▼ 件の騎士と噂の薬草師
2013/05/24 13:01 【お姫様の話】
アインヘイルダールの北区。表通りから奥へと入り、かくん、かくんと角を三つばかり曲がった先に一軒の薬草屋があった。
最初の礎が打ち込まれてから優に百年は越していようかと言う古い家は、積み重なる年月とともに建て増しを重ね、間口の割に中は広く、ゆったりした作りになっている。
その一室。薬草屋の現店主にして家の主、フロウライト=ジェムルの寝室で、当の薬草師はごそごそと探しものをしていた。
ベッドの周辺を探る度に、軽くまとめた淡い茶髪が揺れ、眠たげにも見える焦げ茶色の瞳が何かを探して動きまわる。
そんなことをしているとドアを開けっ放しにしていたせいか、貸した部屋から出てきたダインが出てきた所で声を投げられた。
「どうした?フロウ、何か見つからないのか?」
「おーダイン、毛布が一枚足りないんだけど見なかったか?」
「さあ……見た覚えないなあ」
答えるダインはズボンとブーツこそ身に付けているものの、上半身はまだ裸だ。
広い背中も、頑丈な肩も。重たい武器を振り回し、どでかい馬を乗りこなし、みっしり鎧を着込んで動くことで自然と作られたバランスのとれた筋肉も、何もかも隠そうともせず剥き出しのまま。
唯一上半身に身に付けているのは、銀色の楕円形のロケットのみだが、別に男同士なので気にすることなぞ何もない……事もないが、少なくともわたわた慌てるのは可愛いレディがするべきのはずだ。
「あれ気に入ってるんだけどなあ。なくしたか?」
「……かもな。俺のシャツも行方不明だ」
「近ごろ、どーにも物があちこちで無くなってるからなあ」
事実だった。最近、この家では行方不明になる物が増えていた。
靴下、スリッパ、クッション、ハーブの束に上着にシャツ。どれも肌触りのよい、上質なものばかり。
「とりあえず俺、ちょっと顔洗ってくる。」
「あいよ、さぁってと……ここいらに落ちたかなーっとぉ」
階段を降りていくダインに返事をしながらベッドの下にもぐりこんでごそごそやっていると、その一方で……
とすっと天井の梁から、黒い影が舞い降りた。
にじりよじりと忍び寄り、伸び上がり、椅子の背に引っかけたフロウの上着を、ぺしっと器用に前足でたたき落とす。
「ん?」
気配を感じた薬草師が振り向くと、金色の瞳とかち合った……それはひょんな事からダインが契約することになった、彼の『使い魔』だ。
ふわふわした黒と褐色の羽毛に覆われた、異界の生き物。猫のようにしなやかで、鳥のように翼を広げて自在に飛び回る。『とりねこ』が床の上、今しも上着をくわえてずりずり引きずっている所だった。
「ちび……」
目が合うとくわえていた上着をぽてっと離し、ちょこんと小首をかしげて、愛らしい声でひとこと。
「ぴゃ?」
「おーよしよし、可愛いなあ」
「ぴゃ、ぴゃ」
のそのそとベッドの下から這い出し、床の上にあぐらをかく。ちびは咽をごろごろ鳴らして愛らしさ全開。ぐいぐいと顔をすり寄せ、ひざに乗ってくる。
「……ちーびー!」
すかさず、むんずっとばかりに首根っこを捕まえた。
「お前か! お前が犯人かーっ」
「ぴゃーっ」
「毛布どこに持ってった。ああん?」
ぺたーっと耳を後ろに伏せてしまった。のぞきこむフロウの視線から目をそらし……何やら戸棚の上を見ている。
「……」
踏み台を持って行って、上がってみると、あった。
とりねこの、巣。
クッションに、毛布に、見当たらないなと思っていた乾燥ハーブが一束。かたっぽだけになってた靴下の片割れも。即座に回収する。
「ちーびー」
「ぴゃーっ」
しっぽをぶわぶわに膨らませ、逃げようとするのを、素早く襟首ひっつかまえてぶら下げる。
「ったく油断も隙もありゃしねえ。巣ー作るのは自由だが、勝手に人のものを持ってくなー!」
「ぴぃ」
ちびはしょんぼりとうな垂れた。
不完全ながらも『とりねこ』は人の言葉を理解している。言えばちゃんと通じるはずなのだが、時々わかっててやらかすから始末が悪い。
と……。
やにわにぴっと耳を起こし、しっぽを立てた。
来たな? 思う間もなく開け放したドアから、ひょっこりとダインが顔を出す。
「とーちゃん!」
「よう、ちび。今度は何やらかした?」
「ぴぃ!」
「こまった奴!」
「ぴゃあ」
(あーあ。でれんでれんにゆるんだ顔しやがって、ぜんぜん叱ってないぞ、お前さん……)
「なーフロウ。俺が夕べ着てたシャツ知らないか?」
まだ見つからないらしい。
素肌の上にいきなり上着を羽織っていた。黒を基調とした実用本位の詰襟は、西道守護騎士団の制服だ。ボタンを留めていないせいもあってか、かえって『着てない』感が際立つ。
「昨日、風呂場で脱ぎ捨ててたじゃねーか」
「うん、見たけどないんだ」
「あー、ってことは……」
「ぴぃい」
だらーんとぶら下げられたまま、ちびはちらっ、ちらっとベッドの下に視線を走らせている。自白したも同然だ。
「……ベッドの下」
「え、そんなとこに? 何で?」
「いいから。ちびに聞け」
「え?……まあ、とりあえず。」
ダインがごそごそとベッドの下に潜り込む……ほどなくして。
「あーっ!」
「あったか」
「……うん」
ちびはぺっと耳を伏せ、素早く梁の上に飛び上がった。半分は翼、半分は脚の力で。
入れ替わりにのっそりとダインが出てきた。手に変わり果てたシャツをつかんで。
「あーあ……よくもまあ、しわくちゃにしやがって、こいつは!」
前足でほっくりほっくりやらかして、ちゅっぱちゅっぱ吸ってたらしい。
「うーわー、羽根と毛が……」
ちびは素知らぬ顔で梁の上にうずくまり、じっと金色の目で見下ろしている。
もはや反省の色は欠片もない。
「災難だったなぁ、とーちゃん?」
「……洗ってくる。」
ため息一つつくと、ダインはシャツを片手に下に降りて行く。フロウも一緒に階段を降り、裏庭に面したドアへと向かう青年の背中をぽんっと叩いた。
「とーちゃんの匂いがするし。洗いざらしでいい感じにくたくたになってたし。いーい巣材だと思ったんだろうよ」
「ったく。しょうがねえなあ」
目尻こそ下がっていたが、口の端はゆるんでほんの少し上がってる。
つまり、根本的には困ってないってことだ。
「そーだな、お前さんの猫だもんな」
フロウはにんまりと笑みを浮かべると、さりげなく毛布と靴下を押し付けた。
「洗濯行くんだろ?ついでにこれも頼む」
「おう」
騎士さま満面の笑みを浮かべ、いそいそと井戸端に歩いてく。わさわさ揺れるぶっといしっぽが見えそうな勢いだ。
(つくづく素直なワンコだねぇ)
かすかに空気が揺れたと思ったら、とんっと肩に柔らかな生き物が舞い降りてきた。
「ぴゃ、ぴゃ!」
上機嫌で体をすり寄せてくる。
既にちびの頭からは、フロウに叱られたことも。自分のやらかしたあれやこれやの記憶も、まとめてきれいさっぱり抜け落ちているらしい。
それこそ『とり』のように。『ねこ』のように。
「んじゃ、ぼちぼち店開きと行きますか」
居間を通り抜け、ドアを開けて店に入る。商品の棚を覆っていた布を外し、カーテンを開け、窓のよろい戸をあげる。既に日は高々と上がっていた。差しこむ陽射しの眩しさに、思わず知らず目を細める。
その間、ちびはフロウの肩に乗ったり、足下をすり抜けたり、はたまた天井の梁に飛び上がったりとしたい放題自由自在。
最後にドアの鍵を開け、「OPEN」の札を出して準備完了。
カウンター奥の気に入りの椅子に陣取り、ほっと一息……つく間もなく、バターンっとドアが開いた。
「お? いらっしゃい」
少女が入ってきた。ずかずかと大股でまっすぐに、金色の髪を逆立てて。
(……何だ?)
天井の梁の上からちびがじっと見下ろしている。耳を伏せ、ひっそりしっぽを膨らませて。
嵐の予感がした。
最初の礎が打ち込まれてから優に百年は越していようかと言う古い家は、積み重なる年月とともに建て増しを重ね、間口の割に中は広く、ゆったりした作りになっている。
その一室。薬草屋の現店主にして家の主、フロウライト=ジェムルの寝室で、当の薬草師はごそごそと探しものをしていた。
ベッドの周辺を探る度に、軽くまとめた淡い茶髪が揺れ、眠たげにも見える焦げ茶色の瞳が何かを探して動きまわる。
そんなことをしているとドアを開けっ放しにしていたせいか、貸した部屋から出てきたダインが出てきた所で声を投げられた。
「どうした?フロウ、何か見つからないのか?」
「おーダイン、毛布が一枚足りないんだけど見なかったか?」
「さあ……見た覚えないなあ」
答えるダインはズボンとブーツこそ身に付けているものの、上半身はまだ裸だ。
広い背中も、頑丈な肩も。重たい武器を振り回し、どでかい馬を乗りこなし、みっしり鎧を着込んで動くことで自然と作られたバランスのとれた筋肉も、何もかも隠そうともせず剥き出しのまま。
唯一上半身に身に付けているのは、銀色の楕円形のロケットのみだが、別に男同士なので気にすることなぞ何もない……事もないが、少なくともわたわた慌てるのは可愛いレディがするべきのはずだ。
「あれ気に入ってるんだけどなあ。なくしたか?」
「……かもな。俺のシャツも行方不明だ」
「近ごろ、どーにも物があちこちで無くなってるからなあ」
事実だった。最近、この家では行方不明になる物が増えていた。
靴下、スリッパ、クッション、ハーブの束に上着にシャツ。どれも肌触りのよい、上質なものばかり。
「とりあえず俺、ちょっと顔洗ってくる。」
「あいよ、さぁってと……ここいらに落ちたかなーっとぉ」
階段を降りていくダインに返事をしながらベッドの下にもぐりこんでごそごそやっていると、その一方で……
とすっと天井の梁から、黒い影が舞い降りた。
にじりよじりと忍び寄り、伸び上がり、椅子の背に引っかけたフロウの上着を、ぺしっと器用に前足でたたき落とす。
「ん?」
気配を感じた薬草師が振り向くと、金色の瞳とかち合った……それはひょんな事からダインが契約することになった、彼の『使い魔』だ。
ふわふわした黒と褐色の羽毛に覆われた、異界の生き物。猫のようにしなやかで、鳥のように翼を広げて自在に飛び回る。『とりねこ』が床の上、今しも上着をくわえてずりずり引きずっている所だった。
「ちび……」
目が合うとくわえていた上着をぽてっと離し、ちょこんと小首をかしげて、愛らしい声でひとこと。
「ぴゃ?」
「おーよしよし、可愛いなあ」
「ぴゃ、ぴゃ」
のそのそとベッドの下から這い出し、床の上にあぐらをかく。ちびは咽をごろごろ鳴らして愛らしさ全開。ぐいぐいと顔をすり寄せ、ひざに乗ってくる。
「……ちーびー!」
すかさず、むんずっとばかりに首根っこを捕まえた。
「お前か! お前が犯人かーっ」
「ぴゃーっ」
「毛布どこに持ってった。ああん?」
ぺたーっと耳を後ろに伏せてしまった。のぞきこむフロウの視線から目をそらし……何やら戸棚の上を見ている。
「……」
踏み台を持って行って、上がってみると、あった。
とりねこの、巣。
クッションに、毛布に、見当たらないなと思っていた乾燥ハーブが一束。かたっぽだけになってた靴下の片割れも。即座に回収する。
「ちーびー」
「ぴゃーっ」
しっぽをぶわぶわに膨らませ、逃げようとするのを、素早く襟首ひっつかまえてぶら下げる。
「ったく油断も隙もありゃしねえ。巣ー作るのは自由だが、勝手に人のものを持ってくなー!」
「ぴぃ」
ちびはしょんぼりとうな垂れた。
不完全ながらも『とりねこ』は人の言葉を理解している。言えばちゃんと通じるはずなのだが、時々わかっててやらかすから始末が悪い。
と……。
やにわにぴっと耳を起こし、しっぽを立てた。
来たな? 思う間もなく開け放したドアから、ひょっこりとダインが顔を出す。
「とーちゃん!」
「よう、ちび。今度は何やらかした?」
「ぴぃ!」
「こまった奴!」
「ぴゃあ」
(あーあ。でれんでれんにゆるんだ顔しやがって、ぜんぜん叱ってないぞ、お前さん……)
「なーフロウ。俺が夕べ着てたシャツ知らないか?」
まだ見つからないらしい。
素肌の上にいきなり上着を羽織っていた。黒を基調とした実用本位の詰襟は、西道守護騎士団の制服だ。ボタンを留めていないせいもあってか、かえって『着てない』感が際立つ。
「昨日、風呂場で脱ぎ捨ててたじゃねーか」
「うん、見たけどないんだ」
「あー、ってことは……」
「ぴぃい」
だらーんとぶら下げられたまま、ちびはちらっ、ちらっとベッドの下に視線を走らせている。自白したも同然だ。
「……ベッドの下」
「え、そんなとこに? 何で?」
「いいから。ちびに聞け」
「え?……まあ、とりあえず。」
ダインがごそごそとベッドの下に潜り込む……ほどなくして。
「あーっ!」
「あったか」
「……うん」
ちびはぺっと耳を伏せ、素早く梁の上に飛び上がった。半分は翼、半分は脚の力で。
入れ替わりにのっそりとダインが出てきた。手に変わり果てたシャツをつかんで。
「あーあ……よくもまあ、しわくちゃにしやがって、こいつは!」
前足でほっくりほっくりやらかして、ちゅっぱちゅっぱ吸ってたらしい。
「うーわー、羽根と毛が……」
ちびは素知らぬ顔で梁の上にうずくまり、じっと金色の目で見下ろしている。
もはや反省の色は欠片もない。
「災難だったなぁ、とーちゃん?」
「……洗ってくる。」
ため息一つつくと、ダインはシャツを片手に下に降りて行く。フロウも一緒に階段を降り、裏庭に面したドアへと向かう青年の背中をぽんっと叩いた。
「とーちゃんの匂いがするし。洗いざらしでいい感じにくたくたになってたし。いーい巣材だと思ったんだろうよ」
「ったく。しょうがねえなあ」
目尻こそ下がっていたが、口の端はゆるんでほんの少し上がってる。
つまり、根本的には困ってないってことだ。
「そーだな、お前さんの猫だもんな」
フロウはにんまりと笑みを浮かべると、さりげなく毛布と靴下を押し付けた。
「洗濯行くんだろ?ついでにこれも頼む」
「おう」
騎士さま満面の笑みを浮かべ、いそいそと井戸端に歩いてく。わさわさ揺れるぶっといしっぽが見えそうな勢いだ。
(つくづく素直なワンコだねぇ)
かすかに空気が揺れたと思ったら、とんっと肩に柔らかな生き物が舞い降りてきた。
「ぴゃ、ぴゃ!」
上機嫌で体をすり寄せてくる。
既にちびの頭からは、フロウに叱られたことも。自分のやらかしたあれやこれやの記憶も、まとめてきれいさっぱり抜け落ちているらしい。
それこそ『とり』のように。『ねこ』のように。
「んじゃ、ぼちぼち店開きと行きますか」
居間を通り抜け、ドアを開けて店に入る。商品の棚を覆っていた布を外し、カーテンを開け、窓のよろい戸をあげる。既に日は高々と上がっていた。差しこむ陽射しの眩しさに、思わず知らず目を細める。
その間、ちびはフロウの肩に乗ったり、足下をすり抜けたり、はたまた天井の梁に飛び上がったりとしたい放題自由自在。
最後にドアの鍵を開け、「OPEN」の札を出して準備完了。
カウンター奥の気に入りの椅子に陣取り、ほっと一息……つく間もなく、バターンっとドアが開いた。
「お? いらっしゃい」
少女が入ってきた。ずかずかと大股でまっすぐに、金色の髪を逆立てて。
(……何だ?)
天井の梁の上からちびがじっと見下ろしている。耳を伏せ、ひっそりしっぽを膨らませて。
嵐の予感がした。