▼ 【おまけ】恋しくて、嫉ましく。
2013/07/07 16:38 【騎士と魔法使いの話】
- 拍手お礼短編の再録。
- 本編【30】四の姫と騎士訓練終了後、フロウの寝室で何があったのか。生まれて初めての嫉妬に戸惑いながらダインのとった行動は?
でっかい生き物が、のしかかってる。
夢うつつの中、フロウは感じた。
恐怖は感じない。この気配、ほぼまちがいなくダインだ。金髪混じりの褐色の癖っ毛といい、人懐っこい目といい、でっかいわんこそっくりの騎士さま。背が高く、がっちりした体格で黙っていればそれなりに男前。いつでも素直に真っ直ぐに……。
(何か、今日は妙におとなしいな……)
まどろみながら眉を寄せる。いつもなら、とっくにキスの一つ二つは降ってくるタイミングだ。唇だけならまだしも首筋やら耳たぶやら、時には胸元、鎖骨あたりにまで。不意打ちで腹に吸い付かれた時はさすがに一発どやしつけた。犬ってのはとにかく躾けが肝心だ。増して(あらゆる意味で)血気盛んな若者ならば尚更に。
それが、何故か。のしかかるだけで、触れてこない。肩のすぐそばに、掌の熱を感じる。太い腕に繋がる厚い胸板、鍛えられた筋肉の発する圧倒的な質量が肌に伝わってくる。だが、あくまで気配だけだ。
(妙だな)
こうなると、現実の出来事なのかそれとも夢なのか、あやふやになる。
眠気とだるさにひっぱられる瞼をこじあけた。
(あ)
うっすら霞む視界の中に、見おろす緑の瞳は無い。たてがみみたいな金褐色の癖っ毛も。厳ついくせにどこか柔和な顔も。
出会った時は眉尻を下げ、困ったような笑みをにじませ、背中を丸めていた。
猫背癖は未だに抜けないが、あの頃に比べりゃ見違えるほど堂々としてきた。ことに自分と向き合う時は、いつだって決して遠慮しない。ぐいぐいと分厚い頑丈な体をすり寄せてくる。
(夢、か?)
ゆるゆると手を動かし、傍らをまさぐる。皴になったシーツにほのかに温もりが残っていた。
明らかに自分以外の生き物が。それもでっかいのが寝た痕跡がある。
「……ダイン?」
夜明けの薄明かりの中、つぶやいた名が虚しく響く。
返事は無かった。
※
その頃、ディートヘルム・ディーンドルフことダインは馬小屋に居た。
黒毛の軍馬は患わしそうに耳を伏せたものの、素直に起き上がる。寝ている最中に起こされるのには慣れっこなのだ。
「いや、違うんだ、黒。出動じゃない」
口調と服装から、馬なりに状況を読み取ったのだろう。長い、熱い鼻息が乗り手の顔に吹きつけ、髪を舞い上がらせる。
「……すまん」
眉根を寄せて力の無い笑みを浮かべながらダインは思った。
そう言やこいつに出会った時はもう、避難所を求めて馬屋にこもる機会も滅多に減っていたな、と。理由は単純にして明快。黒を手に入れた時は既にフロウと出会い、肌を重ねていたからだ。
自分の身に宿る力の本質を教えてくれた。受け入れてくれた。文字通り身も心も彼の温もりに包まれて、以来ダインは目覚ましい変化を遂げた。ただ一人、受け入れてくれれば充分だったのだ。自ずと背筋は伸びる。
(フロウが、好きだ)
彼が『寛容』を美徳とする女神の信徒であり、気に入った男なら誰にでも肌身を許し、情を交わすと知ってもその気持ちは変わらない。何となれば、自分はフロウの奔放さ、自由さにこそ惹き付けられているのだから。
彼が自分を受け入れてくれたように、自分もまた彼の全てを受け入れる。そう決めたし、そう在ろうとしている。
納得したはずではなかったか。それなのに。
「俺は……最低だ……」
愛馬のぶっとい首をかき抱き、たてがみに顔を埋める。ありがたいことに振り払われはしない。自分以外の生き物の質感と体熱に安らぎ、強ばった手足から力を抜いた。
あのレイヴンと言う男の存在を知って以来、胸が焼けつく。自分こそが後入りの新参者なのだと思い知らされた瞬間から、咽元に苦い塊が詰まっている。時間の経過とともに膨れ上がり、息が詰まる。
眠るフロウを見おろしながら、どろどろと青黒い炎に身を焦がしていた。
この場で犯したい。
着てる物全て引き裂いて、甘くしなやかな体の隅々に己の印を刻みたい。
こいつは俺の物だと。俺だけの物なのだと!
こみ上げる衝動を必死でねじ伏せ、部屋を出て、ここに来た。
いや、逃げ込んだのだ。
「あれ以上あいつの顔見て、においかいでたら、俺は……俺は……っ」
咽が震える。泣きたいのか。叫びたいのか。怒りたいのか、笑いたいのかわからない。己の腑を焼き、咽を爛れさせる感情が何なのか、知らない。わからない。
引きがねとなったのはあの魔術師……レイヴンだ。いっそ高慢で嫌な男なら嫌うこともできただろうに。
冷徹で冷静で、淡々として。挑発しても眉一つ動かさない。
(奴は、フロウを知っている)
(フロウの本質を受け入れてる)
(若造一匹増えた所で、歯牙にもかけちゃいないんだ)
また、じりっと胸が灼けた。
『俺も寝る、フロウの隣で。同じ部屋の、同じベッドでだ』
『……そうか』
『本気だからな! やるっつったらやるぞ!』
『……あぁ』
夜半のやり取りが脳裏をよぎる。あの時、思い知らされた。自分はどうしようもなく男として劣っている。負けているのだと。
「このままじゃ、奴にフロウをとられちまう」
ぼそりとこぼした己の言葉に、ダインは凍りついた。
(俺、今、何て言った?)
(わかってんのか。取られるも何も、後から割り込んだのは俺だぞ!)
(あいつは、俺なんかが赤ん坊の頃からフロウとつきあってて……)
ずくんっと胸を貫く緑の稲妻が、咽を突き抜け目玉の奥まで抉り通した。
「あ……」
鼓動が、痛い。
肋の内側で膨れ上がった心臓が、凄まじい勢いで血潮を噴き上げる。今にも血管が弾け飛び、肉も骨も、もろとも突き破りそうだ。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ! 知った事か!)
「だめ……だ」
(フロウは俺のものだ。俺だけの………っ!)
「よせっ!」
瞼を固く閉じ、左目を掻きむしる。己の内側で身をよじり、咆哮を挙げる獣がいる。ねじ伏せろ。押し戻せ。今を守るために……。
(守ってどうする?)
(これからずっと一つ屋根の下で過ごすのか? フロウだけじゃない。あのいけ好かない魔術師と……)
(もう一人の男と!)
「黙れぇっ」
壁を殴る。渾身の力をこめて。
しかし、叩きつけようとした拳は寸前でぐいとばかりに引き止められた。
「え?」
シャツの袖口を、愛馬がしっかりとくわえていた。
黒目がちな瞳に、己の姿が写っている。見た途端、すーっと血の気が引いた。
目を剥き口を歪ませ歯を食いしばる。その瞳に宿る光には見覚えがあった。
七年前、父親の屋敷に迎えられた時に出会った眼差しだ。初めて正式に親子の対面を果たした大広間、父の傍らに控える黒髪の少年と……彼によく似た、美しい女性。
(同じだ)
(俺は今、あの人たちと、同じ目をしてる)
「俺……あいつに………レイヴンに、嫉妬してる」
へなっと膝から力が抜ける。ぼう然とへたりこむダインの頬に、黒毛の軍馬が鼻面を寄せる。
「黒……」
自分からも顔をすりよせ、目を閉じる。
「恋しいと、嫉ましいって対になってんだな」
馬が答えるはずもない。ただ、静かにそこにいる。いつものように尻尾でひっぱたいたり、床を踏み鳴らす事もなく。
「あの人も……親父を愛してるから……俺を憎むのか」
わかってしまうのが恐ろしかった。だから常に身をかがめ、人と深く関わるのを避けていた。生まれて初めて恋した女の正体を知ったその時から、ただ尽くすだけ、守るだけでいようと決めたはずだった。憎む事も、愛する事も放棄して。
そのはずだった。
「何で、俺は……っ」
理屈じゃ歯止めが利かないくらい、まっすぐに、強く惹かれてしまった。ただ一人、フロウライト・ジェムルと言う男に。
だからこそ今、レイヴンが嫉ましい。
「フロウ……フロウ……」
顔をくしゃくしゃに歪め、恋しい男の名をつぶやいた。
無くしたくない。壊したくない。受け入れられ、満たされる喜びを。
『今』を失いたくない。
「フロウ………っ」
お前が愛しくて、恋しくて、あいつが嫉ましい。
「とーちゃーん」
「あ……ちび」
柔らかな翼が頬を撫で、しなやかな体がくいくいと押し付けられる。いつ来たものか、とりねこが肩にとまっていた。長い尻尾がしなり、首に巻き付く。
食いしばった顎から力を抜き、ダインはようやく、ほほ笑んだ。
「くすぐったいなぁ」
「ぴゃ。ぴゃああ」
綿菓子のような毛並をなでながら囁いた。
「ちび……」
半ば自分に、半ばちびに言い聞かせる。
「フロウには内緒だぞ。他の誰にも、な」
受け入れろ。順応しろ。できるはずだ。
ちびはじっと聞いてくれた。それからかぱっと赤い口を開け、一声鳴いた。
「ぴゃあ」
(恋しくて、嫉ましく。/了)
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