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とりねこの小枝

【外伝】ひとりぼっちのディーンドルフ前編

2013/06/18 4:30 お姫様の話いーぐる
 小さなディーは愛情に包まれて育った。
 けれど騎士ディートヘルム・ディーンドルフは孤独だった。少なくとも、王都で過ごした6年間と、西シュトルンに移った最初の1年は。

     ※

 レディ・ディーンドルフは懐の深い人物だった。
 母に続いて姉を失った6歳の少年をその豊かな胸に抱き寄せ、実の子と変わらぬ愛情と厳しさで育て上げた。彼女の娘たちもまた、穏やかな生活の中に降って湧いた小さな『弟』を受け入れた。
 そばかすだらけの巻き毛の少年は、それぞれ夫であり、父親である男性を失った直後の悲しみを埋めてくれたのだった。

 14の歳、『ディー』は騎士となるべく、実の父親の住む王都へと迎えられる。その頃には、少年も自分の母親が『妾』『愛人』もしくは『側女』と呼ばれる立場に居たことも。何故、姉と自分が遠く離れた田舎の領地で暮らしていたのか、その理由も理解していた。

 だからこそ、自分に向けられる正妻(その人を義母と呼ぶのはさすがに気が引けた。いかに心の中でも、だ)の険しい眼差しを受け入れた。すぐさま、わずか三ヶ月年上の兄を憚ることを覚えた。
 騎士になる為の道は大きく分けて二つ。このまま父の館に留まり、貴族の子弟に相応しい教育を受けた後に、父の知己の何れかの下で、形式ばかり一ヶ月ほど騎士見習いとして修業を積むか。
 あるいは……
 軍の訓練所に入り、他の候補生同様、みっちり一からしごかれるか。

 ディーは迷わず後者を選んだ。

 訓練所に入った初日、世話役のロベルトと言う騎士に言われた。

「お前らの『宝物』を五つ出せ」
「そんなに持ってません。これだけしか………」

 素直に差し出したのは、銀色の楕円形のロケット。伯母の元を離れる時に選別として贈られた。中には波打つ金髪に矢車菊のように青い瞳の少女……姉のアイリスの肖像が収められていた。

「しょうがねぇな」

 ロベルトは容赦なく銀のロケットを奪った。他の候補生の宝物と同様に、公平に。

「あっ、何すんだ、返せ!」
「返してやるぜ? ただし条件がある」
「何だよ! さっさと言え!」

 ついさっきまでは、子犬みたいにおどおどしてやがったくせに。いい面構えだ、こっちが本性だな?
 内心ほくそ笑みつつ、ロベルトは言い放った。

「俺が武器を持ってる時に、一撃でいいから当ててみろ。そしたらこの別嬪さんは返してやる」
「一撃だな!」

 言うなり、その場で切り掛かってきた。訓練用の刃のない剣とは言え、その動きは激しく、気迫は並々ならぬものがあった。だが……

「無駄が多い」

 体力切れでへたばるまで弄び、ぶっ倒れた所で修練場から立ち去ろうとしたが。
 
「かえせ……」

 足首を掴まれた。

「あねうえ……か、え、せ……」
「ちっ、しつこいな」

 手を踏みつけ、蹴り飛ばす。

「動きに無駄が多すぎるんだよ、お前は。俺に当てたきゃ、もっと狙え」

 切れない剣は捨てられる。
 割れた盾では守れない。
 それが、訓練所でロベルトから教えられた全てだった。
 だから必死に己を研ぎ澄まし、切れる剣であり続けた。ひたすら己を鍛え、割れぬ盾であろうとした。
 いつしか育て親の家名を縮めて『ダイン』と称するようになった少年は、半年後に初めてロベルトに一撃を当てた。

「ちっ、しょうがねえ、当たっちまったか」

 金髪の青年は肩をすくめると懐からロケットを取り出し、ひょいと投げてよこした。

「あねうえっ」

 両手ですがりつき、受け止める。

「はは、やった、あねうえっ! やったよロブ先輩、俺、やったよーっ」
「だあっ汗臭い、うっとおしい、ひっつくんじゃねえっ」

 蹴り飛ばそうと足を振り上げるより早く、ダインの体がくたあっと地面に崩れ落ちる。

「あぁん?」

 銀のロケットを握りしめたまま、ダインはすやすやと眠っていた。

「ったく邪魔だろうが!」

 体を丸めてすーすー眠る少年を、修練場の片隅に放り出してその場を後にした。

 それ以来、ダインはロベルトに懐いた。

「ロブ先輩! 稽古つけてくれ!」
「よし、そこのハンマーで素振り千回な」
「ロブ先輩! 遠乗り行こうぜ!」
「鞍無しで乗れるようになったら、付き合ってやろう」

 その頃には、ダインが貴族の愛人の子であることも。左目に『呪われた印』を持っていることも、あまねく訓練生の間に広がっていた。
 呪われた子と忌み嫌うこともなく。愛人の子と蔑むこともなく。
 他の者と分け隔てなく厳しく接していたのは、ロベルトただ一人だったのだ……。

 ロブ先輩の期待に応えたい。その一心で、ダインはどんどん腕を磨いた。
 ロベルトもまた、使える奴と見込んで徹底的にダインを鍛えたのだった。

 瞬く間に一年、二年が過ぎ……18歳になる頃には、手足ばかりがひょろ長かった少年は、肩幅も広く、胸板も厚く。身の丈ほどの剣を易々振り回し、荒馬を乗りこなす筋骨逞しい偉丈夫へと成長を遂げていた。
 それこそ、戯れにロベルトを軽々と抱き上げるほどに。
 金髪混じりの褐色のたてがみ、オリーブグリーンの瞳、がっしりした顎。堂々たる風貌は、父親の若い頃に瓜二つ。
 それは、彼の三ヶ月違いの兄がどんなに望んでも得られぬ物でもあった。
 研ぎ澄まされた剣術の冴え。頑強な肉体さえも。

 何と言う皮肉。
 鋭い剣になるほどダインは疎まれた。
 割れぬ盾であるが故に嫉まれた。
 ロベルトを慕う訓練生たちからは、「先輩にひいきにされる」と嫉まれていた。
「見込みのある奴」の顔を見に来た先輩騎士からは、なまじ互角に渡り合ったばかりに「生意気」と言われた。
 他ならぬ義理の母親のまき散らした悪意の種は、彼らの嫉みや下衆な好奇心、嗜虐心に容易く根付き、活き活きとはびこったのだった。

『あいつは父親の私生児だ。だから家名を名乗れないのだ』
『あいつは呪われている。あの色の変わる不気味な左目を見たか?』
『きっと魔物の血でも混じってるんだろう』
『魔物なら、ヒトより強いのは当然じゃないか。それがヒトと同じ場所に暮らすなど、おこがましい』
『忌わしい』

 それでも、見込みのある奴と評価するロベルトが居た間はまだ良かったのだ。たった一人でも、自分を受け入れる人が居てくれれば人間、案外踏ん張れる。
 だが折悪しくロベルトは東の交易都市への転属を命じられ、ダインの味方はだれ一人として居なくなった。

『奴は呪われている』
『魔物の血を引く忌わしい子』
『だったらせいぜい、使い捨ててやればいい』

「俺はまだ戦えます。だから捨てないで! 置いてかないで!」

 芽生えかけた淡い恋ですら、義母の刺しがねで無残に踏みにじられた。
 その時、ダインは心に決めた。

 自分は誰の助けも得られない。
 愛することも、愛されることも許されない。
 ならばせめて、与えることに、尽くすことに徹しよう。
 他人には期待しない。期待しなければ、裏切られることもないのだから。

 兄に遅れること、4年。20の歳にようやく、ダインは騎士宣誓を許された。明らかに貴族の子弟としては、遅過ぎる年齢だった。
 晴れて見習いではなく、正騎士として配属された先は『西道守護騎士団』。
 未開の地へ旅する開拓者の守護者と呼ばれたのは昔の事。今は任務と言えば、延々と広がる牧草地と畑の警備と、蛮族や怪物との小競り合いがせいぜいのど田舎勤務。
 要するに『左遷』であった。
 そこに義母の思惑が絡んでいたのか。あるいは、少しでも我が子を権力争いから遠ざけようとする父の気遣いによるのものかは、ダイン自身は知る由も無かった。
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