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とりねこの小枝

【32-6】開かれた窓

2014/01/24 0:47 騎士と魔法使いの話十海
「くぅうう」
 ニコラは今、教室に居る。行儀が悪いのは承知の上で机に腰を下ろし、左手を宙にかざす。そこに宿る巫術師の指輪の冴えた銀色の輝きに目を細め、嬉しくてつい、手足をばたばたさせてしまう。
「きゃわ……きゃわわ?」
 柱の壁から、小さな声が近づいてくる。聞く者の耳をくすぐるような、小さな生き物が動き回る気配がする。
(何だろう?)
 キアラは琥珀のブローチの中で眠っている。さっきの試験で疲れてしまったのだ。と言うことはこのくすぐったい気配の正体は……。
「ちっちゃいさん?」
「きゃわっ」
 ニコラの目の前、机の上にころころと、ちっぽけな二頭身の小人が押し合いへし合いしながら並んでいる。
 ブラウニーズ……金属性の小精霊だ。またの名を『家付き妖精』。単に「ちっちゃいさん」と呼ぶ場合は、彼らを意味する。
 恥ずかしがりなのに好奇心いっぱい、人間の生活に興味津々でお菓子が大好物。古い建物に好んで住み着き、小精霊の中では比較的、確かな実体を備えていて馴染みも深い。
 築百年を越え、安定した力線の通るフロウの店にも住んでいる。
「そうだ。あのね!」
 ニコラはちょいちょいとちっちゃいさんたちを手招きし、精霊の言葉で囁きかけた。ちっちゃいさんはまるまっちい頭を寄せ合ってじっと聞き入り、やがて色めき立って口々にきゃわきゃわとさえずり始めた。
「お願いね?」
「きゃわー!」
 短い手足をぶんぶん振り回しながら一斉に駆けて行く。
 ちっちゃいさんの姿を見送ったら、何だか急に静かになってしまった。
 静かになったら、浮かれていたのが気恥ずかしくなってきた。おとなしく椅子に座り直したその時だ。
 身軽な足音が近づいて来る。廊下を走ってくる。多分あれは先生じゃない。教室の扉が勢い良く開いて、見覚えのある少年が駆け込んできた。
「やったよ、ニコラさん! 召喚できたよ……合格だ!」
 エルダだ。頬をうっすらと赤く染め、その腕には一匹の子犬を抱えていた。尖った耳、青みがかった灰色の毛皮。口を開けてほほ笑み、短い尻尾をぷりぷりと左右に振っている。
 召喚師になるのには、何も異界の存在を喚ばねばならぬとは限らない。極端な話、犬だろうが猫だろうが、とにかく喚べば合格なのだ。
「おめでとうございます、先輩!」
 ニコラは椅子から立ち上がって駆け寄った。
「見て、僕の狼!」
「狼?」
「うん。試験官の先生がそう言ってた」
「わあ、可愛い……」
 子狼は短い鼻面を伸ばし、ニコラの手に顔をすり寄せ、舐めた。
「ふふっ、くすぐったい。なでていいですか?」
「どうぞ!」
 ほんとうに、その子はまだ幼かった。鼻面は短く、全体的にずんぐりしていてふわふわした産毛が指をくすぐる。毛並に添って額、頭、耳の後ろと撫でまわすうち、ニコラはあれっと首をかしげた。
「エルダ先輩、この子……普通の狼じゃないです」
「うん、大切な僕の『召喚されしもの』だよ。ビーティーって名前にしたんだ」
「いや、その、それは正しいんですけど、あのぉ、この子、多分……幻獣です」
「え?」
「雷狼(ヴォルファトゥワン)なんじゃないかなって」
「へ?」
 ニコラはふかふかの子狼の毛並をかきわけた。額の中央にぽつりと小さな突起がある。まだ皮膚を被ってはいるけれど、先端がちょっとだけ顔を出していた。
「ほら、ここにちっちゃいけど角が」
 エルダはじっと見つめ、まばたきし、口を開いた。
「瘤じゃなかったんだ」
「これ、核角ですよ。雷撃を撃ち出すための」
「ああ」
 エルダはさらっと答えた。何しろ実技が追いつかなかった分、必死になって学科を勉強したのだ。幻獣の特徴も知識としてしっかりと頭の中に入っている。ただ量が多すぎて、とっさに必要とされる知識が出てこない傾向はあるが。
「体内の雷エネルギーの蓄積によって成長して行くんだよね」
「そうそう、だから子供のころはちっちゃいんです」
「……わあ」
 ここに来てようやく、知識と目の前の事実が結びついたらしい。
「その通り。どこから見ても立派な雷狼の子供だね」
 澄んだ声が飛んでくる。見ると教室の出入り口に黒髪の華奢な人物が立っていた。前髪に混じる一房の赤い髪が鮮やかだ。金色の双眸は、今は細められている。困ったの半分。嬉しいの半分と言った体(てい)か。
「あ、先生」
「ナデュー先生。今日はお休みじゃなかったんですか?」
「うん、お休みですよ? 何かすんごいのが出たみたいだから、飛んできたんだ。いやはや、まさかここまでの大物を喚び出すとはね? これじゃ、実習用の召喚円程度じゃあ、通り抜けられない訳だ」
「え? え? え?」
 ナデューはエルダの傍らに立ち、肩を叩く。
「この子はずーっと、君の呼び声に答えてたんだよ。ただ、開いた窓が小さすぎて、今まで通り抜けられなかっただけなんだ」
「ああ!」
 ようやくニコラは合点が行き、ぽんっと手を打った。
 エルダ先輩は落ちこぼれなんかじゃあなかった。とんでもない大物だったのだ!
「試験用の大きな召喚円を引いたから、やっとこっち側に出てこられたんですね?」
「正解」
 誰も気付かなかった。彼自身でさえ。もしも途中であきらめていたら、気付かずに終わっていただろう。
「おめでとう、初級召喚師エルダ」
「ありがとうございます!」
「おめでとう、初級巫術師ニコラ」
「あ……ありがとうございます!」

     ※

 さて。
 初級術師試験が行われてから一週間後。
 魔法学院の講堂にて、ニコラのローブ授与式が厳かに行われた。家族の代表として西都から駆けつけた二の姫と、祖母のモレッティ大夫人、そして師匠のフロウ、その他多くの友人たちに見守られて。
 師匠は珍しく神官用のローブを着ている。樹木やつる草、葉や花を思わせる刺繍のほどこされたマギアユグドの祭司服は、色合いの違う緑の布を重ねる構造で、裾も襟も二重になっていた。しかしながら布地そのものは薄く、風にそよぐ様はまさしく花だ。
 白を基調とした西道守護騎士の礼装に身を包み、二の姫は感極まって涙ぐむ。フィアンセのさし出すハンカチはもはや三枚めだ。
 同じく礼服を着たダインは窮屈そうにしきりと襟を気にしている。肩の上では黒と褐色斑の猫が脚を踏ん張り、得意げに胸を張っている。シャルはきりっと背筋を伸ばしてたおやかにほほ笑み、エミルはそんなシャルにちらちらと横目で見蕩れている。レイヴンはいつものローブ姿だ。魔術師なんだからこれが正装で、礼装。
「初級巫術師、ニコラ・ド・モレッティ」
「は……いぃ」
(やだ、声裏返っちゃった)
 ぎくしゃくした足取りで壇上に上る。マスター・エルネストが、水色の術師のローブを肩にかけてくれた。袖に手を通す。指先がほんの少し震えた。
「魔法学院の名の下に、これより君を術師として認めよう。己の手にした力を正しく律し、よりいっそう精進に励むように」
「はい!」
 拍手がわき起こる。
 一礼して壇を降りる途中、既に授与を終え、黄色のラインで縁取られた褐色のローブを羽織ったエルダと見つめ合う。ニコラはにかっと歯を見せてほほ笑み、親指を立てた拳を掲げた。エルダはほんのりと恥じらいに頬を染めながら、同じ仕草を返して来た。
 
 こうして、おまけの四の姫は、魔法使いになった。
 
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