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とりねこの小枝

【6】騎士の瞳は虹色の★

2011/12/24 2:42 騎士と魔法使いの話十海
 
  • 薬草師のおいちゃんと、わんこな騎士の出会いの一幕。

 騎士ディートヘルム・ディーンドルフことダインは生まれつき、その左目に不思議な力を宿していた。
 それは、代々異界の存在と心を通わせ、その力を駆使する技……巫術を生業とする母親から受け継いだものだった。
 しかし、不幸にして母はそのことを教える前に世を去り、同じ瞳を宿した姉も彼が6つの歳に彼岸へと渡った。

 故に。
 自らの左目が何を写すのか。何故、このような目を持って生まれたのか。
 彼に知らしめたのは、ダインの存在を疎んじる義理の母親と、彼女の流した悪意の種を呑み込んだ周囲の人々の蔑みと、呪いの言葉に他ならなかった。

『気味悪い』
『恐ろしい』
『厭わしい』
『汚らわしい』

 砕いた雲母を鏤(ちりば)めたような、月光の白に踊るあらゆる色の欠片。渦巻く虹色のきらめきが瞳を覆い、本来の若葉の緑が時折透ける。
 ひとたび彼の左目にあらわれた『印』を見るや、誰もが顔を歪めて吐き捨てた。

『お前は呪われている!』

 騎士団の仲間ですら、例外ではなかった。
 西の辺境に赴任して間もなく、北の渓谷が鬼族の襲撃を受け、ダインの所属する西道守護騎士団が討伐に赴いた。
 ゴブリン等の小鬼族のみならず、オークやオーガーまでもが混じった集団で、繰り広げられた戦闘も小競り合いの域を超えていた。そんな中でダインは単身、オーガーに挑み、負傷しながらも討ち取った。
 満身創痍の『凱旋』。傷は思ったより深く、足取りは自然と重くなる。駐屯地に引き上げる道すがら、ほんの一休みしている間に彼は一人ぼっちになっていた。

 置き去りにされてしまったのである。
 
 よくある事だ。
 今に始まったことじゃない。
 一人、湖のほとりにたたずみ、傷を洗っていると……

「お前さん、怪我してんのかい?」

 のほほんと声をかけてきた中年男。それが、薬草師フロウだった。

「運がいいぜ? 俺ぁご覧の通り薬草師だからよ!」

 四の姫とダインの出会いから遡ること、四ヶ月前の出来事である。

     ※

 肩、首、腕そして脇腹。死に際のオーガに刻み込まれた傷は、きれいに洗われ、すり潰した薬草を塗り込まれて痛みも疼きも収まりつつあった。
 兜の上から切り付けられた額の傷は時折痛むものの、鼓動一つ打つごとに生命の抜ける、嫌な感触はもう無い。

「ありがとな、フロウ。だいぶ、楽になった」

 ごそごそとシャツに袖を通そうとしていたら、ぺちっと背中を張られた。薬草の香る手のひらで、ぺっちんと。
 剥き出しの肌に、むっちりした手のひらが触れる。痛いと言うより、そっちに驚いてびくっと肩が跳ねた。

「ってえな、何しやがる!」
「まだ終わってねえっつの」
「え?」

 慌てて自分の体を見回した。上半身何も着けてないから、傷がどうなってるか、一目で分かる。

「傷口洗って、薬塗ったろ? 他に何するんだ」
「さっき塗ったのは、触媒だ。切り傷は薬だけじゃ塞がらねぇだろ?」

 男が右手をかざしてきた。手首にはめられた木の腕輪が、ぽうっと光る。表面に彫られた文字に沿って、緑色の光が走った。
 まるで日の光に透ける若葉のような色。一瞬、目を奪われた。

『花と木の神マギアユグドよ、汝の命の力もて、彼の者の傷を塞ぎたまえ……』
「っ!」

 左目の奥が、熱い。しまった、これは魔法だ!

「よせ、駄目だ!」

 掌で目を押さえ、顔を背ける。だが一瞬遅かった。
 体の内側からむずむずとこそばゆい感触がこみ上げる。新しい肉芽がにょきにょきと盛り上がり、傷が塞がって行く。
 あっと思う間もなくしみ込む力の流れに左目が共鳴し、掌を弾いた。

「う」
「何だ?」

 目の奥で色のない虹が弾ける。呪われた光。気味が悪い、不吉だとののしられてきた光が、視界を覆い尽くす。世界が塗り替えられて行く。
 あり得ざる『流れ』が浮かび、色をまとい、形を結ぶ。
 フロウの手から実体の無いつる草が伸びて広がり、いくつにも枝分かれし、傷口を覆っていた。

(しまった!)

 慌てて押さえ直したが、この薄暗がりの中、光ったのだ。目立たないはずがない。
 見られたか。心臓が早鐘を打つ。冷たい汗がじわじわとにじむ。せっかく助けてくれたのに、ここであれを見られたら……。

(何を恐れる。嫌われるのは慣れてるはずなのに)

「魔法は、駄目だ!」
「おいおいおい」

 フロウは困ったように眉をひそめ、肩をすくめている。

「いくら騎士が魔法に頼ることを良しとしないからって、それはねぇだろ! あ、お前さん、あれか。東の生まれかぁ?」
「………一応」
「あーあーあー、やっぱりなあ。あっちの騎士さまは、魔法嫌いで有名だもんなぁ。でもよ、やっぱできる手当てをしないってのは、俺の信条に反するんだよ」
「……」
「第一もう、使っちまったもんはしょうがねえだろ。ってか何で目、押さえてんだ。ゴミでも入ったか? 血でも落ちたか。痛むんなら見せてみろって」
「そんなんじゃない」

 駄目だ。もう、隠し切れない。
 嫌われてしまうのだろうな……薄気味悪い奴だって。
 今まで何度も経験してきた。親しかった人の顔が恐怖に強張り、引きつれ、目をそらす瞬間を。
 ついさっきまで開かれていた扉が、堅く閉ざされるのを。
 
 彼らが悪いんじゃない。ただ恐れているだけなんだ。
 それがわかっているから余計に、細く長い針が深々と胸を抉る。

「こっちの目は……呪われてるから」
「はぁ? 大抵の呪いなら、教会で解いてもらえるだろ」
「そんなんじゃない。血に潜み、俺の体に染みついてる」

 咽が引きつり、声が震える。こいつ自身も魔法を使えるのなら、隠しても仕方ない。

「生まれつき、なんだ。魔力が動くと、今みたいに勝手に現われる」
「勝手にって……」
「……見えるんだ。人に見えないモノが。今も見えた。あんたの体から、つる草みたいな緑の光が伸びて、俺の傷を包んだのが」

 隠せないのなら、自分から言ってしまった方がいい。見抜かれるより、ずっといい。
 手を外し、息を深く吸って、閉じていた目を開く。

「お」

 驚いてる。だが、フロウの顔は歪みも引きつりもしない。蜜色の瞳が静かに見返してくる。
 左目が熱い。唱えられた呪文の力に誘われて、眠っていた『呪い』がすっかり目を覚ましていた。
 左の瞳で見るフロウは、淡い緑の光に包まれていた。まるでつる草のように手足に絡みつき、ふわふわと葉を広げ、ゆれていた。
 
(きれいだ……)

「お前さん、魔術や祈術のたしなみは?」
「え?」

 体から立ち上る薬草の香りが一段と濃く香る。見とれてる間に、奴の顔がものすごく近くまで寄せられていた。

(ええええええ!)

 ぴくぴくとこめかみの血管が振動する。心臓が跳ね、顔がじんわりと熱くなった。

「んなもん、ある訳ないだろ! お、俺は、騎士の家に生まれたんだぞ?」
「おーおー、お約束な返事しやがって。ってことは、あれか。道具の助けも、呪文の行使も無しで魔力を目視してんのか!?」

 眉根を寄せて、じとぉっと睨んできた。だが、忌わしいとも。気持ち悪いとも言われなかった。

「何、それ、ずりぃ!」
「ずるいって……え? え?」

 ずるい。確かにそう言った。思わず肩に手をかけていた。手のひらにすっぽり収まって、意外に丸っこくて、あったかい。
 ずっと忘れていた……自分から他人の体に触れることなんて。

「これ、普通にあることなのかっ? 他の人間も、できることなのかっ」
「うお!? いや、魔法使える奴なら、ある程度はな……でもそこまで具体的に視覚化できるとか、なんだよそれずりぃ」

 不満そうにフロウは唸った。その反応こそが教えてくれる。彼にとってこれは、『普通』のことなんだって。
 むしろ無いより、有る方が望ましいのだと。

「むしろ、俺が欲しいわそんなスキル!」
「そっか……そうだったんだ………」

(今まで誰もそんなことは教えちゃくれなかった。これが見えるのは俺と、亡くなった姉上だけだと思ってた)

「俺………一人じゃなかったのか………」

 くしゃっと顔が歪む。咽の奥でしょっぱい波が渦巻いている。そのくせ、口もとはくすぐったくてうずうずしてる。ああもう、泣きたいんだか笑いたいんだか、自分でもわかりゃしない!

「そんなこと言ったの、お前が、初めてだ」
「知るか」

 ふっくらした唇を尖らせ、ぷいっと横を向いてしまった。だが視線だけはこっちに向けられている。
 拗ねた子供みたいな顔してる。

「呪い(カース)じゃなくて能力(スキル)じゃねぇかよ。しかも一級品の。ったく……心配して損したさね」
「呪いじゃなくて……能力? なのか?」

『忌わしい』
『お前の目は呪われている』
『人に見えないモノが見える』
『恐ろしい』
『汚らわしい』

 今までずっと、そうだと信じていた。
 それ以外の考えなんか欠片ほども浮かばなかった。

「そうだ。よーく聞け、ダイン。そいつは、『はじまりの神』の祝福だ」
「祝福?」
「ああ。俺も実物見たのは初めてだがな。『月虹(げっこう)の瞳』って言うんだ」
「月の虹(Moonbow)……」
「月の光でできる虹のこった。お前さんは、昼も夜も、光も闇も全部生み出した、世界の一番はじまりの神様の加護を受けてる。その印さね」
「ははっ……そうか……そうだったのかっ」

 何故、こんな目を持って生まれたのか。
 魔物の血が混じっているからだと言われ、そう信じてきた。能力だったなんて。増して、神様の祝福だったなんて!

(たとえ嘘でも気休めでもいい。俺は、その考えを選ぶ)

 閉ざされた暗い迷路の中、差しこんだ一筋の光。柔らかな草木の緑を引き寄せ、抱きしめ、頬をすり寄せた。
 妙にざりっとした。
 ヒゲが当たってるんだと気付くまでに、少し時間がかかった。

「うぐぉっ!? んだよ急に!」

 腕の中で、おっさん薬草師がじたばた暴れる。それさえも自分以外の生き物の感触だと思うと胸が躍った。

「嬉しいんだ……すごく……」
「はぁ?」
「暗闇の中で一人でうずくまってたのが……扉が開いた気分だ」

 何言ってるんだか。んなこといきなり言われても、訳がわからないだろうに。だけど口にせずにいられなかった。言葉にしなければ、自分一人の思い込みで終わってしまう。
 泥みたいな時間と記憶の奥底に沈めたくなかったんだ。

 フロウは呆れもしなければ、拒絶もしなかった。

「……そりゃ良かったな。」
「!」

 掌を広げて俺の頭を包み込み、ぽふ、ぽふ、と軽く叩いた。
 って、もしかして、俺、また、撫でられた?
 振り払ってにらみ付ける。

「だあっ、子供扱いすんなっつったろ!」
「大人は感極まってオッサンに抱きついたりしねぇよ」
「う……」

 言葉に詰まった所をまた、撫でられる。何てこったい。完全に子供あやす手つきじゃねえか。
 ふんっと鼻息荒く吐き出すと、フロウがわずかに身をすくませた。
 あ……首筋に当たったか。くすぐったいんだろうか。
 慌てて、ゆっくりと息を吸った。

「う?」

 体温で温められた空気が、鼻から咽へとじわじわと降りて行く。

(何だ、このにおい)

 それは、あまりにも淡く、感じ取るより先にするりと咽の奥に逃げてしまう。
 くんかくんか、ふんかふんかと浅い呼吸を繰り返し、嗅いでみた。

「……おい、何してる。」
「いいにおいがする」
「薬草の匂いだろ」

 薬草? ちがう、それだけじゃない。生きた体のにおいだ。脂と湿り気と汗が混じり合って、ねっとりと甘く絡みつく。

「ほら、手当て終わったんだから離れろっての。」

 ぐいっと頭を押される。
 俺は犬じゃないし、人間の体臭なんて、それほど強くにおうもんじゃない。離れたらすぐに届かなくなる。嗅げなくなる。

(やだな。もっと嗅いでいたい)

 ぺろっと舐めた。
 腕の中でじたばたする、おっさんの首筋を。

「ぬぁっ!?」

 腕の中のむっちりした体が、びくっと跳ねた。

「え? 何だ、今の声っ」

 何なんだ。一体何なんだ? 勢いでついやっちまったけど、予想外だ。
 こんなに可愛い声が出るなんて!

「……っ、良いから離れろ!犬かお前さんはっ!」

 視界が揺れる。
 べっちんっと額を張り飛ばされていた。

「ってえなあ、何しやがるか、おっさん!」
「うっせぇ馬ぁ鹿、とっとと街戻らねぇと、野宿になっちまうだろうが! おら、立て!」
「わーったよ……」

 渋々立ち上がろうとして……その時、初めて気付いたんだ。
 前が突っ張って、じんじん充血して、立つに立てない状態になってたことに。無理に動こうとすると、つっぱらかった皮膚が妙な感じにねじれてとんでもないことになる。振動も、かなりやばい。
 いつ、こんなになったんだ。
 嗅いだ時か。抱きついた時か。舐めた時か?

「おら、とっとと立て!」
「……無理」
「は? 何だよ、まだどっか調子悪ぃのか?」
「いや……何つーかその………勃ってて、立てない」
「…………………………………………………………」
 
     ※
 
 さもありなん。
 秘かにフロウはほくそ笑んだ。
 さっき、この若い騎士さまに食わせた木の実には、実はある副作用がある。すり潰して加熱するのは、口の歪むほどの強烈な苦味と共にそいつを取り除くためだ。
 と言っても害が有る訳じゃない。時にはそれが目当てで調合する場合もある。
 すなわち……
 とびっきり強い、精力剤になるってことだ。口にすれば、一晩中勃ちっぱなしになる。こいつみたいに血の気の多い若者なら尚更だ。

「なあ、ダイン」
「……う?」

 股間を押さえてうずくまる青年の姿に、思わず知らず笑みがこぼれる。
 胸板が厚く、きれいに左右に広がっている。腹筋も割れているが、極端じゃない。日々動いているうちに自然と養われたのだろう。誰に見せるためでもない、実用的な体。
 その道のプロ……男娼だとか。剣闘士なんかと比べれば傷だらけだし、日焼けしていて、お世辞にも『きれいな』とは言いがたい。だが。

(何ってぇか、荒んではいないんだよな)

 ほんと、いい体してやがるよ。惚れ惚れする。そのくせ、やたらと反応が新鮮なのがまた、いい。都会生まれの割に、スレてない。
 いいね。気に入った。

「抜いてやろうか、それ」

 問いかける言葉の意味を知ってか知らずか。色の違う瞳が左右に泳ぎ、こっちを見て、こくっと頷いた。

「よーし、いい子だ……」

 さぁて。どうやって料理してやろうかな、この素直なわんこを。

 秘かに舌なめずりしながら、フロウは手のひらでダインの頬を包み込み、こくっと咽を鳴らすのだった。

(騎士の瞳は虹色の/了)

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どう料理されたかはこちら→【10】千に至る始まりのキス★★★
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