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とりねこの小枝

【おまけ】月酔★★

2012/11/09 2:19 騎士と魔法使いの話十海
  • 拍手お礼用短編の再録。
  • 電子書籍版「とりねこ」の第一話に直接繋がるエピソード。
 
 あれは、まだちび公を拾ってからいくらも経たない頃だから……去年の秋か。
 月のきれいな夜だった。庭のベンチに座って一杯やってたら、ダインの奴がぽつりと言ったんだ。

「俺、泣きそうだ」って。

 正直、驚いたね。
 何せ出会ったばかりの頃のこいつと来たら、多少しんみりした顔は見せるものの、泣いてる姿は断じて見せまいってそりゃあもう意地になってたから。
 ぼたぼた涙を落としても顔を背け、「泣いてない」と言い張る。それが自分から泣きそうだ、とか言い出すなんて……。
 とっさに奴のデコに手を当てていた。

「何してる」
「いや、らしくねぇこと言うからさ。熱でもあるのかと思ってよ?」
「あのな……」

 眉を寄せ、じとーっと両目を半月型にして半開き。えらく人相の悪い顔で睨んでる。
 手の下の額は熱い事ぁ熱いが、こいつは元々体温が高い上にすぐに頭に血が上る。この程度なら平熱のうち、病気ってほどでも無い。

「ん、熱は無いようだな」
「ったりめーだ、ばか」

 口調が荒いのは恥ずかしさと気まずさの裏返し。やたらと通りの良い低い声なのは、必要以上に力が入っているからだ。

「ばかって言うな」
「子供かお前は」
「はっ、どっちが?」

 鼻先で笑い飛ばして、ついでにぴんっと指で額を弾いてやった。

「おおうっ」

 ダインは大げさにのけ反り、額をさすってる。

「馬鹿でもなけりゃ熱もないってんならよぉ。説明してみろよ。何で泣きたくなるんだ?」
「………」

 言えるか? 言えねぇだろうな。顔が真っ赤だぜ、ダインくん。そもそも泣いてるのを必死こいて隠すような意地っ張りだもんな? なんて高をくくってたら。

「月があんまりにきれいだから」

 ほろっと口割りやがった。

「………えらく詩的だな、おい」
「わかってる。柄でも無いって言うんだろ?」
「よくご存知で」

 にっしっし、と歯を剥いて笑う。奴は目を伏せて、ぷいっとそっぽを向いちまった。

「お前が隣に居るから」
「っなんだよ、俺のせいかよ!」
「ちがう、そうじゃない」

 すう、はあっと大きく息を出し入れしてる。胸が膨らみ、肩が上がり、また下がった。えらく深い呼吸の後、ダインはついと顎を上げ、空を見た。
 背中を丸め、前かがみになったまんまベンチに両手を着き、遠吠えする犬みたいな格好で月と向き合ってる。
 
「お前と一緒にこうして話して、月を見上げてると、さ。腹の底がくすぐったくなって、嬉しくて。もうどうしたらいいのかわかんないくらいぶわーっと熱いもんが込み上げてきてさ……」
「何だそれ」
「咽から溢れそうになった」
「咽かよ。目じゃなくて!」
「不意打ちで泣いちまう時って、咽から出るだろ?」

 違いない。抑えても抑え切れないむせび泣きって奴は、大抵咽から噴き出すもんだ。歯を食いしばった所で止まるもんじゃない。
 どこか途中で引っかかったのを無理やり引っぺがし、文字通りごぼり、ごほっと咳みたいに。
 そこは理解できる。だがわかんねぇのは……。

「何で、俺と一緒だとむせび泣くのかねぇ」

 しぱしぱとまばたきするとダインはこっちに向き直り、背筋を伸ばした。普段は猫背癖がついてるもんだから、急に一回りでっかくなったように見える。

「お前、わかってないだろ」
「何、が?」

 後に引くのも何やら負けたみたいでシャクに障る。だからずいっと顎をそらして見上げてやった。
 視線と視線がかち合う。さあ来い、若者。こちとら伊達に年は喰っちゃいないんだ。ガタイは負けるが気迫じゃ負けねぇぞ?

「どれだけ俺が、お前を好きか」

 …………………………虚を突かれた。
 真っ白になった頭の中に、奴の言葉が。月の光に照り映えて、しっとりとした翡翠色を宿した瞳が、すうっと潜り込む。
 止められない。
 真っ直ぐに『俺』と言う存在の一番奥までたどり着き、ど真ん中に届いちまった。
 言葉に宿る本質が、魂の根っこを震わせる。

「ふ?」
「ん」

 唇が重なった。舌さえ入れない、触れるだけのキスだってのに、何そんなにうっとりしてるのかこの騎士さまは。目ぇ閉じて、鼻息荒くしてまぁ……。顔に当たって生あったかいやら、くすぐったいやら。
 
(わかってるよ。どんだけお前が俺を好きなのか)

『よせ、ダイン、死んじまう!』
『これでもまだ足りないくらいだ!』

 俺に怪我させた男を、こいつは寸での所でぶち殺す所だった。ケダモノみたいに吠え、唸り、剣すら使わず自らの拳を血に染めて。
 俺の為なら、こいつは騎士の誇りも務めも、いとも簡単に投げ捨てる。
 恐ろしいと思う一方で、また困った事に……。
 俺って奴は、快楽をむさぼっていた。傷の痛みにもうろうとしながら、ぞくぞくするほど甘美な痺れに震えていたんだ。
 そこまで自分がこの若い騎士を惹き付けてるんだって。支配し、昂ぶらせ、飼い馴らしてるとわかったから。
 こいつの首には、目に見えない首輪が嵌まってる。鎖の先を握ってるのは、他ならぬこの俺なのだ。
 そいつはどうしようもなく背徳的で、そのくせうっとりするほど心地よい感覚だった。

(わかってるから、困るんだよ)

 くっと口の端を上げ、次いで緩める。唇のすき間から歯をのぞかせて、目尻を下げる。

「まーたのらりくらりとはぐらかしやがって、このヒゲ親父め」

 浮かんだ笑みを皮肉と受け止めたか、ダインがむっと眉をしかめ、口をひん曲げる。

「やっぱわかってないだろ」
「さあて、どうだかねぇ?」

 咽が震える。
 俺の杯の中味は酒じゃない。干した香草の根と葉と花、果実の欠片を混ぜたお茶だ。月の光が溶けたとて、酔っぱらっいにはほど遠い。
 込み上げる激情を、咄嗟に余裕を含んだ忍び笑いに組み換えるだけの知恵は回る。
 飲み込んだ炎は体の奥へと沈み、ぽつりと小さな埋み火となる。放っておけば消えるだろうが、今夜は月があんまりにきれいだから……。

 服の襟元に手をかけて、ずいとばかりに押し広げる。
 ダインが目を剥き、ごくりと生つばを飲んだ。ああ、まったくわかりやすいね、若者。
 食い入るような奴の視線が喉元をはいずり回る。あんまり熱心に見るもんだから、こっちも何だか肌がむず痒くなってくる。

「来いよ」

 くつり、と咽を鳴らして笑いかけてやった。
(好きなんだろ?)
 のしかかってくる体は、さっきよりずっと火照って熱い。
(そうだ、それでいい)
 濡れた唇が喉元に吸い付き、舌が触れる。寄る年波には勝てず肌が緩み、皴の浮いたその場所にダインはいたくご執心で……事を始める前に必ず、念入りになめ回す。痕が残ろうがお構いなしだ。

「フロウ」

 押し殺した声が咽を震わせる。低い、よく響く声だ。どうしようもなく昂ぶって、若さと熱さを滾らせて、荒ぶる直前の張りつめた声。
 胸元に頭を抱え込んでやった。癖のある髪に指を通し、軽く撫で梳く。それで充分だった。
 堰を切ったように激しい息があふれ出し、がっしりした手が絡み付き、服のすき間に潜り込む。
 体を浮かせて導くと慌ただしく引っぺがし、あっと言う間に肌が夜気に晒される。

「おぅっ」

 やたらと手際が良くなりやがって、なんて感心する間もなく、まっしぐらに股間にむしゃぶりついて来た。
(あ、あ、また、そんなに、がっつきやがって)

「っはぁっ」

 股の内側の柔らかな皮膚のすぐそばで、荒い鼻息が爆ぜる。おいおい、奥ゆかしいキスからほんの数秒でこのザマか?
(くそ、まったく可愛い犬っころめ)
 遠慮するな。好きなだけ俺を貪れ。余計な事なんざ考えるな。
 そうすりゃ俺も、心置きなくお前を貪れるってもんだ。

「……ダイン」

 囁き返すその声は、自分でも驚くほどに震えている。零れる息の熱さに今さらながら、自分の欲情の強さを知らされる。
 何、何、気にする事ぁねぇ。こんなに月のきれいな夜だもの。多少酔っぱらった所で罰は当たるまいよ。
 徐々に意識と本能の境目が溶け始める。荒々しくまさぐる指先に身を委ね、降り注ぐ月光に身も心も明け渡した。

(月酔/了)

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