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とりねこの小枝

姫、参上!

2013/05/24 13:03 お姫様の話いーぐる
 四の姫はずんずん歩く。閲兵式さながらの規則正しい足取りで、ずんずん、ずんずん一直線に、まっしぐら。
 水色のリボンをなびかせて、さらりと癖の無い金髪を揺らし、おろし立ての赤い靴を履いた両足を、前へ前へと蹴り出して。

 ニコラにとって、アインヘイルダールの街は幼年期を過ごした、慣れ親しんだ場所だ。
 北区と言われてすぐにどこにあるかわかったし、迷わず正しい道を選ぶことができた。だが、さすがに表通りを外れるのには勇気が要った。
 建物と建物の間を通る細い道は、壁に日光が遮られるせいか、うっすらと暗い。

「そこの細い路地を、道なりにまっすぐ、道なりに……」

 つい先ほど、屋台の女主人から聞いた道順を呪文のように繰り返す。商売柄、件の薬草店をよく利用してるらしい。『いちばんの近道なのよ』と言っていた。
 壁と壁に挟まれたほの暗い道は、見渡す限りまっすぐ伸びている。まっすぐすぎて、どこまで続いているのかわからない。

(この先に、ダインがいる。私の騎士がいる)
(あやしげな薬草師にたぶらかされて、店に入り浸ってる。しかも相手は男!)

 こくっと咽を鳴らすと、ニコラは拳を握り……えいやっと踏みだした。
 ほんの少し手を広げれば、指先が左右の壁に触れてしまいそうなくらい細い道を、前へ。前へ。ずんずん前へ。

(どんな美少年でも美青年でも負けるもんですか! ダイン、絶対、あなたを取り戻す! 真っ当な道に引き戻してあげるんだから!)

 気勢を上げたその瞬間。唐突に細い道は終わり、ぽこんっと飛びだしていた。何の前触れも無く、左右に横切る広い道に――それにしたって表通りに比べれば狭いのだけれど。

『下半分は石造りで、上半分は木でできた古い家だよ。看板が出てるから、すぐにわかるし裏には薬草畑があるからね。鼻が教えてくれるよ』

 屋台の女主人の言葉を思い出し、すーはー、すーはーと大きく、深く、息を吸う。

「あ」

 混じり合う花と草の香りがした。毎日飲むお茶や、家の中に掲げられたリース、料理に使うスパイス、そして怪我に塗ったり、病気の時に飲む薬。そして、今朝使ったばかりの薔薇水の香り。

 においを辿り、ほどなく古い木のドアにたどり着く。ぴかぴか光る真鍮の取っ手。軒先に下がる大鍋のような形の看板には、流れるような書体でこう書かれていた。
『薬草・香草・薬のご用承ります』

(まちがいない。ここだわ!)

 だんっと脚を踏ん張ると、ニコラ・ド・モレッティは胸を張り、勢い良くドアを開けた。

     ※

 目に見える場所ほとんど全てに、ガラスの瓶が並んでいた。掌に収まるほどの小さなものから、両腕でやっと抱えられるくらいの大きなもの、その中間を埋めるあらゆるサイズの瓶が。
 中味は乾燥した花やつぼみ、粉末や水薬、あるいはオイルに漬けた葉や茎、実、根っこなど。台所のスパイス棚にちょっぴり似ている。だけどずっと数が多かった。

 高くそびえた天井に張られた紐からは、乾燥した草の束がぶら下がっている。
 そして押し寄せてくる香りの渦は、干され、混ぜられ、練り上げられて。生の草や花よりずっと濃く、強かった。
 日なたと牧場(まきば)と蜂蜜のにおいが溶け込んでいた。
 
「お? いらっしゃい」

 奥のカウンターに座っていた男が顔を上げ、声をかけてきた。

「…………ごきげんよう」

 とっさに挨拶を返しながらも、ニコラは正直、面食らった。

(だれだろう?)

 むちっとした体つきは、どこか子犬を思わせる。
 ぱっちりした二重の瞼に蜂蜜色の瞳、ふっくらした唇、つやつやした頬はうっすらとヒゲに覆われていて、大人なのか、子供なのかよくわからない。

(まさか、この人がダインの『彼氏』?)

 見た所、他に店員の姿も客の姿もない。二人っきりだ。
 恋敵(不確定)の前を通り過ぎ、商品の並ぶ棚の前に立った。ガラス瓶に入った草や花を一つ一つにらみながら、隙を見てちら、と振り返る。

 思ったより背は低かった。美青年でも、増して美少年でもない。気になって思わずじーっと見つめてしまう。
 見ないふりして視線をそらしても、気になって、気になって、しかたない。

(どうして? やっぱり顔? あぁいう顔が好みなの?)
 
 気配を感じたのか、男がこっちを向いた。あわててさっと視線をそらし、ガラス瓶をにらみつける。
 
(あ)

 とろりと濃い褐色の水薬が満たされた瓶は、まるで鏡のように背後の景色を写していた。こっちの表情も、目線の動きも、全て。

(見られてたーっ!)

 瓶に写る男と、目が合った……合ってしまった。

「何かお探しですかぃ? お嬢さん。」
「わっ!」

 その場で飛び上がりそうになった。いや、ひょっとしたら知らないうちに飛び上がってしまったのかもしれない。近くの棚がカタンと揺れたから。

(落ち着くのよ、ニコラ! 元々、この人と対決するために来たんじゃないの! 逃げてはだめ。逃げてはだめ。私は、騎士の娘だもの!)

 意を決してばっと振り向いた。勢いで金色の髪が舞い上がる。

「……私の騎士がここに来てるはずなんだけど?」
「騎士?」

 男は怪訝そうな顔をしたが、すぐにああ、と小さくうなずいた。

「ダインなら、裏の井戸んとこさね」
「そんなとこで何を?」
「んー、洗濯。飼ってる猫がやらかしたから、飼い主の責任ってやつでな」
「猫、飼ってたんだ……」
「ああ。砦だとうるさく騒いで迷惑かけちまうからな。俺が預かってるけど、飼い主はダインだ」
「って!」

 はっと気付いた。気付いてしまった。

「だ、ダインって、あなた彼のことダインって、なれなれしいーっ!」
「ん? だってアイツの名前長くて面倒じゃねぇか」

 男は首を傾げ、ゆるい笑みを浮かべた。ほんの少し眉を寄せ、困ったような表情が混じっている。

「皆そう呼んでるだろ?」
「そうだけどっ」

『あー、ほら、長い名前は言いづらいから』
『何だったら、君も呼んでいいぞ。ダインって』

 この人にも言ったんだ。あの調子で。いつもの事だ、誰にでもそう言う人だってわかっているけれど。
 両手を握りしめる。体中に広がる震えを止めようと、必死になって指に力を込めて……きっと顔を上げ、男をにらみ付けた。

「あなたっ、彼と、その…………」

 耳の奥でがん、がん、と低い音がする。
 変な感じがした。確かに自分はここに立ってるはずなのに、足下がふわふわして、ぐるぐると激しく渦巻く竜巻の真ん中を漂ってるような気がした。

(あー、こう言うのって、えーっと、何て言えばいいんだっけ、彼氏? 恋人? やだ、そんなこと言ったら認めてるみたいじゃないの、悔しい。もっと別の言い方探さなくちゃ………)

 必死になって知ってる限りの言葉を漁った揚げ句、出てきたのは。

「あなた、ダインとデキてるってほんと?」
「え?」

 どこから拾い上げてきたものか、やんごとなきレディにはいささかそぐわぬ、ちょっぴり下世話な言い回しだった。
 男はきょとんとした顔でぱちくり瞬き。目をまんまるにして、肩をすくめた。口の真ん中に力を入れて、にゅっとくちばしみたいに突きだして。

「……さぁ?」

(さぁ!?さぁって何よ!?もしかして負けてる?からかわれてる?)

 いいえ、まだまだ勝負はこれから! 気力を奮い起こすと四の姫ニコラはついっと顎をそらせ、目を細めた。

「わかったわ、質問を変えます」

 知っている限りの堅い言葉を選び、抑揚のない声で問いかけた。

「非番の週に、ダインがここに泊まり込んでいると言うのは事実ですか?」
「……あぁ、それはまあ……確かに、最近は休みになるたびにうちに泊まりに来てるさね。」

 帰ってきた答えの中味とさりげない口ぶりに、仮初めの冷徹はあっさりと溶け崩れて消えた。

「やっぱりーっ」

(この人、ダインとデキてるんだ……恋人(mistress)なんだ!)

 生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えながら、ニコラは男の顔に手を伸ばし、頬をつついた。

「……なんだよ」

 ぷにん、と指がほどよく沈み、次いで押し返される。何と言うか、たいへん触り心地がよい。

「……」

(ま、まさか、こっちも?)

 恐る恐る手を下に滑らせ、着崩したシャツの上からさえ、むっちり盛り上がっているのがわかる胸を突いた。

「……だから、なんだよ」

 むにゅん。
 やっぱり指が押し返される。張りのある肌と皮膚と、肉に。ぺたっと手のひらを当ててみると、もっちりと握れるほどの質感があった。
 もう片方の手で自分の胸をなでると、つるぺたすとーんっと一気に腹まで落ちてしまった。

(何で試したりしたんだろう。わかりきってたことなのに!)

「ず……ずるいーっ! おっ、おじさんなのにっこんな、こんなに乳があるなんてーっ」

 涙を浮かべると、ニコラは恥も外聞も意地もかなぐりすて、握った拳でぽかぽか叩いた。自分なんかよりよっぽど豊かで、触り心地のよい胸を。

「いやお譲ちゃん! 年ごろの娘さんが乳とかそんなまずいだろ!」
「乳を乳って言ってどこが悪いのよ! この。この。このーっ」

 叩けば叩くほど、ぽよん、ぽにゅんと拳が跳ねる。それがまたさらに悔しさをかき立てる。
 当の薬草師も、痛くは無いが突然少女が癇癪を起こして自分の胸板を叩き始めるのだから驚くしかない。

「ちょ、なっ……一体なんなんだよっ。」
「ずるい、ずるいっ」
「あーもう、しょうがねぇなあ」
 
 結局、何がなんだか分からないままなのだろうが、宥めるようにぽすっと頭の上に薬草師の手が乗せられ、撫でられた。ある意味完敗だった。
 いっそ、思いっきり冷徹でナルシストな美青年とか。やたら生意気な美少年だったら、その未熟さ、器量の狭さを見下し、自分が優位に立つこともできただろうに。

(この人、普通に良い人じゃないのよぉ……)

     ※

 やれやれ、どうしたものか……と、薬草師フロウはため息をついた。
 飛び込んできた金髪の少女は、どうやらダインの知り合いらしい。
 身なりもいいし、言葉遣いも教育が行き届いている。いい所のお嬢さん、それもしっかりした教育を受けた娘なのだろう。
 それがいきなり『私の騎士はどこ?』『ダインとデキてるの?』と来たもんだ。

(ったく、あの無自覚天然タラシにも困ったもんだ……)

 えくえく泣きじゃくる少女をなだめる一方で、フロウはある事に気付いた。

「えっ?」

 店で扱っているのは、薬草や香草ばかりではない。専門の店に比べればほんのわずかなものではあったが、魔術の触媒や術具も置いてある。
 その術具を並べた一角が、さっきから騒がしい。
 少女の感情が昂ぶる度に、カタカタとケースの中で揺れている。地震かとも思ったが、他の物はびくともしていない。ただ、揺れているのではない。微妙に活性化しているのだ。どこから注がれた魔力によって……。

 自分ではない。こう見えても魔術師の端くれだ。無意識に魔力を漏らすような事は滅多に無い。使ってない自覚もある。
 ちびでもない。さっきから天井の梁で息をひそめ、ひたすらうずくまっている。
 当然、ダインでもない。そもそもこの場に居ないのだから……だとすると、残る可能性はただ一つ。

(まさか、この子が?)
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