▼ ひとりぼっちのディーンドルフ中編
2013/06/18 4:32 【お姫様の話】
辺境での怪物討伐戦。
先陣切って飛び込んだ先に、大物が居た。だからって今更退く訳にも行かない。
(俺の背後を守る盾はいない)
(俺に続く剣も無い)
(己一人の力で切り抜けるより他に道は無い)
下手に手負いで逃せば、さらに暴れて害となる。今、ここで仕留めるしかない。
がん、と兜の上から殴られたが、怯まず前に出た。背中をかきむしる爪と殴りつける拳に耐え、深々と急所を抉った。
ついに切っ先が頭の後ろから付き出し、戦鬼は息絶えた。
「はーっ、はーっ、はーっ……」
べっとりと髪が濡れている。だが汗にしては多すぎる。凹んだ兜の一角が妙に涼しい。
地面に落ちた敵の武器を見て、得心が行った。俺は殴られたんじゃない。切られていたのだと。とんでもなく刃の分厚い、剣と言うより鉈に近いばかでっかいいびつな刃物で。
後続の本隊と合流し、撤退が始まった。鎧の下でかなり血が出ていたようだが、歩けないほどじゃない。
妙に足下が滑るのは、降り積もった落ち葉のせいだ、きっと。ぐらぐらと視界が回ってるのは、腹が減ってるからなんだ。
(認めるな、考えるな、自分が弱っているなんて。剣はまだ折れちゃいない。盾はまだ割れてはいない)
ようやく休止が告げられた時は、膝から崩れ落ちそうになっていた。
どうにか踏みとどまって、立ち木に寄りかかってやり過ごす。ここで座ったら、もう二度と立てなくなりそうな気がしていた。
耳の奥でザーっと乾いた音がする。嵐のような。叩きつけるみぞれのような音だ。
(ほんの少しだけ、目を閉じよう。ほんの短い間でいい。そうすれば、きっとまた立てる………)
意識が霞みに飲まれかけ、慌てて目を開ける。
辺りが妙に静かだった。ぽつーんと一人、自分だけ周囲から切り取られたようなこの感覚は、困ったことに馴染みがあった。
「参ったな」
また、置き去りにされちまった。
いつもの事だ。
休憩が終わったけれど、誰も声をかけずに出立した。ただ、それだけだ。
長々と吐き出す息は、濃厚な鉄サビの味を残して通り抜けた。
『俺はまだ戦えます。だから捨てないで! 置いてかないで!』
咽の奥が塩辛い。泣きそうだ。でも泣いてはいけない。
泣きべそばっかりかいていたディーはもうここには居ない。
騎士ディートヘルム・ディーンドルフは断じて泣いたり、へたばったりする訳にはいかない。そんな事、あってはならないんだ。
切れない剣は捨てられる。
割れた盾では守れない。
剣を杖代わりに、震える足を前に踏み出す。
かえって気が楽になった。多少、歩みが遅くなったところでもう、行軍に迷惑をかける事もないんだからな。
「……あ……水」
吹き抜ける風が湿っていた。この先に水場があるんだ。
※
たどり着いた湖のほとりで、兜を外し、水をむさぼる。
鎧を外し、服を脱ぐと、体中に打ち身と切り傷ができていた。向こうも死にたくなかったんだろう。必死で俺を引きはがそうとしたんだ。
疼く傷口を、冷たい水で洗った。
改めて知る刻まれた傷の深さに、敵の死に際の足掻きが。不規則な痙攣が指先に蘇る。
「…………」
(俺も、ここで死ぬのかな)
あり得ない。
まだまだ体の奥には力が残ってる。アインヘイルダールの駐屯地まで、帰り着く自信があった。
だが、果たしてそれを隊の連中は望んでいるのだろうか?
『何だ、生きてたのか』
『くたばるなり、どこぞに逃げるなりすれば良かったのに』
口にこそ出さないが、望む者は少なくない。
「くそ、染みるなあ……」
ぽつっと、水に溶けた血が一滴、水面を揺らした。
その時だ。
「お前さん、怪我してんのかい?」
※
急に話しかけられた。のほほんと間延びした、男の声で。
日なたと、草と、花の香りをかいだ
夜の湖で、一人きり。だのに何故だか、剣を抜く気にならなかった。
「……うん」
「どれ、見せてみろ」
妙にふわんふわんした髪の、背の低い男が居た。肩から重そうな鞄を下げて、革の胴衣に外套羽織っただけの軽装で。見たところ大した武器も持ってない。
「お前さん、運がいいぜ? 俺ぁご覧の通り薬草師だからよ!」
(ああ、だからこんな、いいにおいがするのか)
年齢は多分、自分より上なんだろう。それにしたって、顎をうっすら覆う無精ヒゲでそうと判断しただけ。
二重瞼と長い睫毛に縁取られたぱっちりした瞳、ふっくらした口元なんか、下手すりゃ年下に見えるくらいだ。
いったいこいつは、大人なのか。子供なのか?
目をこらすと、首のあたりにわずかなゆるみがある。ってことは、けっこう年齢が行ってるのかも知れない。
言われるままに大人しく、頭と体の傷を見せる。
「相当酷くやられたねえ。こりゃ相手は人間でも、獣でもないだろ」
「オーガーだ。かなりでかい奴だった」
「ああ、北の渓谷に出たってな。ってお前さん、あっちから歩いて来たのかよ!」
「うん」
「無茶するねぇ。どぉれ」
薬草師は鞄から、何種類か葉っぱを引っ張り出して、真剣に吟味してる。
「これと、これ、と……ん、こんなところかな……ちっ、近場の採取だからって横着せずに乳鉢持ってくりゃよかったな。」
3種類ばかり取り出し、小さな鍋の底とナイフを使って切るようにすり潰していくのをぽやーっとしながら見守った。
時折ギッとナイフが鍋底を擦る音にお互いに眉根を寄せあったりしている内に、すり潰した葉を擦り込んでくる。
「ぶはっ、くすぐってぇ!」
「こら、動くな、まだ終わってねぇ!」
あっと思ったら俺の背に腕が回されていた。
肌がむずむずした。本当に、久しぶりだったんだ。
自分以外の誰かと、こんな風に触れ合うのは。
「あいつらの武器は、手入れが悪ぃからな。錆びたり、腐肉がこびりついてて、きちんと手当てしないと後で痛い目見るぞ!」
「わ、わかった」
小柄な薬草売りのおっさんは、俺の体にしがみつくようにして観察し、どんなちっぽけな傷も逃さずに……丁寧に薬草を塗ってくれた。
塗り込まれるほどに、いやな疼きを放っていた傷口は、みるみる静まって行った。
優しい手に包み込まれたみたいに。
「よし、後は、その頭だな……かがめ」
「わかった」
肌に触れていた男の体が離れて行く。頭に触れているのは分かるが、急にひんやりして寂しかった。
「ま、まだか?」
「まだだ。ここが一番酷いぞ? よくこんなんで歩いて来れたもんだ」
「痛いって、気がつかなかったんだ」
「ったく、呆れた奴だね!」
軽口を叩きながら、男は額の傷に布をあてがい、ぐるりと包帯を巻いた。
「大げさだなあ」
「頭の傷は、大事なんだよ。そら、これでも食っとけ」
差し出された木の実を素直に口に入れる。
がしっと噛んだ瞬間、口が歪み、咽が震えた。
「に……にっげぇえええっっ! 何だこれっ!」
「あぁ? 栄養剤代わりだよ。かなり血が抜けてたからな」
「口、口歪むっ! しびれるっ! 本当に薬なのかこれはーっ!」
「まあ、本来なら煮詰めて、濾して、もーちょっと灰汁抜いとくんだけどな。生でも効き目は変わらん」
「だったら、せめて、飲めって言えよ!」
「噛まないと、体に悪いだろ?」
(こっ、こっ、このおっさんはーっ!)
助けといてもらって言うのも何だが、えらく人食った野郎じゃないか!
さくさくと後片づけする背をにらんでいると、男がふと、俺の脱いだ上着に目を止めた。
「あれ。この制服、西道守護騎士団の……ってことはお前さん、騎士だったのか」
「悪ぃか」
「ああ、確かに口は悪いな」
「んだと?」
「よしよし、元気出てきたな、坊主!」
にんまり笑って、頭なんか撫でてやがる。子供か俺はっ!
「坊主じゃねえっ!」
「じゃあ何て呼べばいい」
「ディートヘルム・ディーンドルフ」
「長ぇな」
「通り名は、ダインだ」
ごく自然に問い返していた。単におっさんと呼ぶのをためらったからじゃない。そいつのことを知りたいって思ったんだ。
「あんたのことは何て呼べばいい?」
「俺は、フロウだ」
先陣切って飛び込んだ先に、大物が居た。だからって今更退く訳にも行かない。
(俺の背後を守る盾はいない)
(俺に続く剣も無い)
(己一人の力で切り抜けるより他に道は無い)
下手に手負いで逃せば、さらに暴れて害となる。今、ここで仕留めるしかない。
がん、と兜の上から殴られたが、怯まず前に出た。背中をかきむしる爪と殴りつける拳に耐え、深々と急所を抉った。
ついに切っ先が頭の後ろから付き出し、戦鬼は息絶えた。
「はーっ、はーっ、はーっ……」
べっとりと髪が濡れている。だが汗にしては多すぎる。凹んだ兜の一角が妙に涼しい。
地面に落ちた敵の武器を見て、得心が行った。俺は殴られたんじゃない。切られていたのだと。とんでもなく刃の分厚い、剣と言うより鉈に近いばかでっかいいびつな刃物で。
後続の本隊と合流し、撤退が始まった。鎧の下でかなり血が出ていたようだが、歩けないほどじゃない。
妙に足下が滑るのは、降り積もった落ち葉のせいだ、きっと。ぐらぐらと視界が回ってるのは、腹が減ってるからなんだ。
(認めるな、考えるな、自分が弱っているなんて。剣はまだ折れちゃいない。盾はまだ割れてはいない)
ようやく休止が告げられた時は、膝から崩れ落ちそうになっていた。
どうにか踏みとどまって、立ち木に寄りかかってやり過ごす。ここで座ったら、もう二度と立てなくなりそうな気がしていた。
耳の奥でザーっと乾いた音がする。嵐のような。叩きつけるみぞれのような音だ。
(ほんの少しだけ、目を閉じよう。ほんの短い間でいい。そうすれば、きっとまた立てる………)
意識が霞みに飲まれかけ、慌てて目を開ける。
辺りが妙に静かだった。ぽつーんと一人、自分だけ周囲から切り取られたようなこの感覚は、困ったことに馴染みがあった。
「参ったな」
また、置き去りにされちまった。
いつもの事だ。
休憩が終わったけれど、誰も声をかけずに出立した。ただ、それだけだ。
長々と吐き出す息は、濃厚な鉄サビの味を残して通り抜けた。
『俺はまだ戦えます。だから捨てないで! 置いてかないで!』
咽の奥が塩辛い。泣きそうだ。でも泣いてはいけない。
泣きべそばっかりかいていたディーはもうここには居ない。
騎士ディートヘルム・ディーンドルフは断じて泣いたり、へたばったりする訳にはいかない。そんな事、あってはならないんだ。
切れない剣は捨てられる。
割れた盾では守れない。
剣を杖代わりに、震える足を前に踏み出す。
かえって気が楽になった。多少、歩みが遅くなったところでもう、行軍に迷惑をかける事もないんだからな。
「……あ……水」
吹き抜ける風が湿っていた。この先に水場があるんだ。
※
たどり着いた湖のほとりで、兜を外し、水をむさぼる。
鎧を外し、服を脱ぐと、体中に打ち身と切り傷ができていた。向こうも死にたくなかったんだろう。必死で俺を引きはがそうとしたんだ。
疼く傷口を、冷たい水で洗った。
改めて知る刻まれた傷の深さに、敵の死に際の足掻きが。不規則な痙攣が指先に蘇る。
「…………」
(俺も、ここで死ぬのかな)
あり得ない。
まだまだ体の奥には力が残ってる。アインヘイルダールの駐屯地まで、帰り着く自信があった。
だが、果たしてそれを隊の連中は望んでいるのだろうか?
『何だ、生きてたのか』
『くたばるなり、どこぞに逃げるなりすれば良かったのに』
口にこそ出さないが、望む者は少なくない。
「くそ、染みるなあ……」
ぽつっと、水に溶けた血が一滴、水面を揺らした。
その時だ。
「お前さん、怪我してんのかい?」
※
急に話しかけられた。のほほんと間延びした、男の声で。
日なたと、草と、花の香りをかいだ
夜の湖で、一人きり。だのに何故だか、剣を抜く気にならなかった。
「……うん」
「どれ、見せてみろ」
妙にふわんふわんした髪の、背の低い男が居た。肩から重そうな鞄を下げて、革の胴衣に外套羽織っただけの軽装で。見たところ大した武器も持ってない。
「お前さん、運がいいぜ? 俺ぁご覧の通り薬草師だからよ!」
(ああ、だからこんな、いいにおいがするのか)
年齢は多分、自分より上なんだろう。それにしたって、顎をうっすら覆う無精ヒゲでそうと判断しただけ。
二重瞼と長い睫毛に縁取られたぱっちりした瞳、ふっくらした口元なんか、下手すりゃ年下に見えるくらいだ。
いったいこいつは、大人なのか。子供なのか?
目をこらすと、首のあたりにわずかなゆるみがある。ってことは、けっこう年齢が行ってるのかも知れない。
言われるままに大人しく、頭と体の傷を見せる。
「相当酷くやられたねえ。こりゃ相手は人間でも、獣でもないだろ」
「オーガーだ。かなりでかい奴だった」
「ああ、北の渓谷に出たってな。ってお前さん、あっちから歩いて来たのかよ!」
「うん」
「無茶するねぇ。どぉれ」
薬草師は鞄から、何種類か葉っぱを引っ張り出して、真剣に吟味してる。
「これと、これ、と……ん、こんなところかな……ちっ、近場の採取だからって横着せずに乳鉢持ってくりゃよかったな。」
3種類ばかり取り出し、小さな鍋の底とナイフを使って切るようにすり潰していくのをぽやーっとしながら見守った。
時折ギッとナイフが鍋底を擦る音にお互いに眉根を寄せあったりしている内に、すり潰した葉を擦り込んでくる。
「ぶはっ、くすぐってぇ!」
「こら、動くな、まだ終わってねぇ!」
あっと思ったら俺の背に腕が回されていた。
肌がむずむずした。本当に、久しぶりだったんだ。
自分以外の誰かと、こんな風に触れ合うのは。
「あいつらの武器は、手入れが悪ぃからな。錆びたり、腐肉がこびりついてて、きちんと手当てしないと後で痛い目見るぞ!」
「わ、わかった」
小柄な薬草売りのおっさんは、俺の体にしがみつくようにして観察し、どんなちっぽけな傷も逃さずに……丁寧に薬草を塗ってくれた。
塗り込まれるほどに、いやな疼きを放っていた傷口は、みるみる静まって行った。
優しい手に包み込まれたみたいに。
「よし、後は、その頭だな……かがめ」
「わかった」
肌に触れていた男の体が離れて行く。頭に触れているのは分かるが、急にひんやりして寂しかった。
「ま、まだか?」
「まだだ。ここが一番酷いぞ? よくこんなんで歩いて来れたもんだ」
「痛いって、気がつかなかったんだ」
「ったく、呆れた奴だね!」
軽口を叩きながら、男は額の傷に布をあてがい、ぐるりと包帯を巻いた。
「大げさだなあ」
「頭の傷は、大事なんだよ。そら、これでも食っとけ」
差し出された木の実を素直に口に入れる。
がしっと噛んだ瞬間、口が歪み、咽が震えた。
「に……にっげぇえええっっ! 何だこれっ!」
「あぁ? 栄養剤代わりだよ。かなり血が抜けてたからな」
「口、口歪むっ! しびれるっ! 本当に薬なのかこれはーっ!」
「まあ、本来なら煮詰めて、濾して、もーちょっと灰汁抜いとくんだけどな。生でも効き目は変わらん」
「だったら、せめて、飲めって言えよ!」
「噛まないと、体に悪いだろ?」
(こっ、こっ、このおっさんはーっ!)
助けといてもらって言うのも何だが、えらく人食った野郎じゃないか!
さくさくと後片づけする背をにらんでいると、男がふと、俺の脱いだ上着に目を止めた。
「あれ。この制服、西道守護騎士団の……ってことはお前さん、騎士だったのか」
「悪ぃか」
「ああ、確かに口は悪いな」
「んだと?」
「よしよし、元気出てきたな、坊主!」
にんまり笑って、頭なんか撫でてやがる。子供か俺はっ!
「坊主じゃねえっ!」
「じゃあ何て呼べばいい」
「ディートヘルム・ディーンドルフ」
「長ぇな」
「通り名は、ダインだ」
ごく自然に問い返していた。単におっさんと呼ぶのをためらったからじゃない。そいつのことを知りたいって思ったんだ。
「あんたのことは何て呼べばいい?」
「俺は、フロウだ」