立てて甘いお茶をすすった。
 それから話しにくそうに黙りこむから……ちょっとだけ助け舟のつもりでお代わりを聞く。

「おかわり飲む?」
「うん、もらう」

 一杯目を飲み終わり、二杯目の半ばまで口をつけた所でやっとダインが口を開いた。

「……馬で、城外を見回ってたんだ」
「うん」
「シャルダンと一緒に」
「あれ、シャルダンって確か、馬は持ってなかったわよね?」
「うん。だから騎士団の共有馬を使ってる……」
    web拍手 by FC2