▼ 【16-8】宣誓式
2012/05/15 0:35 【騎士と魔法使いの話】
グレイスを見送った後。訓練所に戻る途中で、聖堂に立ち寄った。
町の片隅の教会だ。ここに通うのはほとんどが市井の人々で、親父みたいな貴族は滅多に足を踏み入れない。
二日後、ここで俺は騎士になる。
中央の祭壇の奥には、灰色のローブをまとい、右手に天びんを掲げた背の高い老人を描いたステンドグラスが掲げられている。
天空神リヒトマギアだ。
ゆっくりと刻まれた聖句を読み上げる。
『汝中庸たれ、秩序ある混沌こそ平穏なり』
『光と闇は表裏なり。どちらが過ぎても滅びとなる』
祭壇を囲むようにして、聖堂の壁には12の小祭壇とアーチ型のくぼみが設けられていた。
床には白の六角形と黒の六角形のモザイク画。白の六角の先のアーチには6柱の聖神。黒の六角の先には6柱の魔神。それぞれの神の姿を描いたステンドグラスと、言葉を刻んだ石版が収められている。
高さは子供の背丈ほど、大きさに限って言えば大聖堂には遠く及ばない。
だがいずれも工房の親方たちが丹精込めて作り上げ、寄進したものだと聞いた。鉄の枠は鍛冶職人が。色とりどりのガラスはガラス職人が、アーチの細工と石版は石工が……と言った具合に。
一つ一つ見て回る。
宣誓の儀式では、誓いを立てる神を選ばなければいけない。しかし俺はまだ迷っていた。決め兼ねていた。
これまでじっくりとそれぞれの神の言葉と向き合ったことはない。
だが今は……自分の足音と息遣いだけが聞こえる聖堂の中、記された言葉の一つ一つが直に語りかけてくるように思えた。
光と意識、そして秩序を司る六柱の聖神。闇と無意識、情熱を司る六柱の魔神。そして全ての根源、天空神。
一巡りしてまた最初に戻り、二巡目を踏み出して……足が止まる。
目の前には白馬を従え、赤とオレンジ、黄色を鏤めた旗を掲げた、堂々たる男神の姿が描かれていた。聖光神リヒテンダイトだ。
『太陽の恵みは平等なり、全ての者に太陽の加護を』
『希望を失うことなかれ、諦めが陽光を翳らせると知れ』
「…………」
それは、暗く閉ざされた部屋に差しこむ、一条の陽の光。
無意識のうちに手を伸ばし、ステンドグラスから降り注ぐ光を受け止めていた。
「希望を失うこと……なかれ」
くっと拳を握りしめる。刻まれた言葉と、自分の声が一つになって、すうっと中に入って来る。
食いしばった歯がゆるみ、揺れていた心がかちりと固まった。
「俺は、俺を愛してくれる人、守ってくれた人たちの名を背負って生きて行こう」
※
翌日、リヒテンダイトの司祭から洗礼を受けた。
その後、礼拝堂に一人篭って夜通し祈りを捧げるのだが……正直、寝ないで居られるかどうか不安だった。
実際には、洗礼の直後から体の中がぐにぐにと、見えない手でこね回されるみたいな感覚が始まって。一晩中、むず痒いやら気持ち悪いやらで、とてもじゃないが眠くなるどころの騒ぎじゃなかった。
こんな時ってのは、やたらと昔のことばかり思い出す。それも、楽しい思い出よりは、苦かったり悔しかったり、悲しいことばかり。
熱にうなされた時みたいに、延々と。
(グレイス。グレイス。何故あの時、俺を殺さなかった?)
(ほんのひとたらし、耳に注げば全て終わったはずなのに)
(どうして瓶を落としたりしたんだ?)
問いかけても答えは出ない。
だらだらと冷汗を流し、リヒテンダイトの祭壇の前にうずくまって耐えた。
真新しい騎士の剣を支えにして、何度も誓いの言葉を唱えた。
(俺が笑って生きるのを、許さない人がいる)
(だけど俺は生きていたい)
(こんな俺が騎士になっていいのか?)
(許されるのか?)
裏切られるのは慣れている。嫌われるのは慣れている。
愛することが許されないなら、せめて、与えることに、尽くすことに徹しよう。
期待はしない。期待しなければ、裏切られることもないのだから。
日の出とともに礼拝堂を出た時は、全身にぐっしょりと冷たい嫌な汗をかき、げっそり力が抜けていた。体の中味が半分ぐらい、削ぎ落とされたみたいな気分だった。
這うようにして井戸端に行き、頭から水をかぶって洗い流した。塩辛い汗も、苦い涙も何もかも。
さっぱりした所で、ぱりっとした洗い立ての礼服に身を包む。
従騎士の制服もこれで着収めかと思うと、少しばかり感慨深い。
軽い食事をとってから、改めて騎士の剣を腰に帯びた。
「ああ」
思わず感嘆の声が漏れる。ギアルレイの仕事は完ぺきだった。まるで、生まれた時からそこにあったかのような馴染み具合だ。長めに作られた柄も、まったく邪魔に感じない。
「ダイン、時間ですよ」
「はい」
神官に呼ばれ、聖堂に向かう。
入り口の段を昇ろうとすると、軒先のガーゴイルの陰で何かがもぞっと動いた。見上げると、チャル・カルがひょこっと顔を出して、ぱちりと片目をつぶった。
(ほんと、どこにでも出てくるんだな)
聖堂に入ると、訓練所の後輩たちや、鍛冶工房のギアルレイとその弟子たちが迎えてくれた。
オルガンを弾くのは美味いパイを焼く食堂のおばちゃん、歌っている聖歌隊は近所の子供らだ。
列席者の中にご立派な貴族は一人もいない。だけど、それがどうした? 皆、心から祝ってくれる。
それが、嬉しい。
会衆席の間の通路を抜け、祭壇へと向かうその途中。思わず目が点になった。
(え?)
オーランド教官。何でそこに? しかも、隣に居る騎士は、あれは。あれはまさか……
あ、こっち見た。
笑った。まちがいない、あれは……ハインリッヒだ!
(何でだ? 何で、ディーンドルフ領に居るはずのハインリッヒがここに!)
混乱しながらも前に進む。ここで歩みを止める訳には行かない、もう儀式は始まってるんだから!
祭壇の前には、白い祭服をまとったリヒテンダイトの司祭と……
金髪混じりの褐色の髪をヴェールに包み、しゃっきりと背中を伸ばした女性が一人。見つめてくる瞳は、陽に透ける若葉の緑。
今度こそ、声を押さえることができなかった。
「リーゼ! いつ来た 何で来た!」
オルガンの響きに混じり、リーゼはすました顔でさらりと言ってのけた。
「しっ、儀式の最中ですよ、ディートヘルム?」
「は、はい」
慌てて背筋を正し、すらりと剣を抜く。祭壇の前にひざまずき、眼前に掲げた。柄を上に、切っ先を下にして。
聖歌の合唱が終わり、司祭が前に進み出る。
「今日、騎士の誓いを行うのは何人たるや?」
「私です。ディーンドルフ家の子、ディートヘルムです」
「ではディーンドルフ家の子、ディートヘルムに問う。汝、いかなる存在に誓いしか?」
「我は……」
不覚にも咽が詰まる。ええい、夜通し唱えた言葉だってのに、何今さら緊張してるか。
「我は誓う。混沌より出でし白、いと高き天空より照らす光リヒテンダイトに」
「汝、騎士としていかなる道を歩みしか?」
「我は行く。常に勇気と共に在り、この身、この剣をもちて弱き者の盾となり……」
胸が、熱い。顔が、熱い。咽の震えや全身を蝕む倦怠感を忘れた。
色とりどりに鏤められたガラスを通して降り注ぐ太陽の光の中、剣の柄を握りしめ、誓った。
「邪悪なる者を打ち砕かん!」
静まり返った聖堂の中、びぃいんと金属とガラスの震える音が響いた。
(俺、こんなにでかい声出してたのか!)
「……汝が誓い、しかと聞き届けたり。汝にリヒテンダイトの祝福と加護のあらんことを」
司祭は一歩下がり、リーゼに場所を譲った。
衣擦れの音とともにリーゼが……ディーンドルフ領の若き女主、レディ・アネリーゼ・ディーンドルフが進み出た。
差し伸べた俺の剣を両手でしっかりと握り、ドレスの中でぐっと足を踏ん張って持ち上げる。
ほんの少し、刃先が揺れていた。さすがに重たいんだろうな。
ってなことを考えてたら、剣の平で右の肩をぴしりと叩かれた。強烈な一撃に、こっちがよろけそうになる。慌てて踏ん張った所に、今度は左の肩をぴしり。
「立ちなさいディートヘルム。ディーンドルフの騎士よ」
差し出された剣を受けとり、立ち上がる。
どっと聖堂の中が湧いた。拍手と、口笛と、足踏みの音であふれ返った。振り返り、晴れ晴れとした気分で手を振った。
こうして、俺は騎士になった。
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