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とりねこの小枝

いちじくの香る庭で

2015/04/19 14:14 お姫様の話いーぐる
 双子月(六月)が終わり、巨蟹月(七月)に入ると陽射しは急に強くなる。
 常に青空の片隅に居座っていた灰色の重たい雲は跡形も無く吹き払われ、まばゆい夏の輝きが目に写るあらゆる物を塗りつぶす。
 木々の緑も花の赤も、この季節はことさらに鮮やかだ。虫も鳥も魚も獣もそして人間も。生きるものは皆、短い夏の間に高らかに生命の喜びを歌い上げる。
 アインヘイルダールの北区の一角、裏通りにたたずむ古い古い薬草屋「魔女の大鍋」も例外ではなかった。
 裏庭に広がる薬草畑では香草や薬草、果樹がすくすくと枝葉を広げ、花を咲かせ果実を実らせ、むせ返るほどに濃密な『生命の香り』を練り上げていた。

「上手い事伸びたなぁ」
「すくすく伸びてますねぇ」
 店の主、フロウライト・ジェムルはしゃがみこんで目の前に生い茂る薬草に手を差し伸べる。
 井戸の脇のその一角は、この春に手に入れた東方の珍しい薬草を蒔いた場所だった。土地に宿る魔力……力線の恵みを受けて、気候も地質も異なるこの庭でも根付き、芽吹き、すくすく伸びてくれた。
「ほんっと、まさか自分とこの庭でこの草が採れる日が来るなんて夢に思わなかったよ」
「俺も、この草はまだ文献でしか読んだ事がなかったんで……感動しました」
「送り主に感謝しなくっちゃぁな」
 隣で屈みこんでいた黒髪の青年が、えっと声をたてて首をかしげた。
「買ったんじゃないんですか?」
「いんや。誰かさんからのプレゼントさね」
「レイヴンさんのお土産……じゃ、ないっすよね。あの人が戻ってくるより前にもう、種まいてたし」
「ん、まぁ何って言うか、そう。匿名のプレゼントって奴さね、エミル」
「はぁ……」

 少し離れた一角では、銀髪のすらりとした青年と、対照的にがっちりした体格の褐色の髪の大柄な男が二人してイチジクの実を摘んでいる。
「イチジクも薬草だったんだな。知らなかったよ」
 褐色のでか物が感に堪えないと言った口調でつぶやくと、銀髪くんが得たりとばかりにうなずいた。
「はい。葉も果実も、樹液も全部役に立ちます。無駄のない樹なんですよ、先輩」
「さすが果樹神の神官だな、シャルダン」
 先輩に褒められ、銀髪のシャルダンはほんのりと頬を染めてはにかんだ。並の男なら一撃で撃墜されそうな女神のほほ笑みも、目の前の唐変木にとっては可愛い後輩の範疇を出ない。だからこそ、エミルは比較的安心してこの二人を見守る事ができるのだ。
「おっと」
 やおら大柄な青年は顔をしかめ、で己の手を睨む。ねっとりと甘ったるい香りがひときわ強く夏の空気に混じる。
 どうやら、力を入れ過ぎてせっかく摘んだ実をつぶしてしまったらしい。
「ダイン」
 フロウの呼びかけにこたえ、眉をしかめたまま顔を向ける。
「イチジクってのは柔らかいからな。優しく扱え。優しくな?」
「……わかった」
 口をヘの字にひき結んでいる。しくじったのが悔しいのだろう。薬草を無駄にしてしまったと悔やんでいるのかも知れない。つくづく真面目な男だ。
「それ、食っていいぞ」
「ほんとか!」
 しょげたと思ったらもう、目を輝かせている。
 迷わず潰れた実の下側にぽっかり開いた開口部を指でつまみ、裏返すようにして表面の皮を剥いてしまった。
「おや」
 やたらと手際が良い。イチジクの薬効は知らずとも食べ方は心得てるって訳か。
 濃い赤紫と白、二層の果実を口に含み、もしゃもしゃとかみ砕く。指についた果汁まできれいに舐めとっていた。残ったのは皮だけ。実に器用なもんだ。
(あれができるのに、どーして潰すかねぇ?)
 フロウは首をすくめて再び眼前の薬草に視線を落とす。イチジクの収穫は順調に進んでいるようだ。この分なら、昼前に作業を終える事ができるだろう。
 夏場の作業は、空気の涼しい朝の内にすませるに限る。
「しっかしお前さんらも、物好きだねえ。せっかくの休みなんだから、もっとこうのびのび過ごす事だってできるだろうに」
「やあ、今日はどうしたって学院回りの力線が活性化して……『緊張』しちまうんで」
 雑草をむしる手を止めて、エミルは肩をすくめた。
「落ち着かないんですよ」
「ああ、確かに」
 だからって、何で俺の家に来るんだか。そんな疑問を口にするより先に、裏口の扉がばーんっと勢い良く開いた。
「やっほー、お茶の準備ができたよー」
 現われた青年……と言うべきなのだろうか。つるりとした手足にどこか猫めいた容貌。前髪の一房が赤く、黄金色の瞳の中世的な容貌の人物は、レースとフリルのたっぷりついたエプロンを身につけてこの上もなく上機嫌だ。
 すっかり馴染み切っている。だが、彼はこの家の住人ではない。
「こんにちは、ナデュー先生」
「やあ、ディーテ! 元気そうだね」
「その呼び方はちょっと、その……」
「え、何か問題あるかな」
「……ないです」
 満面の笑みを浮かべ、大柄なわんこ騎士をいとも楽々と丸め込む彼は、『マスター』の称号を持つ魔法学院の教官だった。
「イチジクのタルトを作って来たんだ。みんなで食べよう!」
「はーい!」
「おう」
 めいめいに返事をしてまずは井戸へ向かう。草むしりやイチジク摘みで手が汚れていたし、強い日差しの下での畑仕事で汗ばんでいたからだ。
 地下から組み上げた井戸水は、夏でも冷たい。それがむしろ心地よかった。
 
     ※

 店の奥の台所。どっしりした樫の木製の食卓には、既にお茶の支度が万事整えられていた。まさに勝手知ったるなんとやら。
「んっぴゃ、んっぴゃああ」
 黒と褐色斑の猫が翼を広げ、天井から舞い降りる。
「とーちゃん!」
 肩に舞い降りた鳥のような、猫のような生き物をダインは目を細めて撫でた。
「ちび。こいつ、どこに潜り込んでたんだ?」
「ぴゃっ、ぴゃああ」
 ちびと呼ばれた生き物は、答えるかわりにぴとっとダインの頬に鼻をくっつけた。ひんやりとして、湿っている。
「冷たっ。ほんっとお前は涼しい所を見つける天才だよな」
「ぴゃあ!」
 女神のごとくたおやかな銀髪の騎士と筋骨逞しい黒髪の魔法使い、褐色の髪の大柄な騎士に亜麻色の髪の小柄な薬草師、そしてふりふりのエプロンを着て上機嫌な上級召喚師。風変わりな取り合わせの五人は薄荷を混ぜたお茶を飲みつつ、イチジクのタルトをほお張る。
「ちびちゃんの分もあるよ、タルト」
「んっぴゃっ!」
 ちびは瞬く間に自分の分を完食し、当然のように絹のような毛並みをすりよせ、おこぼれをねだる。それを断るような人間はこの場にはいなかった。

「あれ、レイヴンは?」
「うん、彼は研究が忙しいみたいだからね。部屋に持ってった」
「そうか。」
「ナデュー先生」
 銀髪の騎士が首を傾げる。その傍らではいつ移動したのか、ちゃっかりとりねこが赤い口をかぱっと開けて、タルトのおこぼれにあずかっていた。
「今日は、初級術師の試験の日、なんですよね?」
「そうだよ」
 あっさりナデューが答える。
 そう、だからこそフロウの弟子にして伯爵家の四の姫、金髪のニコラはここには居ないのだ。
 今、この瞬間、彼女は初級巫術師の試験を受けるべく魔法学院にいる。
「それなのに、先生はお休みなんですか?」
「私は今年は試験官じゃないからねー。試験中は、試験官と受験生以外は基本、学内立ち入り禁止なんだよ」
「ああ、だからエミルもお休みなんだ」
「うん。研究室からも追い出される」
 ナデューはイチジクのタルトの最後の一口をほお張り、薄荷茶で流し込むとため息交じりにつぶやいた。
「今年は気になる子がいるから、できれば立ちあいたかったのだけれど、ね」
「それって、まさかニコラさんのの事ですか」
「ううん。彼女は優秀だよ? 模試でもトップだったし、実技も目立った失敗は無い」
 ふーっとまたため息一つ。
「それはそれで、心配なんだけどね」
「へ?」
 ダインはぱちくりと瞬きして首をかしげた。何となれば、ニコラは自分よりよほど覚えが良いからだ。事実、己が手こずった祈念語の読み書きもあっさりクリアして先に進んでしまった。
「優秀だから、心配って、どう言う意味だ?」
 ゆるりとした口調でフロウが答える。
「あーゆータイプはかえって、つまづきのない事こそが壁になっちまうんだよ」
「わけわかんねぇ」
「木登りだってそうだろ? ちょっと登ってはずり落ちながら登ってった方が度胸はつくし、体もなじむ。なまじ最初っから高い所まで失敗せずに登っちまうと、それだけ怖くなる。ここから落ちたらどうなるんだろうってな」
「あぁ……それなら、何となくわかる……かな」
「ん。一生懸命になってるのがわかってるから、迂闊に落ちても気にするな、とは言えないしなあ。真面目な子だし……」
「ぴゃああ」
 すりよるちびの柔らかな毛皮を撫でて、フロウは目を細める。
「俺らにできることは、こうして待つ事だけ、って訳だ」
 そうなのだ。
 実際、ニコラの首尾が気になるからこそ、彼らはこうして顔をつきあわせているのだった。
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