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とりねこの小枝

ニコラの場合・前編

2013/10/28 7:30 お姫様の話いーぐる
 本人は殆ど蚊帳の外なれど、シャルダンを中心としたひと通りの騒動から一週間程したある日の事……
 フロウライト・ジェムルことフロウはいつものようにカウンターに肘をつき、うつらうつらとまどろんでいた。遠くで教会の鐘が鳴る。一つ、二つ、三つ、四つ……。夢うつつの中でぼんやりと考える。
(ああ、そろそろ起きないと、あの子が来る頃合いだ……)
 正にその瞬間、扉が開き、聞き慣れたドアベルの音が響いた。
(やっぱりな)

「ししょー」
「お?」

 入って来たのは伯爵家の四の姫にしてフロウの一番弟子、ニコラ・ド・モレッティ。さらさらした金髪も、水色のリボンも、藍色の魔法訓練生の制服も、もはやすっかりおなじみだ。
 しかし今日はいつになく元気がない。いつもは勢い良く駆け込んで来るのだが、肩を落としてとぼとぼ歩いてる。

「……どうしたい」

 ニコラは力なくカウンター前のスツールによじ登り(いつもはぴょんっと飛び上がっているのに!)肩にかけた鞄を開け、中から布に包んだ平べったいものを取り出した。
 チョークのにおいですぐわかった。ノート代わりの小黒板だ。

「こんなんだった」

 羊皮紙を綴じた帳面と並べてカウンターに置いた。
 来るべき初級術師試験に備えて、フロウ自らが作った問題集だ。繰り返し使えるように回答は小黒板に書かせている。ざっと目を通したが、既に赤いチョークで採点されていた。
 しかも筆跡からして明らかにニコラ自身の自己採点ではない。
(エミルか!)
 読書用の眼鏡をかけて改めてじっくり見直す。

「ん~……あぁ、俺がひっかけで作ったとこにハマってんなぁこりゃ」
「見事にずっぷりと」

 ぺたっとニコラはカウンターに突っ伏した。

「ちゃんと問題文読んでたらお前さんなら気づけるはずだぜ? 魔法円の時も勢いで書くほうがやりやすいって言ってたが、こういう時は悪い癖だね」
「ううう。不覚にもつい、他のことに気をとられちゃったからーっ」

 がばっと顔を上げたニコラは眉間に皴を寄せ、悔しそうに歯を食いしばっていた。それでもやはり女の子だ、どこか愛嬌がある。

「他の事ねぇ……」
「うん、実は……」

 ※

 アインヘイルーダールの魔法学院の敷地には、広大な薬草園がある。そこには国内のみならず、外国や海の向うの大陸から運ばれてきた貴重な薬草が植えられて、力線の恵みを受けてすくすくと生い茂っていた。
 薬草畑の中には「作業小屋」と呼ばれる建物があった。その名の通り、収穫した薬草を加工したり、調理するための場所だ。
 便宜上、小屋と呼ばれてはいるものの、授業で使うための教室も兼ねているからそれなりに広い。

 甘いの、すーっとしたの、ツンとしたの。葉っぱに花に根っこに種に茎。陽の光と数多の草木の香りが混じり合い、溶け合う空気の中で今、二人の学生がせっせとそれぞれの作業にいそしんでいた。
 一人は藍色の魔法訓練生の制服を着た金髪の少女。
 もう一人は黒髪の青年。肩幅が広く、肌は陽に焼けて健康的な小麦色。木属性を象徴する深緑のローブの上からも、がっしりした体つきがうかがい知れる。

 少女はテーブルの上に羊皮紙を綴じた問題集を広げ、かりかりと答えを手元の小さな黒板に書き込んでいる。彼女の名はニコラ・ド・モレッティ。西道守護騎士団を束ねるド・モレッティ伯爵の四女であり、下町の薬草師フロウに師事する傍ら、学院で学んでいる。
 間近に迫りつつある初級術師の試験を前に、師匠お手製の問題集に取り組んでいる真っ最中なのだった。

 一方で青年は、作業台の上でもくもくと薬草を束ね、部屋に渡したロープにぶら下げている。畑でとれた薬草を、こうやって小屋の中で陰干しするのだ。
 がっしりした指先は器用に動き、次々と薬草を細い紐でくくって行く。
 ふと少女の声が沈黙を破った。

「えーっと、土の小精霊がアーシーズで、火がフレイミーズ、金がブラウニーズで水がアクアンズ……あと一つ、木属性は何だったっけ」
「……………………俺が答えてしまったら、勉強にならないでしょう?」

 青年は顔をあげようともせず、手も止めずにさらりと受け流した。
 ニコラは肩をすくめて、再びかりかりとチョークを走らせる。
(さすがフロウさんだな)
 木属性の精霊は、植物と同時に風をも司る。故に小精霊は風由来の名前で呼ばれているのだ。慣れないうちはよく引っかかる。ニコラの師匠はきっちりツボを抑えた問題を出したようだ。

「ねーエミル」
「はい?」

 中級術師エミリオ・グレンジャーは秘かにほくそ笑んだ。さっきは危うく条件反射で答える所だったけれど、もう、簡単には引っかからないぞ。

「レイラ姉さまに聞いたんだけど、王都の騎士は遠征から帰って来た後、薔薇の花びらを浮かべたお風呂で奥方とくつろぐんですって」
「ああ、そう言う優雅な風習もあるそうですね。旅の疲れをいやすのに」
「うん」

 またしばらく、カリカリとチョークを走らせる音が続く。どうやら純粋に気晴らしのおしゃべりだったようだ。
(やれやれ、考えすぎたかな)
 ほっと気を抜いた瞬間。かたり、とチョークを置く気配とともに、予想外の言葉が飛んできた。

「エミルはシャルと入らないの?」
「はい?」
「薔薇のお風呂!」

 完全なる不意打ち。ぶふっと思わず吹き出した。とっさに手を当て、唾液や鼻水が薬草にかかるのは防いだが。
 なおもげほごほ咳き込む青年を、四の姫は満面の笑みで見守っている。
 自分の発言に絶対の自信を持っているようだった。そうするのが当然じゃないの、と言わんばかりの表情だ。

「ど、ど、どうしてそう言う話になるんですかっ」
「えー、だって……」

 次の言葉が出るより早く、エミルはさっとニコラの手から小黒板を取り上げた。

「採点してさしあげます」
「あ」

 授業に使う備え付けの黒板から赤チョークを手に取るや、ガリガリと凄まじい勢いで採点を始める。さすが中級術師、ほとんど模範解答のページも見ずに正誤を判断している。
 疾風怒涛の勢いで採点を終えると、べしっと小黒板を勢いよく机に乗せた。わきおこる風圧で、ふわっとニコラの髪の毛が舞い上がる。

「うわー、けっこう自信があったんだけどなあ」

 真っ赤に添削された回答を見て、ニコラが肩を落として力なくうな垂れる。

「余計な事を考えるからです。もっと集中しなさい。術師にとって一番、重要なのは才能でも知識でもありません。集中力です」
「うう、精進します」
「今日はもうお帰りなさい。ご自宅かフロウさんの店でじっくり落ち着いて勉強するといい」
「はーい」

 書き込まれた答えを消さぬよう、小黒板を丁寧に布でくるんで問題集と一緒に鞄にしまう。
 丈夫な帆布製の鞄は防水と布の強化を兼ねて草木の汁で染められ、蓋(フラップ)の部分には花模様の刺繍が施されていた。
 蓋の留め金をかけ終えるとニコラは鞄を肩にかけ、ぺこっとエミルに一礼。
 エミルも静かに礼を返す。

「それじゃエミル、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
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