▼ 【32-3】あきらめない理由
2014/01/24 0:43 【騎士と魔法使いの話】
「もう大丈夫だね」
「はい。ありがとうございます、先輩」
この時点で始めてニコラは気付いた。
「あの、先輩は何故、ここに?」
「僕も今日、試験を受けるから」
「そっかぁ……だから落ち着いてるんですね」
「ううん、緊張してるよ? だって初めてだし」
「………えっ?」
二人は手を握り合ったまま、固まった。
「だって先輩、二年めで、術師試験は年に二回あって……え? え? え? え?」
「そうだよ、夏に一回、冬に一回」
エルダは肩をすくめて目を伏せ、小さくため息をついた。心なしか声が沈んでいる。
「一年めの夏に落ちても、冬にもう一度チャンスはある。そのはずなんだけど……」
魔法学院に入学して二年めのエルダには、少なくともこれまでに二回、受験のチャンスがあったはずなのだが。
「先輩、何の試験受けるんですか?」
「召喚術」
「……途中で志望を変えたとか?」
「ううん。最初から召喚師希望だよ。入学してからずっとね。でも何度挑戦しても、最初の使い魔が呼べなくって」
「あ……」
ニコラは何となく気まずくなって、胸元の琥珀のブローチに視線を落とした。
そうだった。エルダはナデュー先生の授業を受けるのは二年目なのだ。
基礎課程での使い魔召喚は、召喚師になるための最初の関門だ。向き不向きを知るための試金石でもある。
それに失敗するって事はつまり、召喚術の適性が無いと言う事。スタートラインに立てないと言う事なのだ。
ほとんどの訓練生は、最初の召喚が成功しなければ召喚師への道に見切りをつける。
実習用の召喚円とは比べ物にならないくらいに試験用の円は大きく複雑で、強い魔力が必要となる。実習授業の召喚にすら失敗してしまった者にとっては、とんでもなくハードルが高いのだ。
「そろそろ他の術……巫術なり魔導術へ転科するか、あるいは学者を目指す事を勧められてるんだ。だけど、どうしてもあきらめられなくって、ナデュー先生にお願いしちゃった。一度でいいから試験を受けさせてくださいって」
目に浮かぶようだ。『じゃあ受ければ?』って、軽い口調でOK出したんだろうな、あの先生。手続きとるの、すごくめんどくさいはずなのにおクビにも出さずに。
「一度もチャレンジしないで終わりたくない。受かっても落ちても、これが僕にとって前に進む最初の一歩なんだ!」
気弱なようで芯が強く、後ろ向きなようでいて実はポジティブ。普段は控えめで目立たない先輩の、思いも寄らぬ強い気概に触れて、四の姫の闘志が再び燃え上がる。
とんっと足を肩幅に踏ん張り、ニコラは拳を握った。
「よぉし、私もがんばる! まだ一年めだし!」
「そうそう、その調子! 僕なんか二年めだからね!」
言ってから自分の言葉がずっしりとのしかかってきたのか、エルダは力なく肩を落としてうなだれる。今度はニコラが彼の手を握る番だった。
「先輩は、どうして召喚師になりたいんですか? やっぱり、ナデュー先生に憧れて?」
「うん、それもある」
自分の希望と真剣に向き合う事は、確実に前に進む力になる。さっき、ニコラ自身を勇気づけてくれたのと同じように今、エルダの声に力が戻ろうとしている。
「五年ぐらい前だったかな。僕がまだ故郷の村に居た頃……あ、ソーエンハウンって言う、湖のほとりのちっちゃい村なんだけどね?」
「あ、聞いた事がある! 三日月型の湖なんですよね」
「そうそう、山間の小さな村で、ほとんど人の出入りもない静かな所なんだ。たまに、旅芸人が来たりするともう、村中、大賑わいで……宿の酒場や村の広場に集まるんだ。ほとんどお祭りだよ」
エルダは首に指を回し、そこにかけていた革ひもをひっぱった。胸元から小さな袋が現われる。
(あれ?)
初めて見たはずなのに、ニコラは何故だかそれが、とても身近で親しみのあるものに感じられた。
「ある日やってきた旅の楽師さんがね。可愛い猫を連れていたんだ。黒と褐色まだらの小さな子猫で、背中には翼が生えていた」
「っ!」
思わず息を呑む。
(もしかして、それって?)
「それだけじゃないんだ。その子猫はね、歌ったんだ! 楽師さんと声を合わせて、きれいな声で。小鳥のさえずりと子猫の鳴き声が合わさったような、そりゃあ可愛い声だった」
「ぴゃあぴゃあって?」
「そう、ぴゃあって!」
ニコラの中で、おぼろげな予測が形をとりつつあった。
「何て不思議で、魅力的な生き物だろうって思った……おばあちゃんが、きっと異界からやってきた生き物だろうって言ってた。おばあちゃんは若い頃、バンスベールに住んでいたんだ」
「ああ!」
バンスベールの町には、異界との境界線が走っている。だからアインヘルダールよりもっと、沢山の召喚師が住んでいる。もちろん、使い魔も。町の人たちにとっても、それだけ身近な存在なのだ。
専門の召喚術師を目指す者は初級試験に合格した後、バンスベールの分院に移る。
「僕も、あんな風に異界の生き物と友達になりたい。通じ合いたいって思ったんだ」
エルダは小袋の口をゆるめ、中に収められていた物を指先でつまんで大事そうにとり出した。
「これ、ね、公演が終わった後、広場の片隅で見つけた。僕のお守りだよ」
黒と褐色入り混じる、一枚の小さな羽根。
(ちびちゃんの羽根だーーーーーー!)
この瞬間、ニコラの予測が確信に変わった。
「それに。マスター・エルネストは君が思ってるほどおっかない人じゃないよ? ああ見えても美人の奥さんと可愛い四人の子供がいるんだ」
「美人の奥さんっ? 四人の子供!?」
「うん。愛妻家で、子煩悩なお父さんなんだよ」
「そ、想像できない……」
ちょうどその時、扉が開き、赤いローブをまとった教師が入って来た。ほお骨が浮いて見えるほど痩せていて、琥珀色の瞳はやぶにらみ。眉間には深い皴が刻まれている。話題の主、マスター・エルネストだ。
上級巫術師はじろりと(少なくともニコラにはそう見えた)二人の生徒を睨め付け、淡々とした声で告げる。
「ニコラ・ド・モレッティ、エルディニア・クレスレイク。君たちの番だ。試験会場へ移動しなさい」
「はいぃっ」
「はいっ!」
弾かれたように二人は立ち上がり、見つめ合った。
赤いローブの教師の後をついて、長い長い廊下を歩く。階段の所で二人はわかれた。巫術師の試験を受けるニコラは下に、召喚師の試験を受けるエルドは上に。ここから先は会場が別なのだ。
「じゃあ、先輩、がんばって!」
「ありがとう。ニコラさんの健闘を祈ってる」
ニコラはぐっと拳を握り、親指を立てて笑いかけた。何もかも吹っ切れた、迷いのない笑顔で。
「後で師匠のお店で祝杯上げようねっ」
「うん、楽しみにしてる!」
次へ→【32-4】試される時
「はい。ありがとうございます、先輩」
この時点で始めてニコラは気付いた。
「あの、先輩は何故、ここに?」
「僕も今日、試験を受けるから」
「そっかぁ……だから落ち着いてるんですね」
「ううん、緊張してるよ? だって初めてだし」
「………えっ?」
二人は手を握り合ったまま、固まった。
「だって先輩、二年めで、術師試験は年に二回あって……え? え? え? え?」
「そうだよ、夏に一回、冬に一回」
エルダは肩をすくめて目を伏せ、小さくため息をついた。心なしか声が沈んでいる。
「一年めの夏に落ちても、冬にもう一度チャンスはある。そのはずなんだけど……」
魔法学院に入学して二年めのエルダには、少なくともこれまでに二回、受験のチャンスがあったはずなのだが。
「先輩、何の試験受けるんですか?」
「召喚術」
「……途中で志望を変えたとか?」
「ううん。最初から召喚師希望だよ。入学してからずっとね。でも何度挑戦しても、最初の使い魔が呼べなくって」
「あ……」
ニコラは何となく気まずくなって、胸元の琥珀のブローチに視線を落とした。
そうだった。エルダはナデュー先生の授業を受けるのは二年目なのだ。
基礎課程での使い魔召喚は、召喚師になるための最初の関門だ。向き不向きを知るための試金石でもある。
それに失敗するって事はつまり、召喚術の適性が無いと言う事。スタートラインに立てないと言う事なのだ。
ほとんどの訓練生は、最初の召喚が成功しなければ召喚師への道に見切りをつける。
実習用の召喚円とは比べ物にならないくらいに試験用の円は大きく複雑で、強い魔力が必要となる。実習授業の召喚にすら失敗してしまった者にとっては、とんでもなくハードルが高いのだ。
「そろそろ他の術……巫術なり魔導術へ転科するか、あるいは学者を目指す事を勧められてるんだ。だけど、どうしてもあきらめられなくって、ナデュー先生にお願いしちゃった。一度でいいから試験を受けさせてくださいって」
目に浮かぶようだ。『じゃあ受ければ?』って、軽い口調でOK出したんだろうな、あの先生。手続きとるの、すごくめんどくさいはずなのにおクビにも出さずに。
「一度もチャレンジしないで終わりたくない。受かっても落ちても、これが僕にとって前に進む最初の一歩なんだ!」
気弱なようで芯が強く、後ろ向きなようでいて実はポジティブ。普段は控えめで目立たない先輩の、思いも寄らぬ強い気概に触れて、四の姫の闘志が再び燃え上がる。
とんっと足を肩幅に踏ん張り、ニコラは拳を握った。
「よぉし、私もがんばる! まだ一年めだし!」
「そうそう、その調子! 僕なんか二年めだからね!」
言ってから自分の言葉がずっしりとのしかかってきたのか、エルダは力なく肩を落としてうなだれる。今度はニコラが彼の手を握る番だった。
「先輩は、どうして召喚師になりたいんですか? やっぱり、ナデュー先生に憧れて?」
「うん、それもある」
自分の希望と真剣に向き合う事は、確実に前に進む力になる。さっき、ニコラ自身を勇気づけてくれたのと同じように今、エルダの声に力が戻ろうとしている。
「五年ぐらい前だったかな。僕がまだ故郷の村に居た頃……あ、ソーエンハウンって言う、湖のほとりのちっちゃい村なんだけどね?」
「あ、聞いた事がある! 三日月型の湖なんですよね」
「そうそう、山間の小さな村で、ほとんど人の出入りもない静かな所なんだ。たまに、旅芸人が来たりするともう、村中、大賑わいで……宿の酒場や村の広場に集まるんだ。ほとんどお祭りだよ」
エルダは首に指を回し、そこにかけていた革ひもをひっぱった。胸元から小さな袋が現われる。
(あれ?)
初めて見たはずなのに、ニコラは何故だかそれが、とても身近で親しみのあるものに感じられた。
「ある日やってきた旅の楽師さんがね。可愛い猫を連れていたんだ。黒と褐色まだらの小さな子猫で、背中には翼が生えていた」
「っ!」
思わず息を呑む。
(もしかして、それって?)
「それだけじゃないんだ。その子猫はね、歌ったんだ! 楽師さんと声を合わせて、きれいな声で。小鳥のさえずりと子猫の鳴き声が合わさったような、そりゃあ可愛い声だった」
「ぴゃあぴゃあって?」
「そう、ぴゃあって!」
ニコラの中で、おぼろげな予測が形をとりつつあった。
「何て不思議で、魅力的な生き物だろうって思った……おばあちゃんが、きっと異界からやってきた生き物だろうって言ってた。おばあちゃんは若い頃、バンスベールに住んでいたんだ」
「ああ!」
バンスベールの町には、異界との境界線が走っている。だからアインヘルダールよりもっと、沢山の召喚師が住んでいる。もちろん、使い魔も。町の人たちにとっても、それだけ身近な存在なのだ。
専門の召喚術師を目指す者は初級試験に合格した後、バンスベールの分院に移る。
「僕も、あんな風に異界の生き物と友達になりたい。通じ合いたいって思ったんだ」
エルダは小袋の口をゆるめ、中に収められていた物を指先でつまんで大事そうにとり出した。
「これ、ね、公演が終わった後、広場の片隅で見つけた。僕のお守りだよ」
黒と褐色入り混じる、一枚の小さな羽根。
(ちびちゃんの羽根だーーーーーー!)
この瞬間、ニコラの予測が確信に変わった。
「それに。マスター・エルネストは君が思ってるほどおっかない人じゃないよ? ああ見えても美人の奥さんと可愛い四人の子供がいるんだ」
「美人の奥さんっ? 四人の子供!?」
「うん。愛妻家で、子煩悩なお父さんなんだよ」
「そ、想像できない……」
ちょうどその時、扉が開き、赤いローブをまとった教師が入って来た。ほお骨が浮いて見えるほど痩せていて、琥珀色の瞳はやぶにらみ。眉間には深い皴が刻まれている。話題の主、マスター・エルネストだ。
上級巫術師はじろりと(少なくともニコラにはそう見えた)二人の生徒を睨め付け、淡々とした声で告げる。
「ニコラ・ド・モレッティ、エルディニア・クレスレイク。君たちの番だ。試験会場へ移動しなさい」
「はいぃっ」
「はいっ!」
弾かれたように二人は立ち上がり、見つめ合った。
赤いローブの教師の後をついて、長い長い廊下を歩く。階段の所で二人はわかれた。巫術師の試験を受けるニコラは下に、召喚師の試験を受けるエルドは上に。ここから先は会場が別なのだ。
「じゃあ、先輩、がんばって!」
「ありがとう。ニコラさんの健闘を祈ってる」
ニコラはぐっと拳を握り、親指を立てて笑いかけた。何もかも吹っ切れた、迷いのない笑顔で。
「後で師匠のお店で祝杯上げようねっ」
「うん、楽しみにしてる!」
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