▼ ニコラの場合・後編
2013/10/28 7:31 【お姫様の話】
「ってことがあって……。」
「……あ~……なるほどね」
目に見えるようだ。無邪気なニコラの一言に引きつり、慌てて黒板をかっさらうエミルの姿が。
「それで泡食って採点して話逸らしたわけか」
「やっぱりあれ、話そらしてたんだ!」
「なはは……ま、良いじゃねぇか。初々しくて……なぁ?」
ついつい笑ってしまう。どんだけ真面目くさった顔してたのか、あいつは。
もはやニコラはすっかり元気を取り戻し、頬杖をついてうっとりと夢見るような眼差しを宙にさまよわせている。
「……実際はどーなのかな。入ってるのかな、入ってないのかなー」
「入ってないな、多分」
「だから、あんなに慌てたんだ」
「んでもって、近々入るな、絶対に。」
「入るの!?」
きらっと水色の瞳に星が宿る。
「入らない理由が今のところ見当たらないなら、エミルは入ろうとするだろ、多分」
ニコラは両手を握って胸元に当て、足をばたばたさせている。
「きゃーきゃーきゃー今度聞いてみよっと。入ったのーって!」
これでいい。この子はしょんぼりしてるより、元気な方が似合う。
「なはは、面白い話聞いたら俺にも聞かせてくんな。」
「うん!」
と、その時。かたん、とかすかな音がして、天井近くの猫用出入り口が開いた。
黒と褐色まだらの生き物が、しなやかな体をくねらせて天井の梁を歩き、すたんっとカウンターに舞い降りる。
「っぴゃ」
猫そっくりの体に鳥の翼。とりねこのお帰りだ。
「んお、おかえりちび。今日はどこほっつき歩いたんだ?」
ちびは金色の瞳をくるくるさせて、赤い口をかぱっと開く。
「えーみーる、くっきー!」
「おや、エミルのところ行ってたのか……クッキー貰ったのか。エミル元気だったか?」
「師匠よくわかったね、今の……」
「ん~、まあ単語繋ぎあわせたらなんとなくな」
ちびはちょこんと小首をかしげ、自分の鼻をちょいっと前足で撫でた。
「えみる、はなー、ぼとぼとー」
途端にフロウはにんまりと顔をほころばせる。
「……へぇ~。」
「エミル、鼻水たらしてたの?」
ニコラの問いかけに、ちびはヒゲをつぴーんと立て、耳を伏せた。
「はーな!」
どうやら、ちがう、と言いたいようだ。
「鼻水はぼとぼと落ちねぇだろうから、鼻血だな……薔薇風呂の妄想でもしたか?」
「………なに、それじゃ私が帰った後で鼻血?」
ぶぶっと吹き出すとニコラは再びカウンターに突っ伏し、拳でとんとんと天板をたたく。スカートの内側では足が物すごい勢いでじたばた前後に揺れていた。
二人の脳裏に、まざまざとその時のエミルの様子が浮かんでくる……。
※
ニコラが小屋を出てから、五秒後。
「うぐっ」
エミルは一声うめいて手で鼻を押さえ、うつむいた。指の間から、ぼとぼとと赤い血が滴り落ちる。
鼻血であった。原因は言うまでもなくニコラの無邪気な一言。それでも後輩の前では耐え切った。
ぜーぜーと荒い呼吸をつきながらエミルは手探りで作業台をまさぐった。どこに何があるのか、幸いにも知り尽くしている。脱脂綿をひとつまみつかみ取り、細長くねじって鼻の穴に突っ込んだ。
「はー、はー、はー」
口で息をしながら、床にしたたった血痕をふき取る手つきも慣れたもの。
鼻血の後始末をしながら、エミルの頭の中にはついさっきのニコラの発言が、ぐるぐると渦を巻いていた。
(シャルと一緒に薔薇のお風呂)
(シャルと一緒に。シャルと一緒に。俺のシャルと一緒にいいいいいっ!)
妄想がわああんっと膨れ上がり、また新たな鼻血が込み上げる。
急いで鼻を押さえ、ハンカチを水に浸して鼻の付け根に当てた。
「………いいかも知れない」
「ぴゃっ?」
ぎっくうんっと心臓が縮み上がる。振り返ると、テーブルの上に黒と褐色まだらの猫のような生き物が乗っかっていた。きちっと前足を揃えて、翼を畳んで座っている。
鳥のような、猫のような生き物。幻獣とりねこだ。
(ダイン先輩の使い魔がっ! 何故ここにっ!)
見られた。聞かれたっ?
いや、いや、落ち着けエミリオ。不思議はない。薬草調理学実習のおやつが目当てで顔を出しただけだ。第一、ダイン先輩だっていつもこいつと感覚を同調させてる訳じゃない!
でも念のため。
「ちびさん」
「ぴゃあ」
「クッキーをあげよう」
「ぴゃあああ! くっきー!」
※
「多分こんな感じだろうねぇ……。」
「やーんエミルってばじゅんじょーっ!」
「多分、クッキーで口止めしたつもりなんだろうなぁ……」
「ぴゃっ、くっきー!」
「得したのちびちゃんだけだよね……」
「ま、エミルの恋路はさておき……俺たちもお茶にするかね。」
「はーい」
とりねこはひゅうんっと長い尾を一振り。
お湯を沸かしておやつを用意して、たのしいお茶の時間の始まりだ。
ニコラの言葉通り、一番得をしたのはちびだった。
<薬草店「魔女の大鍋」/了>
「……あ~……なるほどね」
目に見えるようだ。無邪気なニコラの一言に引きつり、慌てて黒板をかっさらうエミルの姿が。
「それで泡食って採点して話逸らしたわけか」
「やっぱりあれ、話そらしてたんだ!」
「なはは……ま、良いじゃねぇか。初々しくて……なぁ?」
ついつい笑ってしまう。どんだけ真面目くさった顔してたのか、あいつは。
もはやニコラはすっかり元気を取り戻し、頬杖をついてうっとりと夢見るような眼差しを宙にさまよわせている。
「……実際はどーなのかな。入ってるのかな、入ってないのかなー」
「入ってないな、多分」
「だから、あんなに慌てたんだ」
「んでもって、近々入るな、絶対に。」
「入るの!?」
きらっと水色の瞳に星が宿る。
「入らない理由が今のところ見当たらないなら、エミルは入ろうとするだろ、多分」
ニコラは両手を握って胸元に当て、足をばたばたさせている。
「きゃーきゃーきゃー今度聞いてみよっと。入ったのーって!」
これでいい。この子はしょんぼりしてるより、元気な方が似合う。
「なはは、面白い話聞いたら俺にも聞かせてくんな。」
「うん!」
と、その時。かたん、とかすかな音がして、天井近くの猫用出入り口が開いた。
黒と褐色まだらの生き物が、しなやかな体をくねらせて天井の梁を歩き、すたんっとカウンターに舞い降りる。
「っぴゃ」
猫そっくりの体に鳥の翼。とりねこのお帰りだ。
「んお、おかえりちび。今日はどこほっつき歩いたんだ?」
ちびは金色の瞳をくるくるさせて、赤い口をかぱっと開く。
「えーみーる、くっきー!」
「おや、エミルのところ行ってたのか……クッキー貰ったのか。エミル元気だったか?」
「師匠よくわかったね、今の……」
「ん~、まあ単語繋ぎあわせたらなんとなくな」
ちびはちょこんと小首をかしげ、自分の鼻をちょいっと前足で撫でた。
「えみる、はなー、ぼとぼとー」
途端にフロウはにんまりと顔をほころばせる。
「……へぇ~。」
「エミル、鼻水たらしてたの?」
ニコラの問いかけに、ちびはヒゲをつぴーんと立て、耳を伏せた。
「はーな!」
どうやら、ちがう、と言いたいようだ。
「鼻水はぼとぼと落ちねぇだろうから、鼻血だな……薔薇風呂の妄想でもしたか?」
「………なに、それじゃ私が帰った後で鼻血?」
ぶぶっと吹き出すとニコラは再びカウンターに突っ伏し、拳でとんとんと天板をたたく。スカートの内側では足が物すごい勢いでじたばた前後に揺れていた。
二人の脳裏に、まざまざとその時のエミルの様子が浮かんでくる……。
※
ニコラが小屋を出てから、五秒後。
「うぐっ」
エミルは一声うめいて手で鼻を押さえ、うつむいた。指の間から、ぼとぼとと赤い血が滴り落ちる。
鼻血であった。原因は言うまでもなくニコラの無邪気な一言。それでも後輩の前では耐え切った。
ぜーぜーと荒い呼吸をつきながらエミルは手探りで作業台をまさぐった。どこに何があるのか、幸いにも知り尽くしている。脱脂綿をひとつまみつかみ取り、細長くねじって鼻の穴に突っ込んだ。
「はー、はー、はー」
口で息をしながら、床にしたたった血痕をふき取る手つきも慣れたもの。
鼻血の後始末をしながら、エミルの頭の中にはついさっきのニコラの発言が、ぐるぐると渦を巻いていた。
(シャルと一緒に薔薇のお風呂)
(シャルと一緒に。シャルと一緒に。俺のシャルと一緒にいいいいいっ!)
妄想がわああんっと膨れ上がり、また新たな鼻血が込み上げる。
急いで鼻を押さえ、ハンカチを水に浸して鼻の付け根に当てた。
「………いいかも知れない」
「ぴゃっ?」
ぎっくうんっと心臓が縮み上がる。振り返ると、テーブルの上に黒と褐色まだらの猫のような生き物が乗っかっていた。きちっと前足を揃えて、翼を畳んで座っている。
鳥のような、猫のような生き物。幻獣とりねこだ。
(ダイン先輩の使い魔がっ! 何故ここにっ!)
見られた。聞かれたっ?
いや、いや、落ち着けエミリオ。不思議はない。薬草調理学実習のおやつが目当てで顔を出しただけだ。第一、ダイン先輩だっていつもこいつと感覚を同調させてる訳じゃない!
でも念のため。
「ちびさん」
「ぴゃあ」
「クッキーをあげよう」
「ぴゃあああ! くっきー!」
※
「多分こんな感じだろうねぇ……。」
「やーんエミルってばじゅんじょーっ!」
「多分、クッキーで口止めしたつもりなんだろうなぁ……」
「ぴゃっ、くっきー!」
「得したのちびちゃんだけだよね……」
「ま、エミルの恋路はさておき……俺たちもお茶にするかね。」
「はーい」
とりねこはひゅうんっと長い尾を一振り。
お湯を沸かしておやつを用意して、たのしいお茶の時間の始まりだ。
ニコラの言葉通り、一番得をしたのはちびだった。
<薬草店「魔女の大鍋」/了>