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とりねこの小枝

【32-7】★★夕闇に花開く

2014/01/24 0:48 騎士と魔法使いの話十海
 アインヘイルダールの夏の夕刻は、長い。
 西の辺境、と呼ばれてはいるがこの地は王都に比べて北にある。そのため冬は早くに日が暮れ、逆に夏は伸びる。太陽は西の地平線の際に長く留まり、夕暮れの薄明が延々と続くのだ。
「………明るいなぁ」
 ダインは裏庭のベンチに腰を下ろし、刻一刻と変わって行く空をぼんやりと眺めていた。
 モレッティ屋敷から帰った時には、既に日暮れと言ってよい時刻になっていた。
 東の空は既に濃いスミレ色に覆われ、端には藍色の夜空がにじんでいる。一方で西の空は陽の照り映えを受け、あかね色を留めている。近隣の家々の壁もまた、うっすらと赤みを帯びていた。
 体に覚え込んだ感覚はもうとっくに夜だと告げている。
 なのに今、目の前に在るのは長い長い夕刻だ。温い空気に溶けた香草の香りは気まぐれな風の流れに混ぜ合わされ、時に甘く、時に涼やかに。あるいはねっとりと鼻腔にまといつく。
 あるはずのない時間のすき間に落ちたような、そんな曖昧なひと時。
 いつもなら夕食の後片づけに追われている頃合いだが、今日は他所で食事を呼ばれて来た。 
 授与式の後、ニコラの祖母モレッティ大夫人の招きでささやかな晩餐会が催されたのだ。しかも堅苦しい礼儀に囚われずに楽しめるよう、庭園に面したテラスに席を設けて。

 さすがのフロウもこの招待を断る事はできなかった。弟子のローブ授与式の際には、師匠へのお礼と友人知人へのお披露目を兼ねて、家族が振る舞いの席を儲けるのが慣例なのだ。
 客の数は式の時よりも増え、その中には騎士団の上司であるロブ隊長やその副官ハインツの姿もあった。ニコラの立場上、騎士団員が交じるのはごく自然な事ではあった。しかしながら、王都で多感な時期を過ごしたダインにとっては……。
 騎士団長の娘が正式に魔法使いとなり、その祝いの席に団員が列席するのは希有な事に思えてならなかった。
 術師と騎士。魔法と武術。相反する二つの思想、二つの社会、二つの文化が共存する。それが西の辺境なのだとわかっていても、実際に公式な場に立ち合うと改めて痛感せずにはいられない。
(ここは、王都とは違うんだな)
 同時にダインはその事実に安堵してもいた。
 騎士の身でありながら左目に異相を宿し、生まれながらに魔法の才を有する己の存在もここでは何の疑問もなく受け入れられている。
 赦されているのだと。
(もしも、俺が騎士にならず、魔法使いの道を選んでいたのなら……)
 左目に軽く触れる。
(あんな風に、祝福されながら術師になっていたんだろうか)
 選ばなかった幻の道はあまりにかすかで、想像しても輪郭すらつかめない。
 それに自分が騎士の誓いを立てた時も、やはり祝福されていたではないか。家族や親しい人たちに。その後の道は決して平坦ではなかった。けれど、だからこそ出会えた人がいる。得たものがある。
 流した血も飲み込んだ涙も決して無駄ではない。
 故に、迷いはない。

 しかしながら、いかにめでたい席とは言え、二の姫レイラにロブ隊長。上司二名と席を共にすれば緊張する。
 さすがに居酒屋や砦の食堂で飲んで騒ぐのとは訳が違う。
 授与式は元より夕食の間もきっちり礼服の襟を締めていたもんだから、すっかり首や肩がこわばってガチガチに固まってしまった。着慣れぬ礼服は帰ってすぐに脱ぎ捨て、今は着慣れた木綿のシャツとズボンと言う出で立ちに戻っていた。胸元をとめるボタンは当然のごとくいつものごとく全開だ。
「ふーっ」
 首を左右に傾けて、ぐるりと回す。ついで右手で左肩をもみながら肘を回していると、背後で草を踏む気配がした。
「年よりくっせぇなあ、若者が」
「ンだよ、中年」
 振り向くと、フロウが居た。とっくに着替えたと思ったら、まだきっちりと襟の詰った裾の長い神官の法衣を着ている。
 陽が落ちたとは言え夏だ。空気の中にも地面にも、昼間の熱が蓄えられている。喉元から手首、つま先にいたるまでくまなく肌を覆ったフロウの姿はいつになく窮屈そうに見えた。
(何やってんだ、こいつ)
 ダインは思わず片方の眉をしかめ、苦笑した。
「おいおい。授与式も晩餐会も終わったてぇのに、まだそんな格好してるのか?」
「ん~?まあ、久しぶりに着たし、たまには使ってやんないとなぁ、ってな」
「暑くないのか?」
 素朴な疑問を口にする。薄いとは言え布を二重に、部位によっては三重に重ねてるのだ。この暑さの中、隙を見ては衣服をくつろげて涼を取りたがる普段の言動とはおよそ真逆の服装ではないか。
「てっきり速攻で着替えてくると思った」
 フロウはにんまりと口元を緩め、法衣の裾をつまんだ。
「騎士様、これがマギアユグド神官の礼服だってのがわかってねぇなぁ」
「え? 礼服なんて基本同じだろ? そりゃ俺らの制服に比べりゃ布地も柔らかいし裾は長いけど」
「そうだな、『基本は』同じだな……」

 言いながらフロウは胸元に手を当て、ボタンを外す。すると首筋から胸元、肩を覆っていた濃い緑色の布がパサリと取れた。下に重ねた淡い緑の部分は襟ぐりがVの字型に広く穿たれ、むっちりした胸元や滑らかなうなじを惜しげもなく晒している。
「え、え、え?」
 ダインは目を閉じ、次いで限界まで開く。月光の下、数時間ぶりに見せつけられた肌身から目がそらせない。
 フロウはほくそ笑むとさらに袖や裾のボタンを外し、紐を解く。重ねた布に巧みに隠されていた継ぎ目が離れ、袖が脱げ落ちる。
 さらには裾を覆う布が花びらが散るように解けて行き、下三分の一がぱさりと地面に落ちた。
「え? ええっ?」
 ダインは石のように凍りついたまま、一部始終を凝視していた。最後の布が解けるや、ぐいっとばかりに半身乗り出す。
「お前、なんっつー格好に!」
「おや、こっちが『本当の礼服』だぜ?」
 今やフロウの法衣は袖無しの衣、それも角度によっては透けそうなくらいに薄い布が一枚だけ。裾はやっと膝を覆う程度、さらには脇に脚の付け根までのスリットが入っている。柔らかな布は体の線に沿い、肉感的な曲線を縁取り、浮かび上がらせる。
 体を覆うより強調するかのような、あまりに奔放で、扇情的な衣服へと変貌を遂げていた。

「う、上に重ねてただけなのかっ。いや下もか? 袖もかっ」
 若者の視線を受け止めるように中年男は両手を広げ、にんまりと笑った。明らかにダインのうろたえぶりを楽しんでいる。
「そーうよ。神殿での正装はこっち。今外したのは、余所行き用の追加の布地さね」
 長い沈黙の後、ダインはごくりと音を立てて生つばを飲み込んだ。
「…………………………下着とかつけてたりしない……よな?」
「は?」
 フロウは眉を潜め、じとぉっと半眼で睨め付けた。
「あるわけねぇじゃん、このままヤれるように出来てんのに」
 ダインはやおら動いた。木製のベンチを軋ませて立ち上がるや否や、一番したかったことをした。
 すなわち、フロウに抱きついたのだ。

「うぉぅ?」
 目を白黒させたまま、フロウは頑強な厚みのある肉体に包み込まれる。
「知らなくって良かった」
 押し殺したうめき声が、ため息とともに耳元に吹きこまれる。うなじに当たる熱さと強さにフロウは反射的に首をすくめる。
「そうと知ってたら……落ち着いてらんなかった。授与式の時も、晩餐会の時も」
「んだよ、ちゃんと余所行き用の布着けてただろ?」
「下着着けてないんだろ?」
「まあ、そうだな」
 ごつごつした手が裾から忍び込み、尻を撫でる。フロウの言葉通り、遮る物は何一つ無い。
「……っん」
 むっちり張りつめた弾力のある肉と、吸い付くような肌が手のひらの下で震える。
「やらしいな。この服、すごくやらしくて、色っぽいよ、フロウ」
 執拗に尻をもみしだきつつ、胸元に顔を埋める。荒い呼吸を繰り返す程にとろけるような甘い匂いが体内を満たして行く。
「ははっ、そりゃあ……寛容にして奔放なるマギアユグドの法衣だもの?」
 ダインの褐色の髪を撫でながらフロウは若い体を抱きすくめ……自ら誘うように身を横たえる。柔らかな芝生の上へ。
 西の空は未だに薄明るい。しかしながら、薬草屋の裏庭は既に刻一刻と密度を増す藍色の闇に覆われていた。
 人目を遮るには充分なほど暗く、互いの体を目視するには充分なほど明るく。

     ※

 子犬みたいにダインは素直だった。
 気負う事も焦る事もなくフロウの導きに身を委ね、のびのびと生きる悦びを謳歌した。
 せめぎ合う情熱の求めるままに肌を重ね、ぶつけ合い、蕩け合う。
 昂ぶりの極みを分かち合う瞬間を過ぎても腕を解かず、離れようとはしなかった。
「……もう一年になるんだな」
 ダインがぽつりとつぶやく。
「何が?」
「三日月湖畔での戦い。去年の夏だった」
 珍しい事もあるものだ。
 フロウは内心驚いた。これまで、彼が自分からあの遠征での出来事を口にするなんて滅多になかったからだ。
「今日、式の後でエルダに言われたんだ。ありがとうございましたって」
「……あぁ、クレスレイク家の次男坊か」
 ニコラの先輩にあたる、赤茶色の瞳に赤い髪、ほお骨の周りにそばかすを散らした新米召喚師。彼は三日月湖のほとりの村の出身だった。一年前の戦いで、西道守護騎士団が救った村だ。
 故郷が鬼族の来襲を受けた際、エルダは既に魔法学院の寮生だった。自身は巻き込まれる事はなかったものの、残してきた家族の身を、遠く離れたアインヘイルダールから祈るしかなかったのだ。
 一番始めにエルダはニコラの姉、二の姫レイラに感謝の言葉を告げた。だが二の姫はゆるく首を左右に振り
『ありがとう。だが私はその遠征には参加していなかったのだ。実際に三日月湖畔で戦ったのは、この男だ。おい、ディーンドルフ!』
 猫背の部下を前に押し出したのだった。
「……嬉しかった」
「そうかよ」
 くしゃくしゃと汗ばむ褐色のたてがみを撫で回す。
 防衛戦の勝敗を決定づけたのは、他ならぬダインの捨て身の一撃だった。だが手柄を妬んだ同僚の投げつけた心無い言葉が全てを変えた。「魔族混じり」と。
 途端に救われたはずの村人たちは脅えて口を閉ざし、『忌わしい魔族の血族』から目を背けた。飢えて、乾いて、傷つき倒れたダインに手を差し伸べる者は、誰一人いなかった。
 変わり者で世話好きの薬草師以外は。
「よかったな」
「……うん」
 エルダの素直な賞賛の眼差しと感謝の笑顔は、彼の中でくすぶり続けていた小さな傷口を塞いでくれたのだろう。
「待てよ、ってことは、そうか」
「ん?」
 フロウは半身を起こしてのぞきこんだ。とろりとした翡翠色の右目と、月色の虹を宿した左目を。
「お前さんと出会ってから、もうすぐ一年になるんだなあ……」

(四の姫の初級試験/了)
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