▼ 【17-5】飼い主とわんこの会話その1
2012/06/14 0:41 【騎士と魔法使いの話】
エミリオの来店からさらに三日後、午後も遅く、太陽が西に傾いた頃。
がつん、ごつん、と地面を震わせ、蹄の音が聞こえた。
心地よい午睡のまどろみの中、ぼんやりとフロウは思った。ああ、馬車が通るのか……と。しかし重厚な轟きの後に続くべき車輪の軋みは聞こえない。
(おや?)
ちびが膝を蹴り、ぴょんっとカウンターに飛び上がる。その振動ではっきりと眠りから覚めた。
目を開けると、黒と褐色の入り交じる斑の尻尾がぴーんと垂直に立ち、細かく震えていた。
「とーちゃん! とーちゃん!」
ほどなく、のっしのっしと大股に重たい足音が近づき、裏口に通じる扉がきぃ……っと開いた。
ぬうっと背の高い男が入ってくる。ほんの少し背中を屈めて。
「とーちゃん! とーちゃんおかえり!」
ちびの目は真ん丸に見開かれ、ヒゲを震わせて大喜び。鷲に似た翼を打ち振るや、ひとっ飛びに男の肩へと飛び移り、するりするりと体をすり寄せる。
「ただいま、ちび」
「んぴゃあぐるる、ぴゃあるるるぉう!」
襟巻きのように巻き付く猫を撫でつつ、男は緑色の瞳をカウンターに座る中年男に向けた。
「ただいま、フロウ」
「よう、ダイン」
(珍しいこともあるもんだ)
いつもと変わらぬ、とろんとした眠たげな眼差しで答えつつも、フロウは内心思っていた。
今日は夜勤明けのはずだ。いつもなら、それこそ朝飯も終わらぬうちに押しかけてくるってぇのに。
今日に限っていったい、何をのんびりとしていたのやら?
一眠りしてから来たのかとも思ったが、その割にはげっそりしていて毛づやもよくない。目の下にクマが浮き……
ぴくっと眉が跳ねる。
いや、これは、痣だ! 赤い痣がくっきりと、右目の周りに輪を描いている。
端の方から徐々に紫色に変化していた。ってことはしばらく前にできた傷だってことだ。
「どうした、その顔」
「話せば長い事ながら」
「ったく、のん気に前置きしてる場合か!」
ぴょんっとちびがカウンターに飛び降り、心配そうに鼻を寄せる。
「ぴぃ」
「ん、ん、心配ない、大丈夫だからな」
「大丈夫な訳ねぇだろ。ほら、これで冷やせ」
手ぬぐいを水に浸し、きゅっと絞って渡す。ダインはカウンター前のスツールにどかっと腰を降ろし、濡れた手ぬぐいを目に当てた。
「っつぁああ、気持ちいい……」
「夕べは夜勤だったんだろ? 何ぞ捕物でもやらかしたか?
「いや、違う」
半ば予想はしていた。昨夜ちびが騒いだ覚えはない。つまり、命の危険は無かったって事だ。
他に深刻な怪我をしている様子もないし、見た所、打ち身だけのようだ。カウンターの下からオトギリソウとアルニカの軟膏を取り出した。
「そら、見せてみろ」
「うん……」
そろりとダインが手を降ろす。がっしりした顎を片手で支え、ぺとりと軟膏を塗り付けた。
「う」
「染みるか」
「ちょっと」
「我慢しろ。あーこりゃ半日はほったらかしにしてたな? しばらく残るぞ」
目に入らぬように気をつけながら、軟膏を指先の熱で溶かしつつ、丁寧に擦り込む。菊科独特の苦味のあるつーんとした香りが広がり、ダインがわずかに眉を寄せる。だが感心なことに逃げもせず、文句も言わない。
「仕方ないんだ。俺がヘマやったから……」
「ヘマ?」
「うん」
恥ずかしそうに目を伏せて、ぽつり、ぽつりとダインは話し始める。
「昨日は俺、『夜の二の番』だったんだ。門番じゃなくて、砦のな」
※
西道守護騎士団の砦の扉は、夜も閉ざされる事はない。さすがに大半の騎士は眠りに着くが、一部は交代で寝ずの番に当たる。
砦を警護するためであると同時に、夜間の呼び出しに備える為だ。町の治安を預かる騎士団が、『今は夜だから寝ています』では済まないのである。
シフトは門番と同じく夜の一の番と、二の番の交代制。夜中から夜明けにかけてを受け持つ『二の番』に当たった団員は、兵舎ではなく詰め所脇の仮眠所で眠る。
その日の二の番は、ダインともう一人、ロベルトだった。『兎のロベルト』は万事公平な男だった。隊長だろうが副長だろうが新米だろうが等しく夜勤を割り振り、自らも務めを果たす。
この日も夕食後に仮眠所のベッドに入り、教会の夜半の鐘が鳴るより早く目を覚ました。むくっと起き上がると上着を羽織り、相方を起こしにかかる。
でっかい体をくるっと丸めて、枕にすがりつくようにして顔を埋めていた。
(相変わらず犬みたいな寝相しやがって)
苦笑しつつ声をかける。
「ディーンドルフ。起きろ」
「ん……んん」
まぶたが震えてうっすら開き、枕から顔をあげた。ひく、ひくっと鼻が蠢く。次の瞬間………
※
「まさか……俺の部屋と間違えて、がばちょっといったか?」
「ラベンダーのいいにおいがしたもんだから、てっきり」
「そりゃ殴られるわ」
やれやれ、とフロウは肩をすくめる。
「ただでさえ隊長さん、俺を毛嫌いしてんのに」
「すっげえ怒られた。『貴様、誰の尻をもんどるか!』って」
「もんじゃったのか」
「う」
かーっとダインの顔が赤くなる。そりゃあもう熟したトマトみたいに真っ赤に。
「隊長の、ケツを」
「ううっ」
目線が左右に泳ぎ、とうとうそらしてしまった。
「堅いな、と思ったら脳天にごいーんっと鉄拳が落ちて来た」
「はい、アウト〜〜っ」
「何で、ラベンダーのにおいとかさせてんだよ、隊長!」
がばっとカウンターに突っ伏すダインの頭を、にやにやしながら撫でてやった。
「さあ、何でかなあ」
誤爆の理由が自分が渡したウサギのサシュにあるのだと、容易に察しがついた。が、あえて言わない事にしておく。フロウライト・ジェムルは言うべき事と、そうでない事を素早く判断できる男なのだ。
(言わない方が、面白いものな。絶対)
「で、その痣は隊長に殴られてできたと?」
「いや。まだ続きがある」
「今度は何やらかした……」
※
基本的にダインは丈夫な男だった。脳天に鉄拳を落とされ、しばらくうずくまりはしたものの。ほどなくむくっと起き上がり、ベッドから出ると、深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、隊長」
「うむ。以後注意しろ」
制裁も済んだし、きちんと謝罪もあった。この件については、これ以上は追求すまい。
ロベルトはそう判断した。
「交代の時間だ、行くぞ」
「はい!」
ごそごそと上着を羽織るダインを従え、詰め所に向かった。
しかし。
夜勤の一の番と交代し、詰め所で二人っきりになった所でわんこ騎士は再びやらかした。
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